1978年の横浜大洋ホエールズ

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1978年の横浜大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ4位
64勝57敗9分 勝率.529[1]
本拠地
都市 神奈川県横浜市
球場 横浜スタジアム
球団組織
オーナー 中部新次郎
経営母体 大洋漁業
監督 別当薫
« 1977
1979 »

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1978年の横浜大洋ホエールズ(1978ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1978年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。

この年の横浜大洋ホエールズは、2回目の別当薫監督体制の2年目(通算7年目)のシーズンであり、横浜スタジアムを本拠地とした1年目のシーズンである。

概要[編集]

前述のようにホームグラウンドを横浜市に移転して球団名を改称し、ホーム用のロゴを「YOKOHAMA」に変更してチームカラーも港町・横浜にふさわしくマリンブルーに、ビジター用の上着もマリンブルーに変更するなどユニフォームを一新したチームは開幕から前年覇者の巨人ヤクルトと首位を争い、8月時点では巨人と3.5ゲーム差につけた。終盤は投打ともに息切れして広島に抜かれたものの、中日の故障者続出に助けられて4位で終えた。投手陣ではベテラン平松政次と2年目の斉藤明夫に加えて、この年日本ハムからトレードで復帰した野村収が2ケタ勝利をあげた。特に野村はこの年17勝をあげて別当監督の期待に応える活躍を見せ、チームの4位躍進の原動力となり全体の防御率も3.90でリーグ2位。打撃陣は巨人へ移籍のジョン・シピンの穴埋めとして、大リーグからフェリックス・ミヤーンが加入して打撃・守備でチームに貢献した。本拠地移転もあり本塁打は前年の176本から132本へ減少したが、不動の4番松原誠田代富雄高木由一ら打線の活躍で打率はリーグ3位となった。対戦成績では最下位の阪神に19勝5敗2分と勝ち越したが、それ以外では中日に14勝12敗と勝ち越すのがやっとだった。シーズン終了後、ホエールズの第2位株主だった西武鉄道クラウンライターライオンズを買収したため、西武は球団株式の45%をTBSニッポン放送に売却した。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 山下大輔
2 ミヤーン
3 高木由一
4 松原誠
5 福嶋久晃
6 中塚政幸
7 田代富雄
8 長崎慶一
9 平松政次
1978年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- ヤクルト -- 巨人 -- 巨人 -- ヤクルト --
2位 大洋 0.0 大洋 0.5 巨人 2.5 ヤクルト 2.0 ヤクルト 1.5 巨人 3.0
3位 中日 3.0 ヤクルト 1.5 大洋 3.0 大洋 5.5 大洋 3.5 広島 5.0
4位 ヤクルト 3.5 中日 3.5 中日 5.5 中日 10.5 広島 5.5 大洋 7.5
5位 阪神 4.0 広島 9.0 広島 8.5 広島 11.0 中日 9.0 中日 20.0
6位 広島 4.5 阪神 12.5 阪神 19.5 阪神 22.0 阪神 25.5 阪神 30.5


1978年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 ヤクルトスワローズ 68 46 16 .596 優勝
2位 読売ジャイアンツ 65 49 16 .570 3.0
3位 広島東洋カープ 62 50 18 .554 5.0
4位 横浜大洋ホエールズ 64 57 9 .529 7.5
5位 中日ドラゴンズ 53 71 6 .427 20.0
6位 阪神タイガース 41 80 9 .339 30.5

[1]

オールスターゲーム1978[編集]

ファン投票 監督推薦
山下大輔 斉藤明雄
野村収
高橋重行
松原誠
高木嘉一

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
松原誠 最多安打 164本 4年ぶり2度目
野村収 最多勝利 17勝 初受賞
斉藤明雄 最多奪三振 162個 初受賞
その他
選手名 タイトル
野村収 カムバック賞
ベストナイン
選出なし
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
山下大輔 遊撃手 3年連続3度目

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 高本昇一 投手 大阪・勝山高 入団
2位 与座朝勝 投手 興南高 入団
3位 小山昭晴 捕手 日本大学高 入団
4位 増本宏 投手 九州産業大学 入団

出典[編集]