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「ジャイアントパンダ」の版間の差分

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=== 日本語名 ===
=== 日本語名 ===
[[日本語]]では[[和名|標準和名]]「'''ジャイアントパンダ'''」のほか、ジャイアント部分を日本語にした「オオパンダ」という和名が存在し、一時はこれが主流になっていた。これ以外に「イロワケグマ」や「シロクログマ」という和名もジャイアントパンダと並んで使用された例がある<ref group="注釈">学研が1968年に発行した『原色現代科学大事典』の第5巻では巻末の和名―学名表で「オオパンダ Ailropoda melanoleuca」とあり、本文解説の「オオパンダ」の項目に和名の横にカッコ書きで小さく「ジャイアントパンダ・イロワケグマ・シロクログマ」表記が見られる。<br>(『原色現代科学大事典 5動物II』、宮地伝三郎(責任編集者)、株式会社学習研究社、昭和43年、p.539・607。)</ref>。
[[日本語]]では[[和名|標準和名]]「'''ジャイアントパンダ'''」のほか、ジャイアント部分を日本語にした「オオパンダ」という和名が存在し、一時はこれが主流になっていた。これ以外に「イロワケグマ」や「シロクログマ」という和名もジャイアントパンダと並んで使用された例がある<ref group="注釈">学研が1968年に発行した『原色現代科学大事典』の第5巻では巻末の和名―学名表で「オオパンダ Ailropoda melanoleuca」とあり、本文解説の「オオパンダ」の項目に和名の横にカッコ書きで小さく「ジャイアントパンダ・イロワケグマ・シロクログマ」表記が見られる。<br>(『原色現代科学大事典 5動物II』、宮地伝三郎(責任編集者)、株式会社学習研究社、昭和43年、p.539・607。)</ref>。


== 分類 ==
== 分類 ==
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[[日本]]では[[1972年]]に[[恩賜上野動物園]]で初めて飼育された([[カンカンとランラン]])が、ランランは1979年に妊娠中毒と腎不全の合併症、カンカンは1980年に心不全により死亡している<ref name="sagawa_et_al" />。1980年に来日したホァンホァンと1982年に来日したフェイフェイのペアが1985年に人工授精での繁殖に成功したが、幼獣は生後43時間で死亡している<ref name="sagawa_et_al" />。ホァンホァンとフェイフェイのペアは[[1986年]]に人工授精での繁殖に成功し(トントン)、続けて[[1988年]]にも人工授精での繁殖に成功した(ユウユウ)<ref name="sagawa_et_al" />。
[[日本]]では[[1972年]]に[[恩賜上野動物園]]で初めて飼育された([[カンカンとランラン]])が、ランランは1979年に妊娠中毒と腎不全の合併症、カンカンは1980年に心不全により死亡している<ref name="sagawa_et_al" />。1980年に来日したホァンホァンと1982年に来日したフェイフェイのペアが1985年に人工授精での繁殖に成功したが、幼獣は生後43時間で死亡している<ref name="sagawa_et_al" />。ホァンホァンとフェイフェイのペアは[[1986年]]に人工授精での繁殖に成功し(トントン)、続けて[[1988年]]にも人工授精での繁殖に成功した(ユウユウ)<ref name="sagawa_et_al" />。


現在ジャイアントパンダはワシントン条約で国際取引が禁止されているので、日本国内で飼育されているものはすべて「日中飼育繁殖研究」という名目で中華人民共和国から借り入れている。パンダは「お見合い」によるペアリングが極めて難しく、ジャイアントパンダが大量に飼育されている中国の施設でオスとメスの相性を見てカップルを作る形でないと繁殖は難しいため(日本で2匹の雌との間に18年間で15頭の子供を、しかも全て自然交配で設けたアドベンチャーワールドの永明は例外的な絶倫ビッグダディとされる<ref>{{Cite news |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/696690/|title=上野のパンダなぜ少子化 “多産”和歌山と異なる理由 |newspaper=東スポweb |date=2017-06-14 |accessdate=2019-01-31}}</ref>)、日本国内で誕生したジャイアントパンダについては、おおむね[[性成熟]]に達する2歳ぐらいになったら繁殖の為に中国に帰国することになる。
現在ジャイアントパンダはワシントン条約で国際取引が禁止されているので、日本国内で飼育されているものはすべて「日中飼育繁殖研究」という名目で中華人民共和国から借り入れている。パンダは「お見合い」によるペアリングが極めて難しく、ジャイアントパンダが大量に飼育されている中国の施設でオスとメスの相性を見てカップルを作る形でないと繁殖は難しいため(日本で2匹の雌との間に18年間で15頭の子供を、しかも全て自然交配で設けたアドベンチャーワールドの永明は例外的な絶倫ビッグダディとされる<ref>{{Cite news |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/696690/|title=上野のパンダなぜ少子化 “多産”和歌山と異なる理由 |newspaper=東スポweb |date=2017-06-14 |accessdate=2019-01-31}}</ref>)、日本国内で誕生したジャイアントパンダについては、おおむね[[性成熟]]に達する2歳ぐらいになったら繁殖の為に中国に帰国することになる。


* [[神戸市立王子動物園]]:[[兵庫県]][[神戸市]] (旦旦[タンタン]、メス)
* [[神戸市立王子動物園]]:[[兵庫県]][[神戸市]] (旦旦[タンタン]、メス)
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** 2014年12月2日にも永明と良浜の間に、メスの双子が誕生(桜浜:メス、桃浜:メス。2015年2月6日命名)。
** 2014年12月2日にも永明と良浜の間に、メスの双子が誕生(桜浜:メス、桃浜:メス。2015年2月6日命名)。
** 2016年9月18日にも永明と良浜の間に、メスの子供が誕生(結浜。2016年12月6日命名)<ref>{{PDFlink|[https://www.aws-s.com/pressrelease/pdf/170914.pdf 9月18日(月・祝)パンダの赤ちゃん「結ゆい浜ひん」はじめての誕生日!]}}</ref>。
** 2016年9月18日にも永明と良浜の間に、メスの子供が誕生(結浜。2016年12月6日命名)<ref>{{PDFlink|[https://www.aws-s.com/pressrelease/pdf/170914.pdf 9月18日(月・祝)パンダの赤ちゃん「結ゆい浜ひん」はじめての誕生日!]}}</ref>。
** 2018年8月14日にも永明と良浜の間に、メスの子供が誕生、2018年12月17日に「彩浜」と命名された<ref>{{Cite web |url=http://www.aws-s.com/topics/detail?id=top1292 |title=8月14日(火)ジャイアントパンダの赤ちゃんが誕生しました わずか75gで生まれ、保育器に入れてスタッフが懸命のサポートを行っています。|トピックス|アドベンチャーワールド |publisher=アドベンチャーワールド |accessdate=2019-01-31}}</ref>。
** 2018年8月14日にも永明と良浜の間に、メスの子供が誕生、2018年12月17日に「彩浜」と命名された<ref>{{Cite web |url=http://www.aws-s.com/topics/detail?id=top1292 |title=8月14日(火)ジャイアントパンダの赤ちゃんが誕生しました わずか75gで生まれ、保育器に入れてスタッフが懸命のサポートを行っています。|トピックス|アドベンチャーワールド |publisher=アドベンチャーワールド |accessdate=2019-01-31}}</ref>。


