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'''細貝 萌'''(ほそがい はじめ、[[1986年]][[6月10日]] - )は、[[群馬県]][[前橋市]]出身の[[プロサッカー選手]]。[[ |
'''細貝 萌'''(ほそがい はじめ、[[1986年]][[6月10日]] - )は、[[群馬県]][[前橋市]]出身の[[プロサッカー選手]]。[[バンコク・ユナイテッドFC]]所属。元[[サッカー日本代表|日本代表]]。ポジションは[[ミッドフィールダー]]、[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。 |
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妻は元[[ファッションモデル]]の[[中村明花]]で、細貝萌の30歳の誕生日である2016年6月10日に長女が誕生<ref>{{cite news|url=http://www.oricon.co.jp/news/2073252/full/|title=中村明花が第1子女児出産 夫・細貝萌と同じ誕生日に|newspaper=ORICON STYLE|date=2016-06-13|accessdate=2016-06-13}}</ref>。 |
妻は元[[ファッションモデル]]の[[中村明花]]で、細貝萌の30歳の誕生日である2016年6月10日に長女が誕生<ref>{{cite news|url=http://www.oricon.co.jp/news/2073252/full/|title=中村明花が第1子女児出産 夫・細貝萌と同じ誕生日に|newspaper=ORICON STYLE|date=2016-06-13|accessdate=2016-06-13}}</ref>。 |
2020年5月17日 (日) 15:09時点における版
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---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | ホソガイ ハジメ | |||||
ラテン文字 | HOSOGAI Hajime | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年6月10日(37歳) | |||||
出身地 | 群馬県前橋市 | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | バンコク・ユナイテッドFC | |||||
ポジション | MF (DH) / DF (SB) | |||||
背番号 | 7 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2010 | 浦和レッズ | 98 | (5) | |||
2011-2013 | レバークーゼン | 17 | (0) | |||
2011-2012 | → アウクスブルク (loan) | 39 | (3) | |||
2013-2016 | ヘルタ・ベルリン | 53 | (0) | |||
2015-2016 | → ブルサスポル (loan) | 20 | (0) | |||
2016-2017 | シュトゥットガルト | 10 | (0) | |||
2017-2018 | 柏レイソル | 22 | (0) | |||
2019- | ブリーラム・ユナイテッド | 27 | (0) | |||
2020 | → バンコク・ユナイテッド | |||||
代表歴2 | ||||||
2010-2014[1] | 日本 | 30 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月12日現在。 2. 2014年10月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
細貝 萌(ほそがい はじめ、1986年6月10日 - )は、群馬県前橋市出身のプロサッカー選手。バンコク・ユナイテッドFC所属。元日本代表。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。
妻は元ファッションモデルの中村明花で、細貝萌の30歳の誕生日である2016年6月10日に長女が誕生[2]。
来歴
浦和レッズ
前橋育英高校時代は背番号10をつけトップ下を本職としていた。高校卒業後の2005年、前年に特別指定選手として加入していた浦和レッズに加入。デビュー1年目のシーズンは天皇杯でセンターバックとして出場した際、安定した守りを見せた。U-22日本代表では右サイドバックでもプレーし、新境地を開いている。ブッフバルト監督体制下においては主にCB、オジェック監督体制下においてはCB、SB、WBで、エンゲルス監督体制下では本職のボランチで起用されていた。フィンケ監督就任後は、本職である堤俊輔が負傷した影響もあり、左SBとして起用されていたが、2010年は堤俊輔の復帰と宇賀神友弥の加入で左SBにある程度の人員が揃った事もあり、キャンプや練習試合でもボランチで固定され、Jリーグ第1節、対鹿島アントラーズ戦ではキャプテンの鈴木啓太を押しのける形で先発出場を果たした。これ以降もボランチとしてレギュラーポジションを確保し、前年までと同様にチーム事情、試合展開によっては右SB、左SBを務めることもあった。
