聖蹟桜ヶ丘

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聖蹟桜ヶ丘の市街を多摩川対岸から眺める

聖蹟桜ヶ丘(せいせきさくらがおか)は、東京都多摩市北部に位置する聖蹟桜ヶ丘駅の周辺地域[1]。駅が所在する関戸、桜ヶ丘住宅地がある桜ヶ丘旧多摩聖蹟記念館がある連光寺などの地域を指す[1]。聖蹟桜ヶ丘という町名は存在しない。

略して平仮名で「せいせき」と書くことがある。「聖蹟桜ヶ丘地域」[2]「聖蹟桜ヶ丘周辺」[3]ともいう。東京都都市整備局により「地域の拠点地区」とされている[4]京王電鉄本社をはじめ京王グループ各社の本社が集積し、京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターが立地するなど、京王グループの重要拠点である[5]

聖蹟桜ヶ丘の範囲[編集]

地域の拠点地区のあたり

聖蹟桜ヶ丘は東京都都市整備局の都市開発諸制度活用方針で「地域の拠点地区」に格付けされている[4]。すなわち「鉄道乗車人員の多い駅周辺等で、生活に必要な都市機能が集積している地域」である[6]。拠点地区としての聖蹟桜ヶ丘の範囲は地図上で明確に定められている。多摩川川崎街道の間の聖蹟桜ヶ丘駅前、および駅周辺の川崎街道やさくら通りの沿道がこれに当たる[7]。2019年3月改定より前は「聖蹟桜ヶ丘駅周辺地区」と呼ばれていた[8]

聖蹟桜ヶ丘駅のある場所は丘でなく多摩川沿いの低地で、町名は関戸一丁目である。関戸は鎌倉時代関所に由来する地名であり、駅名も初め関戸駅と名づけられた。1937年に聖蹟桜ヶ丘駅へ改称された。聖蹟桜ヶ丘駅から南東に離れた連光寺に明治天皇の聖蹟があり、行幸を記念して多摩聖蹟記念館が作られ、またの名所でもあったからである。こうした歴史的経緯からいうと連光寺の高台が聖蹟桜ヶ丘ということになる[9]。連光寺の高台には、都立桜ヶ丘公園[1]桜ヶ丘カントリークラブなどがある。そこに行く人は連光寺と言わずに聖蹟桜ヶ丘と言う[10]

連光寺とは別の高台が宅地開発されて「桜ヶ丘住宅地」と名づけられ、そのまま桜ヶ丘という町名になった。しばしばテレビや映画の撮影などに使われている。アニメ映画「耳をすませば」では、地球屋のある高台の住宅地のモデルになった。「この桜ヶ丘こそ聖蹟桜ヶ丘だ」と思う人もいるし、逆に「この桜ヶ丘は聖蹟でない桜ヶ丘で、本当の聖蹟桜ヶ丘は桜ヶ丘でない」と、ややこしい話をする人もいる[11]

多摩市役所の「聖蹟桜ヶ丘」[編集]

多摩市役所が紹介する案内板「聖蹟桜ヶ丘散策マップ」は聖蹟桜ヶ丘駅西口に立つ[12]。アニメ映画「耳をすませば」のモデル地を中心に案内する地図であり、散策コースは駅前を出発し、さくら通りを南下し、いろは坂の桜公園を経て階段を登り、金毘羅神社に寄って桜ヶ丘ロータリーに至る。連光寺などには散策しない。マップのチラシ版にはスタンプを押すことができる。せいせき京王ストア2階エレベータ前の「聖蹟桜ヶ丘駅前スタンプ」、さくら通りファミリーマートの「いろは坂スタンプ」、洋菓子店ノアの「ロータリースタンプ」である。このチラシは多摩市役所の公式サイトからもダウンロードできる[12]

聖蹟桜ヶ丘活性化事業は多摩市経済観光課が2015年度より取り組んでいる。「聖蹟桜ヶ丘地区」または「聖蹟桜ヶ丘駅周辺地域」の賑わいを創出するという事業である。この事業では、花火の上がるイベントに事業費を補助している[13]。イベント会場は聖蹟桜ヶ丘駅西北の多摩川沿いの一ノ宮公園である[1]。また多摩市は聖蹟桜ヶ丘活性化事業で日本アニメーションと連携している[13]。公式観光ガイドマップで同社を「多摩市(聖蹟桜ヶ丘)にある日本アニメーション」と紹介しており、同社の所在地を聖蹟桜ヶ丘の内としている[14]。同社の本社スタジオは、聖蹟桜ヶ丘駅から西南に徒歩15分の多摩市和田に所在する[15]

多摩市経済観光課の聖蹟桜ヶ丘活性化事業とは別に、多摩市健康推進課が「多摩市ウォーキングマップ聖蹟桜ヶ丘コース」を発行している。これによると、聖蹟桜ヶ丘の範囲は、多摩川の河川敷を北辺として、北西に一ノ宮公園、北東に関戸3丁目の交通公園があり、南は南東に関戸6丁目の原峰公園、南西に和田公園が位置する[16]

以上、多摩市役所のいう聖蹟桜ヶ丘は、東京都の定める地域の拠点地区としての聖蹟桜ヶ丘の範囲を越え、そこを拠点とする関戸・桜ヶ丘・一ノ宮東寺方・和田といった地域全体に及んでいるように見える。ただし連光寺地域を含まない点に特徴がある[13][12][16]

多摩市役所は「聖蹟桜ヶ丘周辺」という言う方もする。多摩市経済観光課の聖蹟桜ヶ丘活性化事業では「聖蹟桜ヶ丘周辺まち歩き」と題して音声ガイドやスタンプラリーを企画した[13]。現行の「聖蹟桜ヶ丘周辺まち歩きMAP」は耳をすませばのモデル地や旧鎌倉街道沿いの史跡を巡るものである。このマップも連光寺地域をカバーしない[17]。一方、多摩市役所の公式サイトでダウンロードできる散策ガイド「聖蹟桜ヶ丘周辺まちあるき」は関戸・一ノ宮・連光寺の3コースあり、連光寺地域をカバーしている。逆に桜ヶ丘地域が丸ごと抜けている[18]

多摩市役所は「聖蹟桜ヶ丘駅周辺」という言い方もする。多摩市は「聖蹟桜ヶ丘駅周辺ガイドマップ」を2種類発行している(#せいせきスポット参照)[14][1]。2018年多摩市作成の「聖蹟桜ヶ丘PR動画『せいせき桜ヶ丘STORY』」は、ラスカル(着ぐるみ)が聖蹟桜ヶ丘駅周辺を訪れて聖蹟桜ヶ丘駅周辺の魅力をPRする動画である[19]

多摩商工会議所の「聖蹟桜ヶ丘地区」[編集]

多摩商工会議所は「聖蹟桜ヶ丘地区」という言い方をしている。多摩商工会議所によると、聖蹟桜ヶ丘地区には以下の企業が本社を置いている[20]

聖蹟桜ヶ丘地区には以下の商業施設があるとされる[20]

