ガーター勲章
ガーター勲章(ガーターくんしょう、英: Order of the Garter)は、1348年にエドワード3世によって創始された、イングランドの最高勲章。正式なタイトルは”Most Noble Order of the Garter”(最も高貴なガーター勲章)。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国の栄典においても騎士団勲章(order)の最高位であるが、全ての勲章・記章の中ではヴィクトリア十字章とジョージ・クロスが上位に位置付けられている。
騎士団勲章は本来、その騎士団の一員になるという意味を持っており、一般に勲章と呼ばれる記章はその団員章である。ガーター騎士団員の称号は男性が”Knight of the Garter”、女性が”Lady of the Garter”で、騎士のポスト・ノミナル・レターズはそれぞれ”KG”および”LG”と表記される。
モットーは”Honi soit qui mal y pense”(悪意を抱く者に災いあれ)で、勲章にもその文字が刻印されている。勲章の大綬の色がブルーであるため、「ブルーリボン」とも呼ばれている。
ガーター騎士団の誕生
ガーター勲章の母体であるガーター騎士団の設立時期については1344年1月にエドワード3世がウィンザーで円卓を使用した饗宴を催した際に「アーサー王と円卓の騎士」の故事に基づいてフランスとの百年戦争への団結を深めたという出来事を発端とする1344年説と、1348年8月にエドワード3世が、自身と長男のエドワード黒太子および24名の騎士によって騎士団を編成し、ウインザー城に召集した出来事を設立と見なす1348年説があるが、近年では1348年説が歴史学者の間で有力視されているという[1]。
この騎士団設立の経緯については次の逸話が知られている。エドワード3世が舞踏会でソールズベリー伯爵夫人ジョアン(後のエドワード黒太子妃)とダンスを踊っていたとき、伯爵夫人の靴下止め(ガーター)が外れて落ちたが、これは当時恥ずかしい不作法とされていたので、周囲から嘲笑された。しかしエドワード3世はそれを拾い上げ「悪意を抱く者に災いあれ(Honi soit qui mal y pense)」と言って自分の左足に付けたというものである[2][3]。
しかしこの逸話は伝説に過ぎないともいわれ、エドワード3世がフランス王を名乗ることを「悪」と主張する者に対してエドワード3世が「災いあれ」といったのが始まりとする逸話もある[4]。また、聖ジョージ(聖ゲオルギウス)が竜から姫を助けたという伝説にちなみ、リチャード獅子心王が十字軍の時に戦場でガーターを付け、部下にもつけさせた故事からきたとする説もある。エドワード3世は聖ジョージを好み、イングランドの守護聖人とした人物なので、これらからガーター勲章を考案したとも考えられている。
金羊毛騎士団の創設は1429年であり、ガーター騎士団の創設はそれに81年先立っている。ヨーロッパの現存騎士団の中で最古の歴史を誇っている[5]
創立時よりガーター騎士は王と皇太子を含めて26名であり、最初のメンバーは国王エドワード3世以下の13名とエドワード黒太子以下の13名の2組に分けられていた[6]。その後、16世紀前期にヘンリー8世によってガーター騎士団の儀礼の定式化が進められ、騎士団員は国王と皇太子と24名の勲爵士に限定された。当初国王と皇太子以外の王族は24名の勲爵士と別枠ではなかったが、18世紀後半、ジョージ3世に王子がたくさんあったことから臣民への授与の圧迫を避けるために別枠となった。後述する外国君主への授与も別枠である[7]。
当初女性も勲爵士になることできたが、ヘンリー8世による定式化により女性君主以外の女性にはガーター勲章は与えられないこととなった。再び君主以外の女性にもガーター勲章が授与されるようになるのは20世紀初頭のエドワード7世の時代になってのことである[8]。
勲章の構成
一般にガーター勲章と呼ばれるものは、以下の物で構成されている[9]。
- ガーター
- 黄金の頸飾とその先端に付ける記章(The George)
- 大綬章
- 星章
また特別な物として、エリザベス2世を含め歴代の国王や王妃が晩餐会等で佩用する大綬章の正章としてカメオにダイヤモンドを散りばめた物や、女王やチャールズ皇太子などが同じく晩餐会等で佩用するルビー星章も存在する。 ガーターにはブルーの生地に金の刺繍が施され、その中央部にエドワード3世が述べたとされる“Honi soit qui mal y pense”(悪意を抱く者に災いあれ)の文字が記されている[10]。着用する場合は男性の団員は左ひざに、女性の団員は左腕につける[11]。
