「ジェンナーロ・ガットゥーゾ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
60行目: 60行目:
移籍証明書の発行が遅れ、[[グラスゴー]]に赴いて2カ月間は出場不可であったが、1997-98シーズンからスターティングメンバーに名を列ね、巨躯なスコットランドの選手達に交じり、[[アイブロックス・スタジアム|アイブロックス]]のピッチを駆け回る小柄なイタリア人は「'''ライノー'''(スコットランド人の「リーノ」の発音)」「'''ブレイヴハート'''」と呼ばれファンの心を掴んだ。計36試合に出場し7得点を挙げた。1998-99シーズンの途中に、イタリア復帰を突然表明した。当時セリエAに所属していた[[サレルニターナ・カルチョ1919|サレルニターナ]]が獲得に乗り出し、[[1998年]][[10月]]に移籍した。
移籍証明書の発行が遅れ、[[グラスゴー]]に赴いて2カ月間は出場不可であったが、1997-98シーズンからスターティングメンバーに名を列ね、巨躯なスコットランドの選手達に交じり、[[アイブロックス・スタジアム|アイブロックス]]のピッチを駆け回る小柄なイタリア人は「'''ライノー'''(スコットランド人の「リーノ」の発音)」「'''ブレイヴハート'''」と呼ばれファンの心を掴んだ。計36試合に出場し7得点を挙げた。1998-99シーズンの途中に、イタリア復帰を突然表明した。当時セリエAに所属していた[[サレルニターナ・カルチョ1919|サレルニターナ]]が獲得に乗り出し、[[1998年]][[10月]]に移籍した。


ガットゥーゾ本人は現在でも「あの国のサッカーが僕の性格やプレースタイルには最も合っている」と明言している<ref name="number647"/>。
ガットゥーゾ本人は現在でも「あの国のサッカーが僕の性格やプレースタイルには最も合っている」と明言している<ref name="number647"/>。またレンジャース退団に際して俳優の[[ショーン・コネリー]]から残留する様に懇願されたと後に明かした<ref>{{Cite web|url=https://www.thesun.co.uk/sport/football/13087036/gattuso-sean-connery-quit-rangers-james-bond/|title=Gattuso reveals Sir Sean Connery begged him not to quit Rangers as he pays tribute to ‘charming’ James Bond icon|publisher=The Sun|accessdate=2009.7.11}}</ref>。


==== ACミラン時代 ====
==== ACミラン時代 ====

2021年4月6日 (火) 02:29時点における版

ジェンナーロ・ガットゥーゾ
シオン兼任監督時代(2013年)
名前
本名 ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ
Gennaro Ivan Gattuso
愛称 リーノ、重戦車、ブレイヴハート
ラテン文字 Gennaro Gattuso
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1978-01-09) 1978年1月9日(46歳)
出身地 コリリアーノ・カーラブロ
身長 177cm
体重 77kg
利き足 右足
ユース
1990-1995 イタリアの旗 ペルージャ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1997 イタリアの旗 ペルージャ 10 (0)
1997-1998 スコットランドの旗 レンジャーズ 34 (3)
1998-1999 イタリアの旗 サレルニターナ 25 (0)
1999-2012 イタリアの旗 ミラン 335 (9)
2012-2013 スイスの旗 シオン 27 (1)
通算 431 (13)
代表歴
1995-1996 イタリアの旗 イタリア U-18 14 (3)
1998-2000 イタリアの旗 イタリア U-21 21 (1)
2000 イタリアの旗 イタリア オリンピック 3 (0)
2000-2010 イタリアの旗 イタリア 73 (1)
監督歴
2013 スイスの旗 シオン (選手兼任)
2013 イタリアの旗 パレルモ
2014-2015 ギリシャの旗 OFIクレタ
2015-2017 イタリアの旗 ピサ
2017 イタリアの旗 ミラン プリマヴェーラ
2017-2019 イタリアの旗 ミラン
2019- イタリアの旗 ナポリ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾGennaro Ivan Gattuso, 1978年1月9日 - )は、イタリア共和国カラブリア州コリリアーノ・カーラブロ出身の元サッカー選手、元イタリア代表。現サッカー指導者。現在はセリエASSCナポリの監督を務めている。

