カローシュティー文字

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カローシュティー文字
類型: アブギダ
言語: パーリ語
プラークリット
時期: 紀元前4世紀-紀元後3世紀
親の文字体系:
姉妹の文字体系: ブラーフミー文字
Unicode範囲: U+10A00-U+10A5F
ISO 15924 コード: Khar
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号(IPA)を含む場合があります。

カローシュティー文字(カローシュティーもじ)とは、古代の西北インド北インドから中央アジアで用いられた文字。

概要[編集]

この文字は紀元前6世紀紀元前5世紀ころ、ダレイオス1世によってインダス川以西のアケメネス朝の属州となった地域の言語を表現するために、ブラーフミー文字を知っているものが、アラム文字を借用して、便宜的に表記するために考案したものと考えられている。[1]

ハザーラーのマーンセヘラーとペシャーワルのシャーバーズ・ガリーにあるアショーカ王による磨崖碑文が、この文字で表記されており、紀元前3世紀ころにはこの文字が普及していたと判明している。アショーカ王以後も、サカクシャーナ朝の諸王によって採用されたが、 5 世紀以降はブラーフミー系文字に変られた。

1840年頃、イギリス東インド会社カルカッタ(現:コルカタ)造幣局分析技師であったジェームス・プリンセプによって解読された。仏教ジャイナ教の文献および『法苑珠林』から、カローッティー、カローシュティーの名称が確認されたが、起源については諸説がある。

アルファベットと数字[編集]

カローシュティー数字
I II III X IX IIX IIIX XX IXX
1 2 3 4 5 6 7 8 9
Ȝ ੭Ȝ ȜȜ ੭ȜȜ ȜȜȜ ੭ȜȜȜ
10 20 30 40 50 60 70
ʎI ʎII
100 200
Kharosthi 1a.svg 1 Kharosthi 2a.svg 2 Kharosthi 3a.svg 3 Kharosthi 4a.svg 4
Kharosthi 10.svg 10 Kharosthi 20.svg 20 Kharosthi 100.svg 100 Kharosthi 1000.svg 1000
Kharosthi a.svg a Kharosthi i.svg i Kharosthi u.svg u Kharosthi e.svg e Kharosthi o.svg o Kharosthi ri.svg
Kharosthi k.svg k Kharosthi kh.svg kh Kharosthi g.svg g Kharosthi gh.svg gh
Kharosthi c1.svg c Kharosthi ch.svg ch Kharosthi j.svg j Kharosthi ny.svg ñ
Kharosthi tt.svg Kharosthi tth.svg ṭh Kharosthi dd.svg Kharosthi ddh.svg ḍh Kharosthi nn.svg
Kharosthi t.svg t Kharosthi th.svg th Kharosthi d.svg d Kharosthi dh.svg dh Kharosthi n.svg n
Kharosthi p.svg p Kharosthi ph.svg ph Kharosthi b.svg b Kharosthi bh.svg bh Kharosthi m.svg m
Kharosthi y.svg y Kharosthi r.svg r Kharosthi l.svg l Kharosthi v.svg v
Kharosthi sh.svg ś Kharosthi ss.svg Kharosthi s.svg s Kharosthi h.svg h
Kharosthi kk.svg Kharosthi ttth.svg ṭ́h

カローシュティー文書の発見[編集]

カローシュティー文書の断片。2世紀から5世紀のもの。新疆博物館所蔵。

1901年1月、ホータンダンダン・ウイリクの砂に埋もれた仏教寺院跡の発掘を終えたばかりのオーレル・スタインは、ニヤ遺跡での第一回目の発掘調査を行い、カローシュティー文字が書かれた多数の木簡や羊の皮の文書を発見した。前年の3月には、スヴェン・ヘディンタリム盆地の東端に楼蘭遺跡を発見していたが、その1年後に、今度はスタインによって、タリム盆地の西の沙漠中で、楼蘭王国の実像を語る大量のカローシュティー文字の文書が発見された。このときニヤ遺跡で発見されたカローシュティー文書はおおよそ430点であった。1906年の第二回目の調査では、ニヤ遺跡、エンデレ遺跡、楼蘭の各地点の遺跡から280点ほど、さらに1913年の第三回目の調査では、新たにニヤ遺跡および楼蘭遺跡から50点ばかりを発掘した。

スタインはカローシュティー文書とはどういうものであるかを、ニヤ遺跡においてそれを発見した時の興奮とともに『中央アジア踏査記』の中で詳しく語っている。

この発見によって当時の鄯善国(クロライナ)および于闐国(コータンナ)の生活や、地名・人名の発音がわかるようになり、西域諸国の歴史の空白部分を埋める重要な手掛かりとなった。

Unicode[編集]

Unicode では、以下の領域に次の文字が収録されている。

U+ 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 A B C D E F
10A00 𐨀  𐨁  𐨂  𐨃  𐨅  𐨆  𐨌  𐨍  𐨎  𐨏
10A10 𐨐 𐨑 𐨒 𐨓 𐨕 𐨖 𐨗 𐨙 𐨚 𐨛 𐨜 𐨝 𐨞 𐨟
10A20 𐨠 𐨡 𐨢 𐨣 𐨤 𐨥 𐨦 𐨧 𐨨 𐨩 𐨪 𐨫 𐨬 𐨭 𐨮 𐨯
10A30 𐨰 𐨱 𐨲 𐨳  𐨸  𐨹  𐨺 𐨿
10A40 𐩀 𐩁 𐩂 𐩃 𐩄 𐩅 𐩆 𐩇
10A50 𐩐 𐩑 𐩒 𐩓 𐩔 𐩕 𐩖 𐩗 𐩘

脚注[編集]

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  1. ^ 岩村忍『文明の十字路=中央アジアの歴史』p68

参考資料[編集]

外部リンク[編集]