ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
座標: 北緯51度31分29秒 西経0度08分01秒 / 北緯51.524659度 西経0.133704度
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| モットー | Cuncti adsint meritaeque expectent praemia palmae | |||||||||||
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| モットー (英語) | Let all come who by merit deserve the most reward | |||||||||||
| 種別 | 公立 | |||||||||||
| 設立年 | 1826年 | |||||||||||
| Chancellor | アン王女(ロンドン大学) | |||||||||||
| Provost | マルコム・グラント | |||||||||||
| 基金 | 7,270万ポンド(2011年)[1] | |||||||||||
職員数 | 9,783人(2011年平均)[1] | |||||||||||
| 学生総数 | 23,250人[2] | |||||||||||
| 学部生 | 12,789人 | |||||||||||
| 大学院生 | 10,463人 | |||||||||||
| 所在地 |
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| 卒業生数 | 120,000 of whom 40,000 live overseas | |||||||||||
| スクールカラー |
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| 公式サイト | ucl.ac.uk | |||||||||||
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London, UCL)は、イギリスのロンドン市中心部ブルームズベリー及びカナリー・ワーフにキャンパスを置く、1826年設立のイギリスのトップ総合大学である。UCLはロンドン大学群最初の高等教育機関であるが、現在ではロンドン大学を構成する他の教育・研究機関同様、独立した学位授与機関である。イギリスの大規模研究型大学連盟ラッセル・グループおよびヨーロッパ研究大学連盟 (LERU) に加盟している。
現在までUCLは卒業生、教員、創立者から計29人のノーベル賞受賞者と3人のフィールズ賞受賞者を輩出している。
1859年にチャールズ・ダーウィンが「種の起源」を発表したことでも世界的に有名。日本では初代内閣総理大臣伊藤博文や五代友厚、森有礼などの明治維新に大きく影響を与えた人物達が学んだことで有名。近年の著名人では小泉純一郎総理大臣が留学したことでも知られている。
1899年、電気工学部にペンダー・チェアというポストがジョン・フレミングを初代に据えられた。これはケーブル・アンド・ワイヤレスをグリエルモ・マルコーニと共に誕生させたジョン・ペンダーを偲ぶものであり、現在も継承されている。
目次
概要[編集]
UCL(University College London)は、ロンドン大学(University of London)を構成する、イギリスを代表する研究志向の総合大学であり、ロンドン最大の高等教育機関である。UCLは、QS World University Rankings において、2007年以降、常に世界のトップ10以上の評価を受けている。現在までUCLは卒業生、教員、創立者から計29人のノーベル賞受賞者と3人のフィールズ賞受賞者を輩出している。
2003年8月、マルコム・グラント が学長に就任後、それまでイギリスの大学では稀だった、大学献金 (Fund Raising) のキャンペーンを行い、8,100万ポンド(約170億円)を拠出し、大学の財政状態を大きく好転させた。また、同学長は、就任以来UCLの研究志向型大 学への転換を推進し、学部教育よりも大学院教育を重視するようになった。Thomson ISIが2008年7月に発表したScience Citation Index では、自然科学分野の教員1人当たり論文の引用回数が、世界で13位とイギリスの大学でトップとなった。さらにGrantは、"London's Global University" を合言葉に、UCLのグローバル化を推進した。現在、世界140ヶ国以上の国から留学生を受け入れ、アメリカコロンビア大学・エール大学・ニューヨーク大学・テキサス大学、フランスのエコール・ノルマル・シュペリウール、日本の東京大学・一橋大学・早稲田大学・大阪大学など、世界中の大学との提携を実現させている。2006年1月には、UCLはヨーロッパ研究大学連盟 (LERU) の加盟校として招待されUCLはこれに合意した。イギリスでLERUに加盟を許可されている大学としては、オックスフォード大学・ケンブリッジ大学・エディンバラ大学に続く4校目である。
