吉田清治 (文筆家)
吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 - 2000年(平成12年)7月30日[1][2])は福岡県出身とされる文筆家。
1980年代に、大東亜戦争(太平洋戦争)の最中、軍令で朝鮮人女性を強制連行(「慰安婦狩り」)し日本軍の慰安婦にしたと「告白」。これがメディア、特に朝日新聞に長らく真実として取り上げられたことにより、国際問題化している「慰安婦問題」醸成の大きなきっかけとなった。しかし、後の追跡調査では吉田の証言の客観的な裏付けは取れず、寧ろ反証が得られるなど矛盾点を指摘されるなか、1995年になって自らの証言が主張を織り交ぜた創作であることを認めた。その後、1998年頃を最後に消息が長らく不明だったが、2014年になって既に2000年7月に死去していたことが判明している[3]。その来歴には謎が多い(後述)。
略歴
後述するように、吉田の出自や経歴は時と場所で頻繁に内容が変わったり、矛盾が多く含まれており、はっきりとしていない。
新聞では1983年段階で70歳と報道されており、生年月日は1913年10月15日としている。また、本人の著作では本籍地を山口県と自称していた[4]が、実際には福岡県芦屋町西浜であるという。門司市立商業学校(現・福岡県立門司大翔館高等学校)の卒業生名簿に、吉田清治の本名とされる「吉田雄兎」の名があり、それによると1931年に同校を卒業したことになるが、卒業生名簿には「死亡」と記されている。2014年8月5日、朝日新聞が吉田証言にもとづく過去に報道を誤報と認めた後、同年8月28日付けの読売新聞は、2014年時点で60歳代の吉田の長男によると、1977年の吉田の著書『朝鮮人慰安婦と日本人』(人物往来社刊)執筆の際、出版社とのやりとりの中で本名「雄兎(ゆうと)」ではなく、ペンネーム「清治」を使うこととなった、また著書出版により「これで家計が楽になる」と語ったのを記憶している、などと報じている[5]。
吉田の自著では、東京の大学を出て、1937年に満州国地籍整理局に就職したことが記されている[6]。地籍整理局への就職については裏付けがとれているが、学歴については朝日新聞が法政大学卒業と報じ、1990年の『著作権台帳』にも法大卒とあるが、吉田自身、秦郁彦に対しては法大中退と述べ、1996年3月27日、勤労しつつ法政大学専門部法科に在籍したことを秦に対して説明している。しかし実際には、法政大学の在籍記録には吉田の名は掲載されていない[7]。
また、1937年4月30日(当時の吉田は23歳独身)、朝鮮人男性を養子としている。吉田の著書によると、その男性は1938年9月1日に戦死したとのことである[8]が、秦らの調査によって、この男性は1917年生まれ(吉田の4歳下)で、1942年に結婚し、戦後九州で労組運動の幹部として活動した後、1983年に死亡したことが明らかとなっている[9]。
吉田によれば、1939年から翌年にかけて中華航空上海支店に勤務したことになっている[6]が、上杉千年の調べでは1992年5月の中華航空社員会で吉田を記憶する者がいなかったという[10]。吉田の自著によれば、1940年6月、吉田は朝鮮独立運動の首領で日本民間人を殺害した金九を輸送したかどで憲兵に逮捕され、軍法会議で懲役2年の刑を受けたという[11]。これによれば、1942年6月に諫早刑務所(別書には南京の刑務所)を出所している[11]。ただし、吉田本人は1996年秦郁彦に対し、金九ではなく中華民国重慶軍の大佐だったと訂正、罪名についても阿片密輸にからむ「軍事物資横領罪」であることを告白している[12]。
その後1942年9月には同郷の先輩の世話で労務報国会下関支部動員部長になった[13][14]ということだが、これについては、中川八洋が2年間刑務所にあった「前科者」が、出所後すぐに内務省系団体の動員部長に任用されることはありえないと指摘し、もし彼が中華航空の社員であったのならば、民間人である吉田が軍人・兵士を対象とする軍法会議にかけられるはずがないとして、その説明が虚偽であることを検証している[15]。ただし、吉田が労務報国会下関支部に在籍していたことは事実で、これについては、複数名、吉田の勤務を記憶している人がいた。吉田が済州島で慰安婦狩りをしたというのはこの時期のことであるが、当時の朝鮮総督府管内には、朝鮮労務協会や内地の労報に相当する労務報国会があったため、労務調達のため内地の労報支部員が直接出向いて徴集しなければならない理由はなかった[16]。また、吉田の陳述では、西部軍 → 山口県知事 → 下関警察署長 → 吉田のラインで労務調達の命令が下されたとしているが、当時、このような命令系統は存在しなかった。なお、吉田は「元日本軍人」という肩書で公の場に出ていたが、労務報国会は日本軍とは関係なく詐称である。