  • 京王聖蹟桜ヶ丘SC - 駅前商業施設[20]。聖蹟桜ヶ丘駅直結、関戸1丁目10-1、愛称「せいせき」[27]。駅やバスターミナルと一体化している[28]。以下の5つの施設がある。
    京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターB館、「Keio」は京王百貨店のロゴ
    • A館 - 駅の南側、地上8階。京王ストア、京王アートマンほか[29]。関戸1丁目11-1[30]
    • B館 - 駅の北側、地上9階。京王百貨店ほか[29]。京王百貨店は京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターの核テナントの一つである[31]
    • C館 -B館の北側、地上3階まで。せいせき立体駐車場(5層)付属[29]。 関戸1丁目7-5[32]
    • クラウン街・高架下[33] - 住所は駅下のクラウン街が関戸1丁目10-10[34]、東側高架下が同2丁目41-1[35]、西側高架下が一ノ宮2丁目11-32[36]など様々。
    • さくらゲート - 別館[37]。1階2階に店舗[38]。4階5階は京王自動車本社。関戸2丁目37-3[24]
      聖蹟桜ヶ丘オーパの入るヴィータ聖蹟桜ヶ丘
  • 聖蹟桜ヶ丘オーパ - 駅南再開発地区[20]。関戸4丁目72。店舗は地上6階、地下1階。ニトリなどが入居する[39]イオンモール100%子会社OPAの店舗である[40]。オーパはヴィータ聖蹟桜ヶ丘の主要テナントであるが[41]、多摩市役所はこのビル全体をOPAビルと呼称し、OPAビル内ヴィータ・コミューネ7階に聖蹟桜ヶ丘駅出張所を設けている[42]。またヴィータ・コミューネ7階8階に関戸公民館を設けている[43]
  • ザ・スクエア - 駅前商業施設[20]。関戸1丁目1-5、聖蹟桜ヶ丘駅西口より徒歩1分。店舗は地上2階、地下1階[44]西松屋などが入居する[45]。多摩商工会議所もここにある[46]。2階に多摩市立関戸図書館がある[47]

以上、多摩商工会議所のいう聖蹟桜ヶ丘地区にあるとされる施設は、全て関戸1丁目・2丁目・4丁目にある。すなわち関戸地域のうち大栗川よりも北側で、かつ鎌倉街道よりも西側の地域にある。日本アニメーション本社スタジオがある場所(多摩市和田21[15])は聖蹟桜ヶ丘地区とは別の「その他の地区」とされる[20]

聖蹟桜ヶ丘の駅勢圏[編集]

聖蹟桜ヶ丘の駅勢圏については、多摩市都市計画マスタープランが大まかな目安を示している。同プランは多摩市を8つの地域に分け、それぞれについて駅勢圏に言及している。聖蹟桜ヶ丘の駅勢圏に関わるのは第1地域から第4地域までである[48]。以下、聖蹟桜ヶ丘の駅勢圏にかかる地域について概要を示す。

第1地域一ノ宮関戸1~4丁目、東寺方1丁目)には聖蹟桜ヶ丘駅があり、全域が聖蹟桜ヶ丘の駅勢圏である。駅周辺のほか幹線道路の沿道などの商業地を含み、住宅を中心とした地域として発展してきている。人口密度は市内最高である。高齢化の程度は市平均と比べ低い。駅周辺は、大規模な商業ビルや業務ビルが核となり、周辺区域だけでなく多摩市北部全体にとって広域拠点として機能し、また交通結節点としても多摩市の玄関口としても機能している。商業・業務ビルの周辺には商店街もあって賑わっている。一部では路上駐車放置自転車などの問題が生じている。鎌倉街道川崎街道野猿街道といった幹線道路が通っており自動車交通の利便性が高い。ただし鎌倉街道、特に関戸橋付近などでは交通渋滞の発生がみられる。計画的な市街地開発事業が行われた地区が比較的多く、良好な住環境をもった住宅地が形成されている。面整備が実施されなかった市街地においては、住宅が密集し、狭隘道路が多い。地域の北側境界を多摩川が流れている。多摩川公園・一ノ宮公園といった河川敷公園や多摩川サイクリングロードなども整備されている。地域の南側境界には大栗川が流れ、地域の東端部付近で多摩川に合流している。地域の西側は日野市に隣接し、まとまった規模の生産緑地が比較的多く残り、都市緑地として機能している。地域東部に関戸公園が整備されている。歴史文化資源は小野神社の木造随身倚像や小山家の阿弥陀三尊来迎板碑などがある[49]

第2地域連光寺馬引沢聖ヶ丘)は地域北部が聖蹟桜ヶ丘の駅勢圏である。地域北部は多摩市東部の丘陵地とその周辺の住宅地を中心としている。人口密度は市平均より低い。高齢化の程度は市平均より低い。地域の北西部など面整備が実施されなかった市街地においては、住宅敷地が不整形であったり、狭隘道路が多かったりする。幹線道路は地域の北部を川崎街道が横断している。河川は乞田川が地域の西側境界を流れ、北西部で大栗川に合流している。地域の東側は概ね緑豊かな丘陵地帯となっており、都立桜ヶ丘公園などが整備されている。米軍多摩サービス補助施設(ゴルフ場)については返還運動を推進している。生産緑地が点在し、都市緑地として機能している。歴史文化資源は都立桜ヶ丘公園内の旧多摩聖蹟記念館や赤坂駒飼場古戦場などがある[50]

桜ヶ丘住宅地の中央付近のロータリー

第3地域桜ヶ丘、関戸5~6丁目貝取乞田)も地域北部が聖蹟桜ヶ丘の駅勢圏である。市の中央部やや北側、民間による大規模住宅地開発が行われた丘陵地を中心とする地域である。人口密度は市内平均と比べ低い。高齢化は市内で最も進行している。民間事業者が一戸建て住宅地の大規模開発を実施した地域であり、地区計画の指定により細かな街づくりのルールを制定している。都市基盤が整備された良好な住環境をもった低層住宅地が形成されている。地域の東側に鎌倉街道が通り、広域的な幹線道路となっている。地域の北側境界を大栗川が、東側境界を乞田川が流れている。原峰公園などが整備されているほか、多摩東寺方緑地保全地域、霞ヶ関緑地保全地区など、まとまった樹林地もみられる。原峰公園の周辺には相当規模の生産緑地が点在し、都市緑地としての機能している。歴史文化資源は熊野神社の霞ノ関南木戸柵跡や関戸古戦場などがある[51]

第4地域東寺方和田落川百草愛宕、乞田)は地域北東部のみが聖蹟桜ヶ丘の駅勢圏である[52]。大部分は他の駅勢圏であるので、本項では地域概要を省略する。

聖蹟桜ヶ丘の名前の由来[編集]

旧多摩聖蹟記念館

聖蹟桜ヶ丘の地名は、天皇の行幸した土地を意味する聖蹟と、江戸時代からの向ノ岡を中心とした桜の名所とに由来する[53]

多摩市は古くから桜の名所で、連光寺の向ノ岡には多くの桜の木が植えられていた。江戸時代後期になると老木になったので、幕末の万延5年(1860)に連光寺村の名主・富澤政恕が村民と共に桜の木を約350本植えて復興した。やがて桜の木が成長し、向ノ岡の桜林として有名になった。その後大正から昭和初期にかけてこの附近で草競馬が催され桜馬場と呼ばれるようになった。現在の向ノ岡桜橋(川越街道にかかる陸橋)附近に桜楽軒という茶屋が設けられていた。戦前には桜の季節に都市部からの花見客で賑わった[53]