経歴

生い立ち

イタリア半島の南東に位置するコリリアーノ・カーラブロに生まれる。父親は小さな会社を経営しながらカルチョACミランを愛するという人物で[1]、父親の影響を受けたガットゥーゾは幼い頃からボールを蹴り出し、12歳でカラブリア州のユース代表に選出された[1]。当時から技巧派の選手ではなく、サルバトーレ・バーニが好きだったと語っている[2]。同様にキャプテン翼に登場するキャラクターの中では石崎了が好きであったことを語っている[3]

1991年に当時セリエC1に所属していたボローニャから誘いを受けるが、これを断った。すぐさまペルージャからオファーが届き、結果的に故郷を離れてペルージャからプロへ駆け上がるという環境に身を置くことになった。

選手時代

ACペルージャ時代

プリマヴェーラではスクデットを獲得し[1]、U-18イタリア代表にも選出された[2]。1995-96シーズンに17歳でセリエBながらプロデビューし、翌シーズンにクラブはセリエAに昇格し、ガットゥーゾも1996年12月22日にセリエAデビューを果たした。

その数カ月後の初春に、彼に人生最大の転機が訪れる。意外にもスコットランドの強豪レンジャーズが、当時、欧州サッカー界で議論を巻き起こしていたボスマン判決を利用する形で、ガットゥーゾの移籍金ゼロでの獲得に乗り出し、(ガットゥーゾ曰く)「現在の30倍近くの年俸を払う」と持ちかけた[1]。当然ペルージャ側に手塩にかけて育てた逸材を手放す考えはなかったが、最後はガットゥーゾの意思一つで移籍が決まった。

レンジャーズFC時代

移籍証明書の発行が遅れ、グラスゴーに赴いて2カ月間は出場不可であったが、1997-98シーズンからスターティングメンバーに名を列ね、巨躯なスコットランドの選手達に交じり、アイブロックスのピッチを駆け回る小柄なイタリア人は「ライノー(スコットランド人の「リーノ」の発音)」「ブレイヴハート」と呼ばれファンの心を掴んだ。計36試合に出場し7得点を挙げた。1998-99シーズンの途中に、イタリア復帰を突然表明した。当時セリエAに所属していたサレルニターナが獲得に乗り出し、1998年10月に移籍した。

ガットゥーゾ本人は現在でも「あの国のサッカーが僕の性格やプレースタイルには最も合っている」と明言している[2]。またレンジャース退団に際して俳優のショーン・コネリーから残留する様に懇願されたと後に明かした[4]

ACミラン時代

ACミラン時代(2008年)
イタリア代表時代(2006年)

セリエAに舞い戻ったが、サレルニターナは最終節でセリエBに降格した。ガットゥーゾ自身は1998-99シーズン終了後にACミランへ移籍した。

2002年FIFAワールドカップ日韓大会出場。イタリア代表はベスト16。

2003-04シーズン、セリエA優勝。

2006年FIFAワールドカップドイツ大会出場。ブッフォンカンナヴァーロピルロトッティマテラッツィデル・ピエロらと共に24年ぶり4度目の優勝。

2008年12月、カターニア戦で前十字靭帯を損傷し、長期離脱[5]。2009年5月13日のアルバニアとの親善試合で復帰した[6]

2010年、FIFAワールドカップ南アフリカ大会を最後に代表引退する事を表明。しかし本大会でイタリア代表は1敗2分と1勝もできずにグループリーグ敗退、自身も第3戦のスロバキア戦でスタメン出場するが前半終了時にクリスティアン・マッジョと交代しベンチに退いた。

2011年9月、ラツィオ戦で途中交代後、長期離脱。10月に行われた会見で視神経のマヒによるものと発表された。 2012年5月、2011-12シーズン限りでのミラン退団を公表した。

FCシオン時代

2012年6月、スイス・スーパーリーグFCシオンへ移籍[7]。2013年2月、解任されたビクトル・ムニョスの後任として選手兼任監督に就任したが[8]、5月に解任された[9]

指導者として

2013年6月、セリエBに降格したパレルモの監督に就任。だが同年9月、わずか6試合で解任された[10]

2014年6月、ギリシャ・スーパーリーグOFIクレタの監督に就任[11]

10月26日、一度は辞任を表明したが[12]、翌日に撤回した[13]。だが12月に給与未払いなどを理由に再び辞任した[14]