報道ステーションが長男に取材した結果によると、吉田は戦後下関市で肥料会社を興し、朝鮮戦争の特需もあって一時期は羽振りがよかったという[17]。しかし、10数年後には会社をたたんで生活が苦しくなり、そのような中で原稿用紙を買ってきては週刊誌に投稿するなど執筆活動を始めたという[17]。
まず、1963年、週刊朝日で公募された手記「私の八月十五日」において、吉田東司名義で書いた下関での労務調達風景が佳作となり賞金5000円を得る[18]。他にも、栄司の別名がある[19]。
1977年、新人物往来社刊『朝鮮人慰安婦と日本人』を出版。そこでは、慰安婦狩り(強制連行)の話は出てこず、朝鮮人地区の女性が慰安婦を中継ぎする話になっている[20]。慰安婦狩りの話が出てくるのは1982年の講演であり、1982年9月2日朝日新聞大阪版では、吉田が慰安婦狩りの内容を講演した旨が採り上げられている。翌1983年、二作目となる三一書房刊『私の戦争犯罪』を出版。そこでは、1943年5月15日付の西部軍動員命令によって5月17日に下関港を出発し、翌日済州島に着いて、兵士10人の応援で205人の婦女子を慰安婦要員として強制連行したとし[21]、その要点は妻の日記に記載されているとした[22]。しかし、吉田が結婚したのは翌1944年のことである。その点を秦によって指摘されると事実上の結婚と入籍が異なると釈明し、事実上の結婚はいつだったのかと指摘されると昭和16年かなと答えたという[23]。しかし、昭和16年は自著によると服役中であることも指摘されている[24]。
終戦後の1947年(昭和22年)に、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが[25]落選したという経歴を持つ[26]。
吉田証言
1982年(昭和57年)以降、吉田は戦時中に済州島などでアフリカの奴隷狩りのように若い朝鮮人女性を軍令で捕獲・拉致し、強制連行したと著書や新聞や講演などで語り[27]、日本、韓国、アメリカなどで、何度もそのことを証言して来た。自著では当時の命令書の内容まで詳細に記載している。
これについて済州島の「済州新聞」が追跡調査し、当時そうした「慰安婦狩り」を住民が聞いた事がないという証言を得て、吉田証言は事実ではないと報道。その後、秦郁彦らも追跡調査を行い、同様の結論にいたった[28]。
1993年5月、それに対し慰安婦制度を批判している吉見義明が吉田を訪ね積極的に反論するよう勧めたが、吉田は「日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるのでできない」としたうえで「回想には日時や場所を変えた場合もある」と発言したため、吉田の回想は証言としては使えないと吉見は確認した[29]。こうして、吉田本人も創作を交えたので事実ではないことを認め、その後も真実は明かしていないため、吉見義明の他にも上杉聰(日本の戦争責任資料センター事務局長)[30]も「吉田証言」は歴史証言としては採用できないとしている[31]。
1983年(昭和58年)以降、吉田証言を16回にわたって記事にしてきた朝日新聞は、2014年8月5日に吉田証言を虚偽と判断して、すべての記事を取り消した[2][32][33]。共同通信も7回にわたって吉田証言を記事にしていたが、1992年(平成4年)頃より識者らの間で信ぴょう性に疑問を呈する声が出だしたため、1992年(平成4年)を最後に記事としての取り上げるのを止めている[34]。2014年(平成26年)11月17日には、北海道新聞が朝刊1面に「『吉田証言』報道をおわびします」と題して社告を掲載し、1991年(平成3年)11月から1993年(平成5年)9月にかけて8回(うち1回は共同通信配信の記事)を掲載したが、そのすべてを取り消すとしている[35]。
2014年(平成26年)12月23日、朝日新聞は8月の検証紙面で16本を取り消して以降、再調査でほかにも虚偽証言に基づく記事が見つかったとして吉田清治への取材から「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」と報じた記事など追加で2本取り消し、朝日新聞の一連の記事取り消しは計18本となった[36][37]。