この間、明治天皇は1881年2月に初めて連光寺村へ行幸し、それ以来4回にわたって同地を訪れて兎狩や鮎漁などを観て楽しんだ。1882年5月、連光寺村を中心とする境域が「御遊猟場」として指定され、翌年7月に「連光寺村御猟場」という名称が正式に定められた。連光寺村御猟場の運営は富澤政恕に任された。連光寺村御猟場が1917年に廃止された後は、富澤政恕の子・政賢らが明治天皇の御遺蹟(聖蹟)保存運動を行った[54]

大正ごろから三多摩各地で観光開発が進む中で、連光寺でも聖蹟を核として向ノ岡一帯を名所として開発する構想が具体化していった。玉南鉄道(現京王電鉄)が向ノ岡の桜馬場一帯の丘陵地を借り受けて、ここを桜ヶ丘と名づけて大規模な遊園地として開発する計画が明らかになった。こうした動きの一環として、田中光顕らが中心となって多摩聖蹟記念館を明治天皇の顕彰館として建設した。これは当地を多摩御陵と並ぶ聖蹟と位置づけようとしたものであった。記念館周辺に桜の木を植えて風致を整え、記念館を中心として向ノ岡一帯の観光開発を進めた。地元も観光地化に力を入れ、百草園高幡不動と聖徳記念館を結ぶ多摩丘陵にハイキングコース「多摩遊覧道路」を計画した。向ノ岡は1930年版「京王電車沿線名所図会」にも大きく描かれ、京王電軌の力の入れようが伺える。京王電軌も地元も聖蹟を中心に観光開発を進めることが地域の発展に繋がると考えた。こうした背景のもと1937年5月に京王線の関戸駅を聖蹟桜ヶ丘駅に改称し、聖蹟桜ヶ丘という新しい地名が誕生した[53]

歴史[編集]

中世の史跡[編集]

一ノ宮の小野神社は武蔵国開拓の祖神・天下春命(あめしのしたはるのみこと)を主神とする。武州六大明神の一つとされた由緒がある。境内には東京都指定有形文化財の木造随身倚像2体を所蔵する[14]霞ノ関南木戸跡建暦3年(1213年)鎌倉街道に設置された関所の南木戸の柵の跡である。鎌倉防衛の軍事的要所であったと考えられている。熊野神社境内参道に平行する16か所の丸柱跡が、発掘調査で確認され、丸木で再現された。1961年に東京都の史跡に指定された[14]天守台は桜ヶ丘住宅地附近一番の高台である。鎌倉時代から物見台としての役割をもち関戸城跡とされている[55]関戸古戦場は太平記に描かれる関戸合戦の伝承地である。元弘3年(1333年)、敗走する鎌倉幕府軍を追って多摩川を越えた新田義貞軍が激しい掃討戦を行った。合戦伝承地には地蔵尊がまつられ、「関戸古戦場跡」の標柱が建てられている。付近には合戦で討死した横溝八郎・安保入道・無名戦士の墓がある[14]

明治天皇聖蹟[編集]

明治天皇は1881年2月に初めて連光寺村(現・多摩市内)へ行幸した[56]。八王子周辺で遊猟した後、急に連光寺村に立ち寄ることになったのである。このとき対応したのが、連光寺村の名主や県会議員をつとめた富澤政恕(まさひろ)と、その長男の政賢(まさよし)であった[57]。前夜からの雪がはれ、明治天皇は愛馬の金華山号に騎乗してやってきた。富澤邸で昼食をとり、向ノ岡の桜の樹に愛馬を繋ぎ、大松山(現桜ヶ丘公園)などの山々を徒歩で巡って兎狩りを観覧した[58]。当時20歳余りの青年であった富澤政賢が案内役を務めた[59]。網で捕らえられた兎は御所で放し飼いされた[58]

明治天皇は4度にわたってこの地へ行幸し、狩や漁を観るなどして楽しんだ。1882年5月、連光寺村を中心に御遊猟場を指定し、1883年7月に「連光寺村御猟場」という正式名称を定めた。富澤政恕らは、連光寺村御猟場の運営を命じられ、御猟場内の見回りや動物の生息状況の調査などを行い、天皇の行幸や皇族の行啓に備えた[56]

明治天皇崩御後の1914年、富澤家は御遺蹟保存会を発足させた[60]。1917年に連光寺村御猟場が廃止された後は、政恕の長男・富澤政賢らが明治天皇の御遺蹟保存運動に取り組んだ。連光寺村御猟場の跡地を自然公園とする計画などを進めた。この運動に元宮内大臣田中光顕が加わることになる[56]。きっかけは1927年2月の国民新聞に売地広告が載ったことだった。明治天皇行幸の地、京王線関戸駅(現聖蹟桜ヶ丘駅)付近の丘地約3万坪を売り出すという広告であった。田中光顕の秘書はこれを見て広告主の児玉四郎と面会し、売地が格別な聖蹟であることを確認した。本当の売り主が宮川半助という地主であることも分かった[61]。この年の暮れ、田中光顕は当地に明治天皇聖蹟の記念館を建設することに決めた[62]。その背景には京王電気軌道(現京王電鉄)の資金援助・協力を得て聖蹟を中心とする観光開発構想があった。多摩御陵への参拝者を視野に入れ多摩一帯を東京郊外の観光地として開発する目論見であった[63]

聖蹟の宣伝[編集]

当地の明治天皇聖蹟は新興マスメディアに乗って宣伝された。1928年、写真週刊誌アサヒグラフ1月25日号に当地の明治天皇御遺蹟を紹介する記事が載った[64]。2月19日、富澤政賢はラジオ放送で明治天皇の行幸について講演した[58]。富澤政賢は多摩村名望家で村長であった[60]。4月8日、田中光顕は前年秋の約束を履行して、多摩村連光寺を来訪して聖蹟をくまなく巡った[65]。かつて幕末維新の時代、田中光顕は倒幕運動に命を懸けたが、倒幕派浪士を斬った新選組の幹部は多摩の出身だった。富澤政賢の父は天然理心流近藤勇と兄弟弟子であり、新選組と深い交流をもっていた。幕末の京都に上洛したときも壬生の新選組を訪ねて近藤勇と語らったことを日記に記していた[61]。さらに土地の売り主の宮川半助は近藤勇の孫であった[66]。宮川は金に困って土地を売り出したのだが、田中光顕から聖蹟保存の話を聞いて、3万坪の土地のうち半分を寄付することにした。宮川家としては「かつて勤皇の志士を斬った罪亡ぼし」の気持ちもあったという。当時は子母澤寛新選組始末記が出版されたり、かつて新選組を預かった会津藩松平容保孫娘秩父宮妃に決まったりと、新選組関係が見直された時でもあった[61]

