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麻倉未稀

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麻倉未稀
出生名 村上徳子[1]
生誕 (1960-07-27) 1960年7月27日(64歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市[1]
学歴 駒沢学園女子高等学校卒業[2]
ジャンル
職業 歌手
担当楽器 ボーカル
活動期間 1981年 -
レーベル
事務所 有限会社ミュージックアプリケーション
公式サイト ミュージックアプリケーションによる公式プロフィール

麻倉 未稀(あさくら みき、1960年7月27日[1] - )は、日本歌手作詞家。本名:高橋 徳子(たかはし のりこ)。旧姓名:村上 徳子(むらかみ のりこ)[2]

大阪府大阪市出身[1]駒沢学園女子高等学校卒業[2]。2023年現在、神奈川県藤沢市在住[4]

3歳上の姉[4]は、ミス・ユニバース近畿地区代表でもあったモデルの高橋(村上)美和子[2][5]。父親は元新聞記者[6]

来歴

中学2年生の時に歌手を志望し始めて大阪音楽院でレッスンを受け、中学卒業と共に上京[2]。高校卒業後も歌手デビューの機会に中々恵まれず、東京でモデルをする姉・美和子に誘われて雑誌のモデルとして活動を始めた[4]

1981年オンワードのCMソングである[4]シングルミスティ・トワイライト』で、21歳で歌手デビュー。当時のキャッチフレーズは、“都会派美人シンガー”[4]TBSテレビ系『ザ・ベストテン』には、『黄昏ダンシング』で「今週のスポットライト」で初出演。その後、同番組において麻倉自身唯一のランクインを(最高9位)果たした。

1983年、洋楽カバーの『ホワット ア フィーリング 〜フラッシュダンス[注釈 1](この曲の日本語訳詞も手掛けた)がヒット[4]。その後も洋楽カバーである1984年の『ヒーロー[注釈 2]が爆発的にヒットし、一躍トップ歌手の仲間入りをした[4]。同じく1985年の『RUNAWAY[注釈 3]などもスマッシュヒットし、全国ツアーも好評となった[4]。このように1980年代のミュージックシーンをスタイリッシュに駆け抜け、以後“洋楽カバーの女王”とも評されるようになった[4]

1993年5月に出版した写真集『Si麻倉未稀』(撮影・大竹省二)でヌードを披露し、ファンを驚かせた[4]。また1995年7月には、時代劇映画『卍舞2』で峰岸徹との濡れ場を演じた[4]

1990年代半ばからミュージカル女優としても活躍し、『麗しのサブリナ三姉妹物語』(19951998年)で初主演[4]。その後も『くるみ割り人形』(20012002年)、『アニー』(2009年)などに出演[4]

時期は不明だが結婚と離婚を経験している[4]

2017年4月、番組企画で受けた人間ドックでの診断結果で、左乳房部にステージ2の乳癌が発覚[7]。同年6月に左乳癌全摘出及び乳房再建手術を受け、6月末に無事退院[8]。翌7月14日に先輩歌手・庄野真代とのジョイントライブで音楽活動再開を果たしている[9][注釈 4]

2018年、元プリンセス プリンセスのドラマー・富田京子と共に「ピンクリボンふじさわ」を立ち上げた[10][注釈 5]。以降治療とともに、居住地域である藤沢市の乳癌検診率向上や検査受診を歌と講演で啓発する活動を行っている[4]

2020年7月、乳癌に限定しない活動に取り組むNPO法人「あいおぷらす」を設立[4]。2022年6月29日、一般社団法人日本専門医機構の理事に就任し、専門医制度の拡充活動も務めている[4]

エピソード

子供時代

子供の頃からピアノを習い[4]クラシックバレエジャズダンスもやっていた[2]。中学生の頃に歌の上手い同級生に誘われるまま、とある歌のオーディション(詳細は不明)に参加して合格[4]。このオーディションで、「歌を通じて自分の感情を表に出す」という解放感と充足感を初めて得た[4]

