1972年の大洋ホエールズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
1972年の大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ5位
57勝69敗4分 勝率.452[1]
本拠地
都市 神奈川県川崎市
球場
川崎球場
Kawasaki 1989 02.jpg
球団組織
オーナー 中部謙吉
経営母体 大洋漁業
監督 別当薫(8月30日まで)
青田昇(8月31日から9月23日まで代行)
宮崎剛(9月24日まで代行)
« 1971
1973 »

1972年の大洋ホエールズでは、1972年シーズンの大洋ホエールズの動向をまとめる。

この年の大洋ホエールズは、別当薫監督の5年目のシーズンである。

概要[編集]

アメリカからクリート・ボイヤージョン・シピンの外国人コンビが入団、ロッテオリオンズから江藤慎一をトレードし打線を強化したものの、前年から引き続き、投手陣が脆弱だったのために低迷。そんな中、阪神タイガース村山実監督兼投手→金田正泰代行)、広島東洋カープ根本陸夫監督→森永勝也代行)と監督途中交代が連続、大洋でも8月31日より別当監督が休養し青田昇ヘッドコーチが監督代行となるが、青田代行はいきなり7連敗し、9月23日まで1勝14敗2分と低迷した。翌24日からは宮崎剛二軍監督が「代行監督の代行」となり、結局5位で終わった。シーズン終了後は別当監督は戻らずに広島東洋カープの新監督に就任、大洋の新監督は、途中代行した青田昇が昇格して、就任する事になった。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 江尻亮
2 中塚政幸
3 松原誠
4 江藤慎一
5 シピン
6 伊藤勲
7 ボイヤー
8 松岡功祐
9 山下律夫
1972年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 中日 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 大洋 1.0 阪神 大洋 2.5 阪神 阪神 4.0 阪神 3.5
3位 巨人 2.0 大洋 1.5 阪神 3.0 大洋 4.0 大洋 8.5 中日 7.0
4位 広島 3.0 中日 5.0 中日 4.0 中日 5.0 中日 9.0 ヤクルト 14.5
5位 阪神 4.0 広島 7.5 ヤクルト 13.0 ヤクルト 8.5 ヤクルト 12.0 大洋 17.0
6位 ヤクルト 5.0 ヤクルト 10.0 広島 13.5 広島 12.5 広島 20.5 広島 24.0
1972年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 74 52 4 .587 -
2位 阪神タイガース 71 56 3 .559 3.5
3位 中日ドラゴンズ 67 59 4 .532 7.0
4位 ヤクルトアトムズ 60 67 3 .472 14.5
5位 大洋ホエールズ 57 69 4 .452 17.0
6位 広島東洋カープ 49 75 6 .395 24.0

[1]

オールスターゲーム[編集]

コーチ 青田昇
ファン投票 選出なし
監督推薦 坂井勝二 平松政次 伊藤勲 シピン
補充選手 松原誠

できごと[編集]

  • 8月31日
    • 別当薫監督が休養し監督代行を青田昇ヘッドコーチが務めると発表[2]
    • 松原誠が後楽園球場での対巨人22回戦の1回表に20号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[3]
  • 9月24日 - 監督代行の青田昇が胆石で入院。二軍監督の宮崎剛が代行に。
  • 11月14日 - 監督に、この年監督代行を務めた青田昇が正式就任。
  • 11月22日 - 横浜市に対し、本拠地を移転することを申し入れる。

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
シピン 二塁手 初受賞
ダイヤモンドグラブ賞(新設)
選手名 ポジション
シピン 二塁手

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1972年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月26日閲覧。
  2. ^ 毎日新聞1972年9月1日14面「別当・大洋監督が休養 優勝の望み消え引責 代行に青田コーチ」毎日新聞1972年9月p14
  3. ^ 毎日新聞1972年9月1日14面「松原が150号」毎日新聞縮刷版1972年9月p14