黄金の頸飾にはランカスター家の赤バラとヨーク家の白バラを合わせたテューダー・ローズがテューダー朝成立後から使用されている[9]。また、頸飾の先端の記章は白馬に乗って竜を退治する聖ジョージの姿がかたどられている[9]。
正章でアレッサー・ジョージは左肩から右の腰に斜めがけする大綬の結び目の下につり下げられ、ガーターを模した楕円の記章の中に、頸飾の記章と同じく聖ジョージの姿が透かし彫りされている[9]。大綬章が17世紀に制定されたことでガーター勲章は現在の形態を確立した[9]。
また正装用にビロードのマント(ガーター・ローブ)と羽飾り帽子、真紅のフードがあり、これらを着用したうえでガーター、頸飾、星章を佩用するのが騎士団の正装である。大綬章は正装時には付けないのが慣習である[11]。正装はガーター・セレモニーや戴冠式など限られた場面でのみ用いられている[12]。燕尾服のような通常の正装時は、大綬章と星章とガーターを付けるのが一般的だが、状況や個人によって異なる[12]。
星章は他の勲章と同様に左肋に付けるが、大綬章は一般の勲章が右肩から左腰に掛けるのに対し、ガーター勲章は左肩から右腰に掛ける。チャールズ2世が大綬章を制定した直後にはガーター勲章も右肩から左腰に掛けていたが、当時9歳だったチャールズ2世の庶子、初代リッチモンド公チャールズ・レノックスが誤って左肩から右腰に掛けて公式の場に現われたのをきっかけにチャールズ2世がこれを正式な佩用方法に定めたという[13]。その後、この習慣は他国にも広がり、スコットランドの最高勲章であるシッスル勲章やプロイセンの黒鷲勲章、日本の功一級金鵄勲章等その国の特別な勲章が他の勲章との差別化のために左肩から右腰に掛けられるようになった。
勲章一式は受章者が死亡すると王室へ返還するしきたりであるが、王室の許可を得れば星章や大綬章などは複製を自費で作成して所有することができ、遺族がそれを相続することも出来る[12]。従って、ガーター勲章の実物が市場に出回ることは有り得ない筈であるが、外国の君主等に対して授与された勲章の中には、革命やクーデターのような政変による混乱により流出し、回収できなかったものが存在するとも言われている[14]。昭和51年、その真正品とされるものが日本の百貨店によって売り出されて問題になった[15]。英国王室からの抗議で販売は中止され、当該勲章の真贋を含め、その様な事態になった経緯について調査が行なわれた[16]。
騎士団の儀式
ガーターセレモニー
1948年以来、6月にウィンザー城で行われるのがガーターセレモニー(Garter Ceremony)である。その年に新たに叙任される勲爵士があれば、ガーターの玉座の間において叙任式が開かれる[17]。
新たに勲爵士となる者は、既に勲爵士となっている2名から紹介を受けるのが慣例となっている。例えば、1954年にアンソニー・イーデン外相(当時。翌年に首相)が叙された際にはウィンストン・チャーチル首相(当時。1953年叙勲)と初代モントゴメリー子爵バーナード・モントゴメリー(1946年叙勲)が、1992年に元首相のエドワード・ヒースが叙された際には第6代キャリントン男爵ピーター・キャリントン(1985年叙勲。元外相)とキャラハン男爵ジェームズ・キャラハン(1987年叙勲。元首相)がそれぞれ紹介役をつとめた[18]。
叙任式では新勲爵士が君主の前に歩み出て、君主から小姓[要リンク修正]に渡されたガーターを小姓が勲爵士の左膝(女性の場合は左腕)に着け、次いで君主自ら大綬章を掛け、星章を左胸に着ける。そして紹介者がガーターローブをかぶせ、最後に頸飾を掛け君主と握手をして正式にガーター勲爵士となる[18]。
叙任式が終わると、正装姿の騎士団員たちが、新しく叙された者を先頭にセント・ジョージ・チャペルまで行進する。隊列は古株ほど後方となり、最後列になると王族、そして君主自身が殿となる。この行進は公開であり、観光客も見物することができる[19]。
バナーの掲揚
城内のセント・ジョージ・チャペルにはガーター勲爵士のバナーが掲げられ、騎士の世界を象徴するように剣とクレスト(羽根飾り)[注釈 1]を着けたヘルメット、プレートと呼ばれる勲爵士の紋章と名前が刻まれたものが飾られている。これらは勲爵士が死去すると翌年の聖ジョージの日(4月23日)に追悼式が行われてプレート以外は取り外される[21]。
