1993年の横浜ベイスターズ
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1993年の横浜ベイスターズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ5位 | |
57勝73敗 勝率.438[1] | |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県横浜市 |
球場 | 横浜スタジアム |
球団組織 | |
オーナー | 中部慶次郎 |
経営母体 | マルハ |
監督 | 近藤昭仁 |
« 1992 1994 » |
1993年の横浜ベイスターズ(1993ねんのよこはまベイスターズ)では、1993年の横浜ベイスターズにおける動向をまとめる。
この年の横浜ベイスターズは、横浜大洋ホエールズからチーム名を変更して初めて迎えるシーズンであり、近藤昭仁監督の1年目のシーズンである。
概要
[編集]球団名が「横浜ベイスターズ」となり、ベイスターズの初代監督には1960年初優勝時の主力だった近藤昭仁が就任した。チームは評論家から「今年は台風の目になる」と言われ、Aクラス入りが予想された。序盤はキャンプ前の自主トレ中に盛田幸妃が故障離脱するアクシデントと4月に2度の5連敗を喫した影響もあり開幕ダッシュに失敗。6月こそは一時期チームの借金を完済し貯金に至ったものの7月からオールスターを挟んでの10連敗を喫し、さらに新外国人で4番のグレン・ブラッグスが小指を骨折して戦線離脱したこともあり一時は最下位に低迷。この年は優勝のヤクルトに4勝22敗と相性が悪く(それ以外の球団には互角だった)、ヤクルト戦の大敗が5位低迷の原因となった。結局近藤監督の1年目は5位でシーズンを終了。投手陣では野村弘樹が17勝を挙げてそれ以外の投手もそれなりの活躍を収めチーム防御率もリーグ4位と健闘、打撃陣では夏場に故障離脱したブラッグスと打点王に輝いたロバート・ローズの活躍があったものの、両外国人に続く選手がおらず打線全体でもチーム本塁打が100本未満(87本でリーグ5位)に終わった。オフにはFAで駒田徳広を獲得したがその獲得資金の捻出と噂された高木豊、屋鋪要らの主力選手の大量解雇を断行し賛否両論を巻き起こした[2]。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]開幕:4/10 | 5/1 | 6/1 | 7/1 | 8/1 | 9/1 | |||||||
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1 | 三 | 高木豊 | 一 | 高木豊 | 中 | 大川隆 | 中 | 屋鋪要 | 中 | 屋鋪要 | 三 | 石井琢朗 |
2 | 中 | 屋鋪要 | 三 | 石井琢朗 | 三 | 石井琢朗 | 三 | 石井琢朗 | 遊 | 石井琢朗 | 遊 | 永池恭男 |
3 | 左 | 山崎賢一 | 中 | 山崎賢一 | 一 | 高木豊 | 一 | 高木豊 | 一 | 高木豊 | 一 | 高木豊 |
4 | 右 | ブラッグス | 右 | ブラッグス | 右 | ブラッグス | 右 | ブラッグス | 二 | ローズ | 二 | ローズ |
5 | 二 | ローズ | 二 | ローズ | 二 | ローズ | 二 | ローズ | 左 | 畠山準 | 右 | 畠山準 |
6 | 遊 | 石井琢朗 | 左 | 畠山準 | 左 | 畠山準 | 左 | 畠山準 | 三 | 高橋眞裕 | 中 | 宮里太 |
7 | 一 | 長内孝 | 遊 | 進藤達哉 | 遊 | 進藤達哉 | 遊 | 進藤達哉 | 右 | 佐伯貴弘 | 左 | 佐伯貴弘 |
8 | 捕 | 秋元宏作 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 谷繁元信 |
9 | 投 | 有働克也 | 投 | 森山良二 | 投 | 岡本透 | 投 | 島田直也 | 投 | 三浦大輔 | 投 | 田辺学 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 広島 | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- |
2位 | 中日 | 1.5 | 巨人 | 1.5 | 巨人 | 3.5 | 巨人 | 3.5 | 中日 | 1.0 | 中日 | 2.0 | 中日 | 7.0 |
3位 | 巨人 | 3.5 | 広島 | 2.0 | 広島 | 広島 | 4.0 | 広島 | 8.0 | 阪神 | 12.0 | 巨人 | 16.0 | |
4位 | 阪神 | 中日 | 横浜 | 4.0 | 中日 | 巨人 | 8.5 | 巨人 | 12.5 | 阪神 | 17.0 | |||
5位 | ヤクルト | 4.5 | 阪神 | 中日 | 4.0 | 阪神 | 5.0 | 阪神 | 9.0 | 横浜 | 17.5 | 横浜 | 23.0 | |
6位 | 横浜 | 8.0 | 横浜 | 4.5 | 阪神 | 6.0 | 横浜 | 7.5 | 横浜 | 12.5 | 広島 | 19.0 | 広島 | 27.0 |
期間 成績 |
4勝13敗 勝率.235 |
14勝10敗 勝率.583 |
12勝8敗 勝率.600 |
6勝12敗 勝率.333 |
7勝12敗 勝率.368 |
7勝9敗 勝率.438 |
7勝9敗 勝率.438 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 80 | 50 | 2 | .615 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 73 | 57 | 2 | .562 | 7.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 64 | 66 | 1 | .492 | 16.0 |
4位 | 阪神タイガース | 63 | 67 | 2 | .485 | 17.0 |
5位 | 横浜ベイスターズ | 57 | 73 | 0 | .438 | 23.0 |
6位 | 広島東洋カープ | 53 | 77 | 1 | .408 | 27.0 |
オールスターゲーム1993
[編集]→詳細は「1993年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手
ポジション | 名前 | 選出回数 |
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投手 | 有働克也 | 初 |
野村弘樹 | 3 | |
佐々木主浩 | 2 | |
捕手 | 谷繁元信 | 初 |
外野手 | 畠山準 | 初 |
できごと
[編集]選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
ローズ | 打点王 | 94打点 | 初受賞 |
石井琢朗 | 盗塁王 | 24個 | 初受賞 |
野村弘樹 | 最多勝利 | 17勝 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
ローズ | 二塁手 | 初受賞 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
石井琢朗 | 三塁手 | 初受賞 |
ドラフト
[編集]→詳細は「1993年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
- 網掛けの選手は逆指名による入団
順位 | 選手名 | 守備 | 所属 | 結果 |
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1位 | 河原隆一 | 投手 | 関東学院大学 | 入団 |
2位 | 波留敏夫 | 内野手 | 熊谷組 | 入団 |
3位 | 大家友和 | 投手 | 京都成章高 | 入団 |
4位 | 川崎義文 | 捕手 | 日本通運 | 入団 |
5位 | 西澤洋介 | 投手 | 千葉工業大学 | 入団 |
6位 | 万永貴司 | 内野手 | 中山製鋼所 | 入団 |
出典
[編集]- ^ “年度別成績 1993年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年11月13日閲覧。
- ^ 高木豊に屋鋪要……横浜ベイスターズの解雇劇を振り返る - エキサイトニュース
- ^ a b 『1994 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、1993年。ISBN 4-583-03093-2。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | ヤクルトスワローズ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 日本ハムファイターズ |
3位 | 読売ジャイアンツ | 4位 | 阪神タイガース | 3位 | オリックス・ブルーウェーブ | 4位 | 近鉄バファローズ |
5位 | 横浜ベイスターズ | 6位 | 広島東洋カープ | 5位 | 千葉ロッテマリーンズ | 6位 | 福岡ダイエーホークス |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||