UCLは日本の近代化に大きな影響を与えた。人種や宗教といった入学制限がなかったことから、幕末から明治維新にかけて、松下村塾出身者や薩摩藩留学生を中心とする多くの日本人留学生がUCLで学び、明治政府の設立・発展に貢献した。現在の日本がイギリスと同じ議会制民主主義を採用しているのは、彼らがUCLに留学し学んだことの影響が大きい。UCLのメインキャンパス内の中庭には、当時の留学生の氏名を日本語で記した記念碑があり、その筆頭に伊藤博文の名前がある。さらに、夏目漱石が明治政府から派遣されてきたのもUCLであった。元首相の小泉純一郎もUCLに留学し、学位未取得のまま帰国したが、後年名誉学位を授与された。
歴史[編集]
UCLは1826年「ロンドン ユニヴァーシティ」(London University) の名称で設立された。哲学者ジェレミ・ベンサムがUCLの建学の父であり、UCLの発展に大きな影響を与えた。ベンサムは、高等教育の大衆化を強く唱え「すべての人に開かれた大学を」と、UCLを開学した。当時のオックスフォード大学・ケンブリッジ大学が、男性・イギリス国教徒・貴族出身者という差別的な入学条件を設けていたのに対して、UCLはイギリスで初めて平等な基準によって女性を受け入れ、宗教・政治的思想・人種による入学差別を撤廃した。このような歴史から、UCLは自由主義・平等主義の大学として知られている。
UCLは当初からユニヴァーシティ(カレッジとは区別される)として設立された。これに対して、既得権益を失うことを恐れたオックスフォード大学・ケンブリッジ大学は、様々な圧力をUCLにかけ、大学としての地位を剥奪しようとし、また、イングランド国教会は、その無宗教にもとづく設立を理由に、学位を授与するのに必要な王立憲章 (Royal Charter) を認可することに反対した。しかし、UCLは1836年11月28日に王立憲章を獲得し、ユニヴァーシティ・カレッジ、 ロンドン(University College, London) として大学法人の地位を得た。同日、UCLの修了生に対する学位の授与などを目的とするユニヴァーシティ・オヴ・ロンドン(University of London)の設立を認める王立憲章も出された。
このUCLの無宗教性は、イギリスと大学と学問の発展にも大きな影響を与えている。例えば、チャールズ・ダーウィンの『進化論』は、当時のキリスト教思想を真っ向から否定するこのとになるため、キリスト教研究を目的として設立された、オックスフォード大学・ケンブリッジ大学で発表することは許されなかった。したがってダーウィンは、当時唯一の無宗教大学のUCLで『進化論』を発表することになった。薩摩藩留学生が聴講生として学んだ1860年代半ばごろは、法文学部と医学部で構成され、学生総数はその2学部で約450名あり、これに予科が付属していた[3]。
このUCLの無宗教性は、現在でもUCLのキャンパス内の建築様式にも見て取ることができる。イギリス国内の多くの伝統校の建物が、教会建築に多く用いられる荘厳なゴシック様式であるのに対し、UCLの建物はモダンな様式であったり、一般の民家を改装したものが多く、非常に質素で経済的なものである。それはベンサムの大学の大衆化という思想を、キャンパスに反映させたものとされている。このような一種型破りなUCLの発展の歴史は、伝統校から多くの批判をうけ、現在でもイギリスでは、ある種独特な大学として認識されている。古くからUCLが、「ガウアー通りの無神論者」(Godless Scum of Gower Street) という有名な形容句で揶揄されてきたのも、こうした歴史背景からである。
また、UCLの平等主義は、イギリスで初めて学生自治会 (Students' Union) を生んだ。現在でも自治会の活動は非常に盛んで、多大な影響力をもっている。例えば2002年のUCLとインペリアル・カレッジ・ロンドンとの合併提案は、学生自治会の拒否権の発動により阻止された。
さらにUCLの自由主義は、新たな学問領域を広げる原動力になった。地理学、動物学、化学、応用化学、エジプト学、応用電気工学、英文学、フランス語、ドイツ語、イタリア語、パピルス古文書学、音声学は、UCLがイギリスで初めて大学教育を始めた分野である。このように、UCLの無宗教性・自由・平等主義は、イギリスの大学教育に多大な影響を与えた。
また、UCLの統計学部は歴史が古く、1911年にカール・ピアソンらが中心となって創設した応用統計学部(The Department of Applied Statistics)が起源となっている。フランシス・ゴルトン、チャールズ・スピアマン、ロナルド・フィッシャー、エゴン・ピアソンなどを輩出し、統計学の発展に大きく貢献している。
