ポケットビスケッツ

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ポケットビスケッツ
基本情報
別名 ポケビ、口袋餅乾(中国語表記)
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
活動期間 1995年 - 2000年(休止中)
レーベル 東芝EMI
共同作業者 パッパラー河合
メンバー
内村テルプロデューサーリーダーキーボード
坂本千秋ボーカル
独活野大木ショルダーキーボードギターエレクトリックドラム

ポケットビスケッツ(POCKET BISCUITS)は、日本テレビ系の当時の看板バラエティ番組、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から誕生した音楽ユニット。通称ポケビ。中国語表記は、口袋餅乾

目次

[編集] メンバー

ウリナリ以外の番組では、3人そろって番組出演することは滅多にない。

[編集] 歴史

  • 1995年11月結成。McKee(マッキー)のおまけ扱いでフィリピンでデビュー。1996年4月17日日本CDデビュー。おまけ扱いだったが勝利し、看板アーティスト化した。初め内村は「このユニットでやりたくない。」と言っていた。内村は適当にキーボードを叩いていただけで、後の「青の住人」で苦労する羽目になった。
  • 1996年には2ndシングル「YELLOW YELLOW HAPPY」を発売したが、ロングヒットで初のミリオンヒット達成。一線のアーティストとしての地位を確実にした。
  • 番組では「YELLOW YELLOW HAPPY」のヒット後、メンバーにゲームを課し「できたら○○、できなかったら解散」という解散シリーズがスタート。ポケットビスケッツは苦労しながらライブや第3弾CD(Red Angel)発売を実現する。
  • 1997年、「Red Angel」発売時にエンディングテーマを懸けての対決。ここでブラックビスケッツが初登場。2作連続ミリオンヒット。
  • 1998年に台湾でブラックビスケッツのライブの前座を務めるが、現地では無名でありほとんど盛り上がらなかった。しかし後にウリナリが台湾で放送されるようになると、台湾でのファンも増えていった。
  • アルバム『Colorful』発売の後、武道館ライブまでの間、実質的な活動休止(ブラックビスケッツがCDデビューするなど活動を活発化し、番組がそちらに注力したためだと考えられる)。
  • 同年12月、ブラックビスケッツとの日本武道館ライブを賭けたガソリンすごろく対決(ウッチャンナンチャンのウリナリ!!の企画を参照)で勝利。その年、12月28日に初の本格的武道館単独ライブを実施。
  • 1998年、ブラックビスケッツとのCD発売を賭けての対決に敗れ、新たなCD発売を賭けて100万人署名運動を行い、178万4892人の署名を集める(締切後に届いた署名を含めると200万人を超えた。また締切間近には速達でないと集計に間に合わない為に、郵便職員が「かつて無い出来事」と言うほどの大量の速達署名が送られた)。その署名に基づいて発売された「POWER」は、3作目のミリオンヒットを記録。
  • 同年7月から8月にかけて、100万人署名に対する御礼として全国9か所でのライブツアーを開催。最終地・旭川では5万人以上を集めるなど、各地とも大盛況だった。
  • 同年、NHKの『紅白歌合戦』に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として最初で最後の出場を果たし、ウリナリのメンバーが応援に駆け付けた。演出にも力を入れており、内村が途中ホワイティに扮したり、最後に「来年は白組で」という幕が現れるなど凝ったものであった。しかし、結局次の年以降にウリナリの企画グループが紅白に出演することは無かった。
  • 1999年、メンバー3人がそれぞれソロシングルを発売。これは翌年3月の千秋のソロデビューとは異なり、ポケットビスケッツの活動のひとつ。
  • CD「青の住人」にてテル本人がピアノを弾いてないという不正が発覚。FM横浜・TheRankingに生出演し、完奏できなければポケットビスケッツ脱退という条件だったが、何とかこれをクリア。しかしテル本人は演奏の出来に納得しておらず、自ら進んで仮メンバーに。後のZepp Tokyoでのライブで見事な演奏を披露し、3人での活動を再開。これが「Days/My Diamond」の発売へつながる。
  • 2000年1月1日午前0時、ユーミンの年越しライブにおいて、スペシャルユニット「Yuming+Pocket Biscuits」として「Millennium」を生中継、生演奏で発表する。
  • 2000年、テルの提案により3人で相談の結果、千秋のソロデビューを決定。それに伴いポケットビスケッツとしての活動は停止することになる。
  • 2000年3月12日、千秋のソロデビューライブ後、日本武道館でポケットビスケッツとしてライブを行う。これは直前まで千秋には秘密にされ、テレビでも告知されないシークレットライブのスタイルを取った。
このライブでテル・ウド・千秋の今後を祈って手作りの幸せの黄色いハンカチを入場者に配る。ファンの提案で即興の卒業式が行われる。
  • 2002年3月、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!最終回イベント「ウリナリ祭り」で復活を果たした。(メンバー3人が共演・ポケビ活動したのはこれが最後)
  • 2005年9月14日、『吉田照美のやる気MANMAN!』に千秋がゲスト出演した際に、照美が「復活はないの?」と聞き、千秋が「ウッチャンの腰が重い。私はいつでもやる気でいる。」と答えている。
  • 2007年2月22日、千秋が自身のブログ上で最近久しぶりにポケビ会議が行われたことを明かす。さらに近いうちにまたポケビ会議があるかもしれないことも同時に明かしていた。
  • 2007年8月8日、フジテレビ721のイベント「ともえちゃんフォークジャンボリー」[1]に千秋が出演し、単独でポケビの曲「yellow yellow happy」を演奏・熱唱した。
  • 2009年3月8日、フジテレビの『新堂本兄弟』に、千秋が出演し、「YELLOW YELLOW HAPPY」を歌唱。後に本人のブログにて、当時のファンから「堂本兄弟を観て泣いてしまった」というメールが多数届いたことが明かされた。
  • 2011年5月29日、TBSの『クイズ☆タレント名鑑』のコーナー「自分の持ち歌を歌詞を見ずに完璧に歌って100万円」に、ウド鈴木が出演し、ウド自身が作詞をした「GREEN MAN」を歌詞を見ないで1年振りに(番組内の本人談より)歌唱をした。ウドは1番を歌い切って司会者達を沸かせたが、ウド自身のテンションが高くなってしまい2番を歌うことを忘れてしまい100万円獲得はしなかった。
  • 2012年1月25日、日本テレビの『1番ソングSHOW』の2時間SPの特番の中で千秋とキャイ~ンの天野ひろゆきが出演し、天野の願いにより番組内では10年振りに(ウリナリ祭りが2002年3月に開催してるのでちょうど10年前になる)「YELLOW YELLOW HAPPY」を歌唱。尚歌唱映像の放映直後に簡易文章投稿サイト「Twitter」、そのTwitterクライアントの「ついっぷる」、Android用Twitterクライアントの「twicca」においてTwitterでのトレンドランキング、ついっぷるでのHOTワードランキング、twiccaでの最近の話題ランキングの日本部門で放映当日の21時にそれぞれ略称である「ポケビ」が数多くのキーワードを抑えてこの3部門でランキング1位を獲得した。
  • 今も復活のうわさが絶えない。メンバーの千秋も復活を企んでおり、2010年9月11日に「復活はウッチャン次第」と語っている[1]。ネタか本気かは定かではないが、ウリナリのコント内で「内村がポケビに対しあまりやる気がない」とネタにされたことがある。