死亡以外でも反逆した臣下や敵国となった国の君主は勲爵士の地位を剥奪され、バナーが撤去される。反逆した臣下の剥奪例は古くから存在し、エリザベス朝期には第8代ノーサンバーランド伯爵ヘンリー・パーシーや第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワードなどの騎士団員がその座を剥奪されている[22]。
敵国君主の剥奪は第一次世界大戦からはじまった慣習である。一次大戦ではドイツ皇帝ヴィルヘルム2世以下ドイツ諸侯やオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を対象にバナーの撤去が行われ、第二次世界大戦でも日本の昭和天皇とイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世のバナーが撤去された。このうち昭和天皇のみ、後にバナーが復活している。一度剥奪されて名誉回復を果たした外国君主は騎士団600年の歴史の中でも昭和天皇のみである[23] 。
なお剥奪の場合もプレートは外されない。一次大戦時の騎士団主権者ジョージ5世は「プレートは歴史の記録である」と述べてヴィルヘルム2世らのプレートの撤去を禁じている[19]。
外国人への叙勲
2014年6月現在の外国人保持者は、ルクセンブルクのジャン前大公、デンマークのマルグレーテ2世女王、スウェーデンのカール16世グスタフ国王、スペインのフアン・カルロス1世前国王、オランダのベアトリクス前女王、日本の今上天皇、及びノルウェーのハーラル5世国王の7名であり、今上天皇以外はヨーロッパの君主制国家の君主である[注釈 2]。
ガーター勲章の外国人への叙勲は、原則としてキリスト教徒であるヨーロッパの君主制国家の君主に限られており、ヨーロッパ以外の国の君主や非キリスト教徒の君主に対しては、その国がイギリスと特別な関係にあり、政策上特別な事情がある場合に限り例外的に贈られている。また、共和制国家の元首に対して贈られた例はない。
かつては国王や女王と血縁関係にある外国貴族、或は皇太子や摂政にも授与されていたが、1952年にエリザベス2世が女王に即位して以降は君主という条件に関して例外はなく、ヨーロッパの君主制国家の君主でも在位期間が短いと授与されない。そして、これら資格を満たさないとされる外国君主および重要な共和制国家の元首にはロイヤル・ヴィクトリア頸飾が贈られ[27]、外国皇太子にはロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・グランド・クロス又はデーム・グランド・クロスが贈られる[28]。更に、ロイヤル・ヴィクトリア頚飾の外国君主より格下とされる国の君主や共和制国家の元首には、バス勲章や聖マイケル・聖ジョージ勲章のナイト・グランドクロスがその格に応じて贈られる[29][注釈 3]。
非キリスト教徒への叙勲は1856年に訪英したオスマン帝国皇帝アブデュルメジト1世が最初であり[注釈 4]、アジアでは1873年に訪英したペルシャ皇帝ナーセロッディーン・シャーが最初である[注釈 5]。
日本に対しては、日英同盟の関係から1906年(明治39年)に明治天皇が東アジアの国の元首として初めて贈られ[注釈 6]、以後の歴代天皇も授与されている[35]。大正天皇は1912年、昭和天皇が1929年にそれぞれ叙勲されたが、第二次世界大戦中は敵国となったため昭和天皇の名前が騎士団の名簿から抹消され、バナーも撤去された[36]。しかし、1971年10月のイギリス訪問時に復帰し[37][注釈 7]、今上天皇も1998年のイギリス訪問時に叙勲された[39]。
1902年にペルシャ皇帝モザッファロッディーン・シャーに対して贈られて以降、日本の天皇以外で非キリスト教徒の外国君主が叙された例はなく、1974年8月27日にキリスト教徒のエチオピア前皇帝ハイレ・セラシエ1世(同年3月に廃位されて幽閉中だった)が崩御した後には、ヨーロッパ人以外でガーター騎士団に叙されているのも日本の天皇のみである[40]。
現在の騎士団員
臣民の勲爵士は24人までに限定されている。王族や外国君主への授与はこれとは別枠になっている[3][41]。
政治家による乱用防止のため[注釈 8]、1946年以降ガーター勲章とシッスル勲章は、君主自らによって授与されるのが慣例となっている[3]。