田中光顕は、明治天皇が当地で詠んだ御製を探して宮中の御歌所長に調査を依頼した。すると、明治17年(1885年)5月連光寺兎猟の際に詠まれた御製「春ふかき 山の林に きこゆなり けふをまちけむ 鶯の聲」が見つかった。この御製は宮中に秘蔵された御全集にあるものの、公表された明治天皇御集に収録されていない貴重な歌であった[65]。この御製を田中光顕が謹書して、1928年6月に聖蹟奉頌連光会より発行した『連光聖蹟録』に掲げた[67]。同書は児玉四郎が編纂したもので[68]、同書を発行した聖蹟奉頌連光会は、単に連光会ともいい、田中光顕を名誉会長として、彼が当地を訪れた日に遡って創設された形をとる団体であった。会の目的は、多摩村連光寺における天皇行幸と皇太后行啓について「聖蹟を永遠に保存し、その洪大なる余光・余声の跡をあまねく国民に周知せしめ、もって聖徳の奉頌・尊皇心の涵養に資せんことを期す」とされた。所在地は多摩村でなく代々幡町(現渋谷区笹塚であった[67]。富澤政賢らが田中光顕の協力を得て聖蹟奉頒連光会を設立したともいわれる[60]

聖蹟化の推進[編集]

1928年6月『連光聖蹟録』発行時点で聖蹟を記念するものとして次のものがあった。富澤政賢の居宅である富澤邸は明治天皇の行在所となったところであった[69]。向ノ岡の御駒桜(みこまざくら)は、明治天皇が行幸のたびに乗馬を繋いだ桜木であった[70]。侍従藤波言忠が命名した[71]行幸橋(みゆきばし[72])が関戸から連光寺へ府道を行く途中に架っていた[73]。1881年の行幸の後、当時の神奈川県令沖守固が命名した(行幸当時当地は神奈川県管下であった)。橋自体は行幸当時のものではなく、1925年に架けられた新しい橋であった[70]。ほか明治天皇御野立所の碑が大松山(現桜ヶ丘公園)に立っていた[74]

地域のさらなる聖蹟化が進められた[57]。明治天皇の騎馬像を制作し、これを安置する記念館を大松山(現桜ヶ丘公園)に建設することになった[57]。関係者で建設委員会を結成した。田中光顕、富澤政賢、宮川半助、児玉四郎のほか、京王電軌から井上篤太郎、渡辺孝が委員会に加わった。京王電軌は新施設の建設による乗客増加を見込んでいた。同年8月、関根要太郎の率いる関根建築事務所が設計を手掛けることになった。関根建築事務所が提出した計画案ははかなりスケールの大きいものだった。東西の尾根に列柱の回廊を置き、建物北側に噴水を設け、山の斜面に巨大な階段を持つという計画案であった[62]

同年の11月18日、御製碑を大松山に建立した。明治天皇の御製1首と昭憲皇太后御歌2首を、田中光顕が4尺・8尺の大白紙に謹書して、これを高さ8尺・幅15尺の小豆島産薄紅色花崗岩に彫り付けた歌碑であった[75]

同年の12月、記念館とは別に、対鴎荘という古屋敷の寄贈を受け、翌1929年の5月にこれを当地の向ノ岡へ移築した[76]。この対鴎荘は、もと太政大臣三条実美別邸で、隅田川西岸に建っていた。明治の初め征韓論政変の心労で病気になってここで療養していた三条実美を明治天皇が見舞いに訪れ、早く病を治して復帰するようにと諭したという由緒をもっていた[63]。移築先の向ノ岡は明治天皇が行幸のたびに乗馬を繋いだ場所であった[58]。移築は田中光顕が富澤らの協力を得て実現した[63]

記念館は1929年10月12日に起工した[77]。初め建設資金を寄付で賄う予定であったが、世界恐慌により全く金が集まらなかった。そこで当初計画案より規模を縮小し、楕円形の本館だけを予算10万円で建設することにして、京王電軌が建設資金を立て替えた[62]騎馬像渡辺長男が田中光顕の依頼を受けて制作した。明治天皇が初めて当地を訪れた30歳の時の姿をモチーフにして、記念館の開館にあわせて作られた[77]。記念館は翌1930年の6月26日に竣工した。関根要太郎と蔵田周忠が設計した近代式鉄筋コンクリート造りの円形大殿堂であった[77]。建物は完成したが、建設に関与した業者に支払いできず、三菱財閥総帥の岩崎小弥太から資金援助を受けてようやく支払いを済ませたという[62]。こうして多摩聖蹟記念館は同年11月9日に開館式を挙げた[78]。明治天皇の行幸を記念する施設であった[56]。京王電軌が記念館の工事に多額の援助をしたのは、当時の日帰りハイキング・史蹟巡りブームにのり、京王線を利用して多摩御陵・高尾山・聖蹟記念館を巡るコースを考えてのことだった[61]

1930年11月9日、多摩聖蹟記念館の開館式と同日、連光会は多摩聖蹟記念会へ改称した[66]。多摩聖蹟記念会は財団法人として、対鴎荘をも管理し、これを一般に公開した[79]。対鴎荘の建物は多摩聖蹟記念会の所有であるが、その敷地は村社の春日神社の所有名義になっていた[76]

聖蹟指定と聖蹟桜ヶ丘誕生[編集]

1933年、対鴎荘が「明治天皇行在所対鴎荘及旧阯」の一部として国の史蹟に指定された。隅田川沿いの旧阯とセットでの指定であった[63]。同時に富澤家住宅が「明治天皇連光寺御小休所」として国の史蹟に指定された。富澤家住宅の建物は慶長5年(1610)の上棟建築とされた。1881年2月、1882年2月、および1884年3月の各行幸で御小休所にあてられた。史蹟指定当時は旧状をよく保存していた。1935年には富沢家住宅の敷地に石柱を建設した[60]。対鴎荘と富沢家住宅はそれぞれ文部省史蹟調査報告書『明治天皇聖蹟』に掲載された[76][80]

京王電軌は1937年に当地付近の関戸駅を多摩聖蹟桜ヶ丘駅へ改称した[63]。聖蹟記念館を中心に遊園地化する思惑であった。しかし、田中光顕は聖蹟記念館を精神修養の道場にしようと考えていた。意見が対立した京王電軌は手を引いた[61]。1939年、田中光顕が95歳で没した[81]。多摩聖蹟記念館は、運営に苦労するが、戦時中には精神の発揚・修養のための施設として多くの人々が訪れた[61]

この間の1940年、すなわち皇紀2600年の仲秋に「明治天皇御野立所」の碑を建立した。碑文によると、ここは明治天皇の行幸のとき仮小屋を建て昼食所に充てた聖蹟であり、「大松山御昼餐所」と称するという[77]。「大松山御野立所」とも称する。石碑は多摩聖蹟記念館構内の入口付近に立つ[79]

戦中の聖蹟桜ヶ丘[編集]

1930年に大松山(現桜ヶ丘公園)の聖蹟記念館ができたころ、金比羅山(現桜ヶ丘住宅地)で健康的遊楽地「紫城」計画が持ち上がった。この計画はやがて精神面を重視した「太子堂」に変わり、軍国主義化とともに「奉仕会道場」へ推移した。いろは坂の階段下に掘抜き井戸を設けてポンプで揚水する水道設備(現多摩市営水道)が整備された。山上に練成用の潔斎(みそぎ)場も設置されて大学教授が指導していた。宿泊施設も整備された。奉仕会は本部を飯田橋に置く全国組織であったが、道場はここだけであった。理事長は陸軍皇道派の重鎮・荒木貞夫大将であった。陸海軍将官や大学教授や民間有力者が関係していて時々来場していた[82]