2015年8月、レガ・プロ(イタリア3部)のピサの監督に就任。2015-2016シーズンは好調を維持して、セリエB昇格プレーオフに進出、フォッジャ・カルチョとのプレーオフ決勝戦で2戦合計4-2で勝利し、チームを7年ぶりのセリエB昇格に導いたが[15]、喜びも束の間、シーズン終了後に契約を巡ってファビオ・ペトローニ会長と衝突して2016年7月31日に辞任を発表した。しかし翌月にピサは中東の投資会社に買収され、新オーナーとなった投資会社はガットゥーゾの復帰に動き、2016年9月2日に復帰した[16]。電撃復帰により迎えた2016-2017シーズンはリーグ最少失点の36を誇りながら、得点数は23と攻撃陣が極度の不振に陥り、第40節でASチッタデッラに敗れるとわずか1年でレガ・プロ降格が決定し、シーズン終了後にガットゥーゾも退任した[17]

2017年5月26日、古巣ACミランのプリマヴェーラの監督就任が発表された[18]。契約期間は2年間。

2017年11月27日、モンテッラの後任としてミランのトップチームの監督に昇格した[19]

2018-19シーズンは4位インテルに勝ち点1の差で及ばずCL出場権を逃し、2019年5月28日、退任が発表された[20]

2019年12月11日、SSCナポリの監督に就任したことが発表された[21]コッパ・イタリアでは決勝でユベントスをPK戦の末に破り、優勝に導き[22]、指導者としてのキャリアをスタートして以降、初タイトルを獲得した。

個人成績

クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 その他 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ペルージャ 1995-96 2 0 0 0 2 0
1996-97 8 0 0 0 8 0
通算 10 0 0 0 10 0
レンジャーズ 1997-98 29 3 6 0 2 1 3 0 40 4
1998-99 5 0 0 0 5 1 1 0 11 1
通算 34 3 4 0 7 2 4 0 51 5
サレルニターナ 1998-99 25 0 0 0 25 0
ミラン 1999-00 22 1 1 0 5 0 28 1
2000-01 24 0 2 0 10 0 36 0
2001-02 32 0 5 0 10 0 47 0
2002-03 25 0 3 0 14 0 42 0
2003-04 33 1 2 0 7 1 3 0 45 2
2004-05 32 0 2 0 11 0 1 0 46 0
2005-06 35 3 3 0 11 0 49 3
2006-07 30 1 4 0 13 0 47 1
2007-08 31 1 1 0 8 0 3 0 43 1
2008-09 12 0 0 0 4 1 16 1
2009-10 22 0 1 0 1 0 24 0
2010-11 31 2 2 0 5 0 38 2
2011-12 6 0 0 0 0 0 1 0 7 0
通算 335 9 26 0 99 2 8 0 468 11
シオン 2012-13 27 1 5 0 32 1
総通算 431 13 37 0 106 4 12 0 586 17

試合数

国際Aマッチ 73試合 1得点(2000年-2010年)


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
2000 6 1
2001 3 0
2002 10 0
2003 4 0
2004 9 0
2005 8 0
2006 10 0
2007 6 0
2008 9 0
2009 5 0
2010 3 0
通算 73 1

監督成績

2019年12月11日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
シオン 2013年2月25日 2013年5月13日 12 3 4 5 10 15 −5 025.00
パレルモ 2013年6月19日 2013年9月25日 8 3 1 4 10 9 +1 037.50
OFIクレタ 2014年6月5日 2014年12月30日 17 5 3 9 11 24 −13 029.41
ピサ 2015年8月20日 2017年5月26日 88 29 36 23 84 73 +11 032.95
ミラン 2017年12月10日 2019年5月28日 83 40 23 20 117 82 +35 048.19
ナポリ 2019年12月11日 0 0 0 0 0 0 +0 !
合計 208 80 67 61 232 203 +29 038.46

評価

  • カルロ・アンチェロッティは「私が攻撃的なサッカーを志向できるのは、ひとえに彼のおかげで、彼が汚い仕事をしてくれるから、我々は言ってみればバランスの悪いシステムを採用する事ができる。」と発言している[2]

エピソード

  • アンチェロッティのACミランでの最終戦の後に別れを惜しんで声を出して泣いた[23]
  • 彼の父親は息子をジャンニ・リヴェラのような選手に育てたかったようだが、本人は「昔からそんな選手には興味がなかった」と語っている[2]

