ジャン (ルクセンブルク大公)

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ジャン
Jean
ルクセンブルク大公
Grand Duke Jean 29.09.2006.jpg
ジャン(2006年)
在位 1964年11月12日 - 2000年10月7日
全名 Jean Benoît Guillaume Robert Antoine Louis Marie Adolphe Marc d'Aviano
ジャン・ブノワ・ギヨーム・ロベール・アントワーヌ・ルイ・マリー・アドルフ・マルク・ダヴィアーノ
出生 1921年1月5日(93歳)
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルクコルマー=ベルグベルグ城
配偶者 ジョゼフィーヌ=シャルロット・ド・ベルジック
子女 マリー=アストリッド
アンリ
ジャン
マルガレータ
ギヨーム
王家 パルム=リュクサンブール家
王朝 リュクサンブール朝
父親 フェリックス・ド・ブルボン=パルム
母親 シャルロット
宗教 キリスト教カトリック教会
サイン Jean, Grand Duke of Luxembourg Signature.svg
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ジャンフランス語: Jean1921年1月5日 - )は、ルクセンブルク大公(在位:1964年11月12日 - 2000年10月7日)。

ハプスブルク=ロートリンゲン家の前当主オットーの従弟にあたる。1968年から2002年ユーロ導入まで複数のルクセンブルク・フラン紙幣に肖像が使用されていた。

経歴[編集]

1921年、大公家の居城ベルク城でルクセンブルク女大公シャルロットの長男(第一子)として生まれる。父はパルマロベルト1世の子でオーストリア皇后ツィタの弟フェリックスローマ教皇ベネディクトゥス15世に洗礼を施された。ルクセンブルク国内で初等教育を修了し、イギリスノース・ヨークシャーにあるローマ・カトリック系の寄宿学校アンプルフォース・カレッジ(Ampleforth College)に進学した。1939年に成人(ルクセンブルクの成人年齢は18歳)すると、正式に大公世子となった。

1940年5月10日ドイツがルクセンブルクに侵攻すると、大公一家はフランス、次いでカナダへと亡命した。亡命先でケベック・シティーのラヴァル大学に進学し、法学政治学を学んだ。

1942年イギリス軍アイリッシュガーズ連隊義勇兵として志願、イギリス陸軍の主要基地アルダーショットで士官訓練を受けた後、1943年中尉1944年大尉に任官された。1944年6月11日、ノルマンディーに上陸し、カーン攻防戦(battle of Caen)やブリュッセル解放戦に参戦した。1944年9月10日にはルクセンブルク解放戦に参加し、その後、オランダアーネムへ移動、ドイツ侵攻にも従軍した。

1953年4月9日ベルギー国王レオポルド3世の長女ジョゼフィーヌ=シャルロット王女と結婚し、三男二女を儲けた。

1964年、母シャルロットの譲位によって大公位を継承した。1999年に嫡孫にあたるギヨーム大公子が成人したことを受けて、2000年10月7日、長男のアンリに譲位した。

2005年1月、妻ジョセフィーヌ=シャルロット大公妃が肺がんのため崩御。現在はルクセンブルク市郊外にあるフィシュバッハ城を居城としている。

子女[編集]

  • マリー・アストリッド(1954/2/17 - )
1982年、はとこにあたるオーストリア大公カール・クリスティアン(皇帝カール1世の孫、オットー皇太子の甥)と結婚、三男二女を儲ける。
現ルクセンブルク大公。1981年、マリア・テレサ・メストレ・イ・バティスタと結婚、四男一女を儲ける。
  • ジャン(1957/5/15 - )
1987年、エレーヌ・ヴェストルと結婚、三男一女を儲ける。婚前妊娠であったため、大公位継承権を放棄。のち離婚。2009年にダイアン・ド・ゲールと再婚。
ジャンの双子の妹。1982年、リヒテンシュタイン侯子ニコラウスと結婚、二男二女を儲ける(長男は誕生当日に夭折)。
  • ギヨーム(1963/5/1 - )
1994年、スペイン国王アルフォンソ13世の曾孫シビラ・ウェイレル(アルフォンソ13世の長女ベアトリス王女の外孫)と結婚、三男一女を儲ける。大公位継承権は、兄アンリ大公の末子セバスティアン大公子に次いで第5位。