「兵庫県南部地震」の版間の差分
書誌情報補足。dx.doi -> doi , 内容の深い理解につながらない西暦年のリンクを除去 |
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|tsunami=微弱 |
|tsunami=微弱 |
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|type=[[地震#内陸地殻内地震|直下型地震]]<br />[[断層#逆断層|逆断層]]・[[断層#横ずれ断層|横ずれ断層]]型 |
|type=[[地震#内陸地殻内地震|直下型地震]]<br />[[断層#逆断層|逆断層]]・[[断層#横ずれ断層|横ずれ断層]]型 |
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|after=震度1以上: 190回<br />震度0: 1,615回<br /> |
|after=震度1以上: 190回<br />震度0: 1,615回<br />(1995年[[3月1日]]時点) |
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|mostafter= |
|mostafter=1995年1月17日5時50分、M5.2、最大震度4 |
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|deaths=死者 6,434人<br />行方不明者 3人<br />負傷者 43,792人 |
|deaths=死者 6,434人<br />行方不明者 3人<br />負傷者 43,792人 |
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|money=約10兆円 |
|money=約10兆円 |
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地震の震源は[[野島断層]]([[六甲・淡路島断層帯]]の一部)付近で、地震により[[断層]]が大きく隆起して地表にも露出している。 |
地震の震源は[[野島断層]]([[六甲・淡路島断層帯]]の一部)付近で、地震により[[断層]]が大きく隆起して地表にも露出している。 |
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なお、 |
なお、1996年(平成8年)9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の震度7が記録された地震で、機械計測ではなく現地調査によって震度7と判定された。1996年4月以降は、観測員の体感での震度決定ではなく、より客観的とされる機械計測での震度観測に完全移行している。 |
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== 名称 == |
== 名称 == |
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1995年1月17日午前5時46分に発生した当地震に対し、同日午前10時に政府が「兵庫県南部地震非常災害対策本部」の設置を決定した<ref name="KobeUniv-Awaji">[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/1-287/ メモリアル・フォト M7.2の恐怖](淡路町発行。[[神戸大学]]附属図書館「[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/eqb/index.html 震災文庫]」)</ref>。同日午前11時、[[気象庁]]は当地震を「'''平成7年(1995年)兵庫県南部地震'''」({{lang-en-short|the 1995 Southern Hyogo Prefecture Earthquake}}<ref>{{PDFlink|[http://www.isc.ac.uk/iscbulletin/agencies/JMA-ops.pdf Operational Procedures of Contributing Agencies]}}(気象庁地震火山部 著。[[イギリス|英国]]国際地震センター 発行)</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.jma.go.jp/jma/en/Activities/jishintsunami/jishintsunami_low1.pdf 地震と津波 ― 防災と減災のために ― |
1995年1月17日午前5時46分に発生した当地震に対し、同日午前10時に政府が「兵庫県南部地震非常災害対策本部」の設置を決定した<ref name="KobeUniv-Awaji">[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/1-287/ メモリアル・フォト M7.2の恐怖](淡路町発行。[[神戸大学]]附属図書館「[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/eqb/index.html 震災文庫]」)</ref>。同日午前11時、[[気象庁]]は当地震を「'''平成7年(1995年)兵庫県南部地震'''」({{lang-en-short|the 1995 Southern Hyogo Prefecture Earthquake}}<ref>{{PDFlink|[http://www.isc.ac.uk/iscbulletin/agencies/JMA-ops.pdf Operational Procedures of Contributing Agencies]}}(気象庁地震火山部 著。[[イギリス|英国]]国際地震センター 発行)</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.jma.go.jp/jma/en/Activities/jishintsunami/jishintsunami_low1.pdf 地震と津波 ― 防災と減災のために ― Earthquakes and Tsunamis – Disaster prevention and mitigation efforts –]}} 気象庁</ref>)と[[気象庁が命名した自然現象の一覧|命名]]した<ref name="KobeUniv-Awaji"/>。 |
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当地震によって引き起こされた災害([[震災]])の名称が、政府によって決定されるまでの経緯については「[[阪神・淡路大震災#名称]]」を参照。 |
当地震によって引き起こされた災害([[震災]])の名称が、政府によって決定されるまでの経緯については「[[阪神・淡路大震災#名称]]」を参照。 |
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== 本震 == |
== 本震 == |
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* 発生時刻 |
* 発生時刻:1995年(平成7年)1月17日 5時46分52秒([[日本標準時|JST]]) |
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* 震央:[[淡路島]]北部、[[兵庫県]][[津名郡]][[北淡町]](現[[淡路市]]) [[緯度|北緯]]34度35分54秒、[[経度|東経]]135度2分6秒 |
* 震央:[[淡路島]]北部、[[兵庫県]][[津名郡]][[北淡町]](現[[淡路市]]) [[緯度|北緯]]34度35分54秒、[[経度|東経]]135度2分6秒 |
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* [[震源]]の深さ:16km |
* [[震源]]の深さ:16km |
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* 地震の規模:[[マグニチュード]]7.3([[マグニチュード#気象庁マグニチュード Mj|気象庁マグニチュード]]。当初は気象庁マグニチュードで7.2だったが、 |
* 地震の規模:[[マグニチュード]]7.3([[マグニチュード#気象庁マグニチュード Mj|気象庁マグニチュード]]。当初は気象庁マグニチュードで7.2だったが、2001年4月23日の気象庁マグニチュードの改訂により7.3に修正された。気象庁<ref name="Jma1995">ホーム > 各種データ・資料 > 地震月報(カタログ編) > {{PDFlink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/mech/pdf/cmt1995.pdf 主な地震のCMT解 1995年]}} 気象庁</ref>および[[アメリカ地質調査所|USGS]]による[[マグニチュード#モーメントマグニチュード Mw|モーメントマグニチュード]]は6.9) |
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=== 各地の震度 === |
=== 各地の震度 === |