太平洋戦争末期、当地の山々には防空部隊が駐留し防空陣地が布設された。帝都東京を空襲から守るためだった。また、立川付近の航空基地や、連光寺周辺の火工廠(現米軍レクリエーション施設)を防衛するためでもあった[82]

金比羅山の奉仕会の道場は軍部に接収され、防空部隊が駐留した。奉仕会が整備していた水道付き宿泊施設は防空隊員の居住に転用された。1945年に入ると防空陣地が布設されて立入禁止になった。ここに陣取ったのは照空部隊と通信隊であった。寺峰付近にレーダーや照空灯を据え、浄水場付近で総合指揮と電気通信を行っていたようである。立入禁止であったので詳細は不明であるが、戦後掩蔽壕陣地の跡が多数見られた[82]

当地では連光寺の相談山にも防空陣地が布陣された。連光寺の山上には高射砲隊と照空隊が陣取った。レーダーで敵機の位置を察知して、離れた複数の照空灯で敵機を捕捉照射して、別の場所の高射砲が砲撃したのである[82]

東京空襲時には当地の上空が爆撃機の通路であった。マリアナから伊豆半島富士山を目標に飛来した大型爆撃機B29の編隊は、当地の上空付近で向きを東に変えて帝都に向かった。逆に東の房総半島から侵入した編隊は当地上空を通って帰還していった。波状的に飛来する編隊と帰還する編隊がと上空で交差するのが見えた。B29の編隊は照空灯に照射されながら、高射砲弾の届かない高空を往来した。住民は無念と憎悪の目で見上げるしかなかった[82]

米軍空母艦載機は通常昼間に波状的に飛来した。低空を多摩川に沿って侵入し、関戸橋の付近で上昇して立川方面へ攻撃に向かった。低空飛行であったので、連光寺の山上から眺めれば敵機の背面が見えたと言う[82]

連光寺も爆撃された。爆弾数十発が山林に落下したが被害は殆ど無かった。防空陣地や火工廠は無事であった。米軍が火工廠の存在を知らないはずはないが、丘陵の山間の樹林の中に分散して潜む工場や倉庫の発見は容易でなかった[82]

戦後の聖蹟[編集]

戦後占領下1948年、対鴎荘と富澤家住宅は全国の明治天皇聖蹟とともに国の史跡指定を解除された[83]。対鴎荘は、風雅な料亭になったが、やがて老朽化して閉店した。次第に荒れ果て幽霊屋敷のようになった[84]。1988年、バブル経済のさなか土地開発のため取り壊された[85]。対鴎荘のあった高台には大規模マンションが建設され、高台の一角に公園が整備された[84]。公園は対鴎荘にちなんで「対鴎台公園」と命名された。園内に「明治天皇行幸所対鴎荘」の石柱が立っている。最寄りのバス停は「対鴎荘前」のままである。対鴎荘の復元模型が作られて旧多摩聖蹟記念館に所蔵されている[85]

もう一つの指定聖蹟であった富澤家住宅は、1990年5月に多摩市へ寄贈された。多摩市はこれを多摩中央公園に復元後移築した。完全な復元は困難であり、屋根の茅葺を銅板葺に替えるなど一部変更した[86]。2020年現在、富澤家住宅は多摩市の文化財「旧富澤家」として保護公開されている[87]。当地の跡地には石柱だけが保存されている[60]。このほか行幸橋(みゆきばし)は1970年に架け替えられている[72]。御野立所の碑は桜ヶ丘公園の内外にいくつか残っているという[57]

多摩聖蹟記念館のその後は次の通りである。1968年に全国で明治百年記念事業が行われた際、多摩聖蹟記念会が記念館の近くに五賢堂を建設した。明治維新で功績のあった岩倉具視・三条実美・木戸孝允大久保利通・西郷隆盛を五賢として、小金丸幾久の作製した五賢のブロンズ胸像を五賢堂に安置した。明治天皇の立像も同時期に小金丸幾久が作製し、記念館の本館に置かれた[77]。1970年代、記念館はテレビ特撮番組で研究所や悪のアジトなどとして度々登場した[88]。やがて経年により老朽化が進み、取り壊しも検討された[61]。1986年には多摩市が改修・管理・運営することになった[88]。明治天皇の立像は記念館本館から五賢堂に移された[77]。記念館は明治天皇の行幸を記念する場所から「桜ヶ丘公園を訪れた人々の憩いの場」へ生まれ変わった。館名に「旧」の字をつけて「旧多摩聖蹟記念館」の名で生きのびた[61]。旧多摩聖蹟記念館は多摩市の有形文化財に指定された。多摩市教育委員会によれば多摩地域の近代洋風建築の中で完成度が高く、最も優れたものだという[77]。2020年現在も多摩市指定文化財であり、かつ東京都の「特に景観上重要な歴史的建造物」に選定されている[89]

聖蹟桜ヶ丘の開発[編集]

桜ヶ丘カントリークラブ[編集]

桜ヶ丘カントリークラブ

1959年7月1日、京王電鉄が桜ヶ丘ゴルフ(現京王レクリエーション)を設立した[90]。京王電鉄は昭和30年代(1955年以降)から沿線開発を始めていた。1958年多摩動物公園を造成して東京都に寄付した後、1959年に桜ヶ丘ゴルフ株式会社を創立した。連光寺の22万坪の土地はもともと大規模住宅団地を造成する予定であったが、京王沿線にもゴルフコースが欲しいという当時のゴルフ熱に押されてゴルフ場の敷地に転用したという。1959年6月に起工式を行った。当時農家が大半であった当地に、当時としては大型土木事業の新機軸であったブルドーザーを導入し、あっという間にフェアウェイを造成した。翌年夏に完成し、里山地形を活かした丘陵コース18ホールが登場した。8番ホールと9番ホールの間の丘には明治天皇の御野立所跡の記念碑が建っている[10]。ここは明治天皇の聖蹟のある桜ヶ丘である。

桜ヶ丘住宅地[編集]

1962年4月10日、京王桜ヶ丘住宅地の分譲を開始した[91]。開発当時は京王桜ヶ丘団地と呼ばれた。京王電車が沿線各地に造成した団地のなかで最高級のものであった。丘陵約25万坪、76万平方メートル余の広さであった。1956年9月に用地買収を始め、1960年3月に工事に着手し、1962年4月に第1期分譲を始めた。1966年の第7期分譲まで約2千区画を造成して売り出し、その後の増加分を含め1972年7月に完売した[82]

かつて1990年代に大型施設ヴィーダ聖蹟桜ヶ丘を開発した住宅・都市整備公団(現UR都市機構)は、当地について「豊かな自然と歴史・文化、閑静な住宅街と華やかな駅前の魅力を併せもつ聖蹟桜ヶ丘は、京王沿線のイメージリーダーとして今、最も注目されている街の一つです」と喧伝していた[92]。しかし、2013年時点で、駅周辺に広大な空き地があり、また空き施設も多く、街の活性化が必要な状況に陥っている[93]。また、1960年代に京王沿線随一の高級分譲地を目指して、急な登り坂の上に開発された桜ヶ丘住宅地は、2020年現在までに住民の高齢化が進み、老人には急坂を登るのがつらいという理由で転居が相次ぎ、このままではゴーストタウンになってしまうと指摘されている[94]

駅前開発[編集]

