ウルトラキャッツ

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ウルトラキャッツ(Ultra Cats)は、日本バラエティ番組ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系列)から生まれた歌手ユニット(ウリナリからデビューした最後のユニット)。韓国出身の女性歌手・ジニーをメインボーカルとした4人組のダンスユニットである。

目次

[編集] メンバー

[編集] 概要

  • 「歌手になりたい」というジニーの熱い思いを受け、同番組の「ポケットビスケッツ」で成功した経験のある内村が立ち上げたユニット。「ジニーを空高く、打ち上げるぞぉ~!」と言う内村の言葉で始まった。結成当初は、ジニー・内村・ウドの3人であったが、ポケビとの差別化をはかるためと、カラオケに行った時に大竹の歌がうまかったということで、マネージャーという立場であった大竹がメンバーに加入した。
  • 2001年10月、バレーボール世界一決定戦「World Grand Champions Cup 2001 (グラチャン)」テーマソングの座をかけ、ライバルのメモリー南原(南原清隆)率いる「メモリーキャッツ」との対戦を行うも敗戦。ここで一旦日本での活動を諦め、舞台を韓国へ移す。皮肉な事に勝利したメモリーキャッツはこの後すぐに課せられた試練を乗り越えられず、わずか2ヵ月半で活動停止になってしまう。
  • 韓国でのデビューは日本以上にハードルが高く難しいと勧告を受けるが、内村が1000人収容のコンサートホールを一席も漏らさず客で埋めてみせると宣言。これがデビューの条件となる。歌やダンス・韓国語コントの練習を行い、ライブ4日前から自主プロモーションを開始。路上ライブをしながら作成した1000枚のCDを配っていく。当のライブは92人しか埋まらず失敗に終わったが、この時のファンが以後の活動を後押ししていく事となる。
  • その後、再び韓国へ。ファンのアドバイスでテレビ局やライブハウスを回るが歌は取り合ってもらえず、何とかコントの面で観客100人のお笑いライブ参加へ漕ぎつける。この時韓国のコメディアンから厳しい批判を受けるも、実際のライブでは笑いを取る事が出来た。
  • そして更なる活動を展開。マスコミに取材を依頼しつつ、天野から人気歌番組の出演オファーを持ち掛けられる。「素人として出演し、観客から七割の支持を得られればデビュー」の条件が提示され、九割近い支持を受けこれをクリア。同時に日本でのデビューも約束されたが、一方でウリナリの放送期間は僅かしか残されていなかった。
  • ここまでで『ウリナリ』が放送終了。半端な形で終わらせたくないという内村の希望により、2002年4月より他局であるTBSの深夜番組『ウルトラ』(東京、岡山/毎週月曜 25:20~25:50・放送回によっては『ウルトラC』というタイトルにて放送)にて活動再開。半年間の活動の後、2002年9月に番組終了とともに惜しまれつつ活動を休止した。
  • 2002年9月16日にウルトラキャッツ最初で最後のライブをZepp Tokyoにて開催。この時、リーダーであるウチムラが「1、2年の内に復活する」と宣言しており、活動再開とこのライブのDVD化を望むファンも多い。

  ちなみに、このライブはTBSと日本テレビが協力して行った。

  • 活動休止後、ジニーは故郷・韓国で「チェヨン」名義で歌手活動を行なっている。

[編集] 補足

2002年6月10日関口宏の東京フレンドパークII』でグランドスラムを達成。さらに、ウド鈴木以外はそれぞれ欲しい商品を獲得。メンバーは、空気を読んでいないのではないかと、しきりに恐縮していた。

[編集] ディスコグラフィー

全てソニー・ミュージックエンタテインメントレーベル・So-ffio RECORDSより発売。

[編集] シングル

  1. 「バレム~願い~」(2002年3月13日
    作詞:ウルトラキャッツ、作・編曲:金祐賑
    日本テレビ系「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」より
  2. 「空と大地が出会う場所」(2002年6月19日
    作詞:渡辺なつみ、作曲:南俊介
  3. 「天使ノタメイキ」(2002年9月4日
    作詞:ウド鈴木石川あゆ子、作曲:大谷靖夫、編曲:勝又隆一
    TBSテレビ系「新・ウンナンの気分は上々。」エンディングテーマ

[編集] アルバム

  1. 「ウルトラ C」(2002年9月19日

[編集] 主な出演

[編集] テレビ

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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