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震度4以上の揺れを観測した地域は以下の通り<ref>[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/Event.php?ID=132682 各地の震度](気象庁)</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.fdma.go.jp/bn/data/010604191452374961.pdf 阪神・淡路大震災について(確定報)]}} |
震度4以上の揺れを観測した地域は以下の通り<ref>[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/Event.php?ID=132682 各地の震度](気象庁)</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.fdma.go.jp/bn/data/010604191452374961.pdf 阪神・淡路大震災について(確定報)]}} 消防庁</ref>。気象庁の観測点における震度6までは[[地震計|計測震度計]]<ref group="注">当時は計測された震度が状況と合わない、又は震度計が故障した場合は職員が震度を判定して修正した。例:洲本。</ref>、震度7は現地調査による。地名は当時のもの。 |
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{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
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=== 津波 === |
=== 津波 === |
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気象庁は本地震発生後間もなく、各予報区に「ツナミナシ」の[[津波注意報]](なし)を出した<ref>気象庁: 平成7年(1995年)兵庫県南部地震調査報告,『気象庁技術報告第119号』</ref>。顕著な津波も見られず、津波被害は報告されていないが、各[[検潮所]]の記録を解析した結果、淡路島の江井で最大振幅68cm、大阪の[[深日]]で同40cmなど、小規模な津波が発生していたことが明らかになった<ref name="Hatori1997">[[羽鳥徳太郎]](1997):[https:// |
気象庁は本地震発生後間もなく、各予報区に「ツナミナシ」の[[津波注意報]](なし)を出した<ref>気象庁: 平成7年(1995年)兵庫県南部地震調査報告,『気象庁技術報告第119号』</ref>。顕著な津波も見られず、津波被害は報告されていないが、各[[検潮所]]の記録を解析した結果、淡路島の江井で最大振幅68cm、大阪の[[深日]]で同40cmなど、小規模な津波が発生していたことが明らかになった<ref name="Hatori1997">[[羽鳥徳太郎]](1997):[https://doi.org/10.4294/zisin1948.49.4_461 1995年兵庫県南部地震津波の規模および波源域] 地震 第2輯 1997年 49巻 4号 p.461-466,{{doi|10.4294/zisin1948.49.4_461}}</ref>。[[今村明恒|今村]]・[[飯田汲事|飯田]]の津波規模では ''m'' = -2 であり、地震の規模に対し2段階ほど小さいものであった<ref name="Hatori1997" />。 |
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[[堺市|堺]]、[[泉北]]および[[四国]]側では験潮記録が押し波で始まり、[[洲本市|洲本]]、[[和歌山市|和歌山]]および[[播磨灘]]側の東二見および広畑は引き波の初動であった。この播磨灘側の引き波初動は本地震において[[野島断層]]の西側が沈降した事実と調和的であった<ref name="Hatori1997" />。 |
[[堺市|堺]]、[[泉北]]および[[四国]]側では験潮記録が押し波で始まり、[[洲本市|洲本]]、[[和歌山市|和歌山]]および[[播磨灘]]側の東二見および広畑は引き波の初動であった。この播磨灘側の引き波初動は本地震において[[野島断層]]の西側が沈降した事実と調和的であった<ref name="Hatori1997" />。 |
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=== 被害 === |
=== 被害 === |
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{{Main|阪神・淡路大震災}} |
{{Main|阪神・淡路大震災}} |
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兵庫県南部を中心に大きな被害を出した。死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人に上り、689,776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達した。戦後の国内災害では、 |
兵庫県南部を中心に大きな被害を出した。死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人に上り、689,776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達した。戦後の国内災害では、2011年3月11日の[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])に次ぐ被害である。 |
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== メカニズムと構造 == |
== メカニズムと構造 == |
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{{出典の明記|date=2013年11月|section=1}} |
{{出典の明記|date=2013年11月|section=1}} |
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[[File:Nojima fault side view.jpg|thumb|野島断層]] |
[[File:Nojima fault side view.jpg|thumb|野島断層]] |
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地震前後の測地データを解析<ref>[http:// |
地震前後の測地データを解析<ref>橋本学、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10810248 測地測量に基づく1995年兵庫県南部地震の地震像] 地質学論集 (51), 37-50, 1998-03-24, {{naid|110003026038}}</ref>および余震の分布などから、兵庫県南部地震を起こした[[断層]]は「[[六甲・淡路島断層帯]]」で<ref>中田高、蓬田清、尾高潤一郎 ほか、[https://doi.org/10.5026/jgeography.104.127 1995年兵庫県南部地震の地震断層] 地学雑誌 1995年 104巻 1号 p.127-142, {{doi|10.5026/jgeography.104.12}}</ref>、断層帯南部の[[淡路島]]北側の江井崎から伊丹市中心部付近まで南西から北東に伸びる淡路区間と呼ぶ約50km、深さ約5 - 18kmの断層面であった。この断層面の南西の端から始まった断層のずれは、約10秒間に断層全体に広がって大きな揺れを引き起こしたと推定されている。 |
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断層面の真上に当たる帯状の地域を概観すると[[淡路島]]北部では地下の六甲-淡路断層帯のずれが地上にまで明瞭に現れ、[[野島断層]]のずれが地表にあらわれたが、走方向の異なる野島断層の南側にある志筑断層は活動をしていない<ref>{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou55/07-05.pdf 兵庫県南部地震前の地震活動(続報)(茂木清夫)] 地震予知連絡会 第55巻}}</ref>。一方、本州の神戸市南部では堆積層に隠されたため地面の亀裂が見られた程度で明瞭な断層面は地表には現れなかった<ref>{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou54/07-11.pdf 兵庫県南部地震の近地強震波形解析による震源過程(気象庁)] 地震予知連絡会 第54巻}}</ref>。 |