2014年(平成26年)に朝日新聞が記事を取り消したことで日本国内では吉田証言を史実とみなす向きはなくなったが、しかしこの間、吉田証言は、1992年(平成4年)の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書や1996年(平成8年)の国連人権委員会のクマラスワミ報告や1998年のマクドゥーガル報告書でも慰安婦強制連行の証拠として採用された[38][39][40][41]。また、これら報告はその後も修正されていない[38]。2006年の米下院が慰安婦問題で対日非難決議案を審議する際の資料とされた同議会調査局の報告書でも「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として「吉田証言」が明記された[39]。その後、日本側の批判を受けて、2007年の改訂版では「吉田証言」が削除された[39]。しかし、2007年2月25日の決議案審議のための公聴会の時点ではこの吉田証言に基づいた資料を判断材料としたうえで、6月26日にアメリカ合衆国下院121号決議が可決した[39]。さらに2011年8月30日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が日本軍慰安婦被害者の賠償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは憲法違憲」と判決した際にも事実認定としてクマラスワミ報告、マクドゥーガル報告書、アメリカ合衆国下院121号決議が根拠とされ、吉田証言も事実認定の有力な証拠のひとつとして用いられた[42][43]。一方、米議会調査局のスタッフとして下院決議に関与した東アジア専門家のラリー・ニクシュ(韓米研究所(ICAS)上級研究員)は吉田証言を虚偽と認めつつも「吉田証言が慰安婦問題の国際世論に影響を与えた決定的な要素だったという主張は、ほとんど正当化されない。歴史修正主義者は、河野談話を攻撃し、慰安婦の強制的な募集がなかったと主張するために、吉田証言のウソを利用している。国際世論には、吉田証言をはるかにしのぐ複合的な証拠が影響している」と発言している[44]。
吉田証言などを基とした朝日新聞による慰安婦強制連行報道が国際問題化に影響したかどうかについては、朝日新聞社が組織した「第三者委員会」は「影響は限定的であった」とまとめているものの、外部から一連の朝日新聞報道を検証した「独立調査委員会」は「強制連行プロパガンダ(宣伝)」と断定している。
朝鮮人慰安婦の強制連行証言
1977年(昭和52年)に、『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』を新人物往来社から出版。そこでは主に自己の朝鮮半島での出張時の体験談が中心で、慰安婦については触れているものの、話をつけて中継ぎする話になっていた。
1982年(昭和57年)頃から、慰安婦の強制連行を講演し始める[45]。東京地方裁判所における在樺コリアンの樺太残留者帰還請求訴訟では、済州島での朝鮮人奴隷狩りの証人として出廷・証言した。なお、このとき、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった[46]。
1983年(昭和58年)に、済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪』を上梓[47][48]。いわゆる従軍慰安婦問題の発端となったともいわれ、1989年には韓国語版も出版された[49]。
1983年11月10日には朝日新聞が「ひと」欄で吉田清治を「朝鮮人を強制連行した謝罪碑を韓国に建てる吉田清治さん」と紹介した[50]。1983年12月23日に天安市に私費で建てた謝罪碑の除幕式に出席するために訪韓し、サハリン残留韓国人の遺家族であるとされる人物の前で土下座した[51][52]。歴史家の家永三郎も『戦争責任』(岩波書店、1985年)で吉田の著作を賞賛した[53][54]。
その後も朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行った吉田は当時「勇気あるただ一人の告白者」とされていた。[誰?]だが、「慰安婦狩り」の舞台とされた済州島では証言への反論が多数出ることになる。
二転三転する吉田証言の連行人数
- 1992年1月23日、朝日新聞で吉田は連行した朝鮮人女性は950人と証言[55]。
- 1992年1月26日、赤旗で吉田は連行した女性は1000人以上と証言[55]。
- 1992年3月13日と3月16日、秦郁彦のインタビューで吉田は「女子挺身隊の名目で慰安婦を調達した。計950人と記憶しているが、部下は2000人といっている」と答えた[56]。
- 1992年5月24日、朝日新聞で「男女6000人を強制連行した」と吉田は発言[55]。
- 1992年8月8日、ニューヨークタイムズは吉田は2000人の朝鮮人女性の「狩り」をしたと報道[55]。
- 1992年8月12日、毎日新聞は吉田が1000人徴用したと報道[57]。
- 1992年8月15日、読売新聞は吉田は100人の朝鮮人を海南島へ連行したと報道[57]。