* [[東京都恩賜上野動物園]]<ref>{{Cite web |url=http://www.ueno-panda.jp/history/ |title=歴代のパンダたち|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」 |publisher=東京動物園協会 |accessdate=2019-01-31}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.kahaku.go.jp/userguide/hotnews/theme.php?id=0001217208400883&p=2 |title=利用案内・情報 ≫ ホットニュース ≫ 2008-05-01 :: 国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo |publisher=国立科学博物館 |accessdate=2019-01-31}}</ref>:[[東京都]][[台東区]] (リーリー:オス、シンシン:メス、シャンシャン:メスの3頭、2011年4月1日より公開<ref>{{Cite web |url=https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=ueno&link_num=17873 |title=ジャイアントパンダ、4月1日から公開します | 東京ズーネット |publisher=東京動物園協会 |accessdate=2019-01-31}}</ref>)
* [[東京都恩賜上野動物園]]<ref>{{Cite web |url=http://www.ueno-panda.jp/history/ |title=歴代のパンダたち|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」 |publisher=東京動物園協会 |accessdate=2019-01-31}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.kahaku.go.jp/userguide/hotnews/theme.php?id=0001217208400883&p=2 |title=利用案内・情報 ≫ ホットニュース ≫ 2008-05-01 :: 国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo |publisher=国立科学博物館 |accessdate=2019-01-31}}</ref>:[[東京都]][[台東区]] (リーリー:オス、シンシン:メス、シャンシャン:メスの3頭、2011年4月1日より公開<ref>{{Cite web |url=https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=ueno&link_num=17873 |title=ジャイアントパンダ、4月1日から公開します | 東京ズーネット |publisher=東京動物園協会 |accessdate=2019-01-31}}</ref>)
** 陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したため、[[恩賜上野動物園|東京都恩賜上野動物園]]からパンダがいなくなったのと同時に、日本が所有権を持つジャイアントパンダはいなくなった<ref group="注釈">上野動物園で死亡したジャイアントパンダはすべて標本として保管されており、フェイフェイ、[[トントン (ジャイアントパンダ)|トントン]]、ホァンホァンの3頭の[[剥製]]は同じく[[上野恩賜公園]]内にある[[国立科学博物館]]で、ランラン、カンカンの2頭の剥製は[[多摩動物公園]]で展示されている。2008年12月23日から2009年4月5日には、国立科学博物館にて『初公開!はく製リンリン-上野のパンダ全員集合』と題した展示が行われ、7頭すべて(ランラン、カンカン、フェイフェイ、ホァンホァン、トントン、リンリンの6体は剥製、チュチュは[[標本 (分類学)#液浸標本|液浸標本]])の標本が集められ、公開された。</ref>。なお、陵陵は血縁上、永明の伯父にあたる。
** 陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したため、[[恩賜上野動物園|東京都恩賜上野動物園]]からパンダがいなくなったのと同時に、日本が所有権を持つジャイアントパンダはいなくなった<ref group="注釈">上野動物園で死亡したジャイアントパンダはすべて標本として保管されており、フェイフェイ、[[トントン (ジャイアントパンダ)|トントン]]、ホァンホァンの3頭の[[剥製]]は同じく[[上野恩賜公園]]内にある[[国立科学博物館]]で、ランラン、カンカンの2頭の剥製は[[多摩動物公園]]で展示されている。2008年12月23日から2009年4月5日には、国立科学博物館にて『初公開!はく製リンリン-上野のパンダ全員集合』と題した展示が行われ、7頭すべて(ランラン、カンカン、フェイフェイ、ホァンホァン、トントン、リンリンの6体は剥製、チュチュは[[標本 (分類学)#液浸標本|液浸標本]])の標本が集められ、公開された。</ref>。なお、陵陵は血縁上、永明の伯父にあたる。
** 2011年2月21日に上野動物園へ力力(リーリー)と真真(シンシン)が到着した。公開は2011年3月22日からを予定していたが、[[東日本大震災]]の影響で4月1日からとなった。
** 2011年2月21日に上野動物園へ力力(リーリー)と真真(シンシン)が到着した。公開は2011年3月22日からを予定していたが、[[東日本大震災]]の影響で4月1日からとなった。
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: 現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で[[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約#附属書I〜III|学術研究目的]]以外での取引は難しいため<ref name="national">[http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0607/index.shtml 特集:パンダ貸します] [[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック日本版]] 2006年7月号</ref>、外交として中国国外にジャイアントパンダを贈与することはできず、中国の動物園か保護センターで生まれた個体を「繁殖研究」などの名目で中国国外の動物園にレンタルする形となっており、レンタルされる個体はすべて「中国籍」である<ref name="national" /><ref name="toku">[http://www.j-cast.com/tv/2008/04/30019613.html とくダネ!:中国「パンダ外交」に踊る日本] [[J-CAST]] 2008年4月30日</ref><ref name="ex">[http://www.excite.co.jp/News/bit/00091128188607.html なぜパンダはみんな帰ってしまうのですか] [[エキサイト|エキサイトニュース]] 2005年10月4日</ref>。
: 現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で[[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約#附属書I〜III|学術研究目的]]以外での取引は難しいため<ref name="national">[http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0607/index.shtml 特集:パンダ貸します] [[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック日本版]] 2006年7月号</ref>、外交として中国国外にジャイアントパンダを贈与することはできず、中国の動物園か保護センターで生まれた個体を「繁殖研究」などの名目で中国国外の動物園にレンタルする形となっており、レンタルされる個体はすべて「中国籍」である<ref name="national" /><ref name="toku">[http://www.j-cast.com/tv/2008/04/30019613.html とくダネ!:中国「パンダ外交」に踊る日本] [[J-CAST]] 2008年4月30日</ref><ref name="ex">[http://www.excite.co.jp/News/bit/00091128188607.html なぜパンダはみんな帰ってしまうのですか] [[エキサイト|エキサイトニュース]] 2005年10月4日</ref>。
: 過去に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍を持っているが、その数は少ないため「非中国籍」同士での繁殖は難しく、また片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となる<ref name="ex" />。そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度、自然死であると証明できない死亡における賠償額は5千万円程度で契約されている<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101002-OYT1T00467.htm |title=神戸のパンダ急死、中国側へ4100万円賠償 |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-10-02 |archiveurl=https://archive.is/20101003090457/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101002-OYT1T00467.htm |archivedate=2010年10月3日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。レンタル料は「保護活動費」との名目で、借り受けた動物園を介して「中国野生動物保護協会」に送られ、本種の研究費や生息地保護資金に充てられている<ref name="wwf" /><ref name="national" /><ref name="ex" />。
: 過去に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍を持っているが、その数は少ないため「非中国籍」同士での繁殖は難しく、また片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となる<ref name="ex" />。そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度、自然死であると証明できない死亡における賠償額は5千万円程度で契約されている<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101002-OYT1T00467.htm |title=神戸のパンダ急死、中国側へ4100万円賠償 |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-10-02 |archiveurl=https://archive.is/20101003090457/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101002-OYT1T00467.htm |archivedate=2010年10月3日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。レンタル料は「保護活動費」との名目で、借り受けた動物園を介して「中国野生動物保護協会」に送られ、本種の研究費や生息地保護資金に充てられている<ref name="wwf" /><ref name="national" /><ref name="ex" />。
: 「パンダは新鮮な笹しか食べないので食費がかさむ」などの事情に加え、高額なレンタル料も一因となり、アトランタの動物園では2006年に資金難から本種を返還した<ref name>[https://www.nytimes.com/2006/02/12/us/eats-shoots-leaves-and-much-of-zoos-budgets.html Eats Shoots, Leaves and Much of Zoos' Budgets] - The New York Times、 2006年2月12日</ref>。本種はもはや「レンタル外交」というビジネスであるとも言われている<ref name="toku" />。
: 「パンダは新鮮な笹しか食べないので食費がかさむ」などの事情に加え、高額なレンタル料も一因となり、アトランタの動物園では2006年に資金難から本種を返還した<ref name>[https://www.nytimes.com/2006/02/12/us/eats-shoots-leaves-and-much-of-zoos-budgets.html Eats Shoots, Leaves and Much of Zoos' Budgets] - The New York Times、 2006年2月12日</ref>。本種はもはや「レンタル外交」というビジネスであるとも言われている<ref name="toku" />。