断層面の真上に当たる帯状の地域を概観すると[[淡路島]]北部では地下の六甲-淡路断層帯のずれが地上にまで明瞭に現れ、[[野島断層]]のずれが地表にあらわれたが、走方向の異なる野島断層の南側にある志筑断層は活動をしていない<ref>{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou55/07-05.pdf 兵庫県南部地震前の地震活動(続報)(茂木清夫)] 地震予知連絡会 第55巻}}</ref>。一方、本州の神戸市南部では堆積層に隠されたため地面の亀裂が見られた程度で明瞭な断層面は地表には現れなかった<ref>{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou54/07-11.pdf 兵庫県南部地震の近地強震波形解析による震源過程(気象庁)] 地震予知連絡会 第54巻}}</ref>。しかし、堆積層下の断層に沿った神戸市須磨区から西宮市の地上には幅1km長さ20kmの『震災の帯』と呼ばれるの帯状の被害集中域<ref>沖村孝、鳥居宣之、吉田晋暢 ほか、[https://doi.org/10.11532/proee1997.26.149 地震動増幅特性と構造物分布を考慮した木造構造物被災度評価に関する研究] 地震工学研究発表会講演論文集 2001年 26巻 p.149-152, {{doi|10.11532/proee1997.26.149}}</ref>が生じ、その地域の揺れが特に大きかったことを示している。この被害の『震災の帯』は六甲・淡路島断層の真上ではなく未知の活断層による物とする説<ref>鈴木康弘:{{PDFlink|[http://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/wp-content/uploads/2014/07/2014-03-17.pdf 活断層調査の最前線 —航空レーザによる活断層再発見—] 東海の減災を考える 名古屋大学減災連携研究センターからの提言(2014-03)}}</ref>と盆地境で生成された表面波や回折波と増幅干渉効果のためとする説<ref name="FURUMURA">[http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/people/furumura/kobe.htm 古村孝志:1995年兵庫県南部地震と震災の帯] </ref>があり、[[縄文海進]]より海岸側の沖積平野に集中している。 |
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しかし、堆積層下の断層に沿った神戸市須磨区から西宮市の地上には幅1km長さ20kmの『震災の帯』と呼ばれるの帯状の被害集中域<ref>[http://dx.doi.org/10.11532/proee1997.26.149 地震動増幅特性と構造物分布を考慮した木造構造物被災度評価に関する研究] 地震工学研究発表会講演論文集 Vol.26 (2001) P149-152</ref>が生じ、その地域の揺れが特に大きかったことを示している。この被害の『震災の帯』は六甲・淡路島断層の真上ではなく未知の活断層による物とする説<ref>鈴木康弘:{{PDFlink|[http://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/wp-content/uploads/2014/07/2014-03-17.pdf 活断層調査の最前線 —航空レーザによる活断層再発見—] 東海の減災を考える 名古屋大学減災連携研究センターからの提言(2014-03)}}</ref>と盆地境で生成された表面波や回折波と増幅干渉効果のためとする説<ref name="FURUMURA">[http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/people/furumura/kobe.htm 古村孝志:1995年兵庫県南部地震と震災の帯] </ref>があり、[[縄文海進]]より海岸側の沖積平野に集中している。 |
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=== 本震の解析 === |
=== 本震の解析 === |
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振動データの解析結果より、約10秒間の本震は複数のサブイベントからなる多重震源地震であった。解析結果はいくつかあり、 |
振動データの解析結果より、約10秒間の本震は複数のサブイベントからなる多重震源地震であった。解析結果はいくつかあり、 |
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#釜江ら(1997) - 3つのサブイベントで「最初に動いたのは明石海峡直下、次いで淡路島側が動き、最後に神戸市側が動いた」とする説<ref name="1995hyogo">[ |
# 釜江ら(1997) - 3つのサブイベントで「最初に動いたのは明石海峡直下、次いで淡路島側が動き、最後に神戸市側が動いた」とする説<ref name="1995hyogo">[https://doi.org/10.3130/aijs.62.29_7 釜江克宏 入倉孝次郎,1995年兵庫県南部地震の断層モデルと震源近傍における強振動シミュレーション] 日本建築学会構造系論文集 1997年 62巻 500号 p.29-36, {{naid|110004303423}}, {{doi|10.3130/aijs.62.29_7}}</ref><ref>[http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/gk/publication/1/I-5.3.2.html 強震動の基礎 複雑な断層破壊] 防災科学技術研究所</ref><ref name="ISSN.13404202"/> |
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#松島ら(2000) - 4つのサブイベントとする説<ref name="ISSN.13404202">{{PDFlink|[http://zeisei5.dpri.kyoto-u.ac.jp/members/publications/Matsushima-Kawase%282000%29AIJ.pdf 松島信一、川瀬博:1995年兵庫県南部地震の複数アスペリティモデルの提案とそれによる強震動シミュレーション]日本建築学会構造系論文集 (534), 33-40, 2000-08-30}}</ref> |
# 松島ら(2000) - 4つのサブイベントとする説<ref name="ISSN.13404202">{{PDFlink|[http://zeisei5.dpri.kyoto-u.ac.jp/members/publications/Matsushima-Kawase%282000%29AIJ.pdf 松島信一、川瀬博:1995年兵庫県南部地震の複数アスペリティモデルの提案とそれによる強震動シミュレーション]日本建築学会構造系論文集 (534), 33-40, 2000-08-30}}</ref> |
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#平井、釜江(2006)らは解析を重ね1997年に3つとしていた解析を5つのサブイベントとする説<ref>[ |
# 平井、釜江(2006)らは解析を重ね1997年に3つとしていた解析を5つのサブイベントとする説<ref>平井俊之、釜江克宏、長沼敏彦 ほか[https://doi.org/10.5610/jaee.6.3_1 分岐断層の特性化震源モデルを用いた兵庫県南部地震の強震動シミュレーション] 日本地震工学会論文集 2006年 6巻 3号 p.1-11</ref><br />などである。 |
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周辺の測量結果からは、5つのサブセグメントの断層モデルが提唱されている<ref>[ |
周辺の測量結果からは、5つのサブセグメントの断層モデルが提唱されている<ref>林愛明、宇田進一、[https://doi.org/10.5110/jjseg.37.160 明石海峡のテクトニクスと兵庫県南部地震] 応用地質 1996年 37巻 3号 p.160-171, {{doi|10.5110/jjseg.37.160}}</ref>。なお、古村(1995)は堆積層内で反射し回析した地震波が、神戸地域で木造家屋を倒壊させやすい周期約1秒のパルス(キラーパルス)となり倒壊被害が拡大した<ref name="FURUMURA"/>と分析している。 |
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=== 余震 === |
=== 余震 === |
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[[余震]]の推移を見ると震度0の無感以上の地震が[[本震]]以後の |
[[余震]]の推移を見ると震度0の無感以上の地震が[[本震]]以後の1995年で2360回、1996年と1997年がともに100回台と次第に回数が減少し、規模も小さくなっている。最大余震は本震と同日の7時34分に起こったM5.4の地震で、奈良で震度4の中震を観測した<ref>[http://www.jishin.go.jp/main/chousa/95dechy/p02.htm 震度4を観測した余震]</ref>。2008年4月17日には、大阪湾を震源とするM4.1の地震が発生し、明石市で震度4を観測している。 |
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== 前兆現象 == |
== 前兆現象 == |
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後の研究より幾つかの前兆現象が発生していたことが |