- 1992年11月14日、赤旗は吉田が最低950人、多くて3000人の朝鮮人女性の強制連行をしたと報道[58]。
- 1997年3月31日、朝日新聞は吉田証言の真偽は確認できないと報道[58]。
朝日新聞は、1982年9月2日、1992年1月23日、同年5月24日に吉田証言を詳しく伝え、これらの記事は2014年5月段階においても訂正記事を出していなかったが[59]、2014年8月5日になって「事実関係の誤りがあった」「裏付け取材が不十分だった」などとして、吉田の関連記事を撤回した[60]。
済州新聞による反証(1989)
1989年に吉田の著書が韓国で翻訳された。
1989年8月14日に慰安婦狩りの舞台とされた済州島の現地新聞「済州新聞」の許栄善記者は、済州島城山浦に住む85歳女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」として、吉田のいう済州島での「慰安婦狩り」は事実無根であり、吉田の主張は虚偽であると報じた[48][49][59][61]。
また同記事で済州島の郷土史家金奉玉も、「1983年に日本語版が出てから何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と、数年間の追跡調査で吉田証言が事実ではないと批判した[62][47][63]。これらの済州新聞での批判記事は、1992年に日本の歴史学者秦郁彦が現地の図書館で発見し、それを日本で紹介されるまで広く知られる事はなかった[64]。
朝日新聞による報道から取り消し
1991年5月22日朝日新聞大阪版で吉田の「木剣ふるい無理やり動員」発言が紹介され、同年10月10日朝日新聞大阪版では「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供をひきはがして連行」したという吉田の証言を掲載した[65][66]。
1991年8月11日に朝日新聞が「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(植村隆韓国特派員・ソウル発)記事で元慰安婦の金学順について「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たと報道する。他方、同年8月15日韓国ハンギョレ新聞は金学順が「親に売り飛ばされた」と報道し[47]、また金学順の裁判での供述との矛盾などもあり[67]、西岡力は、朝日新聞による一連の報道は誤報であると述べている[68]。
同1991年10月10日には朝日新聞大阪版が再度、吉田清治へのインタビューを掲載する(井上祐雅編集委員による[47])。同1991年11月22日の北海道新聞では吉田は「アフリカの黒人奴隷狩りと同様の狩り立てをした」と発言した[69]。
また、この頃、1991年10月7日から1992年2月6日にかけて韓国のMBC放送が20億ウォンの予算[70]を投入して製作したドラマ『黎明の瞳[71]』を放映し、最高視聴率58.4%を記録した。物語ではヒロインが従軍慰安婦として日本軍に連行され、日本軍兵士が慰安所を利用したり、朝鮮人兵士を虐待する場面がそのまま放映され、反日感情を煽った[70]。 吉田は韓国やアメリカでも講演を行ない、海外メディアも報道した[72]。
宮沢訪韓後の1992年1月23日夕刊コラム「論説委員会から-『窓』、従軍慰安婦」では、北畠清泰朝日新聞論説委員による吉田の紹介記事が掲載されたが、それは以下のようなことばで結ばれている。
マスコミに吉田さんの名前が出れば迷惑がかかるのではないか。それが心配になってたずねると、吉田さんは腹がすわっているのだろう。明るい声で「いえ、いえ、もうかまいません」といった。〈畠〉
朝日新聞と宮沢政権による対韓謝罪
慰安婦問題は、1992年に日韓の外交問題にまで発展した。宮沢喜一首相の訪韓直前の1992年1月11日、朝日新聞が一面で「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」と報じる。この記事は陸支密大日記を吉見義明が「発見」したと報道されたが、研究者の間ではこの資料は周知のものであった[73]。同日朝日新聞夕刊では「韓国メディアが朝日新聞の報道を引用して報道」とのソウル支局電を掲載した[74]。翌1月12日の朝日新聞社説では「歴史から目をそむけまい」として宮沢首相には「前向きの姿勢を望みたい」と主張した。またジャパン・タイムズは1月11日夜のテレビ番組で渡辺美智雄外相が「なんらかの関与があったということは認めざるをえない」との発言を、「日本の政府責任者が戦時中に日本軍がhundreds of thousands(何十万人)ものアジア人慰安婦への強制(forced prostitution)を初めて認めた」との記事を掲載した[74]。1月13日、加藤紘一官房長官が「お詫びと反省」の談話を発表[47]、1月14日には韓国で、女子挺身隊を誤解歪曲し「国民学校の生徒まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」と報道[47]、同1月14日、宮沢首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ[74]、1月16日には天皇の人形が焼かれる[74]など反日デモが高まる韓国に渡り、首脳会談で8回謝罪し、「真相究明」を約束した[47]。