それまで歌手になる夢は持っていなかったが上記の経験がきっかけで歌に興味を持ち、試験を受けて音楽院に通うようになった[4]。後日歌のレッスンをしていた所、音楽院にやって来たレコード会社の人にアイドル歌手としてスカウトされた[4]。アイドルっぽい曲のレコーディングをしたが、ほどなくして声変わりしたためデビューは見送られた[4]。ただし、レコード会社から歌の才能自体は認められ、「東京でレッスンを受けながらデビューの機会を待ってはどうか?」と提案された[4]。これにより東京の高校への進学を母に告げると反対されたが、周りの人の助言により上京を許された[注釈 6]

歌手デビュー

上京後、高校生活を送りながら芸能事務所の練習生として歌のレッスンに励むが、歌手デビューのためのオーディションは不合格が続いた[注釈 7]。高校卒業後もデビューが決まらず先が見えない状態が続いたが、雑誌『ミセス』の専属モデルだった姉(美和子)から誘われ、婦人モード誌『装苑』のモデルに応募して採用された[4]。また、当時はモデルに加えて美容体操の講師もしており、尊敬する歌手であるシャーリー・バッシーを目標にデビューの機会を伺った[2]

後日、オンワードのCMソングのレコード化による歌手オーディションが行われることを知った[4]。その楽曲『ミスティ・トワイライト』のサビには長めの英語歌詞があったが、本人は元々英語は不得意だった[4]。しかし「とても素敵な曲だし、このチャンスを逃したくない」との思いから、歌詞の英語の発音を練習してオーディションに挑んで合格した[注釈 8]

デビュー当時、先述のキャッチコピーもあって事務所により“カッコイイ大人の女性”のイメージで歌謡界に登場した[4]。ただし普段の性格とは違うため、しばらくは事務所から「イメージを壊さないよう、出演番組などであまり喋らないように」と言われていたという[4]。デビューから2年後、スタッフから洋楽『ホワット ア フィーリング 〜フラッシュダンス』のカバーを勧められた。しかしこの曲は難しく、本人が「原曲歌手のアイリーン・キャラのようには歌えない」と思ったことから、一度断っている[4]。しかし、周りから「この曲はキミに向いてるから」と説得されて歌唱を決めた[4]。この経験により「カバーソングが持つ、原曲の魅力を広げられる面白さ」に気づいた[4]

悩み多き30代でのヌード

1993年の写真集『Si麻倉未稀』では、「“見失った私”を探す旅」というコンセプトのもと、ポルトガルで撮影が行われた[4]。遡って1980年代の中頃、ヒット曲を飛ばしながらも本人は内心、何となく注に浮いているようなどこか落ち着かない気持ちだったという。20代の頃から色々な所からヌード写真集を依頼されていたが、「写真家・大竹省二さんに撮ってもらえるなら」と承諾した[注釈 9]

また、30代(1990年代)を迎えた頃から、芸能人“麻倉未稀”と素の自分との間で「本音はどこにあるんだろう」と悩むこともあった[4]。そんな中映画『卍舞2』を依頼され、自分のイメージと真反対な役柄だったことから出演を決め、濡れ場にも挑戦することとなった[4]。公開後“落ち目になって脱いだ”との見方をする人もいたが、その後ミュージカル女優として活躍するなどして酷評を一蹴した[4]

乳癌と復帰後の歌声

2017年に人間ドックで乳癌が発覚した後、大学病院の精密検査で詳しく調べた所2つの腫瘍が見つかった[注釈 10]。元々頑張り屋な性格なため、癌発覚後も周囲には明るく振る舞っていたが、内心“死”をイメージして不安になることもあった[4]。以前から胸に違和感を覚えていたのに忙しさや怖さから検査を先延ばしにしていたことを反省・後悔した。その一方で、『ヒーロー』に対して「励まされる」といった感想をもらっていた自分が隠すわけにはいかないと、検査結果を聞いて自宅最寄りの藤沢駅へと帰える東海道線の車中で決意[10]。2017年10月に主治医の癌をテーマにしたトークショーを聞きに行った所、その相手役が富田京子[注釈 11]だったことが縁で、彼女と「ピンクリボンふじさわ」を立ち上げることに繋がった[4]