== 人間との関係 ==
== 人間との関係 ==
[[爾雅]]注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」が[[獏|貘]]として記述されており、銅鉄も食べる動物と考えられていた<ref name="araki">荒木達雄 「[http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/6584/1/cc009001.pdf 中国古文献中のパンダ]」『東京大学中国語中国文学室紀要』第9号、東京大学文学部中国語中国文学研究室、[[2006年]]、1-22。</ref>。これは竹が矢の原料であることから矢を食べる動物と伝わり、時代が進んで金属製の矢が出現したことで金属も食べる、と変化していったと考える説もある<ref name="araki" />。[[白居易]]が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、[[唐]]以前にはそれ以外の特徴が無くなったと推定されている<ref name="araki" />。加えて唐時代に本種と同じ白黒模様をした[[マレーバク]]が混同したと推定されている<ref name="araki" />。[[説文解字#テキストと注釈#説文解字注|説文解字注]]から、[[清]]時代でも貘は金属を食べる生物とされている<ref name="araki" />。[[中華民国]]では本種の呼称は猫熊で、[[中国共産党]]の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある<ref name="araki" />。台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、一方で中国共産党の影響が大きくない[[1934年]]初版の[[辞海]]においても既に熊猫は記述されている<ref name="araki" />。一方でこの辞海初版での熊猫の解説は後述するDavidなどについては触れているものの、「新疆産の怪獣。体は大型で、現存する怪獣の中でも最も珍しいもののひとつ。」との内容が記述されており本種とは結びついていない、およびにこの時点では本種を猫熊とする名称は定着していなかったと考えられている<ref name="araki" />。例としてDavidが発見時における、本種の現地での呼称は「白熊」とされている<ref name="araki" />。
[[爾雅]]注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」が[[獏|貘]]として記述されており、銅鉄も食べる動物と考えられていた<ref name="araki">荒木達雄「[http://doi.org/10.15083/00035297 中国古文献中のパンダ]」『東京大学中国語中国文学室紀要』第9号、東京大学文学部中国語中国文学研究室、2006年 p.1-22, {{ncid|AA11283015}}, {{doi|10.15083/00035297}}。</ref>。これは竹が矢の原料であることから矢を食べる動物と伝わり、時代が進んで金属製の矢が出現したことで金属も食べる、と変化していったと考える説もある<ref name="araki" />。[[白居易]]が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、[[唐]]以前にはそれ以外の特徴が無くなったと推定されている<ref name="araki" />。加えて唐時代に本種と同じ白黒模様をした[[マレーバク]]が混同したと推定されている<ref name="araki" />。[[説文解字#テキストと注釈#説文解字注|説文解字注]]から、[[清]]時代でも貘は金属を食べる生物とされている<ref name="araki" />。[[中華民国]]では本種の呼称は猫熊で、[[中国共産党]]の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある<ref name="araki" />。台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、一方で中国共産党の影響が大きくない[[1934年]]初版の[[辞海]]においても既に熊猫は記述されている<ref name="araki" />。一方でこの辞海初版での熊猫の解説は後述するDavidなどについては触れているものの、「新疆産の怪獣。体は大型で、現存する怪獣の中でも最も珍しいもののひとつ。」との内容が記述されており本種とは結びついていない、およびにこの時点では本種を猫熊とする名称は定着していなかったと考えられている<ref name="araki" />。例としてDavidが発見時における、本種の現地での呼称は「白熊」とされている<ref name="araki" />。


[[世界自然保護基金]]のシンボルマークのモチーフになっている<ref name="takatsuki"/>。独特の色彩に関して人間の少女と仲良くなったがその少女が亡くなり、葬儀で号泣して目をこすり自分自身を抱きかかえたためとする古代中国の伝承がある<ref name="bies"/>。
[[世界自然保護基金]]のシンボルマークのモチーフになっている<ref name="takatsuki"/>。独特の色彩に関して人間の少女と仲良くなったがその少女が亡くなり、葬儀で号泣して目をこすり自分自身を抱きかかえたためとする古代中国の伝承がある<ref name="bies"/>。
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中華人民共和国では40か所のパンダ保護区を設けてジャイアントパンダを保護しており、最大のものは四川省北部の[[アバ・チベット族チャン族自治州]]にある[[臥龍自然保護区]]([[:en:Wolong National Nature Reserve|en]]. 約2,000[[平方キロメートル]])である。また、[[中国国家一級重点保護野生動物|国家一級重点保護野生動物]]にも指定されている。臥龍自然保護区内には[[1983年]]に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、[[2008年]]の[[四川大地震]]によって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となったセンターは放棄されたが、近隣の耿達郷の神樹坪に急遽センターが再建され、2012年10月30日に仮オープンしパンダ18頭の帰還式が行われた。
中華人民共和国では40か所のパンダ保護区を設けてジャイアントパンダを保護しており、最大のものは四川省北部の[[アバ・チベット族チャン族自治州]]にある[[臥龍自然保護区]]([[:en:Wolong National Nature Reserve|en]]. 約2,000[[平方キロメートル]])である。また、[[中国国家一級重点保護野生動物|国家一級重点保護野生動物]]にも指定されている。臥龍自然保護区内には[[1983年]]に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、[[2008年]]の[[四川大地震]]によって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となったセンターは放棄されたが、近隣の耿達郷の神樹坪に急遽センターが再建され、2012年10月30日に仮オープンしパンダ18頭の帰還式が行われた。


中華人民共和国では、ジャイアントパンダの[[密猟]]は重罪とされている。過去には[[死刑]]が最高刑であったが、[[1997年]]以降法律が改正され、現在は20年の[[懲役|懲役刑]]が最高刑となっている<ref name="wwf" />。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に[[銃殺刑]])が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている<ref name="wwf" /><ref>{{Cite web |url=http://animals.web.infoseek.co.jp/mammals/giant_panda002.html |title=ジャイアントパンダ |publisher= |accessdate=2019-01-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090831103354/http://animals.web.infoseek.co.jp/mammals/giant_panda002.html |archivedate=2009-08-31}}{{要検証|date=2019-01-18 |title=信頼できる情報源といえるか不明。}}</ref>。1985 - 1991年に278人が123件の密輸容疑で有罪判決を受けている<ref name="obara" />。また中国では[[熊肉|熊の肉]]、特に手足が高級食材として取引されていることから、熊肉に混じってパンダの肉も売買されることがある<ref>{{cite news |title=中国で野生のパンダ射殺し肉売買 摘発 |newspaper=[[CNN]] |date=2015-05-14 |url=http://www.cnn.co.jp/world/35064532.html |accessdate=2015-05-16 }}</ref>。
中華人民共和国では、ジャイアントパンダの[[密猟]]は重罪とされている。過去には[[死刑]]が最高刑であったが、[[1997年]]以降法律が改正され、現在は20年の[[懲役|懲役刑]]が最高刑となっている<ref name="wwf" />。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に[[銃殺刑]])が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている<ref name="wwf" /><ref>{{Cite web |url=http://animals.web.infoseek.co.jp/mammals/giant_panda002.html |title=ジャイアントパンダ |publisher= |accessdate=2019-01-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090831103354/http://animals.web.infoseek.co.jp/mammals/giant_panda002.html |archivedate=2009-08-31}}{{要検証|date=2019-01-18 |title=信頼できる情報源といえるか不明。}}</ref>。1985 - 1991年に278人が123件の密輸容疑で有罪判決を受けている<ref name="obara" />。また中国では[[熊肉|熊の肉]]、特に手足が高級食材として取引されていることから、熊肉に混じってパンダの肉も売買されることがある<ref>{{cite news |title=中国で野生のパンダ射殺し肉売買 摘発 |newspaper=[[CNN]] |date=2015-05-14 |url=http://www.cnn.co.jp/world/35064532.html |accessdate=2015-05-16 }}</ref>。


経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である[[竹]]は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず[[餓死]]してしまうことがある<ref name="the-tugi" />。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできたが、20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発などによって人間が生息地を分断したことによって移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる<ref name="wwf" /><ref name="mura-tabemono" />。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「[[緑の回廊]](ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、[[:en:Wildlife corridor|en]])」を造る計画を進めている<ref name="wwf" />。1990年代にクローンを作成する試みが発表されたが、成功したとしても効果は疑問視されている<ref name="iucn" /><ref name="nagato" />。1983年に中華人民共和国の個体群がワシントン条約附属書IIIに、1984年にワシントン条約附属書Iに掲載されている<ref name="species+" />。
経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である[[竹]]は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず[[餓死]]してしまうことがある<ref name="the-tugi" />。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできたが、20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発などによって人間が生息地を分断したことによって移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる<ref name="wwf" /><ref name="mura-tabemono" />。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「[[緑の回廊]](ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、[[:en:Wildlife corridor|en]])」を造る計画を進めている<ref name="wwf" />。1990年代にクローンを作成する試みが発表されたが、成功したとしても効果は疑問視されている<ref name="iucn" /><ref name="nagato" />。1983年に中華人民共和国の個体群がワシントン条約附属書IIIに、1984年にワシントン条約附属書Iに掲載されている<ref name="species+" />。
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1994年における生息数は1,200頭と推定されている(保護区内の生息数は800頭)<ref name="obara" />。[[2004年]]に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の[[岷山山地]]、陝西省南部の[[秦嶺山脈]]、[[甘粛省]]南部などに約1,600頭が生息している。[[2006年]]、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は[[1980年代]]末より約40[[パーセント|%]]増えている。
1994年における生息数は1,200頭と推定されている(保護区内の生息数は800頭)<ref name="obara" />。[[2004年]]に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の[[岷山山地]]、陝西省南部の[[秦嶺山脈]]、[[甘粛省]]南部などに約1,600頭が生息している。[[2006年]]、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は[[1980年代]]末より約40[[パーセント|%]]増えている。