1984年3月、ザ・スクエアがオープンした[95]。ザ・スクエアは聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩1分、地下1階から地上2階までショッピングセンターで、3階から14階まで住居363戸の大規模マンションである[96]。2階に多摩市立関戸図書館が入った[47]。同年8月1日に開館した[97]

京王電鉄本社

聖蹟桜ヶ丘駅前は京王グループが1980年代後半に開発した[98]。もともと聖蹟桜ヶ丘では1962年に京王桜ヶ丘住宅地の分譲が始まり、その後も沿線に多摩ニュータウンなど多くの住宅地が造られたり、大学のキャンパスが移転してきたりして、さらに人口が増加した。そうしたなかで、聖蹟桜ヶ丘の中核となり、地域住民のニーズを満たすような商業施設があったほうが良かろうという話が持ち上がった[99]。京王グループは駅周辺に相当まとまった社有地を持っていたこともあって、1984年2月から「聖蹟桜ヶ丘駅周辺総合開発」に着手した[98]。これは聖蹟桜ヶ丘駅周辺36千m2余りの敷地に駅・バスターミナル・商業施設などを一体的に総合開発するものであった[28]。1986年3年28日、京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンター(せいせきSC)のA館とB館がオープンした[100]。聖蹟桜ヶ丘駅に直結し、また、周辺住宅地や隣接駅とを結ぶ放射状のバス路線網の中心にも位置する、地域の生活動線の中心にある商業施設といえるものだった[99]。1988年には、せいせきSCのC館がオープンした[28]。京王グループの新本社ビルも竣工した[101]。3月14日、京王グループ各社は本社を新宿からここへ移転した[100]。聖蹟桜ヶ丘駅周辺総合開発が完了した[98]

聖蹟桜ヶ丘駅前
京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターとバスターミナル
中央奥に見える建物がヴィーダ聖蹟桜ヶ丘。

聖蹟桜ヶ丘駅南口地区は1990年代後半に住宅・都市整備公団(現UR都市機構)が開発した。この地区は駅から川崎街道を越えた南側にあり、交通量の激しい川崎街道によって駅前と分断されていた。土地の有効利用が進まず、広場なども十分でなかった。地区西側のさくら通りや地区南側の九頭竜通りは道幅が狭く、安全性が問題になっていた。公団は「聖蹟桜ヶ丘駅南口地区第一種市街地再開発事業」により、土地の高度利用による複合施設を計画し、核となる大型商業施設と多摩市立文化施設を誘致し、超高層マンションを建設することにした。これと併せて、既存道路を拡張整備し、新設道路を建設し、広場を創出し、駅と直結するペデストリアンデッキを川越街道の上に建設するなどして都市基盤の整備を図ることにした。この「聖蹟桜ヶ丘駅南口地区第一種市街地再開発事業」は1995年に始まった[102]。1999年9月に「ヴィータ聖蹟桜ヶ丘」が開設された。商業施設としてOPA(当時ダイエー系)が入った[41]。公共施設として関戸公民館が入った。URの住宅棟は「聖蹟桜ヶ丘ビュータワー」と名づけられた[103]

2009年3月26日、せいせきSC別館「せいせき さくらゲート」がオープンした[37]

2013年改定の多摩市都市計画マスタープランでは、聖蹟桜ヶ丘駅の北側や西側に広大な空地があり、駅周辺に多くの空き施設があることから、空地を活用した再開発を図るとともに、空き施設を用いた商店街の活性化を一体的に進めることになった[93]

2013年7月には地権者が中心となって「聖蹟桜ヶ丘駅北口周辺地域街づくり計画」を定め翌年1月に多摩市の認定をうけた[104]。東京都都市整備局の「多摩市聖蹟桜ヶ丘北地区土地区画整理事業」は、空き地や利用度の低い土地を核として、周辺の未整備地の有効利用を促進する計画である。広域拠点の実現に寄与するため、交通基盤、駅周辺の回遊性、多摩川の自然へのアクセス、治水などの向上を図る。道路や公園など公共施設を先に整備することで健全な環境を有する市街地を形成する。面積は約2.6ヘクタール、施工期間は2017年3月8日から2020年9月末の予定である[105]

多摩市の「聖蹟桜ヶ丘北地区地区計画」では33階建てのタワーマンションを建築することになった。完成すると多摩市内で最も高い建物になる。2019年4月に近隣住民へ説明会を行った。「(仮称)聖蹟桜ヶ丘プロジェクトA敷地」のタワーマンションで、建築主は東京建物東栄住宅、地下1階・地上33階・高さ112.24m・520戸。公開空地を設け防災広場やイベント広場として利用する。2020年2月上旬着工、2022年2月下旬の完成を目指している。多摩市都市計画課は、このタワーマンションが多摩市の玄関口のシンボルになり、地域の活性化につながることを期待している[106]。マンション名は「(仮称)ブリリアタワー聖蹟桜ヶ丘ブルーミングレジデンス」である[107]

せいせき[編集]

せいせきSC京王クラウン街で、せいせきのロゴが白く光る

聖蹟桜ヶ丘を略していうとき「せいせき」と呼ぶのが一般的である[108]。1980年代後半まで、古くからの住民は「聖蹟は連光寺の山の上」と認識し、駅周辺の街を「さくらがおか」と呼んでいた[9]。駅周辺の各商店街が結成したのも「桜ヶ丘商店会連合会」であった[109]。駅前の交番も「桜ヶ丘駅前交番」である[110]

1986年、それまで寂しかった駅前に大型複合商業施設の京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターが誕生した。正式名称は長すぎるので「せいせきSC」という略称が付いた。ひらがなで「せいせき」のロゴは住民にとってインパクトがあり、セールのたびに「せいせき」の語を刷り込まれた。そうするうちに駅前を「せいせき」と呼ぶのが一般化した[108]

桜ヶ丘商店会連合会はオフィシャルサイトを「せいせきshop.com」と称している[111]。多摩市経済観光課は桜ヶ丘商店会連合会や「せいせき観光まちづくり会議」と協力して2014年に聖蹟桜ヶ丘駅周辺ガイドマップ「せいせきの魅力いっぱい!」を発行している[14]。現行の公式観光ガイドマップは「せいせきおでかけMAP」という題である[1]。公式に「せいせき」の名をもつ場所としては、多摩市公園緑地課が管理する「せいせき公園」がある[112]

せいせき恒例イベント[編集]

せいせき桜まつりは桜の開花時期に合わせて4月上旬に開催される[1]。駅周辺や観蔵院などで模擬店が出店し、各種イベントが行われる[14]あらいぐまラスカル(着ぐるみ)が毎年参加している[19]。第38回せいせき桜まつりは2019年4月7日に開催し、イベントとして「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャーショー」、「アコースティックライブ」、「ふれあいミニ動物園」、「がんばっぺ東北&多摩うまいもん屋台村」、「世界名作劇場あらいぐまラスカルグリーティング」「パレードで一日警察署長ハローキティに会えるよ!」、「道路でえがこう未来のせいせき」などを企画した[113]。その次のせいせき桜まつりは2020年4月5日に予定していたが新型コロナウイルスの感染の拡大を防ぐため中止された[114]

せいせき朝顔市7月初めに開催されるお祭りである。駅前に千鉢の朝顔が並ぶ[115]。地元農家が育てた朝顔である。の訪れを告げる風物詩として親しまれている[14]特産梅酒や地場の野菜販売もある。ふるさと多摩夏まつり実行委員会事務局の主催・運営による[115]

