イージーゴア

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イージーゴア
欧字表記 Easy Goer
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1986年3月21日
死没 1994年5月12日
Alydar
Relaxing
母の父 Buckpasser
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 オグデン・フィップス
馬主 オグデン・フィップス
調教師 クロード・マゴーヒー(アメリカ)
競走成績
生涯成績 20戦14勝
獲得賞金 487万3770ドル
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イージーゴア (Easy Goer) とはアメリカ合衆国競走馬、および種牡馬である。サンデーサイレンスの現役時代のライバルとして知られる。良血、近親や兄弟に活躍馬多数など、サンデーサイレンスとは正反対のバックボーンの持ち主で、高い期待に応え活躍した。「イージーゴーア(ー)」と訳されることもある。

戦績[編集]

2歳・3歳時代[編集]

2歳の夏にデビュー。デビュー戦は2着に敗れるが、その後4連勝。迎えたブリーダーズカップ・ジュヴェナイルでは単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持され、「セクレタリアトの再来」とまで言われる高評価を得ていたが、スタートで後手を踏んだことが影響してか、以前に負かしていたイズイットトゥルーの2着に敗れる。強烈な追い込みに見られるように実力は相当なものであったが、この出遅れ癖は、後々まで本馬の競走成績に影響を与えることとなる。

明けて3歳、3連勝をいずれも楽勝でケンタッキーダービーに臨み、やはり1番人気に支持される。しかしここで立ちはだかったのが、終生のライバルとなるサンデーサイレンスだった。初めての顔合わせでは2馬身半差の2着に敗れた。続いてプリークネスステークスでも最後の直線コースで激しい叩き合いを演じるが、サンデーサイレンスの前に再びハナ差で敗れた。だが三冠最後のベルモントステークスでは、道中2番手を進むサンデーサイレンスをマークする形で3番手につけ、4コーナーから直線にかけて先頭に立つと差を広げ8馬身差でサンデーに勝利した。このベルモントステークスではイージーゴアがそれまでの後方待機策から一転、逃げて勝ったと評されることもあるが、実際には逃げて勝ったわけではない。その後4連勝して、ブリーダーズカップ・クラシックで4度目のサンデーサイレンスとの対戦となる。イージーゴアは3度1番人気に支持されるが、結果はサンデーサイレンスにクビ差敗れ、エクリプス賞年度代表馬の座もサンデーサイレンスに譲ることとなった。

古馬時代[編集]

4歳は3戦2勝。メトロポリタンハンデキャップでは生涯唯一、連対を逃している。このときの優勝馬クリミナルタイプは次走でサンデーサイレンスを破っている。その後脚部不安の発症により引退した。また、ほぼ同じ時期にライバルであるサンデーサイレンスも脚部を痛めて引退している。

成績詳細[編集]

