「春吉 (福岡市)」の版間の差分
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[[福岡大空襲]]の際には罹災しなかったため、[[江戸時代]]に整備された7本の横筋(東西の道路)が今に残る。「[[渡辺通駅]]北土地区画整理事業」が進められており、[[2010年]]度には渡辺通りとキャナルシティ(灘の川橋)を結ぶ道路が春吉を横断して建設される予定。 |
[[福岡大空襲]]の際には罹災しなかったため、[[江戸時代]]に整備された7本の横筋(東西の道路)が今に残る。「[[渡辺通駅]]北土地区画整理事業」が進められており、[[2010年]]度には渡辺通りとキャナルシティ(灘の川橋)を結ぶ道路が春吉を横断して建設される予定。 |
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また隣接する[[住吉 (福岡市)|住吉]]などと合わせてゲイバーなどが多く集まるゲイ・タウンとしての顔もある。ゲイ系店舗が春吉には18、渡辺通は7、清川は7、住吉には56店あり、トータルでは91店になる<ref>ゲイイエローページ「Gclick」(2013年1月)。</ref>。店舗数では[[新宿二丁目]]、大阪[[堂山町]]、[[上野]]に次いで多い。ただ一般の飲食街・住宅街としての顔の方が大きいので、通り過ぎただけではゲイ・タウンであると気づきにくい。 |
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==学校・施設等== |
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2013年7月5日 (金) 06:28時点における版
春吉(はるよし)は福岡市中央区の地名で、天神や中洲の南側に位置する。
概要
那珂川の左岸にあり、北は国道202号(国体道路)に、南は住吉通りに接する。西側は渡辺通(町名)であるが、県道602号(渡辺通り)とは接していない。地区の中心を南北に春吉中通り(県道553号)が貫く。
春吉は住宅地であり集合住宅が多い。国体道路に面する地区北側は天神や中洲に近い立地のため飲食店も多い。中洲や天神に近い下町であるため個性の強い地域といえるためうえやまとちの漫画「クッキングパパ」109巻では春吉に実在する店舗が紹介されている。またホテルも多く、那珂川沿いにはラブホテルが並んでいる。那珂川沿いからは南新地やキャナルシティ博多が眺められる。
いっぽう南側には春吉小学校や春吉幼稚園、柳橋連合市場など市民生活に密着した施設がある。
福岡大空襲の際には罹災しなかったため、江戸時代に整備された7本の横筋(東西の道路)が今に残る。「渡辺通駅北土地区画整理事業」が進められており、2010年度には渡辺通りとキャナルシティ(灘の川橋)を結ぶ道路が春吉を横断して建設される予定。
また隣接する住吉などと合わせてゲイバーなどが多く集まるゲイ・タウンとしての顔もある。ゲイ系店舗が春吉には18、渡辺通は7、清川は7、住吉には56店あり、トータルでは91店になる[1]。店舗数では新宿二丁目、大阪堂山町、上野に次いで多い。ただ一般の飲食街・住宅街としての顔の方が大きいので、通り過ぎただけではゲイ・タウンであると気づきにくい。
学校・施設等
- 福岡市立春吉小学校
- 春吉幼稚園
- KCS福岡情報専門学校
- 柳橋連合市場
- ホテル・イル・パラッツォ
歴史
春吉の地名の由来は、住吉神社の秋季大祭の時の市場に人が多く集まり、秋に実る穀物が踏まれてしまうため、春に収穫する麦のみを作るのが良いとされたことにちなむ。ただしこの説を『筑前国続風土記』にて紹介した貝原益軒自身は俗説だとしている。
かつては那珂郡住吉村の一部であった春吉は、1602年(慶長7年)に那珂郡春吉村となる。当初は民家はなく博多に住む農民の田畑があった。1639-40年(寛永16-17年)の頃に福岡藩主黒田忠之によって足軽の宅地とされる。1678年(延宝6年)には那珂川からの浸水を防ぐための土手が築かれる。
1889年(明治22年)に住吉村と合併して住吉村大字春吉となる。1922年(大正11年)に住吉町が福岡市に編入され、春吉も福岡市の一部となる。1945年(昭和20年)の福岡大空襲では罹災せず。戦後の1966年の(昭和41年)の町名町界整理により一部が「渡辺通り」や「西中洲」に分割され、残ったエリアは春吉1-3丁目となった。
交通
外部リンク
- ^ ゲイイエローページ「Gclick」(2013年1月)。