せいせきハートフルコンサートは聖蹟桜ヶ丘のまちおこしとして開催している[116]。声優の本名陽子を招いて行う[117]。本名陽子はアニメ映画「耳をすませば」で主人公の声を演じ、主題歌「カントリー・ロード」を歌った[118]。ほぼ毎年せいせきハートフルコンサートに出演して「カントリー・ロード」などを歌っている[117]。第15回は2019年9月21日午後に2時間半、駅前の関戸公民館8階ヴィータホールにて、定員200名、事前申込制、入場無料で開催した。主催は中央商店会、後援は多摩市・多摩市商工会議所・多摩市青年会議所。協力は桜ヶ丘商店会連合会、せいせき観光まちづくり協議会。出演は本名陽子のほか、中央商店会主催ふれあい路上ライブのゆかいな仲間たち、市立多摩中学校生徒の皆さん、総合司会は同校指導教諭であった[116]。2020年の第16回は、耳をすませば実写映画公開もあって例年以上に期待されていたが、コロナ禍で開催困難と判断され、中止された[119]

せいせきみらいフェスティバルは多摩川の河川敷の一ノ宮公園で9月中旬に開催される。花火が上がる。地元のグルメ店も出店する。子どもが主役のKAOFESと同時開催される[1]。2015年から始まった新しいイベントである。2020年9月開催予定は新型コロナウィルス感染防止のため中止された[120]。主催はせいせきみらい活性化実行委員会、問い合わせ先は多摩市経済観光課、共催はKAOFES実行委員会、後援は多摩市および多摩商工会議所である[121]

せいせきスポット[編集]

多摩市いろは坂の中腹。

多摩市役所発行「せいせきおでかけMAP」は聖蹟桜ヶ丘駅周辺スポットとして、マンホール蓋ラスカル、さくら通り、青春のポスト、列車接近メロディーを紹介している。また、聖蹟桜ヶ丘駅近郊スポットとして、いろは坂、金毘羅宮、桜ヶ丘ロータリー、都立桜ヶ丘公園、多摩川、小野神社を案内している[1]

聖蹟桜ヶ丘駅周辺ではマンホール蓋にあらいぐまラスカルが描かれている。絵柄は3種類ある。駅前の関戸公民館ヴィーダ・コミュート7階ではラスカルのマンホールカードを配布し、ラスカルのマンホール蓋クッキーを販売している[1]

駅前の青春のポストは映画「耳をすませば」に登場するアンティークショップ「地球屋」をモチーフにしたモニュメントである。夢や目標を書いて投函できる。さくら通りには駅からいろは坂に続く桜並木がある。いろは坂は市街地と桜ヶ丘の高台を結ぶ、つづら折りの急坂である。坂の途中のいろは坂桜公園からは、せいせきの街を一望できる。金毘羅宮は小さな神社で、いろは坂を登った先にたたずむ。桜ヶ丘住宅地の中央にある桜ヶ丘ロータリーは都内初のラウンドアバウト(環状交差点)である。周囲に特徴的な店が並ぶ[1]

せいせきの北を流れる多摩川は、水鳥も多く集まる憩いの場である。堤防は見晴らしもよくウォーキングやサイクリングに利用される。多摩川に近い一ノ宮にある小野神社は武蔵国開拓の祖神を祭る。由緒ある神社である。境内にハートのくぼみ石もあり、密かに恋愛のパワースポットとされる[1]

東の外れにある都立桜ヶ丘公園は、春は桜、秋は紅葉と、四季の彩り豊かな自然公園である。広大な敷地で野鳥の姿も見られる。園内のゆうひの丘から地域を一望できる。絶景スポットであり、夜景もロマンチックである[1]

『耳をすませば』による町おこし[編集]

スタジオジブリアニメ映画耳をすませば」のモデル地と言われ、年間1万人前後のファンが来訪したと推計されている[122]

スタジオジブリ広報部によると、アニメ映画「耳のすませば」の舞台は聖蹟桜ヶ丘と多摩ニュータウンを参考にした[123]。現地の風景に酷似した背景画を多数用いている[124]。映画で描かれた風景を求めて日本全国から多くのファンが訪れている[124]。ファンの来訪者数は概ね年間1万人前後であったとみられる[122]

いろは坂の階段

聖蹟桜ヶ丘に訪れて良かった場所は、アンケート調査によると、いろは坂の階段(26%)、金毘羅宮(18%)、桜ヶ丘ロータリー(38%)の3か所が他を引き離している[122]。桜ヶ丘住宅地の高台に向かういろは坂はつづら折りだが、縦に直に登る階段もある。いろは坂の階段は「耳をすませば」でモデルになった緑あふれる階段で、脇に古くて大きな松の木がある[55]。いろは坂の途中に、いろは坂桜公園がある。「耳をすませば」ではここに図書館があった(実在しない)[55]。いろは坂を登った先にある金比羅宮は「耳をすませば」で重要なシーンのモデルとなった[14]。主人公が同級生から告白される場所のモデルである。当社は住宅街の中の小さな神社であり静粛が求められる[55]。境内には金比羅宮オリジナル「恋おみくじ」が設置されている。恋の行方を占える[14]桜ヶ丘ロータリーは「耳をすませば」で地球屋のある場所のモデルとなった。地球屋は実在しないが、ロータリーに入ると主人公の気分に浸るファンもいる。ロータリー側のノア洋菓子店は店内に「耳すま思い出ノート」を置いている。耳をすませばファンが思いを書き残している[14]

聖蹟桜ヶ丘を聖地と呼ぶことについては、2013年度に実施したアンケート調査によると、聖地と呼ぶ人がいても構わないという消極的賛成が64%と多数を占めた。聖蹟桜ヶ丘を聖地と呼ぶのは2割程度で、聖地巡礼に関心がある層に限っても3割程度にとどまった。聖地巡礼への関心が高くても聖蹟桜ヶ丘を聖地と見なしていない意識をうかがわせる[125]

聖蹟桜ヶ丘はモデル地になったことにより観光資源を獲得した。桜ヶ丘商店会連合合とせいせき観光まちづくり会議が中心になってファンのおもてなしに取り組んできた[124]。「耳をすませば」で地域を活性化したいという思いから、これを町おこしに取り入れ、有名な観光地になった。その過程には苦労があった[126]

2015年度の多摩市予算に初めて聖蹟桜ヶ丘活性化事業費が計上された[13]。しかしそのとたんに多摩市内で「聖地巡礼が真の作品理解や地域理解、活性化につながるか疑問視する声」がでて、「耳をすませば」のタイトルが表向き抹消された[127]

『耳をすませば』映画公開[編集]

アニメ映画「耳をすませば」のタイトルのロゴ

アニメ映画「耳をすませば」は1995年7月15日に公開された。当地では特に動きはなかったが、一方でファンによる当地訪問と情報発信は映画公開直後から始まっていた。パソコン通信ニフティサーブ会議室では映画公開の2週間後に映画と聖蹟桜ヶ丘を関連づける投稿が現われた。「耳をすませば」を扱う個人サイトも立ち上がり、映画の風景画に似た聖蹟桜ヶ丘の風景写真を掲示した。アニメファンによるネット情報発信の先駆例であった。1996年3月21日~26日には京王百貨店聖蹟桜ヶ丘店が「耳をすませばの世界展」を開催した。スタジオジブリのスタッフが現地ロケで撮影した写真を展示した[128]