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
1988.08.01 ベルモントパーク 未勝利 D6f 2着 P.デイ ハナ Lorenzoni
1988.08.19 サラトガ 未勝利 D7f 1着 P.デイ 2 1/2馬身 Is It True
1988.09.09 ベルモントパーク 一般競走 D6.5f 1着 P.デイ 5 1/2馬身 (Winners Laugh)
1988.10.01 ベルモントパーク カウディンS G1 D7f 1着 P.デイ 3馬身 (Winners Laugh)
1988.10.15 ベルモントパーク シャンペンS G1 D8f 1着 P.デイ 4馬身 (Is It True)
1988.11.05 チャーチルダウンズ BCジュヴェナイル G1 D8.5f 2着 P.デイ 1 1/4馬身 Is It True
1989.03.04 ガルフストリームパーク スウェールS 準重 D7f 1着 P.デイ 8 3/4馬身 (Trion)
1989.04.08 アケダクト ゴーサムS G2 D8f 1着 P.デイ 13馬身 (Diamond Donnie)
1989.04.22 アケダクト ウッドメモリアルS G2 D9f 1着 P.デイ 3馬身 (Rock Point)
1989.05.06 チャーチルダウンズ ケンタッキーダービー G1 D10f 2着 P.デイ 2 1/2馬身 Sunday Silence
1989.05.20 ピムリコ プリークネスS G1 D9.5f 2着 P.デイ ハナ Sunday Silence
1989.06.10 ベルモントパーク ベルモントS G1 D12f 1着 P.デイ 8馬身 (Sunday Silence)
1989.08.05 サラトガ ホイットニーH G1 D9f 1着 P.デイ 4 1/2馬身 (Forever Silver)
1989.08.19 サラトガ トラヴァーズS G1 D10f 1着 P.デイ 3馬身 (Clever Trevor)
1989.09.16 ベルモントパーク ウッドウォードH G1 D10f 1着 P.デイ 2馬身 (Its Acedemic)
1989.10.07 ベルモントパーク ジョッキークラブ金杯 G1 D12f 1着 P.デイ 4馬身 Cryptoclearance
1989.11.04 ガルフストリームパーク BCクラシック G1 D10f 2着 P.デイ クビ Sunday Silence
1990.05.16 ベルモントパーク ゴールドステージS D7f 1着 P.デイ 7 1/2馬身 (Hadif)
1990.05.28 ベルモントパーク メトロポリタンH G1 D8f 3着 P.デイ 1 3/4馬身 Criminal Type
1990.07.07 ベルモントパーク サバーバンH G1 D10f 1着 P.デイ 3 3/4馬身 (De Roche)

種牡馬時代[編集]

サンデーサイレンスが血統的魅力の不足から吉田善哉に購入されて日本へ輸入されたのに対し、イージーゴアはアメリカで巨額のシンジケートを組まれて種牡馬入りした。ところが1994年5月、供用先のクレイボーンファーム種付け後に心臓麻痺を発症して死亡。4年で136頭の産駒を残すだけに終わった。死後に行われた解剖の結果、心臓麻痺は不確定のアレルゲン物質を原因としたアナフィラキシーショックだったこと、複数の臓器に悪性腫瘍が生じていたことが判明している。ただ、解剖を行ったケンタッキー大学の獣医病理学者によると、腫瘍の進行速度そのものは遅く、恐らく致命的なレベルに達するまでは相当な長時間が必要だっただろうとしている。

主な産駒にMy Flag(マイフラッグ、CCAオークスなど)、Will's Way(ウィルズウェイ、トラヴァーズステークス)などがいる。

イージーゴアの数少ない後継種牡馬のうち、ウィルズウェイがシガーマイル優勝のライオンターマーを出したが、それ以外ではこれといった活躍馬を出せず、ライオンターマーも種牡馬としては完全に失敗に終わっており、イージーゴアの血統は父系では滅亡している。My Flag(母はブリーダーズカップ・ディスタフなど13戦全勝のパーソナルエンスン)は、母としてブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズを勝ったStorm Flag Flying(ストームフラッグフライング)を産んでいる。

評価[編集]

主な勝鞍[編集]

エクリプス賞[編集]

  • 1988年 - 最優秀2歳牡馬部門受賞

表彰[編集]

血統表[編集]

イージーゴア(Easy Goer)血統レイズアネイティヴ系Bull Lea5×5=6.25%(父内) La Troienne5×5=6.25%(母内)) (血統表の出典)

Alydar
1975 栗毛
父の父
Raise a Native
1961 栗毛
Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
父の母
Sweet Tooth
1965 鹿毛
On-and-On Nasrullah
Two Lea
Plum Cake Ponder
Real Delight

Relaxing
1976 鹿毛
Buckpasser
1963 鹿毛
Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
母の母
Marking Time
1963 栗毛
To Market Market Wise
Pretty Does
Allemande Counterpoint
Big Hurry F-No.1-s(1-x)

牝系はLa Troienneに繋がる名牝系で、母 RelaxingはラフィアンハンデキャップデラウェアハンデキャップのG1を2勝した活躍馬。繁殖牝馬としても優秀でイージーゴア以外にもバレリーナステークス勝ちの Cadillacing ・ ゴーフォーワンドステークス勝ちのEasy Nowを送り出している。祖母 Marking Time もエイコーンステークスの勝ち馬。

外部リンク[編集]