若生智男

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若生 智男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県仙台市太白区
生年月日 (1937-04-05) 1937年4月5日(82歳)
身長
体重
182 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1956年
初出場 1956年8月23日
最終出場 1976年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - )は、宮城県仙台市太白区出身の元プロ野球選手投手)・コーチ評論家

経歴[編集]

兄には仙台商業高校元監督で宮城県野球連盟会長を務めた若生久二雄、弟には埼玉栄高校監督の若生正廣がいる。東北高校時代は若生忠男西鉄巨人)・若生照元中大大洋)と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった[1]

卒業後の1956年毎日オリオンズへ入団し、同年の8月23日阪急戦(駒澤)で初登板。9月3日大映戦(後楽園)では先発に起用されるが、5回途中で降板。1957年8月18日の大映戦(西京極)でプロ初勝利を挙げ、10月東映3連戦では2勝を記録。1958年は再び0勝に終わったが、1960年に初の2桁勝利となる13勝を挙げる。球団2度目のリーグ優勝に貢献し、大洋との日本シリーズでは第2戦と第3戦に登板。1962年には自己最多の15勝を挙げるが、1963年に故障。

1964年小山正明山内一弘の「世紀のトレード」に並行して、マイク・ソロムコと交換で阪神タイガースに移籍。同年は5勝にとどまるが、南海との日本シリーズでは第1戦と第5戦に登板。投手王国・阪神では、先発と中継ぎの両刀使いで活躍し、首脳陣から重宝される存在だった。30歳を超えてからは球威が増して江夏豊古沢憲司と3本柱を形成。1969年にはオールスターゲームに出場し、甲子園の第2戦で2番手登板。1970年からは投手コーチを兼任し、1973年に再び選手専任となる。

1975年には安仁屋宗八とのトレードで広島東洋カープに移籍し、先発ローテーションの谷間を埋めて初優勝に貢献。3勝中2勝は中日戦から挙げたものであり、5月4日の阪神戦(広島市民)ではプロ初セーブを記録。阪急との日本シリーズでは第2戦と第5戦に登板。1976年に現役を引退。大毎・阪神・広島でリーグ優勝を経験しており、3チームから日本シリーズに出場。これはプロ野球史上初めてであったが、日本一には1度もなれなかった。

引退後は広島(1977年二軍投手コーチ, 1978年一軍投手コーチ)、ロッテ(1979年 - 1983年一軍投手コーチ, 1987年一軍投手チーフコーチ)、阪神(1984年1988年 - 1989年一軍投手コーチ, 1985年二軍投手コーチ, 1986年編成部調査担当)、ダイエー1990年スカウト, 1990年途中 - 1992年二軍投手コーチ)、横浜(1993年 - 1996年二軍投手コーチ)でコーチ・フロントを歴任。横浜退団後は故郷・仙台に戻り、宮城・東北野球界の御意見番としても活躍。NPO法人「野球振興ふるさと宮城プロ野球選手・OB会」副理事長などを務め、2001年に発足したプロ野球マスターズリーグでは大阪ロマンズの最年長投手としてプレー。2006年には森田健作率いるクラブチーム千葉熱血MAKING」選手兼任監督に就任したが、チーム運営の意見の食い違いで同年退任。現在はデイリースポーツ評論家の傍ら、千葉県船橋市の中学校と高校で外部コーチを務めている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1956 毎日
大毎
5 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 53 13.1 11 1 2 0 0 9 1 0 6 6 3.86 0.98
1957 19 5 0 0 0 3 1 -- -- .750 226 53.2 44 3 20 0 2 39 2 1 23 16 2.67 1.19
1958 23 2 0 0 0 0 1 -- -- .000 163 41.2 30 2 10 0 2 38 0 0 11 11 2.36 0.96
1959 27 14 2 1 0 3 2 -- -- .600 404 98.1 81 2 23 0 4 65 1 2 32 24 2.18 1.06
1960 44 28 4 3 1 13 8 -- -- .619 792 196.1 166 10 47 1 9 127 2 0 61 47 2.15 1.08
1961 50 16 3 0 0 9 9 -- -- .500 734 175.0 151 8 60 4 8 115 6 0 74 62 3.19 1.21
1962 55 30 8 0 1 15 13 -- -- .536 974 237.0 199 20 63 0 6 174 5 0 91 72 2.73 1.11
1963 18 12 2 0 0 3 7 -- -- .300 289 68.1 62 9 21 0 2 45 0 0 39 35 4.57 1.21
1964 阪神 33 9 4 1 2 5 6 -- -- .455 400 99.2 76 13 26 1 5 43 0 0 39 35 3.15 1.02
1965 32 7 0 0 0 3 5 -- -- .375 327 78.2 73 2 26 0 2 59 2 0 35 32 3.65 1.26
1966 44 10 7 3 1 10 4 -- -- .714 544 142.0 103 9 30 1 6 101 0 0 31 31 1.96 0.94
1967 47 17 4 2 0 8 7 -- -- .533 654 167.2 120 13 49 2 6 132 1 0 55 40 2.14 1.01
1968 30 10 1 0 0 3 7 -- -- .300 366 91.2 69 14 29 1 3 68 2 0 39 34 3.33 1.07
1969 41 19 8 4 2 12 12 -- -- .500 726 177.1 163 14 50 4 4 97 3 0 59 54 2.75 1.20
1970 41 25 9 2 3 13 10 -- -- .565 780 195.0 159 14 53 7 3 94 2 0 56 47 2.17 1.09
1971 30 26 3 0 1 10 12 -- -- .455 707 174.1 150 10 53 10 3 70 1 0 50 42 2.17 1.16
1972 5 4 0 0 0 1 2 -- -- .333 74 17.0 16 1 9 0 0 9 0 0 10 7 3.71 1.47
1973 25 5 0 0 0 0 5 -- -- .000 214 54.1 52 8 9 1 0 21 0 0 17 16 2.67 1.12
1974 20 16 3 1 1 7 4 0 -- .636 399 97.1 96 13 15 0 0 50 0 1 46 36 3.34 1.14
1975 広島 20 7 0 0 0 3 3 1 -- .500 222 52.2 48 6 23 1 2 21 1 0 21 18 3.06 1.35
1976 19 4 0 0 0 0 1 1 -- .000 131 29.0 32 2 14 0 1 19 0 0 19 15 4.66 1.59
通算:21年 628 267 58 17 12 121 120 2 -- .502 9179 2260.1 1901 174 632 33 68 1396 29 4 814 680 2.71 1.12
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 毎日(毎日オリオンズ)は、1958年に大毎(毎日大映オリオンズ)に球団名を変更

記録[編集]

背番号[編集]

  • 32 (1956年 - 1961年)
  • 18 (1962年 - 1963年)
  • 27 (1964年 - 1974年)
  • 12 (1975年 - 1976年)
  • 79 (1977年 - 1983年)
  • 82 (1984年、1993年 - 1996年)
  • 71 (1985年、1988年)
  • 86 (1987年)
  • 81 (1989年)
  • 80 (1990年 - 1992年)

脚注[編集]

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  1. ^ 『完全版 プロ野球人国記 北海道・東北編』ベースボール・マガジン社

関連項目[編集]