後の研究より幾つかの前兆現象が発生していたことが報告されている<ref>{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou67/11-09.pdf 1995年兵庫県南部地震の予測可能性:地震活動からみた予測性(京大防)]}}</ref><ref name="nf-vol100">{{PDFlink|[http://www.zisin.jp/publications/pdf/nf-vol100.pdf 日本地震学会広報紙「なゐふる」 100号(2015年1月)] 日本地震学会}}</ref>。 |
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=== 広域歪みの変動 === |
=== 広域歪みの変動 === |
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=== 猪名川群発地震 === |
=== 猪名川群発地震 === |
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「 |
「1994年11月9日以降、兵庫県猪名川町付近で有感の微震が断続的に発生した一連の活動が、前兆であった可能性が高い」<ref>{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou53/06-07.pdf 兵庫県猪名川町の群発地震について(京大防)]}} 地震予知連絡会 会報第53巻, {{naid|20000167003}}</ref>とする研究がある一方、「兵庫県猪名川町と本震の震源が40km以上離れており無関係である」とする指摘がある<ref name="nf-vol100"/>。 |
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=== 前震 === |
=== 前震 === |
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本震前日の |
本震前日の1月16日の18時28分、[[明石海峡]]付近を震源とするM3.3の地震が発生し神戸で震度1の微震を観測したのを始まりに16日中に計4回の小さな地震(M3 - 1.5)が観測された<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/14-145/eqb26_153.html 阪神.淡路大震災を体験して、今後の地震についての考察] アマチュア無線運用とHAMボランティアの活動 : 阪神・淡路大震災 : 実状記録と反省そして更なる無線運用の構築に向けて 1995阪神・淡路大震災で活動したアマチュア無線家有志</ref><ref>{{PDFlink|[http://www2.jpgu.org/meeting/2002/pdf/s040/s040-p005.pdf 兵庫県南部地震の前震に現れた初期フェイズの普遍性]}} 地球惑星科学関連学会 2002年合同大会</ref>。これは大方のところ、翌日の大地震の[[前震]]だったと見られている。しかし当時も含め現在、前震から大地震の発生を予測するのは困難であるとされる。 |
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これは無数にある地震のパターンからどのようなものが前震であるかいまだに見つけられていないこと<ref>{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou54/07-19.pdf 兵庫県南部地震の前震波形の特異性について(京大防)] |
これは無数にある地震のパターンからどのようなものが前震であるかいまだに見つけられていないこと<ref>{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou54/07-19.pdf 兵庫県南部地震の前震波形の特異性について(京大防)]}} 地震予知連絡会 会報第54巻</ref>や、前震を捕らえるためには特定の地域を精密に長期的に観測し続けることが必要なことなどが理由として挙げられる。ただ前震と本震との関連性やパターンが明らかになれば大地震の予知につながるものだとされ、研究が行われている。 |
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=== 宏観異常現象 === |
=== 宏観異常現象 === |
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地震の数日前から直前に至るまでの間に、[[近畿地方|関西地方]]を中心として様々な異常現象が見られたという一部の人からの報告がある。異常現象の例として、地下水位(井戸)の水位異常、「[[地震雲]]」をはじめに謎の夜間発光現象の目撃情報、[[ミミズ]]や[[昆虫]]の異常大量発生、動物の異常な行動、[[携帯電話]]などの電波を用いる機器の異常、[[太陽]]・[[月]]の光などの異常などである<ref>[ |
地震の数日前から直前に至るまでの間に、[[近畿地方|関西地方]]を中心として様々な異常現象が見られたという一部の人からの報告がある。異常現象の例として、地下水位(井戸)の水位異常、「[[地震雲]]」をはじめに謎の夜間発光現象の目撃情報、[[ミミズ]]や[[昆虫]]の異常大量発生、動物の異常な行動、[[携帯電話]]などの電波を用いる機器の異常、[[太陽]]・[[月]]の光などの異常などである<ref>弘原海清、[https://doi.org/10.11419/senshoshi1960.38.663 地震の予知・予兆] 繊維製品消費科学会誌 1997年 38巻 12号 p.663-669, {{doi|10.11419/senshoshi1960.38.663}}</ref><ref>[http://kansaidoyukai.or.jp/Portals/1/PDF/地震前兆情報の利活用に関する調査・研究と提言12.htm 第2章 宏観異常現象の分析と評価] 地震前兆情報の利活用に関する調査・研究と提言(第1次報告書) 関西サイエンス・フォーラム</ref>。 |
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これらは、[[宏観異常現象]]として将来の地震予知に役立つのではないかと考えられている。それらの証言・情報を収集し研究する[[研究者]]もいるものの検証不足などが指摘されており、[[疑似科学]]程度に過ぎないとされているものが多い。しかしながら地震発生約10年前の1984年から神戸薬科大学において記録が残っている大気中の[[ラドン]]濃度の異常<ref>[ |
これらは、[[宏観異常現象]]として将来の地震予知に役立つのではないかと考えられている。それらの証言・情報を収集し研究する[[研究者]]もいるものの検証不足などが指摘されており、[[疑似科学]]程度に過ぎないとされているものが多い。しかしながら地震発生約10年前の1984年から神戸薬科大学において記録が残っている大気中の[[ラドン]]濃度の異常<ref>石川徹夫、安岡由美、長濱裕幸 ほか、[https://doi.org/10.5453/jhps.43.253 地震とラドン濃度異常 (II) 兵庫県南部地震前に観測された大気中ラドン濃度異常] 保健物理 2008年 43巻 3号 p.253-267, {{doi|10.5453/jhps.43.253}}</ref><ref>安岡由美、川田祐介、長濱裕幸 ほか、[https://doi.org/10.14862/geochemproc.55.0.39.0 兵庫県南部地震前のラドン散逸と地殻歪変化の呼応について] 日本地球化学会年会要旨集 2008年度日本地球化学会第55回年会講演要旨集 セッションID:1B15 10-04, {{doi|10.14862/geochemproc.55.0.39.0}}</ref>や地下水位<ref>[https://doi.org/10.5110/jjseg.37.351 地震による地下水の変動] 応用地質 1996年 37巻 4号 p.351-358, {{doi|10.5110/jjseg.37.351}}</ref>および水中ラドン濃度の変化<ref>角森史昭、[https://doi.org/10.5917/jagh.51.43 地殻変動に伴う地下水中のラドン濃度変化] 地下水学会誌 2009年 51巻 1号 p.43-47, {{doi|10.5917/jagh.51.43}}</ref>など、ある程度の有意性が認められているものもある。 |
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== 地震後の制度見直し == |
== 地震後の制度見直し == |
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本地震では、震度観測・発表は様々な課題を残すことになり、翌 |
本地震では、震度観測・発表は様々な課題を残すことになり、翌1996年の震度階級改正、観測点増設の契機となった。 |
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=== 震度7の速報化 === |
=== 震度7の速報化 === |