FCアウクスブルク
2010年12月22日、ブンデスリーガ1部の強豪バイエル・レバークーゼンと2013年6月末までの複数年契約で完全移籍し[3]、移籍後2012年6月末まではブンデスリーガ2部のFCアウクスブルクへレンタル移籍する事が決定した[4]。
2011年2月19日、TSV1860ミュンヘン戦に途中出場しデビュー。同年3月19日、SCロートヴァイス・オーバーハウゼン戦で初先発した。3月10日のブログで、元ファッションモデルの中村明花と3月3日に入籍したことを発表した。 2015年苦しいシーズンを終え、結婚式を行う。
2011-12シーズン、1部昇格を果たしたアウクスブルクは常に残留争いの渦中に立たされるも、自身はレギュラーとして定着し、9月9日の第5節レバークーゼン戦でブンデスリーガ初得点を決めた。2012年3月10日、第25節ボルシア・ドルトムント戦では、首位を走るドルトムントの中心選手である香川真司を激しいマンマークで抑える活躍を見せこの節のベストイレブンに選ばれた[5]。最終的に2011-12シーズンのブンデスリーガに所属する日本人選手では最多の32試合に出場し、クラブの1部残留に貢献した。
レバークーゼン
2012年6月、アウクスブルクへのレンタル移籍満了に伴い、新たにレバークーゼンと3年契約を結び、併せてレバークーゼンへの復帰が決定した。2012-13シーズン前半戦は左サイドバックのミハル・カドレツの長期離脱により出場機会を得る。しかしシーズン途中に加入したセバスティアン・ボエニシュが好パフォーマンスを見せたこともあり徐々に出場機会が減少。結局シーズン通してレギュラーを獲得するまでには至らなかった。
ヘルタ・ベルリン
レバークーゼンは複数ポジションをこなせるユーティリティー性を評価し残留を望んでいたが、ボランチでの出場を希望していたため移籍を決断。2013年5月、1部に昇格したヘルタ・ベルリンと2017年6月末までの4年契約での完全移籍が発表された[6]。ヘルタ・ベルリンの監督はアウクスブルク時代にともに残留を勝ち取ったヨス・ルフカイであり、そのことが移籍を後押しした。ヘルタ・ベルリンでは開幕から1年間ボランチのレギュラーの座を守り、緊急時はセンターバックも務めた。
2014-15シーズンは、開幕当初こそスタメンで起用されていたが、シーズン途中に監督のルフカイが解任されると定位置を失い、左足の怪我もありシーズン終盤は全く出場機会がない苦しいシーズンとなった[7]。
ブルサスポル
2015年8月27日、トルコ・スュペル・リグのブルサスポルへの1年間の期限付き移籍が発表された。
シュトゥットガルト
2016年7月25日、ブンデスリーガ2部に降格したVfBシュトゥットガルトへ2018年6月までの2年契約で完全移籍した[8]。シュトゥットガルトではアウクスブルク、ヘルタ・ベルリン時代に続きヨス・ルフカイ監督に師事することとなった。しかしそのルフカイが9月15日に電撃辞任し[9]、後任となったハネス・ヴォルフがチームの若返りを図った上に、細貝自身も右足太もも前の肉離れや右足小指の骨折といった怪我に悩まされ、出場機会を失ってしまった[10]。
柏レイソル
2017年3月24日、柏レイソルに加入で合意したことが発表された[11]。元々小学校の卒業文集に「(将来は)柏レイソルに入る」と書いたほど以前から思い入れがあり[12]、細貝と同じ群馬県出身でかつてレイソルに所属していた大野敏隆に憧れていた経緯もあったという[13]。4月1日、第5節のサンフレッチェ広島戦で移籍後初出場を果たした。
ブリーラム・ユナイテッド
2018年12月6日、タイ・リーグ1のブリーラム・ユナイテッドFCへ完全移籍が発表された[14]。
バンコク・ユナイテッド
2019年12月12日、バンコク・ユナイテッドFCへの期限付き移籍が発表された[15]。
日本代表
U-16から各世代の日本代表を経験しており、2010年8月には2010 FIFAワールドカップ後に再始動した日本代表に初選出され、9月4日に行われた国際親善試合・パラグアイ戦にボランチで先発フル出場を果たし、国際Aマッチ初出場を記録した[1]。
2011年1月25日のAFCアジアカップ2011準決勝の韓国戦で、延長前半に本田圭佑のPKのこぼれ球を詰めて代表初得点を挙げた。その後もアルベルト・ザッケローニ体制では、代表に呼ばれ続けたが2014年のブラジルワールドカップにはメンバー入り出来なかった。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2005年 - 2010年 浦和レッズ
- 2011年1月 - 2013年 バイエル・レバークーゼン
- 2011年1月- 2012年6月 FCアウクスブルク (レンタル移籍)
- 2013年 - 2016年 ヘルタ・ベルリン
- 2015年 - 2016年 ブルサスポル (レンタル移籍)
- 2016年 - 2017年3月 VfBシュトゥットガルト
- 2017年3月 - 2018年 柏レイソル
- 2019年 - ブリーラム・ユナイテッドFC
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 浦和 | 32 | J1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 8 | 0 |
2006 | 3 | 2 | 0 | 6 | 0 | 4 | 0 | 12 | 0 | ||
