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キッド・ニコルズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キッド・ニコルズ(チャールズ・A・ニコルズ)
Kid Nichols
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ウィスコンシン州マディソン
生年月日 1869年9月14日
没年月日 (1953-04-11) 1953年4月11日(83歳没)
身長
体重
5' 10.5" =約179.1 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 投手
初出場 1890年4月23日
最終出場 1906年5月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1949年
選出方法 ベテランズ委員会選出

チャールズ・オーガスタス・"キッド"・ニコルズCharles Augustus "Kid" Nichols1869年9月14日 - 1953年4月11日)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州マディソン出身のプロ野球選手投手)。右投げ両打ち。

1890年代のボストン(現アトランタ・ブレーブス)のエースとして活躍、デビューから12年で300勝に到達した。

経歴

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1869年にウィスコンシン州マディソンで父ロバート、母クリスティーナの間に生まれる。ロバートは肉屋でマディソンに複数の食料雑貨店を営んでいた。ニコルズが子供のとき、一家はミズーリ州カンザスシティに移住した。ニコルズの兄弟が家族の店で働いてる間、ニコルズは野球の練習を積んでいた。

1887年、ウエスタンリーグのカンザスシティ・カウボーイズでプロデビュー。翌1888年はウエスタン・アソシエーションのカンザスシティ・ブルースとサザンリーグのメンフィス・グレイスでプレー。1899年はウエスタン・アソシエーションのオマハ・オハモクスで投げた。オマハで監督をしていたフランク・セレー1890年からボストン・ビーンイーターズで監督をすることになり、ニコルズをオマハから引き抜いた。ニコルズは20歳でメジャーリーグデビューを果たし、1年目から27勝19敗の好成績を上げる。2年目にはシーズン30勝に到達。その年から1894年まで4年連続で30勝以上をマーク。チームもナショナルリーグ3連覇を果たす。この間、1893年に投手と本塁間の距離が50フィートから60フィート6インチ (18.4m) になるというルール改訂も行われたが、彼の成績には殆ど影響しなかったようである。

1895年に26勝を挙げた後、1896年には再び30勝14敗、その年から3年連続でリーグの最多勝投手となり、チームのリーグ連覇に貢献した。1899年は21勝19敗で、デビューからの20勝以上のシーズンを10年連続に延ばした。20世紀に入った1901年に史上最年少の30歳で通算300勝に到達[1]。その年ウェスタンリーグのカンザスシティに降格したが、1904年にカージナルスからメジャーに復帰。この時も21勝13敗、防御率2.02という数字を残した。

1906年に引退後はカンザスシティでプロボウラーに転身し、クラスAの大会での優勝を果たしたこともある。1949年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1953年カンザスシティにて死去。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1890 BSN 48 47 47 7 -- 27 19 0 -- .587 1755 424.0 374 8 112 -- 11 222 30 0 175 105 2.23 1.15
1891 52 48 45 5 -- 30 17 3 -- .638 1805 425.1 413 15 103 -- 17 240 16 0 219 113 2.39 1.21
1892 53 51 49 5 -- 35 16 0 -- .686 1893 453.0 404 15 121 -- 10 192 24 0 211 143 2.84 1.16
1893 52 44 43 1 -- 34 14 1 -- .708 1817 425.0 426 15 118 -- 15 94 5 1 222 166 3.52 1.28
1894 50 46 40 3 -- 32 13 0 -- .711 1790 407.0 488 23 121 -- 9 113 14 0 308 215 4.75 1.50
1895 48 43 43 1 -- 26 16 3 -- .619 1661 390.2 434 15 90 -- 5 148 11 0 222 148 3.41 1.34
1896 49 43 37 3 -- 30 14 1 -- .682 1564 372.1 387 14 101 -- 7 102 13 0 211 117 2.83 1.31
1897 46 40 37 2 -- 31 11 3 -- .738 1490 368.0 362 9 68 -- 3 127 6 0 152 108 2.64 1.17
1898 50 42 40 5 -- 31 12 4 -- .721 1528 388.0 316 7 85 -- 14 138 15 0 136 92 2.13 1.03
1899 42 37 37 4 -- 21 19 1 -- .525 1391 343.1 326 11 82 -- 6 108 8 0 155 114 2.99 1.19
1900 29 27 25 4 -- 13 16 0 -- .448 957 231.1 215 11 72 -- 11 53 6 0 116 79 3.07 1.24
1901 38 34 33 4 [2]3 19 16 0 -- .543 1326 321.0 306 8 90 -- 10 143 8 0 146 115 3.22 1.23
1904 STL 36 35 35 3 [3]7 21 13 1 -- .618 1264 317.0 268 3 50 -- 5 134 3 0 97 71 2.02 1.00
1905 7 7 5 0 [4]1 1 5 0 -- .167 234 51.2 64 1 18 -- 0 16 4 0 47 31 5.40 1.59
PHI 17 16 15 1 2 10 6 0 -- .625 548 138.2 129 1 28 -- 4 50 4 0 47 35 2.27 1.13
'05計 24 23 20 1 3 11 11 0 -- .500 782 190.1 193 2 46 -- 4 66 8 0 94 66 3.12 1.26
1906 4 2 1 0 [5]0 0 1 0 -- .000 59 11.0 17 0 13 -- 2 1 2 0 16 12 9.82 2.73
通算:15年 621 562 532 48 *13 361 208 17 -- .634 21082 5067.1 4929 156 1272 -- 129 1881 169 1 2480 1664 2.96 1.22
  • 各年度の太字はリーグ最高

打撃成績

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  • 通算成績:650試合、2086打数471安打、本塁打16、打点278、三振211 (+)、打率.226

獲得タイトル・記録

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  • 最多勝利:3回(1896年 - 1898年)
  • 最多セーブ投手:4回(1891年、1895年、1897年、1898年)
  • 通算勝利数:361 (歴代7位)
  • 通算完投数:531(歴代4位)
  • シーズン30勝:7回 (歴代1位)

監督としての戦績

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年度 チーム リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 備考
1904 STL NL 155 72 79 .487 5
1905 14 5 9 .357 6 開幕 - 5月3日
通算成績 169 80 88 .476

脚注

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関連項目

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外部リンク

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