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地震発生当初は、神戸・洲本の[[気象庁震度階級|震度]]6が最大震度とされていた。地震3分後の地震速報で震度の情報がテレビのニュースで報道されたのは、「震度5:京都、彦根、豊岡、震度4:岐阜・・大阪・・」などであり、速報では震度6は報道されなかった。6時4分に「確実な情報ではない」と断った上で「神戸震度6」が報道された。気象庁が正式に神戸震度6と発表したのは6時18分であった。これは当時既に気象官署の震度は機械計測で、「[[COSMETS|アデス]](ADESS)」(気象資料自動編集中継装置)という専用回線で気象庁に送られる仕組みであったが、[[神戸地方気象台|神戸海洋気象台]](神戸市[[中央区 (神戸市)|中央区]]中山手)から大阪管区気象台間の回線にトラブルが生じて伝わらなかったためであった。また、夜間無人である洲本測候所(洲本市小路谷)では地震によって震度計が壊れてしまい、地震後に駆けつけた職員が状況から震度6と判定し、気象庁が「洲本震度6」と発表したのは7時29分であった<ref name="Nakamori">中森広道, {{PDFlink|[http://www.showado-kyoto.jp/files/hansin1/113.pdf 1 阪神・淡路大震災における初動情報]}}</ref>。 |
地震発生当初は、神戸・洲本の[[気象庁震度階級|震度]]6が最大震度とされていた。地震3分後の地震速報で震度の情報がテレビのニュースで報道されたのは、「震度5:京都、彦根、豊岡、震度4:岐阜・・大阪・・」などであり、速報では震度6は報道されなかった。6時4分に「確実な情報ではない」と断った上で「神戸震度6」が報道された。気象庁が正式に神戸震度6と発表したのは6時18分であった。これは当時既に気象官署の震度は機械計測で、「[[COSMETS|アデス]](ADESS)」(気象資料自動編集中継装置)という専用回線で気象庁に送られる仕組みであったが、[[神戸地方気象台|神戸海洋気象台]](神戸市[[中央区 (神戸市)|中央区]]中山手)から大阪管区気象台間の回線にトラブルが生じて伝わらなかったためであった。また、夜間無人である洲本測候所(洲本市小路谷)では地震によって震度計が壊れてしまい、地震後に駆けつけた職員が状況から震度6と判定し、気象庁が「洲本震度6」と発表したのは7時29分であった<ref name="Nakamori">中森広道, {{PDFlink|[http://www.showado-kyoto.jp/files/hansin1/113.pdf 1 阪神・淡路大震災における初動情報]}}</ref>。 |
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本地震は、 |
本地震は、1948年の[[福井地震]]を契機として1949年に震度7が創設されて8段階になった震度で初めて震度7を観測、後述する翌年10月からの新震度移行により「烈震」や「激震」などの別名が廃止されたため日本の地震史上最初で最後の「激震」と呼ばれる地震となった。だが、当時は震度7を速報できる体制にはなかった。当時の震度が震度6までは各地の[[地震計#強震計、震度計|震度計]]の測定情報を基にした速報体制が敷かれていたものの震度7については倒壊家屋の割合が3割を超えることが基準であったため、後の現地調査によって判定されていたことによる<ref name="Jma1997">気象庁(1997): {{PDFlink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/1995_01_17_hyogonanbu/tech/119_02_survey.pdf 第2章 現地調査]}}, 気象庁技術報告, 第119号</ref>。そのため、気象庁が正式に震度7と判定された地域を発表したのは地震から半月以上経った2月7日である。このため、地震発生や震度などのより早い情報提供を求める声も高まっていた。 |
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これを踏まえ、1996年 |
これを踏まえ、1996年4月1日から震度7も含めて全ての震度を[[計測震度]]として速報が可能な体制に変更された<ref name="Nakamori" /><ref>[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/ 震度について 震度の階級] 気象庁</ref>。 |
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=== 震度階の改定 === |
=== 震度階の改定 === |
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震度5や震度6では同じ震度でも被害の程度に大きな差があることが指摘されていた。例えば、本地震の神戸海洋気象台の震度6(計測震度6.4)と、約3週間前に起こった[[三陸はるか沖地震]]の八戸測候所の震度6(計測震度5.6<ref name="Jma2009a">第1章 計測震度と被害等との関係について, [http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/study-panel/shindo-kentokai/ 震度に関する検討会], 気象庁</ref>)では、同じ震度6でも被害の程度に大きな幅があるとの指摘があった<ref name="Hiroi2000">廣井脩 |
震度5や震度6では同じ震度でも被害の程度に大きな差があることが指摘されていた。例えば、本地震の神戸海洋気象台の震度6(計測震度6.4)と、約3週間前に起こった[[三陸はるか沖地震]]の八戸測候所の震度6(計測震度5.6<ref name="Jma2009a">第1章 計測震度と被害等との関係について, [http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/study-panel/shindo-kentokai/ 震度に関する検討会], 気象庁</ref>)では、同じ震度6でも被害の程度に大きな幅があるとの指摘があった<ref name="Hiroi2000">廣井脩、「2000年代の災害情報」 季刊 消防科学と情報 (59), 9-14, 1999-12, 消防防災科学センター, {{naid|40004572925}}</ref>。 |
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この反省を踏まえて |
この反省を踏まえて1995年3月1日には気象庁が発表する地震情報を改編し、地震速報(震度3以上の地域名)・津波予報(津波の到達地域と高さ)・津波情報(津波到達予想時刻、観測時刻、観測波高)・地震情報(震源位置・規模・震度3以上の地域名)・各地の震度に関する情報(震源位置、規模、震度1以上の観測点)の5段階の体制となった。1996年10月1日から震度5と震度6をそれぞれ「弱」と「強」に分け、震度7についても震度計を使った10段階による測定に移行、「烈震」や「激震」などと言った別名を廃止した。 |
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=== 震度観測点の増設 === |
=== 震度観測点の増設 === |
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大阪での震度が4で、大阪よりも震源から遠い京都が5となっている。当時、気象庁が大阪府内に設置していた震度観測点は[[大阪管区気象台]](大阪市[[中央区 (大阪市)|中央区]][[大手前]])の一ヶ所だけで、震度計は[[上町台地]]の固い地盤に設置されていたため計測震度が4となっている。しかし、これが大阪市、あるいは大阪府全体の震度を代表しているわけではなかった<ref name="Nakamori" />。[[日本道路公団]]が[[阪神高速11号池田線]]の建設現場に設置した震度計が震度7、[[北大阪急行電鉄]]が[[桃山台駅]]に設置した震度計が震度6を観測している。また、地震後の気象庁の地震機動観測班による現地調査では大阪市[[西淀川区]]佃、[[豊中市]]庄本町、[[池田市]]住吉と、大阪府内にも震度6と判定される地域があった<ref name="Jma1997" />。関西地震観測研究協議会が大阪府各地で行っていた地震観測の記録を気象庁の計測震度を求める方法に倣い算出した震度は、[[信貴山]]の震度4(計測震度3.6)を除き何れも計測震度4.5-5.4(震度5弱-5強)となる。例えば大阪市[[福島区]]吉野町では震度5強(計測震度5.4)である<ref name="Tsuruki1999">鶴来雅人 |