乳房再建の影響で以前より肺活量が少なくなったが、努力の末肺や肋骨に負担をかけずに腹式呼吸ができるようになった[4]。その後2022年3月、比叡山延暦寺で聴いた声明(しょうみよう)に衝撃を受け、歌声に活かせると思ったことから以降延暦寺に時々訪れて声明を学んでいる(2023年5月現在)[注釈 12]

ディスコグラフィー

シングル

# 発売日 タイトル B面 規格 規格品番
キングレコード
1st 1981年8月21日 ミスティ・トワイライト グッドバイ・シー・ユー・アゲイン EP K07S-210
2nd 1982年1月18日 黒いパンプス 涙のバースデイカード EP K07S-262
キングレコード / CRYSTAL BIRD
3rd 1982年7月5日 女嫌い Body Tolk EP K07S-295
4th 1982年11月21日 SNOWBIRD コルシカの風 EP K07S-363
5th 1983年6月21日 マジカル サマー トロピカーナ パラダイス EP K07S-363
6th 1983年7月21日 ホワット ア フィーリング 〜フラッシュダンス Love Trip EP K07S-454
7th 1983年11月5日 それだけの旅 メモリーズ オブ ユー EP K07S-489
8th 1983年11月21日 黄昏ダンシング ファー・フロム・オーヴァー EP K07S-502
9th 1984年4月15日 ロマンスは熱いうちに -The City of Romance- ワインクーラーでもう一度 EP K07S-543
10th 1984年9月5日 リメンバー・ターン Marvelous Night EP K07S-596
11th 1984年11月5日 ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO 横須賀Break Dance EP K07S-653
12th 1985年4月5日 ハートブレイカー 泣かないで Last Song ララバイ EP K07S-10001
13th 1985年5月21日 RUNAWAY ワンダフル・ワールド EP K07S-10021
キングレコード / スターチャイルド
14th 1985年7月21日 孤独の戦士 (ロンリー ハンター) 想い出に愛をこめて EP K07S-3071
キングレコード / CRYSTAL BIRD
15th 1986年3月21日 千億の恋人 モノクローム EP K07S-10095
16th 1986年9月5日 愛はウィングス CHANGING MY HEART FOR YOU EP K07S-10125
17th 1987年10月21日 Be My Life/セラヴィと言わないで EP K07S-10218
18th 1988年5月21日 INDIAN SUMMER 永遠にtoo late 8cmCD K10X-23014
19th 1988年6月5日 Dance with love 遠い微笑ほほえみ EP K07S-10266
8cmCD K10X-23017
20th 1989年4月21日 DREAMS COME TRUE Ocean Breeze 8cmCD 091X-10001
21st 1990年8月5日 Omni-Free 〜さよならを教えて〜 Omni-Dream 〜ステキな夢〜 8cmCD KIDS-15
22nd 1992年5月21日 モノクローム 九月には帰らない 8cmCD KIDS-80

アルバム

オリジナル・アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番
キングレコード
1st 1981年11月21日 SEXY ELEGANCE LP K28A-222
CT K28H-188
キングレコード / CRYSTAL BIRD
2nd 1982年6月5日 Lady LP K28A-265
CT K28H-236
3rd 1982年12月5日 SNOWBIRD LP K28A-360
CT K28H-270
4th 1983年6月21日 Hip City LP K28A-398
CT K28H-357
1983年12月21日 CD K35X-2
5th 1984年5月21日 Dancin' M LP K28A-494
CT K28H-484
CD K35X-3
6th 1984年9月21日 ROMANCE LP K28A-528
CT K28H-544
CD K35X-6
7th 1985年5月5日 Love Again LP K28A-647
CT K28H-683
CD K32X-7
8th 1985年11月5日 FOREIGNER LP K28A-689
CT K28H-743
CD K32X-59
9th 1986年4月21日 WARM ICE "AUSSIE BLEND" LP K28A-745
CT K28H-845
CD K32X-80
10th 1986年12月5日 BY MYSELF LP K28A-777
CT K28H-957
CD K32X-116
11th 1987年10月21日 Scarlet Love LP K28A-823
CT K28H-1035
CD K32X-201
12th 1988年2月21日 ELEGANT TALK LP K28A-844
CT K28H-1127
CD K32X-235
13th 1988年12月5日 SU・TE・KI CD K32X-315
CT K28H-1245
14th 1989年11月21日 COCORO CD 292A-69
CT 256T-69
15th 1990年10月21日 Omni-Dream→Rakuen CD KICS-48
プリンシパルレコード
16th 2003年8月8日 めざめ CD R-0360427 TR

