ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン

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座標: 北緯51度31分29秒 西経0度08分01秒 / 北緯51.524659度 西経0.133704度 / 51.524659; -0.133704

University College London
UCL Crest.svg
校訓 Cuncti adsint meritaeque expectent praemia palmae
Motto in English
Let all come who by merit deserve the most reward
学校種別 公立
設立年 1826年
理事長 アン王女ロンドン大学
副学長 マルコム・グラント
基金 7,270万ポンド(2011年)[1]
理事会人数
9,783人(2011年平均)[1]
学生数 23,250人[2]
学部生数 12,789人
大学院生数 10,463人
位置
卒業生数 120,000 of whom 40,000 live overseas
スクールカラー
                     
ウェブサイト ucl.ac.uk
主要校舎外観

ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンUniversity College London, UCL)は、イギリスロンドン市中心部ブルームズベリーに本部を置く、1826年設立の大学である。UCLはロンドン大学最初の高等教育機関であるが、現在ではロンドン大学を構成する他の教育・研究機関同様、独立した学位授与機関である。イギリスの大規模研究型大学連盟ラッセル・グループおよびヨーロッパ研究大学連盟 (LERU) に加盟している。

1899年、電気工学部にペンダー・チェアというポストがジョン・フレミングを初代に据えられた。これはケーブル・アンド・ワイヤレスグリエルモ・マルコーニと共に誕生させたジョン・ペンダーを偲ぶものであり、現在も継承されている。

概要[編集]

UCL(University College London)は、ロンドン大学(University of London)を構成する、イギリスを代表する研究志向の総合大学であり、ロンドン最大の高等教育機関である。UCLは、QS World University Rankings において、2007年以降、常に世界のトップ10以上の評価を受けている。現在までUCLは卒業生、教員、創立者から計29人のノーベル賞受賞者と3人のフィールズ賞受賞者を輩出している。

2003年8月、マルコム・グラント英語版 が学長に就任後、それまでイギリスの大学では稀だった、大学献金 (Fund Raising) のキャンペーンを行い、8,100万ポンド(約170億円)を拠出し、大学の財政状態を大きく好転させた。また、同学長は、就任以来UCLの研究志向型大 学への転換を推進し、学部教育よりも大学院教育を重視するようになった。Thomson ISI英語版2008年7月に発表したScience Citation Index では、自然科学分野の教員1人当たり論文の引用回数が、世界で13位とイギリスの大学でトップとなった。さらにGrantは、"London's Global University" を合言葉に、UCLのグローバル化を推進した。現在、世界140ヶ国以上の国から留学生を受け入れ、アメリカコロンビア大学エール大学ニューヨーク大学テキサス大学、フランスのエコール・ノルマル・シュペリウール、日本の東京大学一橋大学早稲田大学大阪大学など、世界中の大学との提携を実現させている。2006年1月には、UCLはヨーロッパ研究大学連盟 (LERU) の加盟校として招待されUCLはこれに合意した。イギリスでLERUに加盟を許可されている大学としては、オックスフォード大学ケンブリッジ大学エディンバラ大学に続く4校目である。

UCLは日本の近代化に大きな影響を与えた。人種や宗教といった入学制限がなかったことから、幕末から明治維新にかけて、松下村塾出身者や薩摩藩留学生を中心とする多くの日本人留学生がUCLで学び、明治政府の設立・発展に貢献した。現在の日本がイギリスと同じ議会制民主主義を採用しているのは、彼らがUCLに留学し学んだことの影響が大きい。UCLのメインキャンパス内の中庭には、当時の留学生の氏名を日本語で記した記念碑があり、その筆頭に伊藤博文の名前がある。さらに、夏目漱石が明治政府から派遣されてきたのもUCLであった。元首相の小泉純一郎もUCLに留学し、学位未取得のまま帰国したが、後年名誉学位を授与された。

歴史[編集]

UCLは1826年「ロンドン ユニヴァーシティ」(London University) の名称で設立された。哲学者ジェレミ・ベンサムがUCLの建学の父であり、UCLの発展に大きな影響を与えた。ベンサムは、高等教育の大衆化を強く唱え「すべての人に開かれた大学を」と、UCLを開学した。当時のオックスフォード大学ケンブリッジ大学が、男性・イギリス国教徒貴族出身者という差別的な入学条件を設けていたのに対して、UCLはイギリスで初めて平等な基準によって女性を受け入れ、宗教・政治的思想・人種による入学差別を撤廃した。このような歴史から、UCLは自由主義平等主義の大学として知られている。