大阪での震度が4で、大阪よりも震源から遠い京都が5となっている。当時、気象庁が大阪府内に設置していた震度観測点は[[大阪管区気象台]](大阪市[[中央区 (大阪市)|中央区]][[大手前]])の一ヶ所だけで、震度計は[[上町台地]]の固い地盤に設置されていたため計測震度が4となっている。しかし、これが大阪市、あるいは大阪府全体の震度を代表しているわけではなかった<ref name="Nakamori" />。[[日本道路公団]]が[[阪神高速11号池田線]]の建設現場に設置した震度計が震度7、[[北大阪急行電鉄]]が[[桃山台駅]]に設置した震度計が震度6を観測している。また、地震後の気象庁の地震機動観測班による現地調査では大阪市[[西淀川区]]佃、[[豊中市]]庄本町、[[池田市]]住吉と、大阪府内にも震度6と判定される地域があった<ref name="Jma1997" />。関西地震観測研究協議会が大阪府各地で行っていた地震観測の記録を気象庁の計測震度を求める方法に倣い算出した震度は、[[信貴山]]の震度4(計測震度3.6)を除き何れも計測震度4.5-5.4(震度5弱-5強)となる。例えば大阪市[[福島区]]吉野町では震度5強(計測震度5.4)である<ref name="Tsuruki1999">鶴来雅人、澤田純男、入倉孝次郎、土岐憲三(1999):[https://doi.org/10.2208/jscej.1999.612_165 アンケート調査による兵庫県南部地震の大阪府域の震度分布] 土木学会論文集 1999年 1999巻 612号 p.165-179, {{doi|10.2208/jscej.1999.612_165}}</ref>。また、大阪管区気象台の記録を今日の計測震度の算出方法に倣って計算し直すと、計測震度4.54<ref name="Sakai shindo">境有紀, [http://www.kz.tsukuba.ac.jp/~sakai/pso.htm 現在の震度の問題点と代替案の提案]</ref>-4.55<ref name="Kano">加納良真, [http://blog.goo.ne.jp/hontai0218/e/699127e0cb99a6ad15a2ed3961879a11 記兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)から20年! 繰り返し言います!地震は揺れ方の個性が豊富です!)]</ref>(震度5弱)になるという。 |
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「神戸震度6」も神戸海洋気象台(神戸市中央区中山手)の計測震度が6(6.4)であったのであり、これが神戸市全体の震度を代表するものではなかった<ref name="Nakamori" />。当時の震源域付近の気象庁による震度観測点は大阪、神戸、洲本、姫路、加西と少なく、被害の甚大な |
「神戸震度6」も神戸海洋気象台(神戸市中央区中山手)の計測震度が6(6.4)であったのであり、これが神戸市全体の震度を代表するものではなかった<ref name="Nakamori" />。当時の震源域付近の気象庁による震度観測点は大阪、神戸、洲本、姫路、加西と少なく、被害の甚大な芦屋市、西宮市、伊丹市、宝塚市などの阪神間の都市には気象庁の計測震度計が設置されておらず、震度が判らなかったという問題もあった<ref name="Nakamori" />。 |
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これを踏まえ、改善策として従来気象官署などに限られていた震度観測点を、気象庁約600ヶ所、防災科学技術研究所約800ヶ所、地方公共団体約2800ヶ所、計約4200ヶ所と大幅に増強し震度観測点のデータを気象庁の情報発表に活用することとなった<ref name="Jma2009b">気象庁, {{PDFlink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/study-panel/shindo-kentokai/hensen.pdf 震度の活用と震度階級の変遷等に関する参考資料]}}</ref>。 |
これを踏まえ、改善策として従来気象官署などに限られていた震度観測点を、気象庁約600ヶ所、防災科学技術研究所約800ヶ所、地方公共団体約2800ヶ所、計約4200ヶ所と大幅に増強し震度観測点のデータを気象庁の情報発表に活用することとなった<ref name="Jma2009b">気象庁, {{PDFlink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/study-panel/shindo-kentokai/hensen.pdf 震度の活用と震度階級の変遷等に関する参考資料]}}</ref>。 |
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== 出典 == |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* [[地震の年表]] |
* [[地震の年表]] |
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* [[震度7]] |
* [[震度7]] |
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* [[慶長伏見地震]] - |
* [[慶長伏見地震]] - 1596年に六甲-淡路島断層帯で発生した地震。本地震はその滑り残し部分で起きたとする説がある。{{要出典|date=2018年6月}} |
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* [[北但馬地震]] - 同じく |
* [[北但馬地震]] - 同じく兵庫県で起きた直下型地震。 |
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* [[ノースリッジ地震]] - 1年前の1994年1月17日に起きた都市直下型地震。兵庫県南部地震とよく比較される。{{要出典|date=2018年6月}} |
* [[ノースリッジ地震]] - 1年前の1994年1月17日に起きた都市直下型地震。兵庫県南部地震とよく比較される。{{要出典|date=2018年6月}} |
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* [[淡路島地震]] - 兵庫県南部地震から18年後に発生した地震。最大震度6弱を観測。 |
* [[淡路島地震]] - 兵庫県南部地震から18年後に発生した地震。最大震度6弱を観測。 |
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* [http://www.h7.dion.ne.jp/~konton/hyougo.html 兵庫県南部地震の震源断層について] - 地下構造研究所 |
* [http://www.h7.dion.ne.jp/~konton/hyougo.html 兵庫県南部地震の震源断層について] - 地下構造研究所 |
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* [http://www.bosai.go.jp/library/bousai/jishin/f5.htm 1995年兵庫県南部地震の余震分布] |
* [http://www.bosai.go.jp/library/bousai/jishin/f5.htm 1995年兵庫県南部地震の余震分布] |
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* [ |
* 尾高潤一郎、中田高、後藤秀昭 ほか、[https://doi.org/10.11462/afr1985.1996.14_80 1995年兵庫県南部地震で現れた地震断層の詳細図] 活断層研究 1996年 1996巻 14号 p.80-106, {{doi|10.11462/afr1985.1996.14_80}} |
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*[http://web.archive.org/web/19961128190510/http://condor.stcloud.msus.edu:20020/index2.html 阪神大震災の復興を援助しましょう] (Special Great Hanshin Earthquake Edition) - {{仮リンク|セント・クラウド州立大学|en|St. Cloud State University}} |
* [http://web.archive.org/web/19961128190510/http://condor.stcloud.msus.edu:20020/index2.html 阪神大震災の復興を援助しましょう] (Special Great Hanshin Earthquake Edition) - {{仮リンク|セント・クラウド州立大学|en|St. Cloud State University}} |
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*[http://web.archive.org/web/19980124003351/http://www.csl.sony.co.jp:80/earthquake/index.j.html 関西地震情報] - [[ソニーコンピュータサイエンス研究所]] |
* [http://web.archive.org/web/19980124003351/http://www.csl.sony.co.jp:80/earthquake/index.j.html 関西地震情報] - [[ソニーコンピュータサイエンス研究所]] |
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{{日本近代地震}} |
{{日本近代地震}} |
2019年1月8日 (火) 02:43時点における版
兵庫県南部地震 | |
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地震の震央の位置を示した地図 | |
本震 | |
発生日 | 1995年1月17日 |
発生時刻 | 5時46分52秒(JST) |
震央 |