2007 | 8 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 11 | 1 | |||
2008 | 26 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 31 | 2 | |||
2009 | 31 | 2 | 6 | 0 | 1 | 0 | 38 | 2 | |||
2010 | 28 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 34 | 1 | |||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2010-11 | アウクスブルク | 7 | ブンデス2部 | 7 | 0 | - | - | 7 | 0 | ||
2011-12 | ブンデス1部 | 32 | 3 | - | 1 | 0 | 33 | 3 | |||
2012-13 | レバークーゼン | 14 | 17 | 0 | - | 2 | 0 | 19 | 0 | ||
2013-14 | ヘルタ・ベルリン | 7 | 33 | 0 | - | 1 | 0 | 34 | 0 | ||
2014-15 | 20 | 0 | - | 2 | 0 | 22 | 0 | ||||
トルコ | リーグ戦 | トルコ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2015-16 | ブルサスポル | 21 | スュペル・リグ | 20 | 0 | - | - | 20 | 0 | ||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2016-17 | シュトゥットガルト | 7 | ブンデス2部 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2017 | 柏 | 37 | J1 | 14 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 22 | 0 |
2018 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | |||
タイ | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2019 | ブリーラムU | 7 | タイ1部 | 27 | 0 | ||||||
通算 | 日本 | J1 | 120 | 5 | 30 | 1 | 15 | 0 | 165 | 6 | |
ドイツ | ブンデス1部 | 102 | 3 | - | 6 | 0 | 108 | 3 | |||
ドイツ | ブンデス2部 | 17 | 0 | - | - | 17 | 0 | ||||
トルコ | スュペル・リグ | 20 | 0 | - | - | 20 | 0 | ||||
タイ | 1部 | ||||||||||
総通算 | 259 | 8 | 30 | 1 | 21 | 0 | 310 | 9 |
- 2004年は特別指定選手
その他の公式戦
- 2006年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2007 | 浦和 | 3 | 5 | 0 | 3 | 0 |
2008 | 3 | 1 | - | |||
UEFA | UEFA EL | UEFA CL | ||||
2012-13 | レバークーゼン | 14 | 4 | 0 | - | |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2018 | 柏 | 37 | 1 | 0 | - | |
通算 | AFC | 9 | 1 | 3 | 0 | |
通算 | UEFA | 4 | 0 | - |
その他の国際公式戦
- 2007年
- A3チャンピオンズカップ 2試合0得点
- 出場歴
- Jリーグ初出場 - 2005年4月9日 J1 第7節 vsガンバ大阪 (埼玉スタジアム2002)
- 公式戦初得点 - 2007年7月14日 ナビスコカップ vsガンバ大阪 (万博記念競技場)
- Jリーグ初得点 - 2008年10月26日 J1 第30節 vsアルビレックス新潟 (東北電力ビッグスワンスタジアム)
- フル代表初出場 - 2010年9月4日 キリンチャレンジカップ vsパラグアイ戦 (日産スタジアム)[1]
- フル代表初得点 - 2011年1月25日 AFCアジアカップ2011 vs韓国戦 (アル・ガラファ・スタジアム)[1]
- ブンデスリーガ初出場 - 2011年8月14日 第2節 vs1.FCカイザースラウテルン戦 (フリッツ・ヴァルター・シュタディオン)
- ブンデスリーガ初得点 - 2011年9月9日 第5節 vsバイエル・レバークーゼン戦 (インパルス・アレーナ)
- スュペル・リグ初出場 - 2015年8月29日 第3節 vsイスタンブール・バシャクシェヒル
タイトル
クラブ
- 浦和レッズ
- J1リーグ:1回(2006年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:2回(2005年、2006年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2006年)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2007年)
