コンテンツにスキップ

1986年の日本競馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1986年 > 1986年のスポーツ > 1986年の日本競馬

1986年の日本競馬(1986ねんのにほんけいば)では、1986年昭和61年)の日本競馬界についてまとめる。馬齢は旧表記で統一する。

1985年の日本競馬 - 1986年の日本競馬 - 1987年の日本競馬

概要

[編集]

メジロラモーヌの牝馬三冠

[編集]

この年の牝馬クラシック路線において、メジロラモーヌが史上初の牝馬三冠に輝いた[1]。 同馬は桜花賞優駿牝馬エリザベス女王杯の三冠競走に加えて、各競走のトライアル競走にあたる報知杯4歳牝馬特別サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別ローズステークスも全て優勝した。 年末の有馬記念は並み居る牡馬に混じってミホシンザンに次ぐ2番人気に支持されたが、不利を受け9着に惨敗。 このレースを最後に引退し、繁殖牝馬となった。翌1987年にはJRA顕彰馬に選出された。

社台ファームのダービー初制覇とメジロ牧場のクラシック初制覇

[編集]

この年のクラシック戦線では、不思議と東京優駿(日本ダービー)優勝に縁がなかった社台ファームダイナガリバーで生産馬による初のダービー優勝を果たす。

また、これまでに2着は何度もありながらクラシック制覇に縁がなかったメジロ牧場が、メジロラモーヌの桜花賞優勝でクラシック制覇を達成。 勢いとは恐ろしいもので、メジロラモーヌは優駿牝馬、(クラシックではないが)エリザベス女王杯も優勝して牝馬三冠を達成。 さらに秋には吉田堅生産・メジロ商事所有のメジロデュレン菊花賞で優勝し、牡馬のクラシック競走も優勝を果たした。

シンボリルドルフの海外遠征と引退

[編集]

この年、クラシック三冠を含むGI7勝馬のシンボリルドルフが満を持して海外遠征を敢行、その初戦として3月29日アメリカサンタアニタ競馬場でのサンルイレイステークスに出走したが、7頭立ての6着に敗れた[2]。この競走中に故障(左前脚繋靭帯炎)を発症し、次に予定していたサンフアンカピストラーノインビテーショナルハンデキャップの出走を取りやめて帰国。再挑戦が検討されるもそのまま引退が決まり、12月7日には中山競馬場で引退式が行われた。

できごと

[編集]

1月 - 3月

[編集]

4月 - 6月

[編集]

7月 - 9月

[編集]

10月 - 12月

[編集]
  • 10月4日 - 韓国ソウルで行われた第10回アジア大会の馬術部門に、日本中央競馬会の職員である宮崎栄喜・中俣修の2名が出場。日本は総合馬術競技の団体で金メダルを獲得、また馬場馬術団体で銀メダル、個人では宮崎が総合馬術で金メダルを獲得した[1]
  • 10月25日 - 中央競馬の大型映像ディスプレイに連動した場内ミニFM放送が東京競馬場で開始される。その後11月29日には阪神競馬場にも導入された[1]
  • 11月29日 - 日本中央競馬会が、パソコンによる競馬情報提供システム「PCIS(ピーシス)」が試験運用される[1]
  • 12月7日 - 水沢競馬場において、第1回ダービーグランプリが開催される。初代優勝馬はトミアルコ[1]

その他

[編集]

競走成績

[編集]

中央競馬・平地GI

[編集]

中央競馬・障害

[編集]

地方競馬主要競走

[編集]

表彰

[編集]

優駿賞

[編集]

リーディング

[編集]

リーディングジョッキー

[編集]

リーディングトレーナー

[編集]

リーディングオーナー

[編集]

リーディングブリーダー

[編集]

リーディングサイアー

[編集]

リーディングブルードメアサイアー

[編集]

誕生

[編集]

人物

[編集]

競走馬

[編集]

この年に生まれた競走馬は1989年のクラシック世代となる。

死去

[編集]

人物

[編集]

競走馬

[編集]

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • 競馬歴史新聞編集委員会『新版競馬歴史新聞』日本文芸社、2004年。ISBN 4-537-25205-7 
  • 一般社団法人 中央競馬振興会『日本近代競馬総合年表』中央競馬ピーアール・センター、2018年。 

注釈

[編集]
  1. ^ 当時唯一の外国調教馬が出走できるGI競走であったジャパンカップも、この時点では1984年はカツラギエース1985年はシンボリルドルフと日本産馬が優勝していた。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 『総合年表』p.218
  2. ^ a b c d 『総合年表』p.217