井上純

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井上 純
Jun Inoue 2010.08.08.JPG
横浜コーチ時代
(2010年8月8日 横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県仙台市太白区
生年月日 (1970-06-08) 1970年6月8日(48歳)
身長
体重
182 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1988年 ドラフト3位
初出場 1990年5月29日
最終出場 2006年8月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 横浜ベイスターズ
    横浜DeNAベイスターズ (2007 - 2012)

井上 純(いのうえ じゅん、1970年6月8日 - )は、宮城県仙台市太白区出身の元プロ野球選手外野手、左投左打)・コーチ

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1988年東陵高校時代は大会屈指のスラッガーとして、3年生時に当校の甲子園初出場(夏の甲子園に出場)に貢献。宮城県大会決勝の東北高校戦では3ラン本塁打を放って東稜高校の甲子園初出場に貢献した。初戦の福井商業高校に敗退したものの打撃力と俊足を評価され、横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)から3位指名を受け入団。(同期入団は谷繁元信石井琢朗など)

横浜時代[編集]

入団当初「屋鋪要よりも速い」と評されたほどの俊足や、高校通算打率3割・38本塁打の打撃で期待されたが、プロの壁は厚くレギュラー争いに食い込めず。

1995年キャンプでの打撃フォーム改造が奏功し、9月にプロ初本塁打。その後は徐々に打撃技術が向上し、代打の切り札として一軍に定着。

1998年波留敏夫の欠場もあり前半戦は中堅手として大いに活躍する。打席数こそ少ないものの打率.330の好成績を残した。西武との日本シリーズ第5戦、8番DHスタメン出場し活躍。チームは38年ぶりのリーグ優勝・日本一。

1999年も打率3割をマークし、プロ入り後最多の4本塁打を放った。2001年も3割をクリアするなど、少ない出場機会の中で確実に成績を残した。

2002年は腰痛や足の故障、若手の台頭により出場機会が激減。年齢的な面もありシーズンオフに戦力外通告を受けた。

ロッテ時代[編集]

2003年にはロッテのテストを受け入団。花粉症の影響で、オープン戦やシーズン開幕直後は極度の不振。そのため当初は期待外れと酷評されたが、シーズン中盤からは大車輪の活躍。9月には3番スタメン出場が定着していた。8月19日に故郷仙台での西武戦で森慎二投手より本塁打を打ったが、これは高校3年の県大会の決勝で打った本塁打(前述)と同様のコース、同様の直球、同様のスウィングで打ったものだった。 この年はプロ入り後最高の成績を収めた。

2004年は春先に受けた死球の影響で調子を落とすものの、復活後はベテランらしい活躍を見せる。前年同様に主軸として活躍し、自己最高の24打点をマークした。

2005年はかつての所属球団である横浜とのセ・パ交流戦で古巣横浜スタジアムのレフトスタンドに本塁打を放つ。この年は打率が1割台と苦しんだが、プレーオフ第2ステージ第5戦で、8回裏から左翼手の守備に着き、リーグ優勝のウイニングボールを捕球。チームは阪神との日本シリーズも制し、31年ぶりのリーグ優勝・日本一を手にした。

2006年アジアシリーズでの1試合4三振などの屈辱をバネにフォームを改造。これが功を奏し、絶好調な状態で開幕を迎え5番を打ったこともあったが、夏に近づくにつれ調子を落とし、10月2日に戦力外通告を受け、現役を引退。

引退後[編集]

2006年10月16日に古巣の横浜ベイスターズ二軍、湘南シーレックスの外野守備走塁コーチに就任。背番号90。2010年からは一軍外野守備走塁コーチを務め、2011年は再び二軍外野守備走塁コーチを務めた。8月16日に行われたイースタン・リーグのロッテ戦で審判員に暴行したとして退場処分を受けた[1]2012年は一軍打撃コーチを務め打率リーグ最下位、得点5位と低迷し同年退団[2]2013年からは地元宮城で楽天イーグルスのベースボールスクールジュニアコーチに就任[3]。2014年頃からJ SPORTSプロ野球中継の楽天主催試合(球団制作映像)の一部で同ジュニアコーチ複数名が解説者を兼任するようになり、井上も解説を行うことがある。東北放送ラジオの中継にも時折出演し解説をしている。