中国政府による国家的な保護活動の結果、野生のジャイアントパンダの生息数も生息地も増加傾向にある。2011年から2014年にかけて行われた調査によると、ジャイアントパンダの生息数は2003年の約1600頭から1864頭にまで増加した<ref>[https://www.wwf.or.jp/activities/activity/1212.html その数1,864頭 ジャイアントパンダの最新の推定個体数] WWFジャパン</ref>。これを受け、2016年に国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストにおいて、ジャイアントパンダが「絶滅危惧(endangered)」から「危急(vulnerable)」へと格下げが行われた。
中国政府による国家的な保護活動の結果、野生のジャイアントパンダの生息数も生息地も増加傾向にある。2011年から2014年にかけて行われた調査によると、ジャイアントパンダの生息数は2003年の約1600頭から1864頭にまで増加した<ref>[https://www.wwf.or.jp/activities/activity/1212.html その数1,864頭 ジャイアントパンダの最新の推定個体数] WWFジャパン</ref>。これを受け、2016年に国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストにおいて、ジャイアントパンダが「絶滅危惧(endangered)」から「危急(vulnerable)」へと格下げが行われた。


== 派生的表現 ==
== 派生的表現 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030116_00000 NHKアーカイブス パンダブーム] - 日本放送協会(NHK)
* [https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030116_00000 NHKアーカイブス パンダブーム] - 日本放送協会(NHK)
* [https://www.ueno-panda.jp/ ジャイアントパンダ情報サイト] 上野動物園
* [https://www.ueno-panda.jp/ ジャイアントパンダ情報サイト] 上野動物園



2019年11月18日 (月) 08:14時点における版

ジャイアントパンダ
ジャイアントパンダ
ジャイアントパンダ Ailuropoda melanoleuca
保全状況評価[1][2][3]
VULNERABLE
(IUCN Red List Ver.3.1 (2001))
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: 食肉目 Carnivora
: クマ科 Ursidae
: ジャイアントパンダ属 Ailuropoda
: ジャイアントパンダ A. melanoleuca
学名
Ailuropoda melanoleuca (David, 1869)[3][4]
シノニム

Ursus melanoleucus David, 1869

和名
ジャイアントパンダ[4][5][6]
英名
Giant panda[3][7]

ジャイアントパンダAiluropoda melanoleuca)は、哺乳綱食肉目クマ科ジャイアントパンダ属に分類される食肉類。にはっきりと分かれた体毛が際立った特徴である。

ジャイアントパンダ属の、唯一現生する1。四川と秦嶺の2亜種が知られる(後記「#分類」を参照)。単に「パンダ」と呼ぶ時はこの3種を指し、レッサーパンダはそのまま呼ばれる事が多い。

中国大陸進化し、アバ・チベット族チャン族自治州域内が主たる生息地である。現在では中華人民共和国のごく限られた地域(四川省陝西省など)にわずかな頭数が残存する[注釈 1]食などの草食傾向が比較的高い雑食性の大型哺乳類

分布

中華人民共和国甘粛省四川省陝西省秦嶺山脈岷山山脈[3]。湖北省、湖南省では絶滅[3]

化石記録から古くは北京周辺からベトナム北部、ミャンマー北部にかけて分布していたと考えられている[3]

形態

体長120 - 150センチメートル[5]。尾長10 - 15センチメートル[4]。体重オス100キログラム、メスは90キログラム(飼育個体ではオス120キログラム、メス100キログラム)[4]。全身は分厚い体毛で覆われる[4][5]。耳介や眼の周囲・肩から前肢・後肢は黒く、他は白い[4][7]。種小名melanoleucaは「黒白の」の意。色彩は古くは捕食者から輪郭をごまかすのに役立ったり積雪地域での保護色だったとする説もあるが、現在では人間以外の捕食者はほとんどおらず雪もあまりない環境で生活している[7]

歯列は門歯が上下6本ずつ、犬歯が上下2本ずつ、小臼歯は上下8本ずつ、臼歯は上顎4本、下顎6本の計42本[4]。臼歯は大型[5]。食道には輪状の角質が並ぶ[5]。胃の隔壁は厚い[5][7]。肛門や性器の周辺に分泌腺がある[4]

出産直後の幼獣は体長15センチメートル[5]。体重85 - 140グラム[7]。体色はピンク色[5]。生後1か月で毛衣が成獣と同じようになる[5]。乳頭の数は4個[4]

生まれて間もないジャイアントパンダ。体重は150gほど。
ジャイアントパンダ(フェイフェイ)の左前肢の骨。国立科学博物館の展示。
ジャイアントパンダ(トントン)の骨格標本(国立科学博物館所蔵)
体長・体重
体長は約120-150センチメートルで、立ち上がると170cm程度になる。オスの体重は約100-150キログラム、メスは約80- 120kgである。生まれた子供の体重は通常100- 200グラム程度と大人の約1000分の1しかない。
体毛
眼の周り、耳、四肢、背中の両肩の間の毛が黒く、他の部分は白色(クリーム色)である[8][9]。この模様や色使いは「単独行動が維持できるように近すぎる距離での遭遇を回避するのに役立っている[10][11]」「周りの景色に溶け込んで外敵の目から逃れるためのカモフラージュの役割を果たしていた[12]」等と考えられている。
2~3頭身の乳幼児体型で大きい。また目・鼻・口は顔の下半分に集中している。堅い竹を噛み潰す必要上、筋肉が頭蓋骨の上方に位置するため額も広い[13]
尾の長さは約13- 20cmであるが、尾はほとんど成長しないため、成獣では目立たない[8]。ジャイアントパンダのぬいぐるみ人形キャラクターグッズなどのなかには、尾を黒く塗った商品を見かけるが、汚れなどによる誤解や思い込みに基づいて色付けされており、本種の尾の色は正しくは白色(クリーム色)である[8][9]
幼少期
生まれた直後は毛が一切生えておらず、薄いピンク色をしている[14]。生後約1週間から十日程で毛根の色が透けるため白黒模様が見え始める[9][14]。生後1か月ほど経つと親と同じような模様の毛が生え揃う[14]。ジャイアントパンダの毛は軟らかそうなイメージがあるが、軟らかいのは生後約1年くらいまでであり、成獣の毛は豚毛ブラシに近く、比較的硬い[9][14]。毛皮は、硬くて脂ぎっている[9]
通常、クマは前肢の構造上、物を掴むという動作ができない。しかし、唯一ジャイアントパンダは竹を掴むことができるように前肢周辺の骨が特殊に進化している[15]。第一中手骨親指)側にある撓側種子骨と第五中手骨(小指)側にある副手根骨が巨大化して指状の突起となっており、その突起を利用して物を押さえ込む。撓側種子骨は人間の親指のように見えることから「偽の親指」や「第六の指」と呼ばれている[9][14]
ジャイアントパンダは撓側種子骨があることで物を掴めると長い間考えられてきたが、実際に竹のような太さの棒状の物体を掴むには撓側種子骨に加え、「第七の指」副手根骨が必要であることが、遠藤秀紀ら (1999) [16]によって示された。パンダがこれら2つの骨を使って物を掴む仕組みは、論文の中で「ダブル・ピンサー」、すなわち「パンダの掌の二重ペンチ構造」[17]と紹介されている。
眼の周りの模様が垂れ目のような形をしているが、実際の眼は小さく上がり気味で鋭い目付きである[14][18]視力はあまりよくないと考えられていたが、研究によって2000年代灰色と様々な色合いを区別できることが確認された[19]
内臓
消化器官の構造はクマやアザラシ等、他の肉食動物と大変似ている。犬歯は大きく、奥歯も大きく平らな臼歯で人間のおよそ7倍の大きさである[9][14]盲腸草食性としては短い構造がデメリットとなり、セルロースを多く含む竹などの食物を食べた場合、栄養摂取の効率が低く、それを量で補うため、ジャイアントパンダは一日の大半を竹を食べることに費やしている[9][14]。また、陝西省仏坪県の自然保護業務関係者は、三官廟一帯で秦嶺の野生のパンダが牛の足の骨をかじった跡を確認している。

呼称

学名

属名 Ailuropoda は、古代ギリシア語: αἴλουρος (ailouros) 「」 + πούς (pous; 語幹: pod-) 「足」 の合成語種小名 melanoleuca は同じくギリシア語 μέλας (melas; 語幹: melan-) 「黒い」と λευκός (leukos) 「白い」とをつなげて、「黒白の」といった意味あいである。