1907年、UCLはロンドン大学 (University of London) に移管され、一旦は独立法人としての地位を失った。この3年後の1910年には、キングス・カレッジ・ロンドン (King's College London, KCL) も同様にロンドン大学に吸収された。1977年、UCLは王立憲章によって再度独立法人となり、大学の名称がユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London) に改められた。
今日までに、多くのカレッジがロンドン大学に加盟し、現在では19のカレッジ・スクール・インスティトゥートからなる、巨大な大学連合となった。2005年9月に、UCLはロンドン大学連合から独立して学位を授与する権限を枢密院から認可された。現在UCLは、ロンドン大学連合の一員としての地位を維持しつつ、UCLの学位を授与している。ロンドン大学の中でもまたその位は一位を確立していると言っても過言は無い。
校風[編集]
UCLの自由主義の影響は、周辺地域にも及んでいる。特に有名なのは、ブルームズベリー・グループである。このブルームズベリーグループは、そのメンバーの多くがケンブリッジ大学内の「使徒会」「真夜中会」の会員から構成され、メンバーの住居は、UCL本校舎の裏にあるゴードンスクウェア周辺にあった。代表的なメンバーには、経済学者ジョン・メイナード・ケインズや文学者のリットン・ストレイチー、ヴァージニア・ウルフ、E・M・フォースター、芸術家のダンカン・グラント (Duncan Grant) 等がおり、彼らは大衆文化を幅広く支持し、宗教的な見方に囚われない、自由な生き方を共有した。
さらに、大学構内は一般市民に対してオープンにしており、大学構内のパブでは市民によるサッカー観戦が盛んで、ブルームズベリー劇場では定期的に演劇が上演され、多くの市民が鑑賞にやってくる。また、学生寮にも週末限定のパブがあり、学生によるバンド演奏も催されている。こうした、UCLの大衆文化の受け入れは、『グラディエーター』、『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』、『バットマン ビギンズ』、『アイズ ワイド シャット』、『インセプション』等の多くのハリウッド映画の撮影をキャンパスに呼び込み(Filming at UCLを参照)、UCLの学生で結成されたロックバンド、コールドプレイを育む土壌になった。
組織[編集]
世界的評価[編集]
UCLは世界の主要大学ランキングにおいて、常に世界トップクラスの評価を受けている。
| 2018 | 2017 | 2016 | 2015 | 2014 | 2013 | 2012 | 2011 | 2010 | 2009 | 2008 | 2007 | 2006 | 2005 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| QS 世界大学ランキング | 7位 | 7位 | 7位[4] | 7位[5] | 5位[6] | 4位[7] | 4位[8] | 7位[9] | 4位[10] | 4位[11] | 7 位[12] | 9 位[13] | 25位[14] | 28位[15] |
| THE-TR 世界大学ランキング | 16位 | 15位 | 15位[16] | 14位[17] | 22位[18] | 21位[19] | 17位[20] | 17位[21] | 22位[22] | |||||
| 世界大学学術ランキング(ARWU) | 17位 | 16位 | 17位[23] | 18位[24] | 20位[25] | 21位[26] | 21位[27] | 20位[28] | 21位[29] | 21位[30] | 22位[31] | 25位[32] | 26位[33] | 26位[34] |
ノーベル賞受賞者[編集]
UCLはこれまでに29名のノーベル賞受賞者を輩出している。
- 1904 ウィリアム・ラムゼー(化学賞)
- 1913 ラビンドラナート・タゴール(文学賞)
- 1915 ヘンリー・ブラッグ(物理学賞)
- 1921 フレデリック・ソディ(化学賞)
- 1922 アーチボルド・ヒル(医学生理学賞)
- 1928 オーエン・リチャードソン(物理学賞)
- 1929 フレデリック・ホプキンズ(医学生理学賞)
- 1936 ヘンリー・ハレット・デール(医学生理学賞)
- 1936 オットー・レーヴィ (医学生理学賞)
- 1939 コルネイユ・ハイマンス (医学生理学賞)
- 1944 オットー・ハーン(化学賞)
- 1947 ロバート・ロビンソン(化学賞)
- 1955 ヴィンセント・デュ・ヴィニョー(化学賞)
- 1959 ヤロスラフ・ヘイロフスキー(化学賞)
- 1960 ピーター・メダワー(医学生理学賞)
- 1962 フランシス・クリック(医学生理学賞)
- 1963 アンドリュー・フィールディング・ハクスリー(医学生理学賞)
- 1967 ジョージ・ポーター (化学賞)
- 1970 ベルンハルト・カッツ(医学生理学賞)
- 1970 ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー(医学生理学賞)
