ケーブル・アンド・ワイヤレス

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ケーブル・アンド・ワイヤレス (en:Cable & Wireless plc) は、世界80カ国で事業展開した電気通信事業者。略称はC&W。イギリス産海底ケーブルのパイオニアであるジョン・ペンダーが創業したイースタン・グループの主力会社。国策事業につき本社はイギリスにあり、主要な事業領域としてイギリス、ヨーロッパ大陸カリブ海パナマ中東マカオである。バークレイズロスチャイルドを経営顧問とした[1]。2012年7月いっぱいでボーダフォンに完全買収された。

沿革[ソースを編集]

  • 1868年 - イギリスの電信買収法、電信の国有化に伴い電信会社の株主らに800万ポンドの補償金を充当[2]
  • 1869年 - ペンダーがFalmouth, Malta, Gibraltar Telegraph CompanyBritish Indian Submarine Telegraph Company を設立。
  • 1870年 - 大北電信会社と勢力圏を協定。大北の営業圏は香港以北、大東は上海以南とした。営業圏の重なる香港-上海間は協定によって利益配分された。5月14日付タイムズ紙より。この談合は大北が長崎へ進出する足場となった。
  • 1872年 - Marseilles, Algiers and Malta Telegraph Company を含めた3社がペンダーを会長としてイースタン・テレグラフ・カンパニー(大東電信会社)へ統合される。この頃、同社の海底ケーブルはポースカーノからジブラルタルマルタスエズ運河アデンを経由してボンベイに至る長さであった。エシュロンの布石となる国策企業であった。
  • 1889年 - ペンダーは詐欺師のジャベツ・バルフォアと組んでMetropolitan Electric Supply Co. という電力会社を経営しており、この年に商務省からロンドン中心部の4箇所に電力の独占供給を許された。4箇所とは、リンカーン法曹院コヴェント・ガーデンメリルボーンブルームスベリー。こうした権益は送電網の合理化においてロンドンがベルリンに遅れる原因となった。
  • 1902年 - 12月14日、大東が半分、大北が1/4出資するCommercial Pacific Cable Company がサンフランシスコとハワイを結ぶ初の太平洋横断電信ケーブルを敷設。翌年に、ハワイからミッドウェー経由でフィリピンまで延伸。日露戦争が終わってすぐの1905年9月、この会社は日本政府と共同事業に合意し、敷設作業日米間太平洋横断国際海底ケーブルを開通させた。1906年8月1日の開通当日は明治天皇セオドア・ルーズベルト間に祝賀電文の交換が行われた。ポーツマス条約締結後も新たな協約に基づいて共同事業は続けられた。
  • 1929年 - 4月8日に大東電信会社がマルコーニ社および英国通信事業と合併してImperial and International Communications となり、1934年にケーブル・アンド・ワイヤレスと改称する。
  • 1938年 - 第二次世界大戦突入時に切断すべき、ドイツ・イタリアの海底ケーブルリストを作成。イギリスは戦中ドイツ帝国のときのように、まずドーバー海峡のドイツからスペイン、ポルトガル、アゾレス諸島にのびるケーブルを切断した。イタリアの宣戦布告を受けては、地中海と大西洋のイタリアケーブルを切断した。
  • 1939年 - ミュンヘン会談で検討されていた「監視計画」を開始。1920年の公職機密法に規定されていた権限を全世界に適用。検閲、ケーブル監視、無線傍受により、エニグマ (暗号機) を除く世界の通信を監視下においた。
  • 1940年 - 2-4月英仏間で切断したケーブルのあつかいについて協議。社長のエドワード・ウィルショウがイギリス政府に建議、ドイツ・イタリア・フランスの大西洋ケーブルを切断し、新たに英国=ジブラルタル=アゾレス=アメリカを連結するケーブルの敷設を主張。連合国であるはずのフランスだが、ケーブル・アンド・ワイヤレスはフランス領西アフリカとラゴス間のケーブルを切断した。