ミニ・アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番
キングレコード / CRYSTAL BIRD
1st 1983年12月5日 SCREEN LP K20A-476
CT K20H-444
2nd 1984年12月5日 HERO & HEROINE LP K20A-593
CT K20H-621
3rd 1985年12月5日 DREAMER LP K20A-721

ライブ・アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番
キングレコード / CRYSTAL BIRD
1st 1986年9月21日 LIVE ENERGY LP K28A-759
CT K28H-878
CD K32X-104

カバー・アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番
キングレコード / CRYSTAL BIRD
1st 1991年9月5日 YOUR SONGS MIKI ASAKURA 10th Anniversary CD KICS-125
CT KITS-151
2nd 1991年12月21日 Sincerely Yours CD KICS-158
キングレコード
3rd 2022年7月27日 人生はドラマ これからも続く私のヒーロー物語 CD+DVD KIZC-683/4
CD KICS-4076

コンピレーション・アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番
徳間ジャパンコミュニケーションズ / ガウスエンタテインメント
1st 2006年7月26日 ヒーロー・ウォーズ物語〜感動と涙のドラマ主題歌メドレー〜 CD TKCA-73058

ベスト・アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番
キングレコード / CRYSTAL BIRD
1st 1985年12月5日 DREAM DREAM CD K32X-60
CT K32H-821
2nd 1988年7月21日 Dance with love 麻倉未稀CM・主題歌集 CD K32X-273
CT K28H-1176
3rd 1990年10月21日 BEST SELECTION CD KICS-49
4th 1991年11月21日 MY SONGS MIKI ASAKURA 10th Anniversary CD KICS-151
CT KITS-151
5th 1992年7月22日 MIKI ASAKURA CD KICS-214
6th 1993年9月22日 全曲集〜ヒーロー CD KICX-2133
CT KITX-2133
キングレコード
7th 1999年11月26日 麻倉未稀 コレクション CD KICX-7076
8th 2003年9月26日 麻倉未稀ベスト CD KICS-2433
9th 2010年7月7日 麻倉未稀 パーフェクト・ベスト CD KICS-1579
10th 2011年1月26日 HEART OF GOLD -30th Anniversary Best Album- CD KICS-1639/40
11th 2016年7月27日 Voice of Power -35th Anniversary Album- CD KICS-3398

参加作品

発売日 商品名 楽曲 備考
2016年07月20日 スクリーン・ミュージックのうたげ 麻倉未稀 ケ・セラ・セラ
追憶
別所哲也 & 麻倉未稀 ア・ホール・ニュー・ワールド
麻倉未稀 「キャバレー」
別所哲也、麻倉未稀、SUITE VOICE、吉井一肇 ショウほど素敵な商売はない