- 1988 ジェームス・ブラック(医学生理学賞)
- 1991 ベルト・ザクマン(医学生理学賞)
- 2000 ジェームズ・ヘックマン (経済学賞)
- 2001 ポール・ナース (医学生理学賞)
- 2007 マーティン・エヴァンズ(医学生理学賞)
- 2009 チャールズ・カオ(物理学賞)
- 2013 ピーター・ヒッグス (物理学賞)
- 2013 ジェームズ・ロスマン (医学生理学賞)
- 2014 ジョン・オキーフ (医学生理学賞)
主な関係者[編集]
自然科学[編集]
- チャールズ・ロバート・ダーウィン(1809年 - 1882年、イギリス自然科学者、UCLで『種の起源』初発表)
- オーガスタス・ド・モルガン(1806年 - 1871年、イギリスの数学者、ド・モルガンの法則発案者、元UCL数学教授)
- ジェームス・ジョセフ・シルベスター(1814年 - 1897年、イギリスの数学者、元UCL数学教授)
- フランシス・ゴルトン(1822年 - 1911年、イギリスの遺伝学者、人類学者、統計学者、探検家)
- アレキサンダー・ウィリアムソン(1824年 - 1904年、イギリスの化学者、元UCL化学部教授)
- アレクサンダー・グラハム・ベル(1847年 - 1922年、科学者、発明家、UCL卒業生)
- ジョン・アンブローズ・フレミング(1849年 - 1945年、イギリスの物理学者、フレミングの左手の法則、右手の法則考案者、元UCL電気工学教授)
- カール・ピアソン(1857年 - 1936年、イギリスの数理統計学者、優生学者、記述統計学の大成者、元UCL応用数学教授)
- アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(1861年 - 1947年、イギリスの数学者、哲学者、元UCL物理学部教授)
- ロナルド・フィッシャー(1890年 - 1962年、イギリスの統計学者、進化生物学者、遺伝学者、元UCL優生学教授)
- エゴン・ピアソン(1895年 - 1980年、イギリスの数理統計学者)
- ユージン・ラビノウィッチ(1901年 - 1973年、アメリカの化学・生物物理学者、マンハッタン計画における原子爆弾開発)
- エドワード・テラー(1908年 - 2003年、アメリカの物理学者、アメリカの「水爆の父」)
- クラウス・フリードリッヒ・ロス(1925年 -、イギリスの数学者、1958年フィールズ賞)
- ピーター・ヒッグス(1929年 -、イギリスの理論物理学者、2004年ウルフ賞)
- アラン・ベイカー(1939年 -、イギリスの数学者、フィールズ賞受賞)
- ジョスリン・ベル・バーネル(1943年 -、イギリスの天文学者、英国物理学会会長)
- ウィリアム・ティモシー・ガワーズ(1963年 -、イギリスの数学者、フィールズ賞受賞、元UCL数学講師)
- 松井智子(日本の認知科学者、東京学芸大学教授、元京都大学霊長類研究所准教授、UCL博士)
人文・社会科学[編集]
- ジョン・オースティン (1790年 - 1859年、イギリスの法哲学者、元UCL法学部教授)
- アントニオ・パニッツィ (1797年 - 1879年、大英博物館図書館の司書、大英博物館第6代館長、元UCLイタリア語教授)
- ジョン・スチュアート・ミル (1806年 - 1873年、イギリスの哲学者、経済学者)
- ウォルター・バジョット (1826年 - 1877年、イギリスのジャーナリスト、評論家、『エコノミスト』紙の元編集長)
- ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ (1835年 - 1882年、イギリスの経済学者、論理学者)
- ハーマン・ゴランツ (1852年 - 1930年、元UCLヘブライ語教授)
- チャールズ・スピアマン (1863年-1945年、イギリスの心理学者、因子分析の開拓者、スピアマンの順位相関係数の開発者)
- アルナルド・モミリアーノ (1908年 - 1987年、イタリアの歴史学者)
- アルフレッド・エイヤー (1910年-1989年、イギリスの哲学者、論理実証主義の代表者)
- メアリー・ダグラス (1921年 - 2007年、イギリスの社会人類学、文化人類学者)
- バーナード・ウィリアムズ (1929年-2003年、イギリスの哲学者、元UCL哲学教授)
- バーナード・クリック (1929年 - 2008年、イギリスの政治学者、UCL卒業生)
- ロナルド・ドウォーキン (1931年 -、アメリカの法哲学者、現UCL法学部教授)
- ジョン・ゴールドソープ (1935年 -、イギリスの社会学者、社会階層論、卒業生)
- ジェラルド・コーエン (1941年-2009年、カナダの哲学者、元UCL哲学科准教授)
- 山内進 (1949年-、日本の法制史学者、一橋大学名誉教授、元UCL客員教授)
政治家・官僚[編集]
- 伊藤博文(1841年 - 1909年、初代・第5代・7代・10代大日本帝国内閣総理大臣)