UCLは当初からユニヴァーシティ(カレッジとは区別される)として設立された。これに対して、既得権益を失うことを恐れたオックスフォード大学・ケンブリッジ大学は、様々な圧力をUCLにかけ、大学としての地位を剥奪しようとし、また、イングランド国教会は、その無宗教にもとづく設立を理由に、学位を授与するのに必要な王立憲章 (Royal Charter) を認可することに反対した。しかし、UCLは1836年11月28日に王立憲章を獲得し、ユニヴァーシティ・カレッジ、 ロンドン(University College, London) として大学法人の地位を得た。同日、UCLの修了生に対する学位の授与などを目的とするユニヴァーシティ・オヴ・ロンドン(University of London)の設立を認める王立憲章も出された。

1827年頃に描かれたUCL

このUCLの無宗教性は、イギリスと大学と学問の発展にも大きな影響を与えている。例えば、チャールズ・ダーウィン『進化論』は、当時のキリスト教思想を真っ向から否定するこのとになるため、キリスト教研究を目的として設立された、オックスフォード大学・ケンブリッジ大学で発表することは許されなかった。したがってダーウィンは、当時唯一の無宗教大学のUCLで『進化論』を発表することになった。薩摩藩留学生が聴講生として学んだ1860年代半ばごろは、法文学部と医学部で構成され、学生総数はその2学部で約450名あり、これに予科が付属していた[3]

このUCLの無宗教性は、現在でもUCLのキャンパス内の建築様式にも見て取ることができる。イギリス国内の多くの伝統校の建物が、教会建築に多く用いられる荘厳なゴシック様式であるのに対し、UCLの建物はモダンな様式であったり、一般の民家を改装したものが多く、非常に質素で経済的なものである。それはベンサムの大学の大衆化という思想を、キャンパスに反映させたものとされている。このような一種型破りなUCLの発展の歴史は、伝統校から多くの批判をうけ、現在でもイギリスでは、ある種独特な大学として認識されている。古くからUCLが、「ガウアー通りの無神論者」(Godless Scum of Gower Street) という有名な形容句で揶揄されてきたのも、こうした歴史背景からである。

また、UCLの平等主義は、イギリスで初めて学生自治会 (Students' Union) を生んだ。現在でも自治会の活動は非常に盛んで、多大な影響力をもっている。例えば2002年のUCLとインペリアル・カレッジ・ロンドンとの合併提案は、学生自治会の拒否権の発動により阻止された。

さらにUCLの自由主義は、新たな学問領域を広げる原動力になった。地理学動物学化学応用化学エジプト学応用電気工学英文学フランス語ドイツ語イタリア語パピルス古文書学音声学は、UCLがイギリスで初めて大学教育を始めた分野である。このように、UCLの無宗教性・自由・平等主義は、イギリスの大学教育に多大な影響を与えた。

また、UCLの統計学部は歴史が古く、1911年にカール・ピアソンらが中心となって創設した応用統計学部(The Department of Applied Statistics)が起源となっている。フランシス・ゴルトンチャールズ・スピアマンロナルド・フィッシャーエゴン・ピアソンなどを輩出し、統計学の発展に大きく貢献している。

1907年、UCLはロンドン大学 (University of London) に移管され、一旦は独立法人としての地位を失った。この3年後の1910年には、キングス・カレッジ・ロンドン (King's College London, KCL) も同様にロンドン大学に吸収された。1977年、UCLは王立憲章によって再度独立法人となり、大学の名称がユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London) に改められた。

今日までに、多くのカレッジがロンドン大学に加盟し、現在では19のカレッジ・スクール・インスティトゥートからなる、巨大な大学連合となった。2005年9月に、UCLはロンドン大学連合から独立して学位を授与する権限を枢密院から認可された。現在UCLは、ロンドン大学連合の一員としての地位を維持しつつ、UCLの学位を授与している。ロンドン大学の中でもまたその位は一位を確立していると言っても過言は無い。

校風[編集]

UCLの自由主義の影響は、周辺地域にも及んでいる。特に有名なのは、ブルームズベリー・グループである。このブルームズベリーグループは、そのメンバーの多くがケンブリッジ大学内の「使徒会」「真夜中会」の会員から構成され、メンバーの住居は、UCL本校舎の裏にあるゴードンスクウェア周辺にあった。代表的なメンバーには、経済学者ジョン・メイナード・ケインズ文学者リットン・ストレイチーヴァージニア・ウルフE・M・フォースター芸術家ダンカン・グラント (Duncan Grant) 等がおり、彼らは大衆文化を幅広く支持し、宗教的な見方に囚われない、自由な生き方を共有した。

