1993年の日本競馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1993年 > 1993年のスポーツ > 1993年の日本競馬

1993年の日本競馬(1993ねんのにほんけいば)では、1993年平成5年)の日本競馬界についてまとめる。馬齢は旧表記で統一する。

1992年の日本競馬 - 1993年の日本競馬 - 1994年の日本競馬

概要[編集]

三強対決[編集]

牡馬クラシック路線はウイニングチケットビワハヤヒデナリタタイシンの三強対決で盛り上がった。 ビワハヤヒデは前年の朝日杯3歳ステークスに次いで年明け緒戦の共同通信杯4歳ステークスも2着に終わり、騎手を岸滋彦から岡部幸雄に変更してクラシックに進むこととなった。 弥生賞ではウイニングチケットが完勝し、ナリタタイシンは2着。皐月賞若葉ステークスを勝ち上がったビワハヤヒデとの2強といったムードになったが、少し離れた3番人気のナリタタイシンがゴール前での強烈な追い込みで、粘り込むビワハヤヒデを交わす。ウイニングチケットが4着に終わった。 そして迎えた東京優駿では、ウイニングチケットが雪辱を果たして、柴田政人が念願のダービージョッキーに輝き、ビワハヤヒデは2着、ナリタタイシンは3着に終わったが、三強が他馬を圧倒し、見ごたえのあるレースとなった。

秋にかけて、ビワハヤヒデは特に気性面で大きな成長を遂げ、神戸新聞杯を完勝。 ウイニングチケットも京都新聞杯を勝って菊花賞に駒を進めたが、ナリタタイシンは肺出血で順調さを欠いた。 そしてクラシック最後の大一番・菊花賞では、春無冠にもかかわらず1番人気に支持されたビワハヤヒデがレコード勝ちで5馬身差の圧勝劇を演じ、雪辱を果たした。 ウイニングチケットは3着に終わり、ナリタタイシンは17着と惨敗した。

ウイニングチケットはジャパンカップこそ3着とまずまず健闘したが、有馬記念は11着と惨敗。 ビワハヤヒデは有馬記念では1年ぶりの出走となったトウカイテイオーに屈し2着に終わったが、この年のJRA賞年度代表馬に選出された。

ベガの牝馬二冠達成[編集]

ベガ桜花賞優駿牝馬の牝馬クラシック二冠を達成した。なお、桜花賞・優駿牝馬ともに2着はユキノビジン、3着はマックスジョリーであった。牝馬クラシック二冠達成は1987年マックスビューティ(マックスジョリーの母)以来6年ぶり。騎乗していた武豊騎手は皐月賞と併せて春のクラシック4競走のうち3競走に優勝した。秋はエリザベス女王杯に直行して、メジロラモーヌ以来の牝馬三冠を狙ったが3着に敗れた。その後は、暮れの有馬記念では9着に敗れ、明けて5歳でも2戦して未勝利で、引退した。

賞金レースの行方[編集]

前年までに天皇賞・春を連覇していたメジロマックイーンが戦列に復帰。 大阪杯をレコード勝ちして天皇賞・春三連覇に挑んだが、ライスシャワーに屈して2着に終わった。 しかし、宝塚記念を勝ってJRA史上初の4年連続GI制覇を達成し、オグリキャップが保持していた獲得賞金の歴代最多記録を更新した。 さらに、京都大賞典で2分22秒7という従来のコースレコードを実に1秒9更新する圧勝で史上初の10億円馬となったが、天皇賞・秋を前に無念のリタイア。そのまま引退となった。

それまでダイイチルビーが保持していた牝馬の獲得賞金記録に、春の時点でニシノフラワーイクノディクタスが迫った。 ニシノフラワーは1番人気に支持された安田記念で勝てば記録更新となるところであったが、10着と惨敗。 逆に14番人気ながら2着に入線したイクノディクタスがダイイチルビーの記録を更新。 宝塚記念でも、惨敗したニシノフラワーを尻目に、同期のメジロマックイーンの2着に入線し、史上初の5億円牝馬となった。 さらに中1週で出走したテレビ愛知オープンでは勝利を収めるが、秋には一気に衰え、3戦すべて惨敗し、そのまま引退した。

秋にはシンコウラブリイが大きく成長し、毎日王冠スワンステークスといずれも完勝。 イクノディクタスが引退を発表した直後に行われたマイルチャンピオンシップを優勝し、初のGI制覇を成し遂げると同時に、イクノディクタスの記録を更新して牝馬の歴代最多賞金獲得馬となるが、このレースを最後に引退を発表。 ニシノフラワーは、連覇を狙ったスプリンターズステークスで3着に終わり、こちらもこのレースを最後に引退した。

騸馬のGI制覇[編集]

騸馬去勢された牡馬)はクラシックレースや天皇賞には出走できず、自ずと出走できるGIは限られていたが、レガシーワールドジャパンカップを勝ち、JRA史上初の日本調教の騸馬によるGI制覇[注 1]を成し遂げた。 同馬は翌年の海外(アメリカ合衆国)遠征を志したが、それは故障による長期休養もありかなわなかった。

できごと[編集]

1月 - 3月[編集]

4月 - 6月[編集]

7月 - 9月[編集]

10月 - 12月[編集]

その他[編集]

競走成績[編集]

中央競馬・平地GI[編集]

中央競馬・障害[編集]

地方競馬主要競走[編集]

表彰[編集]

JRA賞[編集]

  • 年度代表馬・最優秀4歳牡馬 ビワハヤヒデ
  • 最優秀3歳牡馬 ナリタブライアン
  • 最優秀3歳牝馬 ヒシアマゾン
  • 最優秀4歳牝馬 ベガ
  • 最優秀5歳以上牡馬・最優秀短距離馬・最優秀父内国産馬 ヤマニンゼファー
  • 最優秀5歳以上牝馬 シンコウラブリイ
  • 最優秀ダートホース メイショウホムラ
  • 最優秀障害馬 ブロードマインド
  • 最優秀アラブ シゲルホームラン
  • 特別賞 トウカイテイオー

NARグランプリ[編集]

リーディング[編集]

リーディングジョッキー[編集]

分類 騎手の氏名 勝利数
中央競馬 武豊 137
地方競馬
ばんえい競走

リーディングトレーナー[編集]

分類 調教師の氏名 勝利数
中央競馬 藤澤和雄 44
地方競馬
ばんえい競走

リーディングオーナー[編集]

リーディングブリーダー[編集]

リーディングサイアー[編集]

リーディングブルードメアサイアー[編集]

誕生[編集]

この年に生まれた競走馬は1996年のクラシック世代となる。

競走馬[編集]

人物[編集]

死去[編集]

競走馬[編集]

人物[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 競馬歴史新聞編集委員会『新版競馬歴史新聞』日本文芸社、2004年。ISBN 4-537-25205-7 
  • 一般社団法人 中央競馬振興会『日本近代競馬総合年表』中央競馬ピーアール・センター、2018年。 

注釈[編集]

  1. ^ 1990年ニュージーランド調教の騸馬ベタールースンアップがジャパンカップに優勝している。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『総合年表』p.228
  2. ^ a b c 『総合年表』p.229
  3. ^ 『超サバイバル時代の馬産地ビジネス 知られざる競馬業界の「裏側」』(河村清明著、クラップ、2015年)p.65
  4. ^ a b c 『総合年表』p.230