- 井上馨 (1836年 - 1915年、日本の武士、政治家、実業家、長州五傑の一人)
- 寺島宗則 (1832年 - 1893年、明治時代の政治家)
- 遠藤謹助 (1836年 - 1893年、明治時代の官僚、長州五傑の一人)
- 山尾庸三 (1837年 - 1917年、長州五傑の一人、東京大学工学部の前身となる工学寮を創設)
- アーネスト・サトウ(1843年 - 1929年、イギリスの外交官、駐日英国公使、UCL卒業生)
- 森有礼 (1847年 - 1889年、日本の武士、外交官、政治家、一橋大学創設者、初代文部大臣)
- 伍廷芳 (1842年 - 1922年、清の外交官、政治家)
- トマーシュ・マサリク (1850年 - 1937年、チェコの社会学者、哲学者、政治家、チェコスロヴァキア共和国の初代大統領)
- マハトマ・ガンディー(1869年 - 1948年、宗教家、政治家、法律)
- スタッフォード・クリップス(1889年 - 1952年、イギリスの政治家、外交官)
- ジョモ・ケニヤッタ (1893年 - 1978年、ケニアの初代首相)
- ヒュー・ゲイツケル (1906年 - 1963年、イギリスの政治家)
- ハイム・ヘルツォーグ (1918年 - 1997年、元イスラエル大統領)
- ネルソン・マンデラ(1918年 - 、政治家、元南アフリカ大統領、通信教育により、獄中で学位を取得)
- 小泉純一郎(1942年 - 、第87・88・89代日本国内閣総理大臣)
- ジョン・リード (1947年 -、イギリスの政治家、セルティックFCの会長)
文学・芸術[編集]
- 夏目漱石 (1867年 - 1916年、文学者・作家、UCLで英文学の授業を聴講[35])
- 桜井小太郎 (1870年 - 1953年、建築家)
- ダン・ジェイコブソン (1929年 -、南アフリカの作家、小説家)
- A・S・バイアット (1938年 -、イギリスの小説家)
- アラン・ホリングハースト (1954年 -、イギリスの小説家)
- ラビンドラナート・タゴール(1861年 - 1941年、詩人、思想家、ノーベル文学賞を受賞)
- ロバート・ブラウニング (1812年 - 1889年、イギリスの詩人)
- ロジャー・フライ (1866年 - 1934年、イギリスの画家、芸術批評家)
- ギルバート・ケイス・チェスタートン (1874年 - 1936年、イギリスの作家、評論家)
- ベン・ニコルソン (1894年 - 1982年、イギリスの画家)
- ルシアン・フロイド (1922年 -、イギリスの画家)
- エドゥアルド・パオロッツィ (1924年 - 2005年、イギリスの彫刻家、美術家)
- レイモンド・ブリッグズ (1934年 -、イギリスのイラストレーター、漫画家、作家)
- アントニー・ゴームリー (1950年 -、イギリスの彫刻家)
映画・音楽[編集]
- グスターヴ・ホルスト (1874年 - 1934年、イギリスの作曲家)
- リッキー・ジャーヴェイス (1961年 -、イギリスの俳優、コメディアン、脚本家)
- クリストファー・ノーラン(1970年 -、映画監督、映画プロデューサー、脚本家)
- コールドプレイのメンバー(クリス・マーティン、ジョニー・バックランド、ガイ・ベリーマン)
その他[編集]
- オーレル・スタイン(1862年 - 1943年、探検家)
- コーリン・チャップマン (1928年 - 1982年、イギリスのデザイナー、発明家、ロータス・カーズの設立者)
- スチュアート・チェンバース(1956年 - 、ピルキントン社長、日本板硝子社長、ARMホールディングス会長等歴任)
- パトリック・ヘッド (1945年 -、ウィリアムズF1チーム共同創設者)
キャンパス[編集]
大学の大部分はロンドン中心部のブルームズベリー地区、ガウアー・ストリート沿いに位置している。ブルームズベリー地区周辺は有名な文化施設が集積しており、代表的なものとして大英博物館や大英図書館がある。また、ロンドン大学群に所属する学校・研究施設も多数あり、スクール・オブ・オリエンタル・アンド・アフリカン・スタディーズ (SOAS)、バークベック・カレッジ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) などがある。地下鉄の最寄駅は、ユーストン駅、ユーストン・スクエア駅、ウォーレン・ストリート駅である。
キャスリーン・ロンズデール・ビルディング(自然科学系校舎)
日本の大学との関係[編集]
交換留学提携校[編集]
学術交流協定校[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ a b “Annual Report and Financial Statements for the year ended 31 July 2011”. UCL. 2012年3月15日閲覧。
- ^ http://unistats.direct.gov.uk