世界の通用名(大小のパンダ)

今では世界中の諸言語で単に「pandaパンダ」と呼ぶ場合、レッサーパンダではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に発見されたのは1835年のレッサーパンダが先であり[注釈 2]、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が1869年になって発見されたことを受け、「lesser (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。そのため、より古い文献では単に「panda」「common panda」と呼んでいる場合、現代のレッサーパンダを指すことがある[20]。例えば、ブリタニカ百科事典は2013年時点でもジャイアントパンダを「giant panda」「panda bear」と呼称し[21]、レッサーパンダを「panda」と呼称していた[22](2015年版では修正済み)。

「panda」という呼び名の由来については、英語の「panda」がフランス語で同じ綴りの「panda」に由来することがわかっているが、フランス語の呼称の語源は定説がなく[23]ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する[24][25]「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」(cf. レッサーパンダの現地・ネパール語名:nigalya ponya、nyala ponga、poonya)などに求める説、特徴的な手根骨などの骨格に求める説などがある。西洋の世界はもともと赤いパンダにこの名前を付けた。赤いパンダに関連していると間違って言われた1901年まで、ジャイアントパンダは「白黒の猫の足の動物」(Ailuropus melanoleucus)と呼ばれていた。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり[注釈 3][注釈 4]、論拠に疑問がある[注釈 5]

中国語名

古代中国では「食鐵獸」、「嚙鐵」、「」(現代でいうバクとは別)など多くの呼称があり、民間の別称でも「花熊」と「竹熊」がある[26]。一方、標準名では「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫dàxióngmāo; ターシュンマオ)と呼び、亜種レベルでは模式亜種 A. m. melanoleuca を「四川大熊猫」(四川大熊貓 / 四川大熊猫Sìchuán dàxióngmāo)、もう一つの亜種 A. m. qinlingensis を「秦嶺大熊猫」(秦嶺大熊貓 / 秦岭大熊猫Qínlǐng dàxióngmāo)として呼び分ける。

中国語で言う「熊猫」(繁体字: 熊貓簡体字: 熊猫)も、レッサーパンダに由来する。にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。今でも、熊ではなく猫の仲間だと誤解している中国人が少なくない[27]

中国大陸ではパンダは「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫dàxióngmāo; シュンマオ)と呼び、台湾では「大猫熊」(大貓熊 / 大猫熊dàmāoxióng; マオシュン)が一般的である。台湾では元は「熊猫」が一般的であり、1988年の台南ニセパンダ事件中国語版が大衆の注目を浴びた結果、「熊猫」か「猫熊」かの論争が巻き起こり[28][29]、1990年に行政院新聞局が用語を「熊猫」に統一する結果となったが、行政院農業委員会は「シロウトが専門家を指導している」と批判して引き続き「猫熊」を使用した[30]

日本語名

日本語では標準和名ジャイアントパンダ」のほか、ジャイアント部分を日本語にした「オオパンダ」という和名が存在し、一時はこれが主流になっていた。これ以外に「イロワケグマ」や「シロクログマ」という和名もジャイアントパンダと並んで使用された例がある[注釈 6]

分類

1869年3月11日博物学に長けたフランス人宣教師アルマン・ダヴィドが、現在の中華人民共和国四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を欧米人として初めて発見した。後日、パリ国立自然史博物館毛皮などを送った[31][32][33][34][35]。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、毛皮目当てに狩猟ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。探検家ウィリアム・ハークネスが生体をアメリカに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが、1936年11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。その剥製アメリカ自然史博物館に保管されている。

クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、古生物学形態学分子系統学的研究の結果、近年ではクマ科に分類される[15][36]。一方、レッサーパンダは独立したレッサーパンダ科に分類された。

秦嶺山脈亜種 A.m. qinlingensis

2005年に頭蓋骨が小型で臼歯が大型であること、上胸部が暗褐色(通常は黒い)・腹部も褐色の個体が多いか白い個体でも褐色の体毛が混じる(通常は白い)こと、DNA指紋法による分子解析から秦嶺山脈の個体群を亜種とする説が提唱された[37]

仮にこの亜種を認めた場合は以下のようになる。

  • Ailuropoda melanoleuca melanoleuca (David, 1869)
  • Ailuropoda melanoleuca qinlingensis Wan, Wu et (Fang, 2005)

生態

標高1,200 - 4,100メートル(主に1,500 - 3,000メートル)にある竹林に生息する[3]。3.9 - 6.2平方キロメートルの行動圏内で生活する[4]。1日あたり500メートル以上を移動することはまれ[5]。昼夜を問わずに活動するが、薄明薄暮性傾向が強い[4]。冬季になると積雪の少ない標高800メートルくらいの地域へ移動し[5]、冬眠はしない[4]

食性の99 %をタケやササの葉、幹、タケノコが占める[4][5]。アヤメ・イチハス・クロッカス・サフラン・リンドウなど他の植物質、ネズミ・ナキウサギなどの小型哺乳類、魚類などを食べた例もある[4][5][6]。1日のうち55%(平均14時間12分)を採食に費やすが[3]、消化器官が植物の消化に適していないため栄養摂取の効率が低いためとされる[4][5]。消化率は約20%で、食後約12時間(タケノコでは約5時間)で排泄される[6]。1日あたり10-18キログラム(水分の多いものだと38キログラム)の食物を食べる[4][5]

3 - 5月に交尾を行う[7]。洞窟や樹洞で1回に1 - 2頭の幼獣を産む[5]。飼育下では3頭を産んだ例もある[4]。出産間隔は隔年だが[5]、幼獣が早期に死亡すると翌年に出産することもある[4]。生後40 - 60日で開眼する[5]。授乳期間は8 - 9か月[5]。生後5 - 6か月でタケなどを食べるようになる[5]。生後4 - 5年で性成熟すると考えられている[5]。飼育下での最長寿命は34年だが[5]、通常は長くて26年[7]

また、ジャイアントパンダはこれまでアルビノの個体が確認されておらず、その姿や存在を実証する術もなかったことから「存在し得ないもの」と見られていたが、2019年4月中旬に四川省・臥竜国立自然保護区にて真っ白な毛色のジャイアントパンダが歩行している様子を山中に設置されたカメラが捉えており、目が赤く足の部分の毛も白いことから、同地管理局では紛れもないアルビノの個体であるとされている。さらに同管理局によれば、専門家は「外部の特徴からこのパンダは遺伝子上の異常が原因で白化した」と分析しているという[38]

を食べる様子
食事
現在は竹林に棲み、食のほか、小型哺乳類昆虫等の小動物、果物を食べることもあり[9][18][39][出典無効]、他のクマ類と同様に肉食を含む雑食性の特徴も微少であるが残っている。
氷期の到来による気候変動がもたらす食糧不足から偏食を余儀なくされ、常に入手しやすい竹ばかり食べるようになったと考えられている[39]。しかしながら現在は、中国の飼育環境では、竹以外にも肉や野菜などを中心とした餌が与えられ、竹食中心とは言いがたいのが現状である。野生下でも、稀に人里に降りて家畜を食い殺す事件が発生するなど[40]、機会があれば生肉を拒まない。
行動
群れや家族を形成せず、基本的に単独で行動している。他のクマ科動物と異なり、冬眠はしない。
繁殖
繁殖期は年に一度、3月から5月の間であり、マーキングterritorial marking)が行われることもある[9][10]。メスの受胎が可能な期間は数日ほど。妊娠期間は3か月から6か月で、通常1頭または2頭の子供を出産する。繁殖力は低い部類に入り、乱獲と並んでパンダの絶滅危機の原因でもある[9]。近年の研究によって、発情期以外でも声と匂い付けによって他のパンダと頻繁にコミュニケーションをとり、しばしば交流することが判明している[36]
クマ科の気性
外見や動作の特徴は人間にとって「愛らしさ」と映り、そのような面が注目を集めるが、クマ科動物として気性の荒い一面も併せ持っている。動物園の飼育員や見学客などが襲われる事件が、過去には何件か発生している[18]

飼育

飼育する動物園

北京動物園1978年には初めて人工授精での繁殖に成功した[41]。1990年現在では1980年にメキシコのチャプルテペック動物園が(8日後に死亡)、1982年にスペインのカサデカンポ動物園が人工授精での繁殖に成功している[41]1983年にアメリカ合衆国のワシントン動物園でも飼育下繁殖例があるが、生後3時間で死亡している[41]