[編集] 衣装

初代(Rapturous Blue)以外の千秋の衣装は、千秋自身がデザインしたオリジナルである。また、初代の衣装は自前で用意したものである。

  • 初代 - 1995年、曲のタイトル(Rapturous Blue)に合わせ全体的に青でまとめられており、千秋は、Tシャツにジーパン。内村・ウドは2代目の服装と似ている。(ワイシャツが色違いなだけ)
  • 2代目 - 1996年 - 1997年、「YELLOW YELLOW HAPPY」発売に従い、ポップで人形的な衣装に変更。
  • 3代目 - 1997年、「Red Angel」発売に従い、変更。メンバー全員黒いゴシック系の衣装(千秋のドレスは赤いバージョンも使用された事がある)。ウドはこの衣装で出演していた時期に髪の毛を赤に染めている。
  • 4代目 - 同年、「GREEN MAN」発売に従い、変更。内村は白い背広に緑のネクタイ、千秋は薄い緑のドレスにアフロヘアー、メインであるウドは白いライダースーツに緑のシャツで髪の毛を緑に染めている。
  • 5代目 - 同年、アルバム『Colorful』発売に従い、変更。アルバム名どおり、様々な色が混ざったカラフルなワンピースとスーツ。
  • 6代目 - 「My Diamond」の発表に従い、変更。その後、100万人署名達成まで着用し続けた。白とピンクを基調とし、全員左腕にピンクの腕章を着けている。ウドは金髪に変更し以降はそれで通している。
  • 7代目 - 1998年、「POWER」発売に従い、変更。千秋の大きなリボンが特徴。
  • 8代目 - 「Days/My Diamond」発売に従い、変更。千秋はブルーを強調したドレス風の衣装、テル・ウドは黒系の衣装に。
  • 9代目 - 2002年、ウリナリ最終回「ウリナリ祭り」の日のみ見られた衣装。メンバー全員、Red Angelの衣装を強調した衣装だった。
  • その他 - アルバム『Colorful』の曲のとき
    • (千秋)「Pink Princess」 - ピンク色のドレスでお姫様のイメージを強調したものである。
    • (千秋)「White Summer Heaven」 - 麦藁帽子にTシャツと半ズボンで夏らしさをイメージしている。
    • (千秋)「Violet Moon」 - 紫色のワンピースを着ている。
    • (テル)「Orange」 - スーツの下にオレンジ色のワイシャツを着ている。
  • その他2 - 紅白歌合戦の時

