小谷正勝

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小谷 正勝
読売ジャイアンツ 巡回投手コーチ #100
T kotani20140426.jpg
千葉ロッテコーチ時代、ロッテ浦和球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県明石市
生年月日 (1945-04-08) 1945年4月8日(73歳)
身長
体重
178 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1967年 ドラフト1位
初出場 1968年5月25日
最終出場 1977年7月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

小谷 正勝(こたに ただかつ、1945年4月8日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。関東地区を拠点とするセ・リーグ3チーム(大洋→横浜ヤクルト巨人)すべてでコーチを務めた人物である[1]

経歴[編集]

明石高校から國學院大に進む。東都大学リーグでは、1年生の1964年春季リーグで最下位に沈み、亜大との入替戦にも敗れ二部転落。その後も低迷し、在学中の一部返り咲きはならなかった。しかし本格派右腕投手としての評価は高く、1967年のドラフト1位で大洋ホエールズに入団。

1970年から大洋初の専任ストッパーに転向、当時はセーブが存在していなかったため、晩年の6セーブしか記録されていないが、1970年 - 1971年と2年連続して50試合以上に登板、防御率2.11、2.13と安定感を見せた。1971年のオールスターゲームでは阪急西宮スタジアムで行なわれた第1戦で5番手として登板している。この試合はオール・セントラル投手陣が江夏豊の9連続三振を皮切りに渡辺秀武高橋一三水谷寿伸と繋いでオール・パシフィック打線を無安打に抑えていた。小谷は8回1死から登板して打者8人を相手に4三振を奪うなど無安打に抑えて試合を締めくくり、日本のオールスター史上唯一のノーヒット・ノーランに貢献している。現役時代、オールスターゲームに出場したのはこの試合だけである。

1975年9月15日阪神タイガース戦、1対1の同点で迎えた延長12回裏阪神の攻撃で、三塁走者の末永正昭がホームスチールを敢行した。これにあわてた捕手福嶋久晃は小谷の投球をホームベース上に飛びついてキャッチし、打者の池辺巌と接触してしまった。この場合捕手に打撃妨害がつくが、三塁走者のホームインはなぜか投手のボークとして記録され、小谷は無実のサヨナラボークを記録した。これは小谷が記録した唯一のボークである。

1977年に引退したのち、1978年は大洋にスカウトとして残留[2]1979年から1986年までは現場に復帰して投手コーチ(1979年 - 1981年は二軍、1982年 - 1986年は一軍)を務めたが、古葉竹識監督の就任に伴うコーチ陣の入れ替えもあり[3]、1987年からは、監督の関根潤三(大洋監督時代の1982年 - 1984年にも仕えた)に招聘されてヤクルトの一軍投手コーチに就任した。関根は著書の中で「僕が認める一人が小谷正勝。ピッチングコーチとしてはピカイチ。こいつがすごいのは指導の引き出しがいくらでもあるところ。引き出しが多いから、いろんな選手に『右向け右』をさせられる。しかも、指導がわかりやすい。その選手が一番理解できる言葉で話すから、選手にとってこんなありがたいことはない」[4]と記している。小谷も一番影響を受けた人物に関根の名を挙げて、「いいかい、オマエさん。コーチっていうのは『話せる鏡』にならなきゃ駄目なんだ。忘れちゃいけないよ」と言われたことに対し「(『話せる鏡』は)まさに"金言"やな。ワシの長いコーチ生活は、関根さんから教わったこの言葉に支えられとるようなもんや」と述べている[5]

その後大洋投手陣は崩壊し、大洋投手陣は球団に対して「小谷コーチを戻して欲しい。」との嘆願書を出したそうである。

1989年5月31日の阪神との乱闘劇で危険球を投げた阪神の渡辺伸彦栗山英樹とともに外野まで追い掛け回した。その後ヤクルトの関根監督退陣、大洋の古葉監督解任と須藤豊監督就任とともに1990年に大洋の一軍投手コーチに復帰し、1995年まで務めた。1996年 - 2002年は再びヤクルトの投手コーチ(1996年・1999年 - 2000年は一軍、1997年 - 1998年は二軍、2001年 - 2002年は一軍・二軍巡回)を務めた。大洋・横浜、ヤクルトの2球団で内藤尚行[6]加藤博人[6]鈴木平[6]川崎憲次郎盛田幸妃[7]三浦大輔佐々木主浩五十嵐亮太石川雅規[8]などの育成に貢献。川崎は著書の中で「小谷さんと一年目出会えたのは良かった。グランドではほとんど喋らない方ですが、調子が落ちているとワンポイントアドバイスしてその通りに投げるとよくなっている。小谷さんも自信がないと指摘しないと」と記している[9]。五十嵐は「今の自分があるのは小谷さんのおかげ」と話しメッツ入団が決まった時に真っ先に国際電話で小谷に報告している[10][11]。三浦大輔も引退会見で小谷の「己を知れ」というアドバイスに大きく影響を受けたと話した。

2003年には山下大輔の監督就任に伴い横浜に一軍投手コーチとして復帰したが、山下監督退任と共に2004年で退団し、2005年からは巨人二軍投手コーチを務める。就任した巨人でも早速内海哲也のフォーム修正などを担当、前二軍監督の高橋一三とともに翌年内海がブレイクする下地をつくった。また、入団テストを受けに来た山口鉄也の獲得を進言。越智大祐も小谷のアドバイスからピッチングのコツを掴みブレイクしている。その後も主にシーズン中のフォーム修正などを担当している。

2009年ディッキー・ゴンザレスチェンジアップを習得させ、来日以来最高のピッチングをするきっかけを作っており、同年7月2日に来日初先発・初勝利を記録したウィルフィン・オビスポも小谷の指導の下、投球技術と制球力を向上させた。オビスポも初勝利の際、「感謝したい人は?」との問いに真っ先に小谷の名を挙げている。