秦郁彦による済州島現地調査
1992年(平成4年)3月には秦郁彦が吉田の証言について済州島で現地調査を行ったが、裏付けが取れなかったどころか当時を知る城山浦の住民から「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」「男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかった」との証言を得た[75][76]。秦は、済州新聞記者の許栄善との面会の折、許から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ答えに窮したという。
また秦は、当時、吉田証言の番組を企画したが、結局番組が制作されなかったというNHK山口放送局にもその理由を問い合わせたところ、番組担当者が吉田証言の裏付けがとれず、さらに吉田の著作を刊行した出版社が「あれは小説ですよ」と述べたので企画を中止したとの証言を得た[77]。
秦はこれらの調査を産経新聞 1992年(平成4年)4月30日で発表、『正論』1992年(平成4年)6月号にも調査結果を公表した[78]。この論文は『昭和史の謎を追う』(文藝春秋1993年3月)にも掲載し、菊池寛賞を受賞した。その著書の中で吉田を「職業的詐話師」と称している。
吉田による謝罪
1992年5月25日、朝日新聞は、吉田清治が韓国に「謝罪の旅」に出る予定と紹介した[47]。8月13日には、吉田は韓国で元慰安婦の金学順と面会し、土下座して謝罪した[47]。吉田は訪韓し、韓国のマスコミに在日韓国人慰安婦5000人に民族的誇りを与えるため大統領選投票権を与えてほしいと請願した[79][80]。
1992年12月25日には釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟が始まる(2003年最高裁で敗訴確定)。
1993年、韓国政府は日本政府に日本の教科書に慰安婦について記述するよう要求し(歴史教科書問題参照[47])、1993年6月30日には、日本の高校日本史検定済み教科書七社九種類のすべてに、従軍慰安婦に関する記述が掲載されることがわかった[47]。
上杉聰・吉見義明による見解
1993年5月に、慰安婦制度を批判している吉見義明が吉田を訪ね秦らの批判に積極的に反論するよう勧めたが、吉田は「日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるのでできない」としたうえで「回想には日時や場所を変えた場合もある」と発言したため、吉田の回想は証言としては使えないと吉見は確認した[81]。
また、上杉聰も吉見義明とともに吉田と面談した結果、「吉田の証言を嘘と断定することはできないが、「時と場所」という歴史にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない」としている[82]。
吉田清治本人による証言否定
吉田は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、1995年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認めた[47]。
1996年(平成8年)5月2・9日付の週刊新潮インタビューで吉田は以下のように語った。
まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしようがない。-週刊新潮1996年5月2/9号
と語り、自らの証言を創作(フィクション)を含むものであることをあらためて発言した[83][76]。
1998年9月2日に秦郁彦は、吉田に電話で「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたら、「人権屋に利用された私が悪かった」とは述べたが、「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら……このままにしておきましょう」との返事だったという[84]。
吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離修正せずに放置したまま死去したため、検証が不可能であるために、現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることはない。
朝日新聞による慰安婦報道の訂正、取消
朝日新聞は1997年3月31日に吉田の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載した[85]が、訂正記事は出さなかった[86]。しかし、その17年後の2014年8月5日付記事『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』で朝日新聞は、吉田証言は虚偽だと判断し、吉田証言に関する16の掲載記事を取り消した[2][32][87]。
2014年8月5日朝日新聞は慰安婦問題に関する「慰安婦問題を考える」・「読者の疑問に答えます」と題した検証記事(16-17面)を掲載した。1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載から確認できただけで16回掲載したとし、1992年4月30日、産経新聞朝刊の秦の吉田証言への疑問との指摘や、1997年3月31日の特集記事のため虚偽との指摘や報道があるとして取材面会を申し込むが吉田から拒否され、吉田は「体験をそのまま書いた」と電話で答えた、その後朝日新聞として吉田のことは取り上げていないとしている。2012年11月自民党安倍晋三総裁の日本記者クラブ主催の党首討論会での朝日新聞の誤報による詐欺師のような吉田の本がまるで事実のように伝わり問題が大きくなったとの安倍の指摘までなどを順次経過を追って記述し、「2014年4月から5月にかけて済州島内で70代後半から90代の計約40人から話を聞いたが強制連行したという吉田の記述を裏付ける証言は得られなかったとして『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』とした」。また「読者のみなさまへ」として「当時、虚偽の証言は見抜けませんでした。」としている[88][89][90][91]。吉田の長男によれば、妻は日記(西部軍の動員命令を記してあると吉田氏が主張した)をつけていなかったという。また93年5月に吉見義明中央大教授と会った際「強制連行の日時や場所を変えた場合もある」と述べた[2]。
2014年9月11日、朝日新聞社社長木村伊量や取締役編集担当らが過去の記事の訂正に関して謝罪会見を行った。同年5月20日記事の吉田調書に関して作業員の撤退と報じた事は誤報であったと訂正し会見で謝罪した。また同年8月5日慰安婦に関する吉田証言を虚偽と訂正を報じた後、謝罪会見がないと指摘があったが、この会見で付随して謝罪した[92]。また二日後13日付け社説や1面コラムでも謝罪した[93]。9月27日、しんぶん赤旗も吉田証言の記事を取り消した[94]。2014年9月29日、朝日新聞朝刊は、1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載以降16回掲載され、初回掲載の元記者は吉田の講演を聞き記事にしたとされたが、その元記者の渡航履歴では講演の日には日本に居らず、その元記者は初回を書いのは記憶違いで書いていなかった、しかしその後数回書いたと明らかにし、別の元記者が吉田の記事を1回だけ書き、初回掲載は自分かもしれないと名乗り出たと、32年前の記事記載元記者に関する訂正を行った[95][96]。2014年9月27日、しんぶん赤旗も朝日新聞の8月5日の特集記事を機会に検証し、1992年から93年に3回「吉田証言」や著書を取り上げたが信ぴょう性がなかったとして取り消し・謝罪記事を掲載した[97]。
また、朝日新聞は記事以外でも吉田証言から謝罪までの間に天声人語で15回、声の欄で朝日新聞の主張に沿ったもののみ480回慰安婦問題を取り上げており[98]、2014年9月13日付けの天声人語、社説でも謝罪している[99]。
2014年12月23日、吉田清治への取材から「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」と報じた記事など追加で2本取り消し、朝日新聞の一連の記事取り消しは計18本となった[36][37]。
2015年の朝日新聞に対する集団訴訟
- 2015年1月26日、朝日新聞の慰安婦報道で、「日本の国際的評価が低下し、国民の名誉を傷つけられた」として、約8700人が、同社に対し、1人当たり1万円の慰謝料と謝罪広告を求める訴訟を東京地裁に起こした[100][101]。追加希望者が殺到して最終的に原告団が2万人を超える史上空前の集団訴訟になる見込み[100][101]。