  • 1945年 - 6月、BBCレイス卿を議長として自治領の代表者が集まりCommonwealth Telecommunications Conference が催され、ケーブル・アンド・ワイヤレスを国有化する計画の大枠が決定した。ケーブル・アンド・ワイヤレスはそのまま5年後に相当部分を国有化された。しかし郵政庁に吸収された部分は大方の国内施設だけである。1万5千マイル以上のケーブル網とコーンウォールポースカーノはケーブル・アンド・ワイヤレスの手に残された。この中には、セイロン島パキスタンおよび諸外国にある無線およびケーブル等の自己資産が含まれる。
  • 1956年 - イギリス郵政庁・AT&TCanadian Overseas Telecommunication Corporation の三者共同事業が、オーバン (スコットランド)-クラーレンヴィル間に世界初の大洋横断電話ケーブルTAT-1 を完成した。
  • 1962-1967年 - ケーブル・アンド・ワイヤレスがCOMPAC とSEACOM のために海底ケーブル敷設船Mercury を派遣。
  • 1969年 - 社史発行。A Century of Service Cable and Wireless Ltd. 1868-1968, Bournehall Press, London
  • 1975年 - 9月、OLUHOケーブルの建設保守協定を国際電信電話Eastern Telecommunications Philippines の三社間で合意。
  • 1980年 - マーガレット・サッチャー民営化方針が打ち出され、翌年に政府が保有株の半分を売却した。このときフェランティがケーブル・アンド・ワイヤレスの株式を取得するのをロスチャイルドがサポートした。
  • 1982年 - 2月、BTグループの対抗馬として、政府はケーブル・アンド・ワイヤレスの子会社マーキュリー・コミュニケーションズに通信事業をライセンス。バークレイズと英郵政庁もこの子会社に出資。
  • 1984年 - ケーブル・アンド・ワイヤレスがバークレイズと郵政庁保有のマーキュリー株を買い戻し。
  • 1987年ごろ - マーキュリーがTDX Systems を完全買収。
  • 2000年 - ケーブル・アンド・ワイヤレスがハイパーリンク・インタラクティブ(現・ウェブテクノロジーグループ)を買収。
  • 2001年 - 倒産したExodus Communications を買収。MP3.com も参照。
  • 2004年3月 - アメリカの国内事業を売却するが、国際通信ビジネスは継続。
  • 2004年8月 - 資金決済システムにおけるスイフトネット独自の運用コードと協調稼動していたことをケーブル・アンド・ワイヤレス側が発表。スイフト側は、こうした連携が産業での資金運用を分かりやすくしてくれるので、金融機関はスイフトネットを使った投資にレバレッジを一層かけやすくなるとコメントした[3]
  • 2004年10月 - 日本法人であったケーブル・アンド・ワイヤレスIDCは、国内事業部門のIDCをソフトバンクグループに売却。現IDCフロンティア
  • 2005年2月 - 日本法人をケーブル・アンド・ワイヤレス・ユーケーとする。日本支店を千代田区大手町に置き、国際通信サービスを提供中。
  • 2007年 - 2月、ウェブテクノロジーグループなどを売却。

脚注[ソースを編集]

  1. ^ Browning, Jonathan; Campbell, Matthew (2012年4月23日). “Vodafone Agrees to Buy Cable & Wireless for $1.7 Billion”. Bloomberg. http://www.bloomberg.com/news/2012-04-23/vodafone-agrees-to-buy-cable-wireless-for-1-7-billion.html 2012年6月9日閲覧。 
    同日付の日本語版では削られている。ブルームバーグ 英ボーダフォン、C&W買収で合意-1360億円規模 英ボーダフ 2012/04/23
  2. ^ Charles Bright "The Extension of Submarine Telegraphy in a Quarter-Century" Engineering Magazine December 1898, pp.417-420
  3. ^ Finextra Cable & Wireless goes live with Swift operating code for Real Time Nostro service 25 August 2004

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]