タイトル

選手時代

ミラン
イタリア代表

監督時代

ナポリ

脚注

  1. ^ a b c d 金子義仁『ワールドサッカーすごいヤツ全集 2005~2006』フットワーク出版、2004年、p.42-45頁。ISBN 4-87689-509-0 
  2. ^ a b c d e 豊福晋「ジェンナーロ・ガットゥーゾ:“リンギオ”の熱き咆哮。」『Sports Graphic Number 647』第27巻第4号、文藝春秋、2006年、78-81頁、雑誌 26851-3・2。 
  3. ^ 「キャプテン翼 ファイト!日本増刊」『増刊ヤングジャンプ』 2006年7月15日増刊号、集英社、71頁。 
  4. ^ Gattuso reveals Sir Sean Connery begged him not to quit Rangers as he pays tribute to ‘charming’ James Bond icon”. The Sun. 2009年7月11日閲覧。
  5. ^ uefa.com (2008年12月9日). “ガットゥーゾがひざの負傷で長期離脱へ”. 2009年7月11日閲覧。
  6. ^ Goal.com (2009年5月13日). “ガットゥーゾが親善試合で復帰”. 2009年7月11日閲覧。
  7. ^ Goal.com (2012年6月16日). “ガットゥーゾ、シオン加入が決定”. 2013年3月4日閲覧。
  8. ^ 日刊スポーツ (2013年2月27日). “ガットゥーゾ、スイス1部選手兼監督に”. 2013年3月4日閲覧。
  9. ^ Goal.com (2013年5月14日). “シオン、選手兼監督のガットゥーゾを解任”. 2013年5月14日閲覧。
  10. ^ Goal.com (2013年9月25日). “パレルモがガットゥーゾ解任、後任はイアキーニ”. 2013年10月12日閲覧。
  11. ^ Goal (2014年6月6日). “ガットゥーゾ、ギリシャで監督業再開”. 2014年10月28日閲覧。
  12. ^ Goal (2014年10月27日). “ギリシャで監督のガットゥーゾ、7試合で辞任”. 2014年10月27日閲覧。
  13. ^ Goal (2014年10月28日). “ガットゥーゾ、一転して続投 「団結して再出発」”. 2014年10月28日閲覧。
  14. ^ Goal (2014年12月31日). “ガットゥーゾ、再び辞任”. 2015年1月2日閲覧。
  15. ^ フットボールチャンネル (2016年6月13日). “猛将ガットゥーゾ、頭部直撃のペットボトルにも屈せず! チームを昇格へ導く”. 2017年5月27日閲覧。
  16. ^ フットボールチャンネル (2016年9月3日). “ガットゥーゾ、クラブ売却でピサ監督復帰へ。「チームをほったらかして悪かった」”. 2017年5月27日閲覧。
  17. ^ Goal.com (2017年5月10日). “まさかの珍事!ガットゥーゾ監督のピサ、鉄壁守備でセリエB最少失点も得点力不足で降格”. 2017年5月27日閲覧。
  18. ^ SoccerKING (2017年5月27日). ““闘犬”ガットゥーゾがミラン復帰! 来季より下部組織の指揮官に就任”. 2017年5月27日閲覧。
  19. ^ ACMilan (2017年11月27日). “[https://www.acmilan.com/en/news/official-statement/2017-11-27/official-statement-vincenzo-montella OFFICIAL STATEMENT: VINCENZO MONTELLA AC Milan announce to have parted ways with Mr. Vincenzo Montella. Management of the first team is entrusted to Gennaro Gattuso]”. 2017年11月27日閲覧。
  20. ^ SoccerKING (2019年5月29日). “ミラン、ガットゥーゾ監督の退任を正式発表…レオナルドSDも辞任へ”. 2019年5月29日閲覧。
  21. ^ 元ミラン指揮官のガットゥーゾ氏がナポリの新監督就任。アンチェロッティ氏の後任に”. フットボールチャンネル (2019年12月12日). 2019年12月12日閲覧。
  22. ^ Coppa: Napoli beat Juventus on penalties”. Football Italia (2020年6月18日). 2020年6月21日閲覧。
  23. ^ 「LEONARDO:82年のセレソンのように」 『WORLD SOCCER DIGEST No.296』 第15巻第15号、日本スポーツ企画出版社、2009年、59頁。雑誌 29891-8/6。

外部リンク