- 2015年2月18日、在米日本人ら約2000人が、主要米紙への謝罪広告掲載と原告1人あたり100万円の慰謝料を求めて提訴[101][102]。この訴訟でも、朝日新聞の記事で慰安婦問題に関する誤った事実関係が世界に広がったと主張[101][102]。在米韓国系団体がカリフォルニア州グレンデール市に慰安婦像を建立するなどして誤った認識が「定着」したとしている[101]。
影響と評価
現在の所、日本の官憲が本人の意思に反して女性を慰安婦にすべく連れ去ったという公になされた加害証言は、白馬事件の舞台となったインドネシアなどでは存在するが[103] [104]、朝鮮では吉田清治による吉田証言のみとされている。その吉田証言はその信憑性が疑問視され、慰安婦問題を批判する側からも採用されなくなりつつあるが、2012年にも朝鮮日報が強制連行の証拠として報じている。
吉田証言は初めての、朝鮮半島での加害証言として旧日本軍の慰安婦に対する強制連行の有力な証言として、扱われてきたが、秦郁彦、中村粲、板倉由明、上杉千年らの歴史学者の検証によって、その証言をはじめ、吉田の語っていた軍の命令系統から本人の経歴に嘘や矛盾があると指摘された[105][106][107]ため、旧日本軍による「強制連行」は捏造だと批判された。これに対して日本軍による強制連行があったとする吉見義明が反論したらどうかと吉田にいったところ、すべてが事実ではないと吉田が語ったため、吉見も証言としては採用できないと確認した。また同じく強制連行に肯定的な姿勢をとる日本の戦争責任資料センター事務局長の上杉聰も同じく証言として採用できないとした[82][30]。
1996年に猪瀬直樹は「それにしてもたった一人の詐話師が、日韓問題を険悪化させ、日本の教科書を書き換えさせ、国連に報告書までつくらせたのである。虚言を弄する吉田という男は、ある意味ではもう一人の麻原彰晃ともいえないか」と述べている[108][109]。
李栄薫ソウル大学教授は2009年6月1日に、吉田証言は今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与したと語っている[48]
また、歴史学者の安丸良夫は吉田の著作が「従軍慰安婦」「強制連行」の典型的なイメージを作り出すとともに、その後「この書物の記述が事実でないことが明らかにされて、『強制連行』をめぐる事実認識が重要な争点となる原因をつくった」と2009年に語っている[110]。
文筆家である但馬オサムは「吉田本をよく読むと、彼の個人的なサディズム妄想を軍隊と絡めたエロ小説かのようです。女狩りというのはそれこそサディズム小説の古典的パターンのひとつです。まるでポルノのような小説が“旧軍関係者の勇気ある告発”ともてはやされ、大手を振って出版されていた。」と述べている[111]。
国際社会への拡散
朝日新聞に掲載された吉田証言は同じく朝日新聞の植村隆の慰安婦強制連行記事とともに韓国メディアに取り上げられ、1990年代後半には国際社会へと拡散されていった。吉田証言を採用した国際的な決議や報告には1996年の国連人権委員会のクマラスワミ報告、1998年のマクドゥーガル報告書、2007年のアメリカ合衆国下院121号決議などがある。国際問題化する過程では、朝日報道を韓国メディアが引用して取り上げることで、韓国世論で日本への批判が高まり、今度は朝日がそれを再び報じるということが繰り返され、朝日と韓国のメディア、世論による一種の「共鳴」とも言える状況がみられた[112]。
韓国政府調査による証拠採用
1992年7月31日の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書でも吉田の著書を証拠として採用し、その後も修正していない[113]。
クマラスワミ報告での証拠採用
また1996年の国連のクマラスワミ報告でも吉田証言は強制連行の証拠として採用されている[114]。
強制連行を行った一人である吉田清治は戦時中の体験を書いた中で、国家総動員法の一部である国民勤労報国会の下で、他の朝鮮人とともに1000人もの女性を「慰安婦」として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している。
米国下院対日謝罪決議案の報告書における証拠採用