日本 兵庫県 北淡町 北緯34度35分54秒 東経135度2分6秒 / 北緯34.59833度 東経135.03500度座標: 北緯34度35分54秒 東経135度2分6秒 / 北緯34.59833度 東経135.03500度 |
震源の深さ | 16 km |
規模 | マグニチュード(M)7.3 |
最大震度 | 震度7:神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市、北淡町、一宮町、津名町 |
津波 | 微弱 |
地震の種類 |
直下型地震 逆断層・横ずれ断層型 |
余震 | |
回数 |
震度1以上: 190回 震度0: 1,615回 (1995年3月1日時点) |
最大余震 | 1995年1月17日5時50分、M5.2、最大震度4 |
被害 | |
死傷者数 |
死者 6,434人 行方不明者 3人 負傷者 43,792人 |
被害総額 | 約10兆円 |
被害地域 | 近畿地方(特に淡路島北部や阪神間を中心とする大阪湾岸) |
注: 死傷者数は消防庁などによる。
出典:特に注記がない場合は気象庁による。 | |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)は1995年(平成7年)1月17日に兵庫県南部を震源として発生した地震。兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出す阪神・淡路大震災を引き起こした。日本で初めて大都市直下を震源とする大地震で、気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震である。
地震の震源は野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近で、地震により断層が大きく隆起して地表にも露出している。
なお、1996年(平成8年)9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の震度7が記録された地震で、機械計測ではなく現地調査によって震度7と判定された。1996年4月以降は、観測員の体感での震度決定ではなく、より客観的とされる機械計測での震度観測に完全移行している。
名称
1995年1月17日午前5時46分に発生した当地震に対し、同日午前10時に政府が「兵庫県南部地震非常災害対策本部」の設置を決定した[1]。同日午前11時、気象庁は当地震を「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」(英: the 1995 Southern Hyogo Prefecture Earthquake[2][3])と命名した[1]。
当地震によって引き起こされた災害(震災)の名称が、政府によって決定されるまでの経緯については「阪神・淡路大震災#名称」を参照。
本震
- 発生時刻:1995年(平成7年)1月17日 5時46分52秒(JST)
- 震央:淡路島北部、兵庫県津名郡北淡町(現淡路市) 北緯34度35分54秒、東経135度2分6秒
- 震源の深さ:16km
- 地震の規模:マグニチュード7.3(気象庁マグニチュード。当初は気象庁マグニチュードで7.2だったが、2001年4月23日の気象庁マグニチュードの改訂により7.3に修正された。気象庁[4]およびUSGSによるモーメントマグニチュードは6.9)
各地の震度
震度4以上の揺れを観測した地域は以下の通り[5][6]。気象庁の観測点における震度6までは計測震度計[注 1]、震度7は現地調査による。地名は当時のもの。
震度 | 都道府県 | 市町村 |
---|---|---|
7 | 当時は計測震度計の適用外 | |
6 | 兵庫県 | 神戸市中央区、洲本市 |
5 | 滋賀県 | 彦根市 |
京都府 | 京都市中京区 | |
兵庫県 | 豊岡市 | |
4 | 福井県 | 敦賀市、福井市 |
岐阜県 | 岐阜市 | |
三重県 | 伊賀市、津市、四日市市 | |
滋賀県 | 多賀町 | |
京都府 | 舞鶴市 | |
大阪府 | 大阪市中央区 | |
兵庫県 | 姫路市、加西市、美方町 | |
奈良県 | 奈良市 | |
和歌山県 | 南部川村、高野町、和歌山市 | |
鳥取県 | 境港市、鳥取市 | |
岡山県 | 岡山市、津山市 | |
広島県 | 呉市、福山市 | |
徳島県 | 相生町、徳島市 | |
香川県 | 多度津町、坂出市、高松市 | |
高知県 | 高知市 | |
上記の他に、福島県から鹿児島県の範囲で震度1以上を観測した。 |
震度 | 都道府県 | 市町村 |
---|---|---|
7 | 兵庫県 | 神戸市(東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区)、西宮市、芦屋市、宝塚市、津名町、北淡町、一宮町 |
6 | 大阪府 | 大阪市西淀川区、豊中市、池田市 |
兵庫県 | 神戸市(垂水区、北区、西区)、尼崎市、明石市、伊丹市、川西市、淡路町、東浦町、五色町 | |
震度6以上、気象庁の現地調査を基に作成[7]。 |
地震動
- 神戸海洋気象台の観測記録の分析(実測データではない)によると最大加速度848ガル、最大速度105カイン、最大変位27cmである(実測値:南北動818ガル、東西動617ガル、上下動に332ガル)[注 2]。
- 六甲アイランドにある竹中工務店の地震計は横揺れ319ガルに対し縦ゆれは507ガル、神戸市東難区の神戸大学地下の観測では縦ゆれ367ガル、横揺れ300ガルだった。
- 各地の主な加速度(ガル)
- 葺合833、西宮792、本山775、鷹取616、宝塚601、新神戸561、西明石481、神戸大447、尼崎328
神戸海洋気象台(6.43[8])、大阪ガス葺合供給所(6.49[8]-6.6[9])および、JR鷹取駅(JR総合技術研究所)(6.48[8])の強震記録から算出される計測震度は何れも6.5(震度7)に近い値を示しているが、これらの内、震度7と判定された地域内にあるのはJR鷹取であり周辺の家屋全壊率は59%にものぼるが、葺合はボーダーライン、海洋気象台は全く震度7領域の範囲外で家屋全壊率は3%程度であった。つまり計測震度は必ずしも実際の被害状況を忠実に表しているわけではない。これは、地震動の弾性加速度応答スペクトルの内、特に家屋に被害をもたらしやすい周期1-2秒の成分がJR鷹取において最も大きく、海洋気象台ではこの成分がJR鷹取の半分程度でしかなかったことによる[10]。同様に東北地方太平洋沖地震で計測震度7(6.6)を観測した栗原市築館は周期が0.25秒前後の加速度応答スペクトルは2700galと非常に大きかったが、周期1-2秒の成分は葺合の1/4程度であったため、周辺の倒壊家屋は無かった[11]。
津波
気象庁は本地震発生後間もなく、各予報区に「ツナミナシ」の津波注意報(なし)を出した[12]。顕著な津波も見られず、津波被害は報告されていないが、各検潮所の記録を解析した結果、淡路島の江井で最大振幅68cm、大阪の深日で同40cmなど、小規模な津波が発生していたことが明らかになった[13]。今村・飯田の津波規模では m = -2 であり、地震の規模に対し2段階ほど小さいものであった[13]。
堺、泉北および四国側では験潮記録が押し波で始まり、洲本、和歌山および播磨灘側の東二見および広畑は引き波の初動であった。この播磨灘側の引き波初動は本地震において野島断層の西側が沈降した事実と調和的であった[13]。
被害
兵庫県南部を中心に大きな被害を出した。死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人に上り、689,776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達した。戦後の国内災害では、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に次ぐ被害である。
メカニズムと構造
起震断層
地震前後の測地データを解析[14]および余震の分布などから、兵庫県南部地震を起こした断層は「六甲・淡路島断層帯」で[15]、断層帯南部の淡路島北側の江井崎から伊丹市中心部付近まで南西から北東に伸びる淡路区間と呼ぶ約50km、深さ約5 - 18kmの断層面であった。この断層面の南西の端から始まった断層のずれは、約10秒間に断層全体に広がって大きな揺れを引き起こしたと推定されている。
断層面の真上に当たる帯状の地域を概観すると淡路島北部では地下の六甲-淡路断層帯のずれが地上にまで明瞭に現れ、野島断層のずれが地表にあらわれたが、走方向の異なる野島断層の南側にある志筑断層は活動をしていない[16]。一方、本州の神戸市南部では堆積層に隠されたため地面の亀裂が見られた程度で明瞭な断層面は地表には現れなかった[17]。しかし、堆積層下の断層に沿った神戸市須磨区から西宮市の地上には幅1km長さ20kmの『震災の帯』と呼ばれるの帯状の被害集中域[18]が生じ、その地域の揺れが特に大きかったことを示している。この被害の『震災の帯』は六甲・淡路島断層の真上ではなく未知の活断層による物とする説[19]と盆地境で生成された表面波や回折波と増幅干渉効果のためとする説[20]があり、縄文海進より海岸側の沖積平野に集中している。
本震の解析
振動データの解析結果より、約10秒間の本震は複数のサブイベントからなる多重震源地震であった。解析結果はいくつかあり、
- 釜江ら(1997) - 3つのサブイベントで「最初に動いたのは明石海峡直下、次いで淡路島側が動き、最後に神戸市側が動いた」とする説[21][22][23]
- 松島ら(2000) - 4つのサブイベントとする説[23]
- 平井、釜江(2006)らは解析を重ね1997年に3つとしていた解析を5つのサブイベントとする説[24]
