コンテンツにスキップ

塚田祥雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塚田 祥雄(つかだ よしお、1986年6月29日 - )はJRA美浦トレーニングセンター藤沢和雄厩舎に所属していた元騎手北海道出身。身長157.3センチメートル、体重45.5キログラム、血液型O型。騎手免許は平地競走障害競走両方の免許を所持していたが障害レースの騎乗経験はなかった。

来歴

[編集]

2002年4月、第21期生としてJRA競馬学校騎手課程に入学。2005年、競馬学校騎手課程を卒業しJRAの騎手免許を取得する。同期には小島太一鮫島良太らがいる。藤沢和雄厩舎所属でデビューとなる。3月5日、JRA初騎乗となった中山競馬場での第1競走では13番人気だったスキャターダンサーに騎乗し11着。3月26日、中山競馬場での第4競走に1番人気で出走したピサノグラフで勝利しJRA初勝利を挙げる。デビュー年は228戦11勝という成績だった。

2006年、重賞初騎乗となった函館スプリントステークスでは12番人気のマイネルハーティーに騎乗し11着だった。

2007年、3月に第21回全日本新人王争覇戦に参加する。6月24日函館競馬場での第12競走でカンファーエルフに騎乗しレース中に前にいた馬と接触し落馬した。その際に頭部を強打、意識不明となり函館市内の病院に搬送された。診断の結果、脳挫傷を発症し脳に出血が見られたため、緊急手術を受けたうえで集中治療を受けた[1][2]が、8月に入り意識を取り戻した。同年11月16日、より一層の機能回復を目指しリハビリテーションのため函館市内の他の病院へ転院した[3]

しかし現役復帰は果たせず、2010年2月28日付をもって騎手免許を更新せず、引退となった[4][5]。落馬による脳挫傷は2007年の常石勝義2009年石山繁、塚田と続いてしまい3年間で3人もの騎手がこれが原因で引退を余儀なくされる事態となった。その5年後の2015年には高嶋活士もこれが原因で引退している。常石、石山、高嶋は後に障碍者馬術選手に転向したが、塚田の現在の状況は不明である。

表彰

[編集]

おもな騎乗馬

[編集]

年度別成績表

[編集]

中央競馬

[編集]
騎乗数 勝利数 勝率 連対率 勝利数順位
関東 全国
2005年 228 11勝 .048 .088 64位
2006年 620 44勝 .071 .134 11位 26位
2007年 315 16勝 .051 .124 25位 57位
通算 1163 71勝 .061 .122 - -

地方競馬

[編集]
騎乗数 勝利数 勝率 連対率
2005年 騎乗なし
2006年 3 0勝 .000 .000
通算 3 0勝 --- ---

脚注

[編集]
  1. ^ 落馬負傷の塚田祥雄騎手、脳挫傷の診断 - 競馬実況web(ラジオNIKKEI)2007年6月25日
  2. ^ 塚田騎手の病状について、担当医が説明 - 競馬実況web(ラジオNIKKEI)2007年6月28日
  3. ^ 塚田祥雄騎手の病状について(17日) - 競馬ブック 2007年11月17日
  4. ^ 菊沢、塚田、角田、西原、橋本騎手が2月28日(日)付で引退(JRA公式ウェブサイト)
  5. ^ 塚田らが引退…落馬で脳挫傷 - Sponichi Annex 2010年2月11日

関連項目

[編集]