2006年に米国下院が慰安婦問題で対日非難決議(アメリカ合衆国下院121号決議)案を審議する際の資料(memorandum)とされたアメリカ議会調査局の報告書(2006年4月10日付)でも「従軍慰安婦システムの報告(Accounts of the Comfort Women System)」の項目で「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として「吉田証言」も明記された[115]が、日本側の調査と報告を受けて、2007年の改訂版の報告書(2007年4月3日付)では「吉田証言」が削除された[116][39]。しかし、産経新聞の古森義久によれば、2007年2月25日の決議案審議のための公聴会の時点ではこの吉田証言に基づいた資料を判断材料としていた[39]。
朝鮮日報による評価
2012年9月5日にも韓国最大発行部数を誇る朝鮮日報は、吉田の著書『朝鮮人慰安婦と日本人』を取り上げ「この本一冊だけでも日帝の慰安婦強制連行が立証されるのに十分である」として強制連行の証拠であるとする日本を糾弾した社説を掲載している[117][118]。
安倍晋三首相による発言
2007年に安倍晋三首相は「虚偽と判明した吉田証言以外に官憲の関与の証言はない」と答弁している[119]。
2014年10月3日には、衆議院予算委員会で「『日本が国ぐるみで性奴隷にした』といういわれなき中傷が世界で行われている[120][121][122]。(慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の虚偽証言を巡る)朝日新聞の誤報でそういう状況が生み出されたのも事実だ」との認識を示した[120][121][122]。
吉田証言を真実として記載した著作物
- 朝日新聞等、各新聞
- 家永三郎『戦争責任』岩波書店、1985年[123][124]。
- 佐藤和秀『潮』1992年3月号で吉田証言の読後感として「涙をおさえることができない」と記す[125]。
- 鈴木裕子『朝鮮人従軍慰安婦』岩波ブックレット、1992年[126]。
- 杉井静子『文化評論』1992年4月号で「慰安婦はまさに銃剣をつきつけて強制連行された」ことを吉田が生々しく証言していると書く[127]。
- 日弁連国際人権部会報告「日本の戦後処理を問う」シンポジウム、1992年[128]。
- 石川逸子『「従軍慰安婦」にされた少女たち』岩波ジュニア新書、1993年(2005年、十五版)[129]
- 高木健一『従軍慰安婦と戦後補償』三一書房、1992年[130]。
- 倉橋正直『従軍慰安婦問題の歴史的研究』共栄書房、1994年[131]。
- 幣原広『法学セミナー』1997年8月号で紹介[132]。
- 曾根一夫『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』白石書店、1993年[133]。
- 吉田邦彦『都市居住・災害復興・戦争補償と批判的「法の支配」』(北海道大学大学院法学研究科叢書19)有斐閣、2011年。161頁で、狭義の強制性に関して「仮に公式の文書がなくても、その関連の多数の証言を排して、そうした事実はないとすることは、無理で飛躍がある」と述べて日本政府の見解を批判し、その脚注(167頁)の中に「加害当事者による証言」として吉田清治の著書2点を挙げている(初出は判例時報1976号・1977号、2007年)。
広辞苑掲載の強制連行の記述と批判
ほか、広辞苑4版(1991年)では「従軍慰安婦」項目が登場し、「日中戦争・太平洋戦争期、日本軍将兵の性的慰安のために従軍させられた女性」と記載された。さらに、第5版(1998年) では「日中戦争、太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となる事を強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。」と記述され、この記載に対して谷沢永一と渡部昇一らが、史実と異なる記述であり、イデオロギーにもとづく記述は辞書に値しないと批判した[134][135]その後、現行の第6版(2008年)では後半部は「植民地・占領地出身の女性も多く含まれていた」と改訂された。しかし、その第6版では「朝鮮人強制連行」の項目で、「日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の慰安婦とされた。」と記述し、最新の版でも吉田の証言に沿った内容になっている。
主な著作
- 『朝鮮人慰安婦と日本人 -- 元下関労報動員部長の手記』 新人物往来社1977年(昭和52年)3月
- 『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』 三一書房1983年(昭和58年)7月
吉田証言の実地調査を行なった人物
- 許栄善(済州新聞記者)
- 金奉玉(済州島の郷土史研究家)
- 秦郁彦
脚注
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