2010年から2011年まで二軍投手コーチの傍ら、一軍投手陣も巡回で指導していた。

2012年に一軍で6勝をマークした宮國椋丞投手も1年目は小谷の指導を受け、2年目の飛躍の基礎を築いた。

2013年からは千葉ロッテマリーンズの2軍投手コーチを務める[12]西野勇士古谷拓哉の台頭に貢献した[13]2016年小谷本人の辞意申し出により、退団[14]

2017年シーズンからは巨人に6年ぶりに復帰し巡回投手コーチを担当する[15]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1968 大洋 5 1 1 0 0 1 0 -- -- 1.000 56 13.1 10 4 7 0 0 8 0 0 6 5 3.46 1.28
1969 10 3 0 0 0 2 1 -- -- .667 93 20.1 20 1 14 0 2 18 0 0 11 8 3.60 1.67
1970 53 6 0 0 0 4 4 -- -- .500 455 115.0 78 6 36 4 4 85 2 0 32 27 2.11 0.99
1971 58 3 1 0 0 11 9 -- -- .550 578 148.0 91 9 51 4 4 110 1 0 39 35 2.13 0.96
1972 18 2 0 0 0 0 1 -- -- .000 111 27.0 30 7 8 1 0 22 0 0 15 15 5.00 1.41
1973 37 3 0 0 0 0 3 -- -- .000 270 64.0 53 6 30 2 2 43 0 0 24 23 3.23 1.30
1974 33 1 0 0 0 0 4 -- -- .000 232 54.1 51 9 20 0 3 37 0 0 30 28 4.67 1.31
1975 36 0 0 0 0 3 4 2 -- .429 244 59.2 49 8 26 5 0 44 3 1 21 19 2.85 1.26
1976 17 0 0 0 0 2 0 2 -- 1.000 118 25.0 28 5 17 1 0 10 0 0 17 14 5.04 1.80
1977 18 0 0 0 0 1 1 2 -- .500 101 22.2 20 4 16 2 1 14 1 0 15 13 5.09 1.59
NPB:10年 285 19 2 0 0 24 27 *6 -- .471 2258 549.1 430 59 225 19 16 391 7 1 210 187 3.07 1.19
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す

記録[編集]

初記録
  • 初登板:1968年5月25日、対中日ドラゴンズ6回戦(中日スタヂアム)、5回裏に3番手で救援登板、1回無失点
  • 初奪三振:1968年9月26日、対サンケイアトムズ24回戦(川崎球場)、9回表に加藤俊夫から
  • 初先発・初勝利・初完投勝利:1968年10月15日、対中日ドラゴンズ27回戦(川崎球場)、9回4失点
  • 初セーブ:1975年8月8日、対中日ドラゴンズ14回戦(中日スタヂアム)、6回裏2死に3番手で救援登板・完了、3回1/3を1失点
その他の記録

背番号[編集]

  • 24 (1968年 - 1977年)
  • 80 (1979年 - 1981年)
  • 84 (1982年 - 1986年、1990年 - 1995年)
  • 76 (1987年 - 1989年)
  • 78 (1996年 - 2002年)
  • 72 (2003年 - 2004年)
  • 81 (2005年)
  • 70 (2006年 - 2011年、2013年 - 2016年)
  • 103 (2017年)
  • 74 (2018年)
  • 100 (2019年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 巨人、ヤクルト、横浜の3球団でコーチを務めたのは小谷と八木沢荘六の二人のみ
  2. ^ 日刊スポーツ、33年ひと筋名投手コーチ(1)小谷の指導論、2012年1月17日
  3. ^ 古葉は広島・南海時代の腹心的立場のコーチ(寺岡孝小林正之佐野嘉幸・福嶋久晃等。ただし福嶋は現役では大洋在籍がほとんど)・スカウト(木庭教)・マネージャー(中村光良=大洋ではコーチ、等)を大量に入団させ、その皺寄せとして元からのコーチ陣が退団または配置転換を余儀なくされた(出典:ベースボール・マガジン社『プロ野球トレード史Ⅱ』、1992年刊)。小谷が移籍したヤクルトからは伊勢孝夫が広島に移籍している(伊勢は当時の広島監督阿南準郎と、現役時代に近鉄で同僚だったことがある)。
  4. ^ 関根潤三著、いいかげんがちょうどいい―85歳、野球で知った人生で大切なこと、ベースボール・マガジン社、2012年、P129-130
  5. ^ 乾坤一筆 - サンケイスポーツ
  6. ^ a b c 日刊スポーツ 1989年10月24日7版
  7. ^ 困ったら原点へ DeNA三浦、25年の現役生活の支えとなった恩師の金言 full-count
  8. ^ ロッテ2軍投手コーチに小谷氏招聘 日刊スポーツ
  9. ^ 川崎憲次郎著、野村「ID」野球と落合「オレ流」野球、KKロングセラーズ、2012年、P141-142
  10. ^ 五十嵐、恩師の巨人・小谷コーチに全力投球誓う スポーツ報知
  11. ^ 名伯楽・小谷コーチ、五十嵐に「目いっぱいやれ」 スポーツ報知
  12. ^ 小谷正勝氏 二軍投手コーチ就任のお知らせ - 2012年11月6日
  13. ^ 首脳陣インタビュー “COACH'S BOX”小谷正勝二軍投手コーチ・ロッテ - 週刊ベースボール
  14. ^ 小谷正勝二軍投手コーチの退団について - 2016年10月31日
  15. ^ 来季の一、二、三軍コーチングスタッフについて

関連項目[編集]