主権者
画像 | 紋章 | 名前 (生年) (在位) |
---|---|---|
女王 エリザベス2世 (1926年 -) (1952年 -) |
王族の騎士団員
画像 | 紋章 | 名前 (生年) |
叙任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
エディンバラ公 フィリップ (1921年 -) |
1947年11月19日[42] | 女王の王配 | ||
プリンス・オブ・ウェールズ チャールズ (1948年 -) |
1958年7月26日[42] | 女王の長男・王太子 | ||
ケンブリッジ公 ウィリアム (1982年 -) |
2008年4月23日[42] | チャールズ王太子とダイアナ元妃の長男 | ||
ケント公 エドワード (1935年 -) |
1985年10月9日[42] | 女王の従姉弟 | ||
グロスター公 リチャード (1944年 -) |
1997年4月23日[42] | 女王の従姉弟 | ||
ヨーク公 アンドルー (1960年 -) |
2006年4月23日[42] | 女王の次男 | ||
ウェセックス伯爵 エドワード (1964年 -) |
2006年4月23日[42] | 女王の三男 | ||
プリンセス・ロイヤル アン (1950年 -) |
1994年4月23日[42] | 女王の長女 | ||
オギルヴィ令夫人 アレクサンドラ (1936年 -) |
2003年4月23日[42] | 女王の従姉妹 |
外国君主の騎士団員
画像 | 紋章 | 名前 (生年) (在位) |
叙任日 |
---|---|---|---|
ルクセンブルク前大公 ジャン (1921年 -) (1964年 - 2000年) |
1972年6月14日[42] | ||
デンマーク女王 マルグレーテ2世 (1940年 -) (1972年 -) |
1979年5月16日[42] | ||
スウェーデン国王 カール16世グスタフ (1946年 -) (1973年 -) |
1983年5月25日[42] | ||
スペイン前国王 フアン・カルロス1世 (1938年 -) (1975年 - 2014年) |
1988年10月17日[42] | ||
オランダ前女王 ベアトリクス (1938年 -) (1980年 - 2013年) |
1989年6月28日[42] | ||
日本天皇 今上天皇 (1933年 -) (1989年 -) |
1998年5月26日[42] | ||
ノルウェー国王 ハーラル5世 (1937年 -) (1991年 -) |
2001年5月30日[42] |
臣民の騎士団員
脚注
注釈
- ^ 勲爵士の紋章に関係する動植物をあしらうのが通例[20]。
- ^ リヒテンシュタイン公とモナコ大公はキリスト教徒のヨーロッパ君主であるが、君主としての格が低いとされており、ガーター勲章の受章対象者ではない[25]。ベルギー国王は受章対象者だが、1993年8月の元ベルギー国王ボードゥアン1世の葬儀に際してエリザベス女王が葬列の最前列を要求したのに、ベルギー側は「最前列は亡き国王が最も親しかった王族専用にしたい」と断ったため、エリザベス女王としてはこれを「非礼」と受け取り、前ベルギー国王アルベール2世(1934年-、在位1993年-2013年)に対してガーター勲章を贈らなかった[26]。現ベルギー王フィリップ(1960年-、在位2013年-)も即位してから年数を経ておらず、いまだ受章していないので受章対象国のうちベルギーのみ勲爵士がない状態が続いている。
- ^ 具体的にはタイ国王、ヨルダン国王、アフガニスタン国王(1973年廃位)、ネパール国王(2008年廃位)、サウジアラビア国王にはロイヤル・ヴィクトリア頸飾が贈られ、旧植民地や英連邦加盟国の国王にはそれより格が下がる勲章が贈られている(マレーシア国王にはバス勲章ナイト・グランド・クロス、トンガ国王には聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス)。またヨーロッパの君主の場合は、即位してから最初の訪英時にロイヤル・ヴィクトリア頸飾、二度目の訪英時にガーター勲章を授与されるのが慣習になっている[30]。タイ国王ラーマ9世は自分にガーター勲章が贈られないことに不満を抱いていると言われ、エリザベス女王がガーター勲章を贈ってくるまでタイの最高勲章ラーチャミトラーポーン勲章をエリザベス女王に贈らないようにしているといわれる[31]。