さらに、大学構内は一般市民に対してオープンにしており、大学構内のパブでは市民によるサッカー観戦が盛んで、ブルームズベリー劇場では定期的に演劇が上演され、多くの市民が鑑賞にやってくる。また、学生寮にも週末限定のパブがあり、学生によるバンド演奏も催されている。こうした、UCLの大衆文化の受け入れは、『グラディエーター』『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』『バットマン ビギンズ』『アイズ ワイド シャット』、『インセプション』等の多くのハリウッド映画の撮影をキャンパスに呼び込み(Filming at UCLを参照)、UCLの学生で結成されたロックバンドコールドプレイを育む土壌になった。

組織[編集]

世界的評価[編集]

UCLは世界の主要大学ランキングにおいて、常に世界トップクラスの評価を受けている。

主要な世界大学ランキングにおける結果
2016 2015 2014 2013 2012 2011 2010 2009 2008 2007 2006 2005
QS 世界大学ランキング 7[4] 7[5] 5[6] 4[7] 4[8] 7[9] 4[10] 4[11] 7 [12] 9 [13] 25[14] 28[15]
THE-TR 世界大学ランキング 15[16] 14[17] 22[18] 21[19] 17[20] 17[21] 22[22]
世界大学学術ランキング(ARWU) 17[23] 18[24] 20[25] 21[26] 21[27] 20[28] 21[29] 21[30] 22[31] 25[32] 26[33] 26[34]

ノーベル賞受賞者[編集]

UCLはこれまでに29名のノーベル賞受賞者を輩出している。

主な関係者[編集]

自然科学[編集]

人文・社会科学[編集]

政治家・官僚[編集]

文学・芸術[編集]

映画・音楽[編集]

その他[編集]

キャンパス[編集]

大学の大部分はロンドン中心部のブルームズベリー地区、ガウアー・ストリート沿いに位置している。ブルームズベリー地区周辺は有名な文化施設が集積しており、代表的なものとして大英博物館大英図書館がある。また、ロンドン大学群に所属する学校・研究施設も多数あり、スクール・オブ・オリエンタル・アンド・アフリカン・スタディーズ (SOAS)、バークベック・カレッジロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) などがある。地下鉄の最寄駅は、ユーストン駅ユーストン・スクエア駅ウォーレン・ストリート駅である。

日本の大学との関係[編集]

交換留学提携校[編集]

学術交流協定校[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Annual Report and Financial Statements for the year ended 31 July 2011”. UCL. 2012年3月15日閲覧。
  2. ^ http://unistats.direct.gov.uk
  3. ^ 『薩摩と西欧文明: ザビエルそして洋学、留学生』ザビエル渡来450周年記念シンポジウム委員会図書出版 南方新社, 2000
  4. ^ http://www.topuniversities.com/university-rankings/world-university-rankings/2016
  5. ^ THES - QS World University Rankings”. 2015年10月3日閲覧。
  6. ^ THES - QS World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
  7. ^ THES - QS World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
  8. ^ THES - QS World University Rankings”. 2012年10月23日閲覧。
  9. ^ THES - QS World University Rankings”. 2011年12月23日閲覧。
  10. ^ THES - QS World University Rankings”. 2010年12月23日閲覧。
  11. ^ THES - QS World University Rankings”. 2010年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月12日閲覧。
  12. ^ THES - QS World University Rankings”. 2008年10月9日閲覧。
  13. ^ THES - QS World University Rankings”. 2007年12月24日閲覧。
  14. ^ THES - QS World University Rankings 2006”. THES. 2007年11月3日閲覧。
  15. ^ THES - QS World University Rankings 2005”. THES. 2007年11月3日閲覧。
  16. ^ https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2017/world-ranking#!/page/0/length/25/sort_by/rank/sort_order/asc/cols/stats
  17. ^ THE World University Rankings”. 2015年10月3日閲覧。
  18. ^ THE World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
  19. ^ THE World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
  20. ^ THE World University Rankings”. 2015年3月18日閲覧。
  21. ^ THE World University Rankings”. 2012年6月3日閲覧。
  22. ^ THE World University Rankings”. 2011年6月3日閲覧。
  23. ^ http://www.shanghairanking.com/ARWU2016.html
  24. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2015
  25. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2014
  26. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2013
  27. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2012
  28. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2011
  29. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2010
  30. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2009
  31. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2008 Archived 2008年8月22日, at the Wayback Machine.
  32. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2007
  33. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2006
  34. ^ Academic Ranking of World Universities by Shanghai Jiao Tong University 2005

外部リンク[編集]