3人とも7代目をベースにしているが服の生地が異なっている。また、ブラビと交代したあと千秋とウドは紅白にちなみ赤と白を基調とした衣装に変えて内村はホワイティに早着替えしている。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] シングル

  1. Rapturous Blue1996年4月17日
  2. YELLOW YELLOW HAPPY(1996年9月4日
  3. Red Angel1997年1月22日
  4. GREEN MAN(1997年6月18日
  5. POWER1998年7月22日
  6. Days/My Diamond1999年7月23日

[編集] Yuming+Pocket Biscuits

  1. Millennium(発売日:2000年1月21日)Yuming+Pocket Biscuitsとして
    オリコン最高位7位。
    作詞・作曲:松任谷由実・プロデュース:松任谷正隆。実質上、ポケビの最後のシングル。

[編集] メンバーのソロシングル

  1. 青の住人(発売日:1999年2月24日) - TERU
    オリコン最高位14位、CD出荷枚数25万枚。
    テル作詞作曲の全編ピアノ弾き語り曲。テル=内村のソロ。
    ピアノの高速なトリル・フレーズが特徴で、CD収録時はアレンジャー福田裕彦が演奏をしていたが、テルはその後猛練習を積みFM横浜にて生演奏を披露。名誉挽回を果たす。
  2. マーガレット(発売日:1999年2月24日) - Chiaki & Fruits Flowers
    オリコン最高位11位、CD出荷枚数33万枚。
    百秋(もあき)・千秋(ちあき)・万秋(まあき)のユニット「千秋&フルーツフラワーズ」が歌う(一人三役・千秋のソロ)。
    歌詞がCD版とは多少だが異なるがオロナミンCのCMソングのタイアップがつき、約半年間放送されていた。千秋は大の阪神タイガースファンなのだが、当時のオロナミンCのCMは読売ジャイアンツの選手(斎藤雅樹など)が出演していた。
  3. まごころ(発売日:1999年2月24日)- UDO
    オリコン最高位16位、CD出荷枚数15万枚
    ウドのクラシック・ギターインストゥメンタル曲でウドのソロ。後にプロモーションでのインストアライブの際、当時人気だったSomething ELseと共演する。そして度重なる演奏ミスと番組に出た女性に恋したウドにあきれた内村が、「まごころ〜その後〜」(CD未収録)と称して歌詞を作詞。 シングル・ヴァージョンはアルバム未収録であり、入手困難である。ベストアルバムには、「THANKS Version」と別バージョンで収録されている。またシングル・ヴァージョンとシングルカップリングの「classical version」では旭純が、「THANKS Version」では作曲者である和田薫がアレンジしている。

[編集] CDアルバム

# 曲名 作詞 作曲 編曲 曲長
1 Pink Princess CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 5:22
2 YELLOW YELLOW HAPPY(Album Version) CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 5:13
3 White Summer Heaven CHIAKI パッパラー河合 パッパラー河合 5:06
4 Violet Moon CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 4:38
5 Rapturous Blue(1997 Album Version) CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 5:07
6 Red Angel CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 4:21
7 Orange TERU TERU パッパラー河合 4:23
8 GREEN MAN UDO&ポケットビスケッツ TERU&パッパラー河合 パッパラー河合 4:46
9 Rapturous Blue(New Sound English Memorial Version) CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 5:23
  • Sing a Pocket Biscuits (1997年9月10日)9曲収録
    『Colorful』のカラオケバージョンを収録したアルバム。収録曲は同じ。
  • THANKS2000年3月24日) 13曲収録
    ベストアルバム。CD出荷枚数33万枚。
# 曲名 作詞 作曲 編曲
1 Overture-Millennium- 松任谷由実 松任谷由実 和田薫
2 Rapturous Blue CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
3 YELLOW YELLOW HAPPY CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
4 Red Angel CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
5 GREEN MAN UDO&ポケットビスケッツ TERU&パッパラー河合 パッパラー河合
6 POWER CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
7 Interlude -青の住人- TERU TERU 鍵山稔
8 青の住人 TERU TERU パッパラー河合
9 マーガレット CHIAKI 大野宏明 ウエストサイダーズ
10 まごころ -THANKS Version- (Instrumental) 和田薫 和田薫
11 My Diamond CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
12 Days CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
13 ポケビのうた TERU&UDO 松任谷正隆 松任谷正隆