などである。
周辺の測量結果からは、5つのサブセグメントの断層モデルが提唱されている[25]。なお、古村(1995)は堆積層内で反射し回析した地震波が、神戸地域で木造家屋を倒壊させやすい周期約1秒のパルス(キラーパルス)となり倒壊被害が拡大した[20]と分析している。
余震
余震の推移を見ると震度0の無感以上の地震が本震以後の1995年で2360回、1996年と1997年がともに100回台と次第に回数が減少し、規模も小さくなっている。最大余震は本震と同日の7時34分に起こったM5.4の地震で、奈良で震度4の中震を観測した[26]。2008年4月17日には、大阪湾を震源とするM4.1の地震が発生し、明石市で震度4を観測している。
前兆現象
後の研究より幾つかの前兆現象が発生していたことが報告されている[27][28]。
広域歪みの変動
京都大学防災研究所らの観測によれば、1989年終盤から1995年にかけて近畿地方の広域に「急激な圧縮から伸びに転じる」地殻歪み変化が生じていた。この歪みの変化はプレート運動に起因し、急激な変動により兵庫県南部地震が誘発されたと分析している[29]。
地震空白域と静穏化
第3種地震空白域として、一部の研究者により発生位置は予測されていた[30]。また後年のデータ解析により、1992年後半から北摂・丹波山地全体で静穏化現象も生じていた事が判明した[28]。
猪名川群発地震
「1994年11月9日以降、兵庫県猪名川町付近で有感の微震が断続的に発生した一連の活動が、前兆であった可能性が高い」[31]とする研究がある一方、「兵庫県猪名川町と本震の震源が40km以上離れており無関係である」とする指摘がある[28]。
前震
本震前日の1月16日の18時28分、明石海峡付近を震源とするM3.3の地震が発生し神戸で震度1の微震を観測したのを始まりに16日中に計4回の小さな地震(M3 - 1.5)が観測された[32][33]。これは大方のところ、翌日の大地震の前震だったと見られている。しかし当時も含め現在、前震から大地震の発生を予測するのは困難であるとされる。
これは無数にある地震のパターンからどのようなものが前震であるかいまだに見つけられていないこと[34]や、前震を捕らえるためには特定の地域を精密に長期的に観測し続けることが必要なことなどが理由として挙げられる。ただ前震と本震との関連性やパターンが明らかになれば大地震の予知につながるものだとされ、研究が行われている。
宏観異常現象
地震の数日前から直前に至るまでの間に、関西地方を中心として様々な異常現象が見られたという一部の人からの報告がある。異常現象の例として、地下水位(井戸)の水位異常、「地震雲」をはじめに謎の夜間発光現象の目撃情報、ミミズや昆虫の異常大量発生、動物の異常な行動、携帯電話などの電波を用いる機器の異常、太陽・月の光などの異常などである[35][36]。
これらは、宏観異常現象として将来の地震予知に役立つのではないかと考えられている。それらの証言・情報を収集し研究する研究者もいるものの検証不足などが指摘されており、疑似科学程度に過ぎないとされているものが多い。しかしながら地震発生約10年前の1984年から神戸薬科大学において記録が残っている大気中のラドン濃度の異常[37][38]や地下水位[39]および水中ラドン濃度の変化[40]など、ある程度の有意性が認められているものもある。
地震後の制度見直し
本地震では、震度観測・発表は様々な課題を残すことになり、翌1996年の震度階級改正、観測点増設の契機となった。
震度7の速報化
地震発生当初は、神戸・洲本の震度6が最大震度とされていた。地震3分後の地震速報で震度の情報がテレビのニュースで報道されたのは、「震度5:京都、彦根、豊岡、震度4:岐阜・・大阪・・」などであり、速報では震度6は報道されなかった。6時4分に「確実な情報ではない」と断った上で「神戸震度6」が報道された。気象庁が正式に神戸震度6と発表したのは6時18分であった。これは当時既に気象官署の震度は機械計測で、「アデス(ADESS)」(気象資料自動編集中継装置)という専用回線で気象庁に送られる仕組みであったが、神戸海洋気象台(神戸市中央区中山手)から大阪管区気象台間の回線にトラブルが生じて伝わらなかったためであった。また、夜間無人である洲本測候所(洲本市小路谷)では地震によって震度計が壊れてしまい、地震後に駆けつけた職員が状況から震度6と判定し、気象庁が「洲本震度6」と発表したのは7時29分であった[41]。
本地震は、1948年の福井地震を契機として1949年に震度7が創設されて8段階になった震度で初めて震度7を観測、後述する翌年10月からの新震度移行により「烈震」や「激震」などの別名が廃止されたため日本の地震史上最初で最後の「激震」と呼ばれる地震となった。だが、当時は震度7を速報できる体制にはなかった。当時の震度が震度6までは各地の震度計の測定情報を基にした速報体制が敷かれていたものの震度7については倒壊家屋の割合が3割を超えることが基準であったため、後の現地調査によって判定されていたことによる[7]。そのため、気象庁が正式に震度7と判定された地域を発表したのは地震から半月以上経った2月7日である。このため、地震発生や震度などのより早い情報提供を求める声も高まっていた。
これを踏まえ、1996年4月1日から震度7も含めて全ての震度を計測震度として速報が可能な体制に変更された[41][42]。
震度階の改定
震度5や震度6では同じ震度でも被害の程度に大きな差があることが指摘されていた。例えば、本地震の神戸海洋気象台の震度6(計測震度6.4)と、約3週間前に起こった三陸はるか沖地震の八戸測候所の震度6(計測震度5.6[43])では、同じ震度6でも被害の程度に大きな幅があるとの指摘があった[44]。
この反省を踏まえて1995年3月1日には気象庁が発表する地震情報を改編し、地震速報(震度3以上の地域名)・津波予報(津波の到達地域と高さ)・津波情報(津波到達予想時刻、観測時刻、観測波高)・地震情報(震源位置・規模・震度3以上の地域名)・各地の震度に関する情報(震源位置、規模、震度1以上の観測点)の5段階の体制となった。1996年10月1日から震度5と震度6をそれぞれ「弱」と「強」に分け、震度7についても震度計を使った10段階による測定に移行、「烈震」や「激震」などと言った別名を廃止した。
震度観測点の増設
大阪での震度が4で、大阪よりも震源から遠い京都が5となっている。当時、気象庁が大阪府内に設置していた震度観測点は大阪管区気象台(大阪市中央区大手前)の一ヶ所だけで、震度計は上町台地の固い地盤に設置されていたため計測震度が4となっている。しかし、これが大阪市、あるいは大阪府全体の震度を代表しているわけではなかった[41]。日本道路公団が阪神高速11号池田線の建設現場に設置した震度計が震度7、北大阪急行電鉄が桃山台駅に設置した震度計が震度6を観測している。また、地震後の気象庁の地震機動観測班による現地調査では大阪市西淀川区佃、豊中市庄本町、池田市住吉と、大阪府内にも震度6と判定される地域があった[7]。関西地震観測研究協議会が大阪府各地で行っていた地震観測の記録を気象庁の計測震度を求める方法に倣い算出した震度は、信貴山の震度4(計測震度3.6)を除き何れも計測震度4.5-5.4(震度5弱-5強)となる。例えば大阪市福島区吉野町では震度5強(計測震度5.4)である[45]。また、大阪管区気象台の記録を今日の計測震度の算出方法に倣って計算し直すと、計測震度4.54[8]-4.55[46](震度5弱)になるという。
「神戸震度6」も神戸海洋気象台(神戸市中央区中山手)の計測震度が6(6.4)であったのであり、これが神戸市全体の震度を代表するものではなかった[41]。当時の震源域付近の気象庁による震度観測点は大阪、神戸、洲本、姫路、加西と少なく、被害の甚大な芦屋市、西宮市、伊丹市、宝塚市などの阪神間の都市には気象庁の計測震度計が設置されておらず、震度が判らなかったという問題もあった[41]。
これを踏まえ、改善策として従来気象官署などに限られていた震度観測点を、気象庁約600ヶ所、防災科学技術研究所約800ヶ所、地方公共団体約2800ヶ所、計約4200ヶ所と大幅に増強し震度観測点のデータを気象庁の情報発表に活用することとなった[47]。
注釈
出典
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参考文献
関連項目
- 地震の年表
- 震度7
- 慶長伏見地震 - 1596年に六甲-淡路島断層帯で発生した地震。本地震はその滑り残し部分で起きたとする説がある。[要出典]
- 北但馬地震 - 同じく兵庫県で起きた直下型地震。
- ノースリッジ地震 - 1年前の1994年1月17日に起きた都市直下型地震。兵庫県南部地震とよく比較される。[要出典]
- 淡路島地震 - 兵庫県南部地震から18年後に発生した地震。最大震度6弱を観測。
- 緊急地震速報 - この地震を契機に気象庁を主導として整備が進められた早期地震動警報システム。
- 高感度地震観測網(HI-NET) - この地震を契機に防災科学技術研究所を主導として整備が進められた地震観測網。
外部リンク
- 兵庫県南部地震の震源断層について - 地下構造研究所
- 1995年兵庫県南部地震の余震分布
- 尾高潤一郎、中田高、後藤秀昭 ほか、1995年兵庫県南部地震で現れた地震断層の詳細図 活断層研究 1996年 1996巻 14号 p.80-106, doi:10.11462/afr1985.1996.14_80
- 阪神大震災の復興を援助しましょう (Special Great Hanshin Earthquake Edition) - セント・クラウド州立大学
- 関西地震情報 - ソニーコンピュータサイエンス研究所