タイアップ

楽曲 タイアップ 収録作品
ミスティ・トワイライト オンワード『ジェーン・モア』テレビCMテーマ・ソング シングル「ミスティ・トワイライト
ホワット ア フィーリング 〜フラッシュダンス TBS系ドラマ『スチュワーデス物語』エンディングテーマ[11] シングル「ホワット ア フィーリング 〜フラッシュダンス
CIC配給パラマウント映画『フラッシュダンス』テーマソング
それだけの旅 グリコチョコレート『ディオーネ』CMソング シングル「それだけの旅
黄昏ダンシング TBS・MBS系『さよならを教えて』挿入歌[12] シングル「黄昏ダンシング
ロマンスは熱いうちに -The City of Romance- 協和発酵 焼酎 SUN イメージ・ソング シングル「ロマンスは熱いうちに -The City of Romance-
ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO TBS-TVドラマ『スクール☆ウォーズ』主題歌[13] シングル「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO
RUNAWAY TBS-TVドラマ『乳姉妹』主題歌[14] シングル「RUNAWAY
孤独の戦士 (ロンリー ハンター) OVAジャスティ』主題歌 シングル「孤独の戦士 (ロンリー ハンター)
想い出に愛をこめて OVA『ジャスティ』イメージソング
千億の恋人 クラリオンシティ・コネクション』CMソング シングル「千億の恋人
モノクローム
セラヴィと言わないで OVA『ルパン三世 風魔一族の陰謀』主題歌[15][注釈 13] シングル「Be My Life/セラヴィと言わないで」
Dance with love 銀座ジュエリー・カメリアダイヤモンド・CFイメージソング[16] シングル「Dance with love」
DREAMS COME TRUE 第一不動産グループ・イメージソング[17] シングル「DREAMS COME TRUE」
Omni-Free 〜さよならを教えて〜 JT『OMNI BLUE Mild』イメージソング[18] シングル「Omni-Free 〜さよならを教えて〜」
モノクローム キリンプレミアムビール CMイメージソング[19] シングル「モノクローム」

写真集

  • 『麻倉未稀』大竹省二撮影 スコラ 1993年
  • 『Miki Asakura in Bali 麻倉未稀写真集』撮影:南浦護 1995年

ヌードグラビア

  • 週刊現代』(大竹省二)撮影 1993年/(池谷朗)撮影 2003年
  • 週刊宝石』(南浦護)撮影 1995年
  • 『スコラ』(大竹省二)撮影 1993年/(南浦護)撮影 1995年

ミュージカル

映画

  • 卍舞2 妖艶三女濡れ絵巻(1995年) - 志保役
  • き・れ・い?(2004年) - 佐伯和枝役

ビデオ

  • 女飼い(1995年)

テレビ番組

ほか多数

ラジオ

脚注

注釈

  1. ^ 原曲は、アイリーン・キャラの同名曲。麻倉版は、ドラマ『スチュワーデス物語』(TBS)の主題歌として起用された。
  2. ^ 原曲は、ボニー・タイラーHolding Out for a Hero』。麻倉版は、ドラマ『スクール☆ウォーズ』(TBS)の主題歌に起用された。
  3. ^ 原曲は、(ボン・ジョヴィの『夜明けのランナウェイ』。麻倉版は、ドラマ『乳姉妹の主題歌に起用された。
  4. ^ このライブは元々癌発覚前に決まっていたが、庄野に「私の復帰のステージにさせて下さい」とわがままを聞いてもらい、当初の予定より日程を遅らせての開催となった[4]
  5. ^ ピンクリボンは、乳癌早期発見・治療を呼びかける運動のシンボルである。詳しくは、ピンクリボンを参照。
  6. ^ 本人によると実際には、「私が東京に行きたいと伝えると、戸惑って誰に相談したらいいか困った母は、数人の占い師に私のことを見てもらったらしいです。するとその占い師たち全員から「この子は両親の元を離れて生きる」という旨を告げられたそうです。予期せぬ答えに母はさらに困り、私をメンタルクリニックに連れて行ったんです。お医者さんは私とやり取りした後、母に『お子さんは、お母様が思っているよりもずっとしっかりしています。親元を離れても大丈夫ですよ』と告げました。医師のお墨付きをもらったことで、母はようやく私への説得を諦めました。それ以降母は、歌手を目指す私のことを応援してくれるようになりました」と述懐している[4]
  7. ^ 不合格が続いた理由について、本人は以下のように推察している。「当時(1970年代後半)はアイドル全盛期でしたが、私の歌声やルックスはアイドル路線じゃなかった。それに当時私が歌いたかったのは、大人の歌だったので」[4]
  8. ^ 本人は、「当時の所属事務所が入るマンションには、外国人がたくさん住んでいらっしゃいました。それで建物の入り口で外国の方を待ち構えて『英語を教えて下さい!』ってお願いして、『ミスティ・トワイライト』にある英語歌詞の発音や意味を教えてもらいました」と回想している[4]
  9. ^ 本人は後年以下のように語っている。「『ヒーロー』などのヒット曲は出たが、いい時期がずっと続くとは思っていなかった。当時写真集のオファーがたくさんあって断るのにクタクタになっていたのですが、ある時大竹先生から『写真集やるか?』と言われました。先生には以前から懇意にして下さっていたし、“先生にヌードを撮って貰えれば、もう他からオファーは来なくなるだろう”と思ってお受けすることにしたんです」[4]
  10. ^ 本人によると、性質の異なる2つの腫瘍がヒョウタンのように繋がっており、普通ならリンパに転移していてもおかしくない状況たったという[4]
  11. ^ 麻倉によると、富田は以前からピンクリボンアドバイザーの資格を持ち、富田の出身地である藤沢市の保健医療センターの活動にも携わっているとのこと
  12. ^ 声明は仏教音楽の一つで、本人によると声の膨らみや伝わり方が全く違う、倍音を用いた発声法とのこと。寺の人から「習得には3年ほどかかる」と言われたが、今後のために学ぶことを決意したという[4]
  13. ^ ディスクジャケットには、仮題である『ルパン三世 五右衛門紫変化』と表記されている。

