堀江賢治

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堀江 賢治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県府中市
生年月日 (1970-08-08) 1970年8月8日(52歳)
身長
体重
178 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1988年 ドラフト4位
初出場 1991年4月20日
最終出場 1996年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

堀江 賢治(ほりえ けんじ、1970年8月8日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手内野手)、プロ野球監督。一時期、登録名を堀江 晃嗣としていた。

来歴・人物[編集]

広陵高から、1988年のプロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから4位指名を受け入団。高校の2学年先輩に金本知憲がいた。進学希望であったが、広島を率いた古葉竹識が監督で入団を決意[1]

巧打の内野手として、プロ3年目の1991年には一軍初出場を果たす。しかし、翌1992年以降は石井琢朗進藤達哉らとの競争により徐々に出番が減少。

1994年水尾嘉孝渡部高史と共に飯塚富司伊藤敦規との3対2トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。二軍では首位打者を獲得したが一軍ではほぼ出番がなく、僅か1年で高嶋徹と共に大島公一久保充広との2対2のトレードで近鉄バファローズへ移籍[2]

1996年は前年より出場試合数が増えていても15試合のみで一軍定着できなかった。確実性のある打撃力と堅実な守備力はあり、「若手が台頭して出番が減少したとしても侮れない実力」などと言われながら[3]、一軍出場のなかった1998年限りで現役を引退。

現役引退後は、実家の居酒屋を継いでいた[4]

2009年四国・九州アイランドリーグ徳島インディゴソックス監督に就任。1年目は前期・後期共に最下位に終わったが、2年目の2010年はチームを5年ぶりに5割以上(3位)に浮上させた。同年シーズンをもって退任。

徳島退団以降は、再び前述の居酒屋経営に専念をする。それはJR西日本福塩線府中駅近くにあり、店名は「千徳」という。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1991 大洋
横浜
61 181 158 25 42 6 3 2 60 13 6 1 9 0 13 0 1 35 3 .266 .326 .380 .706
1992 38 108 94 12 27 3 0 1 33 11 7 1 8 0 5 0 1 21 1 .287 .330 .351 .681
1993 36 61 51 4 5 2 0 1 10 2 0 0 2 0 8 0 0 17 1 .098 .220 .196 .416
1994 20 27 21 1 7 0 0 0 7 0 0 0 0 0 6 0 0 5 1 .333 .481 .333 .814
1995 オリックス 2 6 4 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 .500 .500 .500 1.000
1996 近鉄 15 9 8 1 1 0 0 0 1 2 0 0 0 1 0 0 0 3 0 .125 .111 .125 .236
通算:6年 172 392 336 44 84 11 3 4 113 29 13 2 19 2 33 0 2 82 6 .250 .319 .336 .655
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)へ球団名を変更

記録[編集]

背番号[編集]

  • 50(1989年 - 1991年)
  • 9(1992年 - 1994年)
  • 36(1995年)
  • 00(1996年 - 1998年)
  • 70(2009年 - 2010年)

登録名[編集]

  • 堀江 賢治 (ほりえ けんじ、1989年 - 1995年、2009年 - 2010年)
  • 堀江 晃治 (ほりえ こうじ、1996年 - 1998年)

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 横浜大洋ホエールズ1989年ファンブック
  2. ^ 「オリックスと近鉄で2対2のトレード」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1995年(平成7年)11月25日付朝刊、16面(スポーツ面)。
  3. ^ 1998年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑
  4. ^ 1999年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑

関連項目[編集]

外部リンク[編集]