代表
- 日本代表
代表歴
出場歴
- U-16日本代表
- 2002年 AFC U-17選手権2002
- U-21日本代表
- U-22日本代表
- U-23日本代表
- 2006年 カタール・アジア競技大会(2次リーグ敗退)
- 2007年 北京オリンピックアジア二次予選・最終予選
- 2008年 北京オリンピック (グループリーグ敗退)
- 日本代表
- 2011年 AFCアジアカップ2011 (優勝)
- 2013年 FIFAコンフェデレーションズカップ2013 (グループリーグ敗退)
試合数
- 国際Aマッチ 30試合 1得点(2010年 - 2014年)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2010 | 3 | 0 |
2011 | 7 | 1 |
2012 | 8 | 0 |
2013 | 7 | 0 |
2014 | 5 | 0 |
通算 | 30 | 1 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2011年1月25日 | カタール、ドーハ | 韓国 | △2-2 (PK3-0) |
AFCアジアカップ2011 |
脚注
- ^ a b c d e “細貝 萌”. サッカー日本代表データベース
- ^ “中村明花が第1子女児出産 夫・細貝萌と同じ誕生日に”. ORICON STYLE. (2016年6月13日) 2016年6月13日閲覧。
- ^ 細貝萌、バイエル・レバークーゼンに完全移籍 - 浦和レッズ 2010年12月23日
- ^ 細貝のブンデス移籍が決定 - Goal.com 2010年12月23日
- ^ 激しいマンマークで香川を完封した細貝がMOM&ベスト11に選出 - サッカーキング2012年3月12日
- ^ 細貝が加入 ヘルタが発表 - ブンデスリーガ 2013年5月21日
- ^ 入院が判明したヘルタ・細貝萌。今季残り6試合に復活とチーム残留を果たせるか? JSports 元川悦子コラム
- ^ Hajime Hosogai wechselt zum VfB - VfBシュトゥットガルト 2016年7月25日
- ^ シュトゥットガルト監督が電撃辞任! 浅野らを獲得したSDとの対立が原因か - FOOTBALL CHANNEL・2016年9月15日
- ^ 【Column-037】光り輝く街で-26 『太陽の街へ』 - 細貝萌オフィシャルサイト・2017年3月24日
- ^ 細貝 萌選手 移籍加入に合意 柏レイソル 2017年3月24日
- ^ 電撃加入した細貝萌の会見全文「卒業文集に『柏レイソルに入る』と書いた」 - サッカーダイジェストWeb・2017年3月24日
- ^ 細貝、憧れのクラブ加入に笑顔「卒業文集に『柏レイソルに入るのが夢』と書いた」 - サンケイスポーツ・2017年3月24日
- ^ 細貝 萌選手 移籍のお知らせ 柏レイソル 2018年12月6日
- ^ “ブリーラムMF細貝萌がタイ国内移籍…バンコクがレンタルでの獲得を発表”. サッカーキング (2019年12月12日). 2019年12月22日閲覧。
関連項目
- 群馬県出身の人物一覧
- 特別指定選手としてJリーグクラブに登録された選手一覧
- 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧
- 柏レイソルの選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
- ドイツ・ブンデスリーガに所属する日本人サッカー選手一覧
- U-17サッカー日本代表
- オリンピックのサッカー競技・日本代表選手
外部リンク
- 細貝萌オフィシャルウェブサイト
- 細貝萌official (モバイルサイト)
- 細貝萌ブンデスリーガ公式プロフィール (日本語)
- SAMURAI BLUE サッカー日本代表| 細貝萌
- 細貝萌 (@hajime_hosogai_official) - Instagram
- 細貝萌 - J. League Data Siteによる選手データ (日本語)
- 日本のサッカー選手
- サッカー日本代表選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ日本代表選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2013出場選手
- AFCアジアカップ日本代表選手
- AFCアジアカップ2011出場選手
- オリンピックサッカー日本代表選手
- 2008年北京オリンピックサッカー出場選手
- アジア競技大会サッカー日本代表選手
- 特別指定選手として浦和レッドダイヤモンズに登録された選手
- 浦和レッドダイヤモンズの選手
- バイエル・レバークーゼンの選手
- FCアウクスブルクの選手
- ヘルタ・ベルリンの選手
- ブルサスポルの選手
- VfBシュトゥットガルトの選手
- サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)の日本人選手
- 柏レイソルの選手
- ブリーラム・ユナイテッドFCの選手
- バンコク・ユナイテッドFCの選手
- 前橋育英高等学校出身の人物
- 在ドイツ日本人
- 在タイ日本人
- 群馬県出身の人物
- 1986年生
- 存命人物