「ドイツ銀行」の版間の差分

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ドイツ銀行は[[ニューヨーク証券取引所]]<ref>[[ティッカーシンボル]]:[http://www.nyse.com/about/listed/lcddata.html?ticker=DB DB]</ref>と[[フランクフルト証券取引所]]に上場しており、[[ドイツ株価指数]] (DAX) の採用銘柄でもある。[[中央銀行]]と誤解されやすいが、ドイツの中央銀行は[[ドイツ連邦銀行]]である。
 
戦後から日本公共[[外債]]引受け大手の一つであった。[[1995年]]からは[[商業銀行]]から[[投資銀行]]への転換を開始し、[[2005年]]までに収入の75%が投資銀行部門から出るようになり、同時期[[自己資本利益率]] (ROE) は4%から25%へと伸びた。2009年までは[[コメルツ銀行]]・[[ドレスナー銀行]]とともに「ドイツ三大銀行」と呼ばれた。2014年、[[ルクセンブルク・リークス]]に租税回避を暴露された。2016年9月、米国内で住宅ローン担保証券を不正に販売した疑いで米司法省から140億ドルの和解金を請求された<ref>[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]電子版 Deutsche Bank Is Asked to Pay $14 Billion to Resolve U.S. Probe Into Mortgage Securities 2016/9/16</ref>。MBS とも略されるこの証券は[[サブプライム住宅ローン危機]]の一因だったとされている。10月17日、他行と共謀して[[銀]]価格を不正に操作していた疑惑をめぐり、投資家に対して3800万ドルを支払うことで和解した<ref>[[ロイター]] [http://www.reuters.com/article/us-deutsche-bank-settlement-silver-idUSKBN12H2HB Deutsche Bank to pay $38 million in U.S. silver price-fixing case] Oct 18, 2016</ref>。原告は、ドイツ銀行が1999年以来、[[HSBC]]や[[スコシアバンク]]と[http://www.lbma.org.uk/lbma-silver-price シルバー・フィックス]<ref group="注" name=LPMCL>2001年4月5日、''London Precious Metals Clearing Limited'' という無資本保証の民間企業が設立された。そのアドレスはゴールド・フィックスとシルバー・フィックスに同じであった。原参加者はドイツ銀行をふくむ7行で、あとは[[N・M・ロスチャイルド&サンズ]]、[[JPモルガン]]、[[HSBC]]-USA、[[スコシアバンク|スコシア]]モカッタ、[[UBS]]、[[クレディ・スイス]]であった。クレディ・スイスとロスチャイルドがそれぞれ2001年と2004年に脱退した。2005年、入れ替わるように[[バークレイズ]]が参加した。2015年2月にHSBC本社がUSA支社と入れ替わった。一方、8月に後釜のいないままドイツ銀行が抜けた。LPMCL の目的は、企業側のウェブサイトによれば、取引のマッチングと決済を電子技術で合理化することである。ごく最近まで会員がロンドン貴金属市場協会の"physical committee"を占領し、監督システムを骨抜きにしていた。
:Ronan Manly [https://www.bullionstar.com/blogs/ronan-manly/spotlight-lpmcl-london-precious-metals-clearing-limited/ Spotlight on LPMCL: London Precious Metals Clearing Limited] Posted on 30 May 2016
 
[[:en:London Metal Exchange|金や銀以外]]についても、[[:en:LCH.Clearnet|ロンドン手形交換所]]から独立するため、2011年に''LME Clear'' という決済機関が発足し、2014年から[[ソシエテ・ジェネラル]]他多数の参加により稼動している。キャッシュと証券に加え金属までも、取引が[[ブロックチェーン]]で仮想化を加速させるかもしれない。</ref>と呼ばれる秘密会合を毎日開いて銀価格を不正に操作し、[[UBS]]はこの価格を利用していたと主張していた。会合の参加者には[[JPモルガン]]もふくまれる。それでも[[:en:Gold fixing|ゴールド・フィックス]]<ref group="注">ゴールド・フィックスにもドイツ銀行は2014年初頭まで参加していた。1993年に[[:en:Kleinwort Benson|クラインワート・ベンソン]]・[[ロンズデール伯爵|ロンズデール]]の''[[:en:Sharps Pixley|Sharps Pixley]]'' から参加権を譲り受けたのがなれ初めであった。しかしドイツ銀行の参加実態がどこまであったかは定かでなく、ドイツ銀行は2001年にシャープス・ピクスレーを閉じてしまっていた。ロンドン金市場の取引データが非公開になった2010年に、ピクスレーのCEOであるRoss Norman がウェブサイトを立ち上げて事業を再開した。ピクスレーは2013年11月5日、[[オーストリア銀行|ルール石炭]]系列である[[デグサ]]貴金属部門[[:de:Degussa Sonne/Mond Goldhandel|ゴルトハングサ]]に買収された。</ref><ref group="注" name=LPMCL />より参加者が少なく、その分共謀が容易な構造となっていた。銀価格は歴史上の[[大不況]]を経て世界的に下落したが、ちょうどこの時代にドイツ銀行は台頭したのである。
 
== 歴史 ==
 
[[1904年]]、''Deutsche Petroleum-Aktiengesellschaft ([[:de:Europäische Petroleum-Union|DPAG]])'' をベルリンに設立。これはやがて[[BP (企業)|ブリティッシュ・ペトロリアム]]となる。
 
[[第一次世界大戦]]勃発時点で、[[:de:Turkish Petroleum Company|トルコ石油]]の25%を支配した。しかし[[ロイヤルダッチ・シェル]]も25%を占め、あとの50%はBP が保有した。交渉を重ねてもドイツ銀行の支配率は変わらなかった。開戦の重要な背景である。
 
[[1929年]]、ドイツ銀行はシャフハウゼン銀行やシュレジエン銀行だけでなく、{{仮リンク|ディスコント・ゲゼルシャフト|en|Disconto-Gesellschaft|de|Disconto-Gesellschaft}}も合併した。これは過去から[[ドイツ帝国#経済|ディスコント・アソシエーション]]と呼ばれてきたコネクションであった。
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