メイショウホムラ

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メイショウホムラ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1988年2月17日
死没 2013年4月1日(25歳没)
ブレイヴェストローマン
メイショウスキー
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産 北星村田牧場
馬主 松本好雄
調教師 高橋成忠栗東
厩務員 中田征男
競走成績
生涯成績 25戦10勝
獲得賞金 2億3441万5800円
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メイショウホムラ日本競走馬種牡馬1993年JRA賞最優秀ダートホースを受賞。おもな勝ち鞍はフェブラリーハンデキャップ

馬名は冠名の「メイショウ」に「」の古語読みである「ほむら」。

馬齢は、当時の旧表記(数え年)とする。

戦績[編集]

1990年11月京都競馬場新馬戦でデビュー。ダートの1400メートル戦で、2着に大差をつけての圧勝で初戦を飾った。 続く格上挑戦の京都3歳ステークスを3着として阪神3歳ステークスに挑んだ。 重賞実績の無い1勝馬ながら4番人気に推されるも、直線で伸びを欠きイブキマイカグラの7着に終わった。

レース後に骨折を負い、長期休養を余儀なくされた。復帰戦となったのは、1991年11月のダートの500万下条件戦。2着に7馬身差をつけ久々の勝利を挙げた。 翌1992年は、自己条件で着実に実力をつけていき、11月の花園ステークス(1500万下)に勝利し、オープン入りを果たした。 年が明けて1993年初戦の平安ステークス (オープン) は、昇級初戦とあって7着と敗れたものの、 続くフェブラリーハンデキャップでは好位から直線で抜け出すと、あとは他馬を寄せ付けず、2着に2馬身半差をつけて優勝。7番人気の低評価を覆し、重賞初制覇を果たした。 当時は中央のダート重賞が3競走のみで、地方との交流競走も未整備だったため、活躍の場は限られていたが、ダートではオープン特別を4連勝するなど遅咲きの素質が完全に開花した。

しかし、この年最終戦となった根岸ステークスで6着に敗れると、脚部不安で再び長期休養に入ることとなる。 翌1994年10月に復帰したが、2戦して共に最下位という惨敗を喫し、1995年に競走馬登録抹消となった。

引退後[編集]

引退後は、重賞を1勝したのみという競走実績ながら馬主の厚意もあって、日高町の日西牧場で種牡馬となる。種付け頭数には恵まれていないが、数少ない産駒の中からメイショウバトラー小倉大賞典などの重賞を制するという活躍を見せた。2010年に種牡馬を引退し、日西牧場で功労馬として余生を送っていたが、2013年4月1日、同牧場で死亡[1]

主な産駒[編集]

血統表[編集]

メイショウホムラ血統ネヴァーベンド系ナスルーラ系) / アウトブリード (血統表の出典)

*ブレイヴェストローマン
Bravest Roman
1972 鹿毛
父の父
Never Bend
1960 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djaddah
Be Faithful
父の母
Roman Song
1955 鹿毛
Roman Sir Gallahad III
Buckup
Quiz Song Sun Again
Clever Song

メイショウスキー
1981 鹿毛
マルゼンスキー
1974 鹿毛
Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
*シル
Shill
Buckpasser
Quill
母の母
*フェアリーテイル
Fairy Tale
1961 鹿毛
*Sicambre Prince Bio
Sif
Fee Royale Vatellor
RoyaleF-No.4-j


脚注[編集]

  1. ^ メイショウホムラが死亡”. 競馬ブック. 2013年4月8日閲覧。

外部リンク[編集]