- ^ オスマン皇帝アブデュルメジト1世は1856年の訪英に際してガーター勲章を授与されることを強く望んだため、外相第4代クラレンドン伯爵ジョージ・ヴィリアーズの推挙により、ヴィクトリア女王はロシアへの当てつけ的意味でアブデュルメジト1世にガーター勲章を贈った。この頃はクリミア戦争が終結したばかりの頃であり、イギリス・オスマン陣営とロシアの関係は険悪だったのである[32]。
- ^ 当時ペルシャはイギリスにとってインド防衛や対ロシア政策の観点から重要な国だった。ロシアはペルシャ皇帝ナーセロッディーン・シャーに最高勲章聖アンドレーイ勲章を贈っていたため、外相第2代グランヴィル伯爵グランヴィル・ルーソン=ゴアはイギリスとしても彼に最高勲章を贈る必要があると判断した。その結果1873年のシャーの訪英の際にヴィクトリア女王からガーター勲章が贈られることになった。シャーもこれには大変喜んだという[33]。
- ^ 日本の明治天皇にガーター勲章が贈られたのは外相第5代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスの推挙による。日露戦争が日本優位に進む中の1905年(明治38年)に日英同盟の更新を決意したランズダウン侯がバルフォア首相の許可も得て、日本との関係を強化する一環として天皇へのガーター勲章授与を国王エドワード7世に上奏した結果、実現した[34]。
- ^ ガーター勲章を剥奪された昭和天皇がガーター勲章を佩用できるのかどうかは、1961年(昭和36年)11月のアレクサンドラ王女訪日の際に最初に問題となったが(昭和天皇は1929年(昭和4年)に授与された時を最後にガーター勲章を佩用したことがなかったので、この時まで剥奪が具体的に問題となったことはなかった)、この時には昭和天皇はイギリス王室の許可を得たうえでガーター勲章を佩用している。これが昭和天皇のガーター勲爵士の地位の復活のきっかけとなった。その後も1962年(昭和37年)の秩父宮妃訪英、1969年(昭和44年)のマーガレット王女訪日などで日本皇室と英国王室の友好が深まる中、ついに昭和天皇の訪英に先立つ1971年(昭和46年)4月7日に至ってイギリス王室は「剥奪された天皇の名誉を全て回復させる」という宣言を発した。これにより昭和天皇は正式にガーター騎士団員の地位を取り戻し、1971年5月22日からセント・ジョージ・チャペルに再び菊花紋章のバナーが掲揚されることになった[38]。
- ^ 首相ロイド・ジョージがシッスル勲章を第4代ビュート侯爵ジョン・クライトン=ステュアートに贈ったことの教訓という[3]。
出典
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- ^ a b “Lord Phillips and Admiral Boyce made Knights of Garter”. BBC News. (2011年4月23日)
- ^ “Former head of the Armed Forces becomes a Knight of the Garter”. London: Telegraph. (2013年4月22日) 2014年9月28日閲覧。
- ^ a b "No. 60848". The London Gazette (英語). 24 April 2014.
参考文献
- 君塚直隆『女王陛下のブルーリボン-ガーター勲章とイギリス外交-』NTT出版、2004年(平成16年)。ISBN 978-4757140738。
- 君塚直隆『女王陛下の外交戦略 エリザベス二世と「三つのサークル」』講談社、2008年(平成20年)。ISBN 978-4062145664。
- 小川賢治『勲章の社会学』晃洋書房、2009年(平成21年)。ISBN 978-4771020399。
- 総理府賞勲局監修 編『勲章』毎日新聞社、1976年(昭和51年)。
- 岩倉規夫(序文)藤樫準二(著)『日本の勲章-日本の表彰制度-』第一法規出版、1965年(昭和40年)。
- 森護『英国王室史事典-Historical encyclopaedia of Royal Britain-』大修館書店、1994年(平成6年)。ISBN 978-4469012408。
- 森護『英国紋章物語』三省堂、1985年(昭和60年)。
関連項目