出典

  1. ^ a b c d 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、29頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  2. ^ a b c d e f g 河北新報』夕刊1982年12月24日10面「登場」コーナー
  3. ^ 麻倉未稀 / エレガント・トーク [廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2022年8月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at 週刊女性2023年5月23日号・人間ドキュメント「生きることの意味を“魂”で理解しました~麻倉未稀」p38-44
  5. ^ Miwako Takahashi(@miwako.takahashi2)”. Instagram. 2022年8月1日閲覧。
  6. ^ 月刊平凡』1984年3月号掲載の本人記事
  7. ^ 麻倉未稀 乳がんで左乳房全摘宣告に号泣「ショックでした」デイリースポーツ(2017年5月22日)2023年1月31日閲覧
  8. ^ 麻倉未稀、乳がんの手術成功を報告「6月30日に退院」サンスポ(2017年7月2日記事)2023年1月31日閲覧
  9. ^ 麻倉未稀 乳がん手術後スピード復帰「歌える、ありがたいな」スポニチ(2017年7月15日記事)2023年1月31日閲覧
  10. ^ a b 【がんとともに】歌手・麻倉未稀さん 乳がん発覚から6年:検診ためらわないで ヒーローの叫び/励まされた曲と一緒に啓発■進む「話せる場」作り朝日新聞』朝刊2023年1月17日(生活面)2023年1月31日閲覧
  11. ^ スチュワーデス物語”. テレビドラマデータベース. 2022年8月14日閲覧。
  12. ^ さよならを教えて”. テレビドラマデータベース. 2022年8月14日閲覧。
  13. ^ スクール★ウォーズ(1)”. テレビドラマデータベース. 2022年8月14日閲覧。
  14. ^ 乳姉妹”. テレビドラマデータベース. 2022年8月14日閲覧。
  15. ^ ルパン三世 風魔一族の陰謀”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2022年8月14日閲覧。
  16. ^ Dance with Love|麻倉未稀”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2022年8月14日閲覧。
  17. ^ DREAMS COME TRUE|麻倉未稀”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2022年8月14日閲覧。
  18. ^ Omni-Free|麻倉未稀”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2022年8月14日閲覧。
  19. ^ モノクローム|麻倉未稀”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2022年8月14日閲覧。
  20. ^ ラジオ「Changeの瞬間~がんサバイバーストーリー」好評放送中 【随時更新】”. 日本対がん協会. 2023年5月8日閲覧。

関連項目

外部リンク