養命寺 (藤枝市)
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養命寺 | |
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所在地 | 静岡県藤枝市本町三丁目6番35号 |
位置 | 北緯34度52分28.0秒 東経138度15分53.8秒 / 北緯34.874444度 東経138.264944度座標: 北緯34度52分28.0秒 東経138度15分53.8秒 / 北緯34.874444度 東経138.264944度 |
山号 | 池龍山 |
院号 | 長運院 |
宗派 | 浄土宗鎮西派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 大永3年(1523年) |
開山 | 長蓮社春譽 |
正式名 | 池龍山長運院養命寺 |
法人番号 | 7080005005831 |
養命寺(ようめいじ)は、静岡県藤枝市本町三丁目にある浄土宗の寺院。山号は池龍山。本尊は阿弥陀如来。
歴史
[編集]大永3年(1523年)、小田市郎兵衛によって小田家先祖を祀るために創建された[1]。
戦国時代から江戸時代初期にかけて衰退し、元禄13年(1700年)と安永2年(1773年)に再興されている[1]。東海道藤枝宿の東端に近く、かつて門前には下伝馬の問屋場があった[1]。江戸時代には朝鮮通信使の宿となったこともあった[1]。
田中藩藩士の菩提寺にもなり[2]、源昌寺、満願寺とともに「田中の三寺」と言われた[3]。嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の安政東海地震の際には、本堂ほかが大破した[4]。
1913年(大正2年)頃には志太郡四国霊場(志太郡八十八ヶ所霊場)が制定され、養命寺は第6番札所となった[5]。
境内
[編集]- 本堂
- 地蔵堂 - 延宝2年(1674年)創建[1]。延命地蔵と楊櫨木地蔵が祀られている[1]。毎年8月23日と24日には地蔵縁日でにぎわう[1]。
- 井出博先生之碑 - 題額は頼母木桂吉逓信大臣。碑文は高野山大学の天野観明教授。井出博は1910年(明治43年)に志太郡焼津町に生まれ、旧制志太中学校(現・静岡県立藤枝東高等学校)と日本体育会体操学校(現・日本体育大学)を卒業後、焼津町東尋常高等小学校(現・焼津市立焼津東小学校)の代用教員になったが、27歳で死去した[6]。
- 西郷小市碑 - 幕末の文化・文政期に活躍した俳人である西郷小市の辞世の句碑[1]。「辻駕や 枯野の夢の さめ心」。
- 仙田五太夫碑 - 田中藩の馬術指南役である仙田五太夫の碑[1]。
- 杵屋正太郎碑 - 明治維新期に活躍した長唄の師匠である杵屋正太郎の辞世の句碑[1]。「三味線の 三すぢの外の 四をひくは わがもちまへの せんきすじなり」。