削減経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

削減経[1](さくげんきょう、: Sallekha-sutta, サッレーカ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第8経。

類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第91経「周那問見経」がある。

釈迦によって、サーリプッタ(舎利弗)の弟であるチュンダに対して、瞑想時における戒めが述べられる。世間(loka)で見られる様々な見解(ditti)について、釈迦が正智をもって遮断すべき44項目を説く。

構成[編集]

内容[編集]

  1. 他人は他者を害する(vihiṃsaka)が、我々は加害者にならない者(アヒンサー)になろう。
  2. 他人は殺生する(pāṇātipātin)が、我々は殺生から離れた者になろう。
  3. 他人は与えられていないものを取る(adinnādāyin)が、我々は与えられていないものを取らない者になろう。
  4. 他人は性的な関係を持つ(abrahmacārin)が、我々は禁欲者(brahmacārī)になろう。
  5. 他人は妄語する(musāvādin)が、我々は嘘をつかない者になろう。
  6. 他人は両舌する(pisuṇāvācā; 陰口)が、我々は両舌しない者になろう。
  7. 他人は悪口する(pharusāvācā; 暴言)が、我々は悪口しない者になろう。
  8. 他人は綺語する(samphappalāpin; 無駄話)が、我々は綺語しない者になろう。
  9. 他人は貪欲である(abhijjhālū)が、我々は貪欲にならない者になろう。
  10. 他人は瞋恚心をもつ(byāpannacitta)が、我々は瞋恚しない者になろう。
  11. 他人は邪見を持つ(micchādiṭṭhi)が、我々は正見(sammādiṭṭhi)を持てる者になろう。
  12. 他人は邪思惟する(micchāsaṅkappa)が、我々は正思惟(sammāsaṅkappa)を持てる者になろう。
  13. 他人は邪語する(micchāvācā)が、我々は正語(sammāvācā)を語る者になろう。
  14. 他人は邪業する(micchākammanta)が、我々は正業(sammākammanta)をする者になろう。
  15. 他人は邪命する(micchāミ-ājīva)が、我々は正命(sammā-ājīva)をする者になろう。
  16. 他人は邪精進する(micchāvāyāma)が、我々は正精進(sammāvāyāma)をする者になろう。
  17. 他人は邪念を持つ(micchāsati)が、我々は正念(sammāsati)を持てる者になろう。
  18. 他人は邪定を育む(micchāsamādhi)が、我々は正定(sammāsamādhi)を育む者になろう。
  19. 他人は邪智者です(micchāñāṇin)が、我々は正智者(sammāñāṇin)になれる者になろう。
  20. 他人は邪解脱をめざす(micchāvimutti)が、我々は正解脱(sammāvimutti)をめざす者になろう。
  21. 他人は惛沈(thīna)と惛眠(middha)に囚われるが、我々は惛沈と惛眠を断ち切る者になろう。
  22. 他人は掉挙する(uddhatā)が、我々は掉挙しない者になろう。
  23. 他人は懐疑的(vecikicchin)だが、我々は懐疑を断ち切る者になろう。
  24. 他人は忿怒する(kodhana)が、我々は忿怒しない者になろう。
  25. 他人は怨恨する(upanāhin)が、我々は怨恨しない者になろう。
  26. 他人は偽善する(makkhin)が、我々は偽善しない者になろう。
  27. 他人は悩害する(paḷāsin)が、我々は悩害しない者になろう。
  28. 他人は嫉妬する(issukin)が、我々は嫉妬しない者になろう。
  29. 他人は物惜しむ(maccharin; 慳吝)が、我々は物惜しまない者になろう。
  30. 他人は見栄を張る(saṭha; 諂)が、我々は見栄を張らない者になろう。
  31. 他人は善人ぶる(māyāvin; 誑)が、我々は善人ぶらない者になろう。
  32. 他人は強情(thaddha)だが、我々は強情にならない者になろう。
  33. 他人は高慢(atimānin)だが、我々は高慢にならない者になろう。
  34. 他人は反抗的(dubbaca)だが、我々は素直(suvaca)になる者になろう。
  35. 他人は悪友とつきあう(pāpamitta)が、我々は善友とつきあう(kalyāṇamitta)者になろう。
  36. 他人は放逸する(pamatta)が、我々は不放逸(appamatta)者になろう。
  37. 他人は信を持たない(assaddhā)が、我々は(saddhā)を持つ者になろう。
  38. 他人は悪を恥じない(ahirika; 慚)が、我々は悪を恥じる(hirimant)者になろう。
  39. 他人は悪を怖れない(anottāpin; 愧)が、我々は悪を怖れる(ottāpin)者になろう。
  40. 他人は浅学(appassuta)だが、我々は多聞(bahussuta)者になろう。
  41. 他人は懈怠(kusīta)だが、我々は精進する(āraddhaviriya)者になろう。
  42. 他人は失念する(muṭṭhassati)が、我々は常に念ある(upaṭṭhitasati)者になろう。
  43. 他人は悪慧(duppañña)だが、我々は智慧の備わった(paññāsampanna)者になろう。
  44. 他人は自らの見に固執し、捨てられないでいる(sandiṭṭhiparāmāsi-ādhānagāhi-duppaṭinissaggin)が、我々は自見るに固執せず捨てられる(asandiṭṭhiparāmāsi- ānadhānagāhi-suppaṭinissaggin)者になろう。

日本語訳[編集]

  • 『南伝大蔵経・経蔵・中部経典1』(第9巻) 大蔵出版
  • 『パーリ仏典 中部(マッジマニカーヤ)根本五十経篇I』 片山一良訳 大蔵出版
  • 『原始仏典 中部経典1』(第4巻) 中村元監修 春秋社

脚注・出典[編集]

  1. ^ 『南伝大蔵経』、『原始仏典』中村、『パーリ仏典』片山

関連項目[編集]

外部リンク[編集]