日本

日本では1972年恩賜上野動物園で初めて飼育された(カンカンとランラン)が、ランランは1979年に妊娠中毒と腎不全の合併症、カンカンは1980年に心不全により死亡している[41]。1980年に来日したホァンホァンと1982年に来日したフェイフェイのペアが1985年に人工授精での繁殖に成功したが、幼獣は生後43時間で死亡している[41]。ホァンホァンとフェイフェイのペアは1986年に人工授精での繁殖に成功し(トントン)、続けて1988年にも人工授精での繁殖に成功した(ユウユウ)[41]

現在ジャイアントパンダはワシントン条約で国際取引が禁止されているので、日本国内で飼育されているものはすべて「日中飼育繁殖研究」という名目で中華人民共和国から借り入れている。パンダは「お見合い」によるペアリングが極めて難しく、ジャイアントパンダが大量に飼育されている中国の施設でオスとメスの相性を見てカップルを作る形でないと繁殖は難しいため(日本で2匹の雌との間に18年間で15頭の子供を、しかも全て自然交配で設けたアドベンチャーワールドの永明は例外的な絶倫ビッグダディとされる[42])、日本国内で誕生したジャイアントパンダについては、おおむね性成熟に達する2歳ぐらいになったら繁殖の為に中国に帰国することになる。

  • 神戸市立王子動物園兵庫県神戸市 (旦旦[タンタン]、メス)
  • アドベンチャーワールド和歌山県白浜町 (永明:オス、良浜:メス、桜浜:メス、桃浜:メス、結浜:メス、彩浜:メス)
    • 良浜の母である梅梅(2008年10月15日死亡)は来日前に中華人民共和国で双子の姉妹(奇縁:メス、奇珍:メス)を出産した経験があり、第3子である良浜を妊娠した状態で来日した。良浜の父は中華人民共和国にいる哈藍(哈蘭とも書く。2006年成都動物園にて死去)であり、永明と良浜の間に血縁関係はない。
    • 成都にいる雄浜、隆浜、秋浜、幸浜、愛浜、明浜は永明と梅梅の間の子である。
    • 海浜、陽浜、優浜、桜浜、桃浜(および、成都にいる梅浜と永浜)は永明と良浜の間の子である。
    • 永明は梅梅の双子の姉(蜀蘭)との間に、人工授精により、2002年に中国で生まれた子(蘭宝:オス)がいる。
    • 2008年9月13日、永明と良浜の間に、メスとオスの双子(梅浜:メス、永浜:オス。2008年11月13日命名)を出産した。これらは日本初の3世代目のジャイアントパンダである。
    • 2010年8月11日にも永明と良浜の間に、オスとメスの双子(海浜:オス、陽浜:メス。2010年10月8日命名)が誕生した。9月4日より、一日2回、20分間一般公開されている。
    • 2012年8月10日にも永明と良浜の間に、メスの双子が誕生したが、1頭は死産だった。生き残った方は優浜という名が付いている。
    • 2014年12月2日にも永明と良浜の間に、メスの双子が誕生(桜浜:メス、桃浜:メス。2015年2月6日命名)。
    • 2016年9月18日にも永明と良浜の間に、メスの子供が誕生(結浜。2016年12月6日命名)[43]
    • 2018年8月14日にも永明と良浜の間に、メスの子供が誕生、2018年12月17日に「彩浜」と命名された[44]
  • 東京都恩賜上野動物園[45][46]東京都台東区 (リーリー:オス、シンシン:メス、シャンシャン:メスの3頭、2011年4月1日より公開[47]
    • 陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したため、東京都恩賜上野動物園からパンダがいなくなったのと同時に、日本が所有権を持つジャイアントパンダはいなくなった[注釈 7]。なお、陵陵は血縁上、永明の伯父にあたる。
    • 2011年2月21日に上野動物園へ力力(リーリー)と真真(シンシン)が到着した。公開は2011年3月22日からを予定していたが、東日本大震災の影響で4月1日からとなった。
    • 2012年7月5日に力力と真真の間に、オスの子供が誕生したが7月11日に死亡した。
    • 2017年6月12日にも力力と真真の間に、メスの子供が誕生し、2017年9月25日に「香香(シャンシャン)」と命名された。満24か月で中国に返還することになっていたが、2020年12月末とすることに都と中国が合意した[48]
カナ名 漢字名
(英語名)