[編集] ビデオ

  1. ポケットビスケッツ出世物語Part.1(発売日:1997年7月30日
  2. ポケットビスケッツ出世物語Part.2(発売日:1997年7月30日
  3. 100万人署名御礼日本縦断ツアー全記録(発売日:1998年11月18日
  4. ポケットビスケッツ フォーエヴァー 伝説のLIVE IN日本武道館 2000・3・12 〜全てはHappyのために〜(発売日:2000年6月28日
  5. 運命のファイナルステージ ウリナリ祭り完全版(発売日:2002年5月22日)販売元:バップ
    2002年3月11日、東京国際フォーラムにて行われた復活ライブの模様を収録。DVDも同時発売。

以上全て東芝EMIより発売

[編集] Book

  1. 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック 日テレムック』(発売日:1997年10月)日本テレビ放送網 出版

[編集] その他

  1. ポケビのうた(2000年3月12日)(テル・ウドが千秋のために作詞し歌ったポケビ最後の曲・作曲松任谷正隆。アルバム『THANKS』収録)
  2. 千秋・ウドのソロ活動及び「Millennium」「ポケビのうた」を除く全ての曲に作・編曲でパッパラー河合が関わっている。
  3. ファイナルライブ終了後、3人は今の心境を『真っ白』『明るい感じ』そして『幸せな感じ』と笑顔で答えた。
    更にその後明かされたが、千秋から「あれは復活ではない」と言われたらしい。
    1997年6月にはマークスから販売され、また視聴者プレゼントにもなった。
  4. キャイ〜ンが1999年3月末にZepp Tokyoで行った『キャイ〜ンライブ フルアエロバージョン』の冒頭で、『ウド ギター ソロリサイタル』として「まごころ」を演奏した。
    なお「演奏を間違えた場合、その時点で即ライブ終了」という、ポケットビスケッツと同じ様な課題が課せられたが、間違えて即ライブ終了になってしまい、『キャイ〜ンライブ フルエアロバージョン』がスタートされた。

千秋がポケットビスケッツ卒業時に言った、合言葉

  • 「全てはHappyのために」(YELLOW YELLOW HAPPYの一節より)

[編集] 裏話

  • 「ポケットビスケッツ」というユニット名を考えたのは、メンバーのウド鈴木[2]
  • McKee(マッキー)のメンバーを決める際に選ばれず泣く千秋を見かねて「第二のマモーミモーを作ってやるダニ!」宣言をして、千秋と共に活動。
  • ウリナリ企画ユニット(マッキー)のユニット名決定の場で、テル(内村光良)がウドを引き抜き「テル、ウド鈴木、千秋」3人のユニットを組んだ。その際、Mckee(マッキー)のプロデューサー南々見一也(南原)が、Mckeeのユニット名として選ばれなかった、ウドが提案したグループ名「ポケットビスケッツ」をテルが支持していたために、ユニット名にすることを提案し、命名される。
  • Mckeeは南々見が作詞をしていた様な演出をしていたのだが、「あれは、スタッフが南々見の名前で作詞をした。」と後に、雑誌取材でうち明ける。
  • 以前、テル(内村光良)は2人と距離を感じていたが、100万人署名活動前後から、2人との距離が縮まった。
  • プライベートでもよく3人でドライブに行っていた。ある時は3人でドライブ用のテープを持ち寄るが全員ポケビの曲のテープを持ってきたため、結局その日は自分たちの曲をずっと聴く羽目になったらしい(ウンナンの気分は上々。より)。
  • 現在も3人で遊ぶことがあり、それを「ポケビ会議」と呼んでいる。
  • ウドは担当だったギターの練習を怠け続け、レコーディングにも殆ど弾けない状態で臨み、この時ばかりは普段温厚な内村も、本気でウドを怒鳴りつけたという。
  • ポケビの全国ツアーの最初の地となった沖縄では、当時ウリナリ!を放送していた沖縄テレビ製作のローカル番組にポケビの3人が出演してライブの告知を行ったが、3人はポケビの衣装やキャラではなく素の状態で出演し、ライブ企画の基となった具体的な番組名も口にしていなかった。
  • シングルCDの価格は、全作品500円であった。当時日本で一般的なシングルCDの価格が約1000円なのに対し、500円は小学生にお小遣いで買える手頃な値段であり、ファンの多くは小学生だった。「小学館の学年別学習雑誌」の取材を頻繁に受けていた。

[編集] 脚注

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  1. ^ 千秋、ポケビ復活は「企んでいる」 初体験の日比谷野音で野望語る(オリコン)
  2. ^ 元々はMcKeeのユニット名として考えられたものだがボツになったためそのユニット名が採用された

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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