- ^ 『薩摩と西欧文明: ザビエルそして洋学、留学生』ザビエル渡来450周年記念シンポジウム委員会図書出版 南方新社, 2000
- ^ http://www.topuniversities.com/university-rankings/world-university-rankings/2016
- ^ “THES - QS World University Rankings”. 2015年10月3日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings”. 2012年10月23日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings”. 2011年12月23日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings”. 2010年12月23日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings”. 2010年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月12日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings”. 2008年10月9日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings”. 2007年12月24日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings 2006”. THES. 2007年11月3日閲覧。
- ^ “THES - QS World University Rankings 2005”. THES. 2007年11月3日閲覧。
- ^ https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2017/world-ranking#!/page/0/length/25/sort_by/rank/sort_order/asc/cols/stats
- ^ “THE World University Rankings”. 2015年10月3日閲覧。
- ^ “THE World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
- ^ “THE World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
- ^ “THE World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
- ^ “THE World University Rankings”. 2012年6月3日閲覧。
- ^ “THE World University Rankings”. 2011年6月3日閲覧。
- ^ http://www.shanghairanking.com/ARWU2016.html
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2015
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2014
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2013
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2012
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2011
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2010
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2009
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2008 Archived 2008年8月22日, at the Wayback Machine.
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2007
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2006
- ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2005
- ^ 中村久司『観光コースでないロンドン イギリス2000年の歴史を歩く』高文研、2014年、162頁。ISBN 978-4-87498-548-9。
外部リンク[編集]
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