出生日
※推定
来日日/
日本で生誕
死亡日/
現住地
日本出国日 居住地
(滞在地)
父母
カンカン 康康(Kang Kang) オス 1970年
11月※
1972年10月28日 1980年
6月30日
日本の旗 日本で死亡 東京都恩賜上野動物園 野生
ランラン 蘭蘭(Lan Lan) メス 1968年
11月※
1972年10月28日 1979年
9月4日
日本の旗 日本で死亡 東京都恩賜上野動物園 野生
フェイ
フェイ
飛飛(Fei Fei) オス 1967年
1982年11月9日 1994年
12月14日
日本の旗 日本で死亡 東京都恩賜上野動物園 野生
ホアン
ホアン
歓歓(Huan Huan) メス 1972年
1980年1月29日 1997年
9月21日
日本の旗 日本で死亡 東京都恩賜上野動物園 野生
チュチュ 初初(Chu Chu) オス 1985年
6月27日
日本の旗 日本 1985年
6月29日
日本の旗 日本で死亡 東京都恩賜上野動物園 飛飛/歓歓
トントン 童童(Tong Tong) メス 1986年
6月1日
日本の旗 日本 2000年
7月8日
日本の旗 日本で死亡 東京都恩賜上野動物園 飛飛/歓歓
ユウユウ 悠悠(You You) オス 1988年
6月23日
日本の旗 日本 2004年
3月4日
1992年11月13日 東京都恩賜上野動物園 飛飛/歓歓
リンリン 陵陵(Ling Ling) オス 1985年
9月5日
1992年11月5日
2001年4月25日
2002年4月24日
2003年4月26日
2008年
4月30日
日本の旗 日本で死亡 東京都恩賜上野動物園 母:岱岱
シュアン
シュアン
双双(Shuan Shuan) メス 1987年
6月15日
2003年12月3日 メキシコの旗 チャプルテペック動物園 2005年9月26日 東京都恩賜上野動物園 貝貝/迎迎
シャン
シャン
珊珊(Shan Shan) オス 1955年 1980年3月23日 1985年
6月
1980年6月2日 福岡市動物園
パオリン 宝玲(Bao Ling) メス 1963年 1980年3月23日 1988年
12月
1980年6月2日 福岡市動物園
ウェイ
ウェイ
偉偉(Wei Wei) オス 1973年 1981年1月6日 1992年
3月
1981年 上海雑技団
(日本巡回)
サイサイ 寨寨(Zhai Zhai) オス 1975年 1981年3月10日 1999年
2月
1981年9月17日 ポートピア'81博覧会
ロンロン 蓉蓉(Rong Rong) メス 1964年 1981年3月10日 1993年 1981年9月17日 ポートピア'81博覧会
トントン 東東(Dong Dong) オス 不明 1989年9月15日 中華人民共和国の旗 成都動物園 1989年11月12日 こうふ博'89+パンダ展
ビンビン 冰冰(Bing Bing) メス 1986年
8月6日
1989年9月15日 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 1989年11月12日 こうふ博'89+パンダ展
コウコウ
(初代)
興興(Xing Xing)
(中国名:錦竹)
メス 1996年
8月12日
2000年7月16日 中華人民共和国の旗 碧峰峡基地 2002年12月5日 神戸市立王子動物園 Pan Pan/永巴
タンタン 旦旦(Dan Dan)
(中国名:爽爽)
メス 1995年
9月16日
2000年7月16日 神戸市立王子動物園 神戸市立王子動物園 振振/冬冬
コウコウ
(2代目)
興興(Xing Xing)
(中国名:龍龍)
オス 1995年
9月14日
2002年12月9日 2010年
9月9日
日本の旗 日本で死亡 神戸市立王子動物園 Pan Pan/佳佳
※名前なし ※名前なし オス 2008年
8月26日
日本の旗 日本 2008年
8月29日
日本の旗 日本で死亡 神戸市立王子動物園 興興/旦旦
シンシン 辰辰(Shen Shen)
申申?
オス 不明 1988年3月25日
(1988年7月9日)
(1988年9月19日)
中華人民共和国の旗 成都動物園 (1988年7月5日)
(1988年9月18日)
1989年1月10日
池田動物園
函館EXPO'88
アドベンチャーワールド
ケイケイ 慶慶(Qing Qing) メス 1984年
9月9日
1988年3月25日
(1988年7月9日)
(1988年9月19日)
中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 (1988年7月5日)
(1988年9月18日)
1989年1月10日
池田動物園
函館EXPO'88
アドベンチャーワールド
エイメイ 永明(Yong Ming) オス 1992年
9月14日
1994年9月6日 アドベンチャーワールド アドベンチャーワールド 良良/永永
ヨウヒン 蓉浜(Rong Bang) メス 1992年
9月4日
1994年9月6日 1997年
7月17日
日本の旗 日本で死亡 アドベンチャーワールド 母:美美
メイメイ 梅梅(Mei Mei) メス 1994年
8月31日
2000年7月7日 2008年
10月15日
日本の旗 日本で死亡 アドベンチャーワールド 越越/蘇蘇
ラウヒン 良浜(Liang Bang) メス 2000年
9月6日
日本の旗 日本 アドベンチャーワールド アドベンチャーワールド 哈蘭/梅梅
ユウヒン 雄浜(Xiong Bang) オス 2001年
12月17日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 2004年6月21日 アドベンチャーワールド 永明/梅梅
リュウヒン 隆浜(Long Bang) オス 2003年
9月8日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 2007年10月27日 アドベンチャーワールド 永明/梅梅
シュウヒン 秋浜(Qiu Bang) オス 2003年
9月8日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 2007年10月27日 アドベンチャーワールド 永明/梅梅
コウヒン 幸浜(Xing Bang) オス 2005年
8月23日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 2010年3月15日 アドベンチャーワールド 永明/梅梅
※名前なし ※名前なし オス 2005年
8月24日
日本の旗 日本 2005年
8月25日
日本の旗 日本で死亡 アドベンチャーワールド 永明/梅梅
アイヒン 愛浜(Ai Bang) メス 2006年
12月23日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 陝西省珍稀野生動物護救飼養研究センター 2012年12月14日 アドベンチャーワールド 永明/梅梅
メイヒン 明浜(Ming Bang) オス 2006年
12月23日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 柳州動物園 2012年12月14日 アドベンチャーワールド 永明/梅梅
メイヒン 梅浜(Mei Bang) メス 2008年
9月13日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 2013年2月26日 アドベンチャーワールド 永明/良浜
エイヒン 永浜(Yong Bang) オス 2008年
9月13日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 2013年2月26日 アドベンチャーワールド 永明/良浜
カイヒン 海浜(Hai Bang) オス 2010年
8月11日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 2017年6月5日 アドベンチャーワールド 永明/良浜
ヨウヒン 陽浜(Yang Bang) メス 2010年
8月11日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 2017年6月5日 アドベンチャーワールド 永明/良浜
リーリー 力力(Li Li)
(中国名:比力)
オス 2005年
8月16日
2011年2月21日 東京都恩賜上野動物園 東京都恩賜上野動物園 霊霊/公主
シンシン 真真(Zhen Zhen)
(中国名:仙女)
メス 2005年
7月5日
2011年2月21日 東京都恩賜上野動物園 東京都恩賜上野動物園 琳琳/英英
※名前なし ※名前なし オス 2012年
7月5日
日本の旗 日本 2012年
7月11日
日本の旗 日本で死亡 東京都恩賜上野動物園 力力/真真
ユウヒン 優浜(You Bang) メス 2012年
8月10日
日本の旗 日本 中華人民共和国の旗 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 2017年6月5日 アドベンチャーワールド 永明/良浜
オウヒン 桜浜(Ying Bang) メス 2014年
12月2日
日本の旗 日本 アドベンチャーワールド アドベンチャーワールド 永明/良浜
トウヒン 桃浜(Tao Bang) メス 2014年
12月2日
日本の旗 日本 アドベンチャーワールド アドベンチャーワールド 永明/良浜
ユイヒン 結浜(Jie Bang) メス 2016年
9月18日
日本の旗 日本 アドベンチャーワールド アドベンチャーワールド 永明/良浜
シャンシャン 香香 (Xiang Xiang) メス 2017年
6月12日
日本の旗 日本 東京都恩賜上野動物園 東京都恩賜上野動物園 力力/真真
サイヒン 彩浜 メス 2018年
8月14日
日本の旗 日本 アドベンチャーワールド アドベンチャーワールド 永明/良浜

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ動物園には、一頭として最多出産6回の「白雲」がいる[49][50]

オーストラリア

オーストラリアのアデレード動物園は南半球で唯一ジャイアントパンダ(ワンワンとフニの2頭)を保育している[51]

パンダ外交

記録上初めてパンダが外国へ贈られたのは時代の685年(垂拱元年)、武則天が日本の天武天皇へ贈った2頭の「白熊」だと言われている[52][53]

1900年代
中華人民共和国の中国共産党は各国との関係発展のために相手国にパンダを贈呈する、いわゆるパンダ外交を展開してきた。これが転じて、アメリカなどでは親中派が「パンダ・ハガー(panda hugger、パンダを抱く人)」と呼ばれることがある。
中華人民共和国政府から西側諸国にパンダが贈呈されたのは、1972年にアメリカに贈られたリンリンとシンシンが最初で、以降、日本・フランス・イギリスなどに贈呈された。
日本においては[注釈 8]1970年代にジャイアントパンダの大ファンである黒柳徹子が紹介し、その後日中国交正常化により上野動物園に中国から‎カンカンとランランの2頭が贈られたため、日本中にパンダ・ブームが起こった。アニメではパンダの大冒険パンダコパンダがつくられた。
中国国外に贈与されたジャイアントパンダの数は1957年から83年までで24頭にのぼったが、1984年にジャイアントパンダがワシントン条約の附属書IIIから附属書Iに移行され、商業目的の取引が禁止され、パンダの贈与は出来なくなった[36]。しかしその後1980年代から1990年代初期にかけて、ジャイアントパンダが中国国外の動物園に高額でレンタルされる例が続出したため、パンダに商業的な価値が生まれることで野生のパンダの捕獲が誘発されることへの懸念から、1997年のワシントン条約締約国会議で「野生で捕獲された個体の輸出は、特定の場合を除いて認可されるべきではない」ことと、「パンダの貸し出しで得た収益は野生のパンダ保護のために再投資されるべき」との勧告がなされた[36]
このような経緯から、野生の個体を捕獲するのではなく中国の動物園や保護センターで生まれた個体のみが中国国外にレンタルされるようになり、中国がパンダのレンタルで得た高額なレンタル料も「保護活動費」として野生のパンダ保護のために使われるようになった。保護活動費の使い道はWWFによって監視されている。
2000年代
2005年に、中華人民共和国と「中国の代表権」をめぐって対立を続けている中華民国台湾)の比較的親中的な野党である中国国民党および親民党代表団が中華人民共和国を訪問した際に、中国共産党側から中華民国にジャイアントパンダを贈る約束を取りつけた。
これに対して民主進歩党陳水扁政権は、ワシントン条約に基づき、中華人民共和国政府が輸出許可書を発行することを求めた。これは「パンダ外交」による国民の反中心情の緩和を警戒したものである。しかし、中華人民共和国政府は「国内移動」として、これを拒否した。そのため、中華民国政府はパンダの輸入を許可していない。
しかし2008年の国民党の馬英九政権の対中緩和政策でジャイアントパンダを受け入れた。
ワシントン条約によるレンタル扱い
現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で学術研究目的以外での取引は難しいため[54]、外交として中国国外にジャイアントパンダを贈与することはできず、中国の動物園か保護センターで生まれた個体を「繁殖研究」などの名目で中国国外の動物園にレンタルする形となっており、レンタルされる個体はすべて「中国籍」である[54][55][56]
過去に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍を持っているが、その数は少ないため「非中国籍」同士での繁殖は難しく、また片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となる[56]。そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度、自然死であると証明できない死亡における賠償額は5千万円程度で契約されている[57]。レンタル料は「保護活動費」との名目で、借り受けた動物園を介して「中国野生動物保護協会」に送られ、本種の研究費や生息地保護資金に充てられている[36][54][56]
「パンダは新鮮な笹しか食べないので食費がかさむ」などの事情に加え、高額なレンタル料も一因となり、アトランタの動物園では2006年に資金難から本種を返還した[58]。本種はもはや「レンタル外交」というビジネスであるとも言われている[55]