人物[編集]

1998年横浜の38年ぶりの日本一、2005年にロッテの31年ぶりの日本一と、セ・パ両リーグで30年以上優勝から遠ざかっていたチームのリーグ優勝、日本シリーズ制覇(日本一)を経験するという珍しい経歴の持ち主。

千葉マリンスタジアムでのスコアボードの表記は、2003年は同姓の井上貴朗が在籍していたため、「井上純」と表記されていたが、井上貴朗が退団した2004年以降は「井上」となっていた。それでも「じゅん」という親しみやすい名前で、彼が打席に入ると井上コールの合間に「じゅん!」と合いの手が入っていた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1990 大洋
横浜
4 4 4 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .250 .250 .250 .500
1991 5 6 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .333
1993 21 33 29 1 4 1 0 0 5 1 0 1 1 0 3 0 0 9 0 .138 .219 .172 .391
1995 41 37 36 5 9 1 0 1 13 2 1 1 1 0 0 0 0 9 0 .250 .250 .361 .611
1996 60 71 62 11 18 2 1 0 22 6 7 3 2 0 7 1 0 19 0 .290 .362 .355 .717
1997 52 74 67 8 12 0 2 0 16 5 5 1 1 3 2 0 1 18 0 .179 .205 .239 .444
1998 71 117 109 10 36 7 1 0 45 9 0 3 2 0 6 0 0 29 1 .330 .365 .413 .778
1999 64 84 79 14 24 5 0 4 41 13 1 0 1 0 4 0 0 23 0 .304 .337 .519 .856
2000 61 67 62 9 15 1 0 0 16 4 3 0 0 1 4 1 0 25 0 .242 .284 .258 .542
2001 83 85 80 16 24 4 1 1 33 10 2 3 1 0 4 0 0 19 3 .300 .333 .413 .746
2002 12 14 13 1 2 0 0 1 5 1 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .154 .214 .385 .599
2003 ロッテ 74 276 254 34 72 19 4 6 117 23 4 2 7 1 13 0 1 55 2 .283 .320 .461 .780
2004 80 249 225 37 65 19 5 3 103 24 5 3 2 2 17 0 3 45 5 .289 .344 .458 .802
2005 28 48 43 6 7 1 0 2 14 5 0 0 0 0 4 0 1 11 1 .163 .250 .326 .576
2006 30 60 55 4 12 1 0 0 13 1 0 1 0 0 5 0 0 14 0 .218 .283 .236 .520
通算:15年 686 1225 1124 156 302 61 14 18 445 105 28 18 18 7 70 2 6 285 12 .269 .313 .396 .709
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]



外野












1993 大洋
横浜
13 10 1 0 0 1.000
1995 17 12 2 0 1 1.000
1996 18 15 1 0 0 1.000
1997 25 30 0 0 0 1.000
1998 25 39 1 1 0 .976
1999 14 19 0 0 0 1.000
2000 8 8 0 0 0 1.000
2001 52 37 2 0 0 1.000
2002 3 1 0 0 0 1.000
2003 ロッテ 64 102 1 6 0 .945
2004 71 93 0 2 0 .979
2005 14 12 0 0 0 1.000
2006 20 23 0 0 0 1.000
通算 344 401 8 9 1 .981

記録[編集]

背番号[編集]

  • 32 (1989年 - 2002年)
  • 47 (2003年 - 2006年)
  • 90 (2007年 - 2012年)

脚注[編集]

  1. ^ 【横浜】暴行退場の井上コーチに制裁金 - プロ野球ニュース : nikkansports.com 2011年8月17日
  2. ^ 来季のコーチ契約について 横浜DeNAベイスターズ 2012年10月10日
  3. ^ 【ベースボールスクール】ジュニアコーチに関して 東北楽天ゴールデンイーグルス 2013年1月27日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]