人間との関係

爾雅注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」がとして記述されており、銅鉄も食べる動物と考えられていた[59]。これは竹が矢の原料であることから矢を食べる動物と伝わり、時代が進んで金属製の矢が出現したことで金属も食べる、と変化していったと考える説もある[59]白居易が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、以前にはそれ以外の特徴が無くなったと推定されている[59]。加えて唐時代に本種と同じ白黒模様をしたマレーバクが混同したと推定されている[59]説文解字注から、時代でも貘は金属を食べる生物とされている[59]中華民国では本種の呼称は猫熊で、中国共産党の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある[59]。台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、一方で中国共産党の影響が大きくない1934年初版の辞海においても既に熊猫は記述されている[59]。一方でこの辞海初版での熊猫の解説は後述するDavidなどについては触れているものの、「新疆産の怪獣。体は大型で、現存する怪獣の中でも最も珍しいもののひとつ。」との内容が記述されており本種とは結びついていない、およびにこの時点では本種を猫熊とする名称は定着していなかったと考えられている[59]。例としてDavidが発見時における、本種の現地での呼称は「白熊」とされている[59]

世界自然保護基金のシンボルマークのモチーフになっている[6]。独特の色彩に関して人間の少女と仲良くなったがその少女が亡くなり、葬儀で号泣して目をこすり自分自身を抱きかかえたためとする古代中国の伝承がある[7]

毛皮は寝具とすると夢により未来を予知できると信じられたこともある[7]

成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地
(四川省・成都市)

竹林伐採や農地開発による生息地の破壊、毛皮目的の密猟、ジャコウジカ猟用などの罠による混獲などにより生息数が減少した[3][5]。2016年現在は生息数が増加傾向にあるが、将来的には気候変動などによる竹の減少に伴い生息数が減少すると推定されている[3]。1963年に保護区が設置され、1995年現在は13か所、5,827平方キロメートルが保護区に指定されている[5]。1989年からは保護区の増設、伐採や狩猟の規制、分断した生息地を繋ぐ回廊を設置する試みなどが進められている[60]

中華人民共和国では40か所のパンダ保護区を設けてジャイアントパンダを保護しており、最大のものは四川省北部のアバ・チベット族チャン族自治州にある臥龍自然保護区en. 約2,000平方キロメートル)である。また、国家一級重点保護野生動物にも指定されている。臥龍自然保護区内には1983年に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、2008年四川大地震によって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となったセンターは放棄されたが、近隣の耿達郷の神樹坪に急遽センターが再建され、2012年10月30日に仮オープンしパンダ18頭の帰還式が行われた。

中華人民共和国では、ジャイアントパンダの密猟は重罪とされている。過去には死刑が最高刑であったが、1997年以降法律が改正され、現在は20年の懲役刑が最高刑となっている[36]。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に銃殺刑)が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている[36][61]。1985 - 1991年に278人が123件の密輸容疑で有罪判決を受けている[5]。また中国では熊の肉、特に手足が高級食材として取引されていることから、熊肉に混じってパンダの肉も売買されることがある[62]

経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食であるは約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず餓死してしまうことがある[12]。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできたが、20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発などによって人間が生息地を分断したことによって移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる[36][39]。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「緑の回廊(ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、en)」を造る計画を進めている[36]。1990年代にクローンを作成する試みが発表されたが、成功したとしても効果は疑問視されている[3][60]。1983年に中華人民共和国の個体群がワシントン条約附属書IIIに、1984年にワシントン条約附属書Iに掲載されている[2]

1994年における生息数は1,200頭と推定されている(保護区内の生息数は800頭)[5]2004年に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の岷山山地、陝西省南部の秦嶺山脈甘粛省南部などに約1,600頭が生息している。2006年、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は1980年代末より約40%増えている。

中国政府による国家的な保護活動の結果、野生のジャイアントパンダの生息数も生息地も増加傾向にある。2011年から2014年にかけて行われた調査によると、ジャイアントパンダの生息数は2003年の約1600頭から1864頭にまで増加した[63]。これを受け、2016年に国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストにおいて、ジャイアントパンダが「絶滅危惧(endangered)」から「危急(vulnerable)」へと格下げが行われた。

派生的表現

客寄せパンダ

日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す客寄せパンダという言葉が生まれた。語源には以下の2種の他にも幾つかある。

  • 神戸ポートアイランド博覧会(開期・1981年3月20日〜9月15日)においてジャイアントパンダ(「サイサイ」(雄6歳)「ロンロン」(雌17歳))が展示されたが、この博覧会は「新しい“海の文化都市”の創造」をメインテーマに海洋文化や港湾建設など海に関する物事をテーマに開催された博覧会だったにも関わらず、当時は東京の上野動物園へ行かなければ見ることが出来なかったジャイアントパンダを関西圏で見られるとあって、海とは特に関係のないジャイアントパンダが博覧会における展示の中でも特に人気の的となってしまった。この出来事を当時のマスコミが「パンダ来たおかけで博覧会の入場者が増加した」などと報じた事から転じて「客寄せパンダ」の名称が発生し、以後その言葉が汎く定着したという説。

「白黒のもの」を意味する表現

通称『パンダトレノ』

また、その体の色から「白黒のもの」をさす言葉として使用されることがある。その顕著な例に、日本のパトカー[68]や、民間車両ではトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ(AE80系)の白黒ツートンカラー車を指す「パンダレビン」/「パンダトレノ」という語がある。 また、イロワケイルカを体色パターンが似ていることから「パンダイルカ」と呼ぶこともある他、ナマズ目コリドラスの一種にも、その体色からCorydoras panda(Nijssen & Isbrücker, 1971) という学名がつけられたものがいる。

脚注

注釈

  1. ^ 飼育個体は世界各地に存在するが、極めて少数。
  2. ^ イギリス人冒険家によって発見された。
  3. ^ 例えば、Krämer, Karl-Heinz. Nepli-English Dictionary.
  4. ^ 同様に、"A Comparative and Etymological Dictionary or the Nepali Language (online version)".
  5. ^ 別資料の表現では、ヒマラヤ南東部のチベット・ビルマ語派言語に起源あり。→panda” (英語). Dictionary.com. 2010年5月3日閲覧。
  6. ^ 学研が1968年に発行した『原色現代科学大事典』の第5巻では巻末の和名―学名表で「オオパンダ Ailropoda melanoleuca」とあり、本文解説の「オオパンダ」の項目に和名の横にカッコ書きで小さく「ジャイアントパンダ・イロワケグマ・シロクログマ」表記が見られる。
    (『原色現代科学大事典 5動物II』、宮地伝三郎(責任編集者)、株式会社学習研究社、昭和43年、p.539・607。)
  7. ^ 上野動物園で死亡したジャイアントパンダはすべて標本として保管されており、フェイフェイ、トントン、ホァンホァンの3頭の剥製は同じく上野恩賜公園内にある国立科学博物館で、ランラン、カンカンの2頭の剥製は多摩動物公園で展示されている。2008年12月23日から2009年4月5日には、国立科学博物館にて『初公開!はく製リンリン-上野のパンダ全員集合』と題した展示が行われ、7頭すべて(ランラン、カンカン、フェイフェイ、ホァンホァン、トントン、リンリンの6体は剥製、チュチュは液浸標本)の標本が集められ、公開された。
  8. ^ 歴史的史料において、日本書紀巻廿十六、斉明紀四年に「是歳、越国守阿倍引田臣比羅夫、討粛慎、献生羆二、羆皮七十枚」との記述があり、これを元に解釈した本(『おおパンダ!!』翠楊社、1972年。  『パンダ』中央公論社〈自然選書〉、1976年。  R&D・モリス著 著、根津真幸 訳『世界動物発見史』平凡社、1988年。  中国パンダ保護研究センター、斉鳴著 著、日本パンダ保護協会編 編『パンダ育児日記』二見書房、2007年2月25日。ISBN 978-4-576-07001-8 等)にて「この時代に中国からジャイアントパンダが贈られた」との表現があるが、詳細は不明である(参考資料:日中パンダ交流史試論TokyoZooNet(財団法人 東京動物園協会)ZooExpress No.125 2003年8月15日

出典

  1. ^ Appendices I, II and III<https://cites.org/eng>(Accessed 13/03/2018)
  2. ^ a b UNEP (2018). Ailuropoda melanoleuca. The Species+ Website. Nairobi, Kenya. Compiled by UNEP-WCMC, Cambridge, UK. Available at: www.speciesplus.net. (Accessed 16/9/2017)
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関連項目

外部リンク