聖地巡礼は映画公開終了後も続いた。特に桜ヶ丘四丁目にある東寺方橋緑地の丘は映画のラストシーンに似た眺望が得られるため聖地と呼ぶべき場所になった。「耳丘」とも呼ばれた。耳丘に立つブロック塀に落書きが目立ちはじめ、1998年8月以降ファンの有志が落書きを消す作業を断続的に行った。騒がしいという理由で地元住人から苦情を寄せられた多摩市役所は2004年1月までに立ち入り禁止を徹底した。耳丘には自由に書き込めるノートが置かれていたが、立ち入り禁止により自然消滅した。ノア洋菓子店の店頭に置かれたノートがその役割を引き継いだ[128]

町おこしの開始[編集]

桜ケ丘住宅地のロータリー

1995年に『耳をすませば』が公開されてすぐ、聖蹟桜ヶ丘がこの映画の舞台だということが知られるようになったが、具体的な町おこしの取り組みが始まるのは、映画公開から10年経った2005年になってからだった[126]。映画公開10周年を機に、映画にちなんだ町おこしイベントが企画されたのである[128]

きっかけは地元の多摩大学に通う映画の熱烈なファンの女子学生が、映画10周年を記念して何かやりたいという熱意で立ち上がった[126]。多摩大学の学生が発案し、2005年2月に10周年記念上映会の開催を地元商店会に持ちかけた[123]。多摩大学のプロジェクトゼミと商店会が組み、スタジオジブリからフィルムを借りて上映会を開催した。背景画展、スタンプラリー、モデル地ツアー、ミニコンサートなど一連のイベントも実現した。イベントには日本全国から延べ3千人以上が参加した。心配されたトラブルもなく参加者の満足度も高かったことから大成功であったと評価された。地元での注目も高まった[128]。この際のイベントには3日間で約2500人が来場。この大成功をきっかけに、大学・商店会だけでなく、市民や行政も参加する「せいせき観光まちづくり会議」が発足し、継続的にまちづくりの取り組みが続いていくことになった[129][130]

このほか町おこしとして定期的に「ロケ地ツアー」を行った。しかし、定期的に行われるようになったロケ地ツアーには地域住民から苦情が出るようになった。映画のモデル地の大部分は観光地ではなく桜ヶ丘 (多摩市)の閑静な住宅街であったためである[129]。観光客が押し寄せてきて写真を撮ったりしたら迷惑だということで、一時期は住民からクレームやイベント中止の訴えも出た。苦情を解消するため、ボランティアのツアーガイドにはガイド養成講座を定期的に開いたり、地元町内会でツアーの仕方を根回ししたり、マナーの徹底化を呼びかけるなどの努力が重ねられた[129]

また一般にアニメで町おこしで成功するには、制作会社と連携して版権絵を借りることが多いが、スタジオジブリからは版権絵の使用許可が下りなかった。そこでまず手書きイラストでモデル地案内マップを作った[117]。耳をすませばモデル地案内マップは、2005年7月、聖蹟桜ヶ丘駅西口広場に設置された。耳をすませば公開10周年記念で地元商店会が京王電鉄の敷地内に建てた[131]。一般的にアニメ町おこしが行われる際には、制作会社と地域が密接な関係を保ち、版権絵の使用許可を取っていることが多い。このためモデル地案内マップには手描きイラストを用いるなど、版権絵を使用しない「耳をすませば」の町おこしは他作品のものとは大きく異なっている[129]

青春のポスト[編集]

2012年4月に聖蹟桜ヶ丘駅前に設置された、映画で登場する「地球屋」風のモニュメント「青春のポスト」も、スタジオジブリが版権の使用を許可していないため、あくまで「風」である。2005年のイベント開催時からモニュメント像を設置する声が上がっていたが、キャラクターの像を建てる場合には版権が問題になる。そこで作品の世界観そのものではなく、そこから派生させた「ファンの青春を応援する」というテーマで検討されることになった。『耳をすませば』は中学生の男女を主人公とした青春賛歌であり、「自らの目標に向かって努力する」要素があることから、ここに願い事や決意を投函してもらう「青春のポスト」として実現したのである。スタジオジブリからも「風」であれば問題ないとする見解を得られている[130]

青春のポストは、せいせき観光まちづくりのシンボル的な存在である。「耳をすませば」のオマージュであるが、ファンの青春を応援するという派生的コンセプトに基づいており、新たに創出された独自の観光資源となっている[124]

青春のポストは「耳をすませば」の「地球屋」という建物を模している。本体は幅76cm・奥行き57cm・高さ83cm、アルミ鋳造一体成型、基礎部分から最上部の風見鶏まで高さ210cm。内部は2層構造で、1階部分には手紙の投入口がありメッセージを預かるようになっている。2階部分は地球屋をイメージした内装になっている。室内はLED照明タイマー設定により夕方から午前0時ごろまで点灯する。普段は内部非公開だが、「せいせき桜まつり」や「せいせき朝顔市」などのイベント時に限り開帳され、内部の様子を見ることができる。基礎部分に使い方の銘板が埋め込まれている。活用方法は、(1) ファンが願い事をポストに投函する、(2) ポストはファンの努力を見守る、(3) ファンは願いが叶うと報告のメッセージを改めて投函する、という流れである。投函されたメッセージは桜ヶ丘商店会連合会が厳重に保管している。青春のポストの維持・管理は、せいせき観光まちづくり会議が手伝っている[124]

青春のポストの設置以前にも、「耳をすませばキャラクターグッズ展」「耳をすませば井上直久展」「耳をすませば図書館展」などが開催された。一方で、他のマンガやアニメのモデル地では作品のキャラクターを活用した観光まちづくりが盛んになってきていた。聖蹟桜ヶ丘にも何かモニュメント像を建てたらどうかという声が出て、2007年秋ごろから模索が始まった。問題はスタジオジブリが版権の二次的利用を基本的に認めないことだった。「耳をすませば」のキャラクターを用いたモニュメント像を建てることは出来ない。地元は独自のアピール方法について議論を煮詰めた。その結果、作品世界の再現ではなく、作品の世界観から派生したテーマを前面に打ち出すアイデアが浮上した。「耳をすませば」は中学生の男女を主人公とした青春賛歌であり、自ら定めた目標に向かって努力するという要素が付加されている。ファンが聖蹟桜ヶ丘を訪れる動機に、この要素への共感もあると考えられた。「ファンの青春を応援する」というコンセプトを固めた。具体的には、訪問者の夢や目標を書いたメッセージを受け入れ、これを実現するまでの努力を見守るという方法である。モニュメントの実現を求める耳すまファンの声は2010年9月から2011年10月ごろまで色紙に集められた。色紙の題は「耳をすませば聖蹟への想い」であった。延べ2,223名が書いた146枚の色紙はスタジオジブリに届けられた[124]

2011年9月、スタジオジブリはこのコンセプトで問題ないという見解を示した。公認しないが異議も挟まないという見解であった。モニュメント「青春のポスト」が現実化した。桜ヶ丘商店会連合会が「多摩市新元気を出せ商店街事業」補助金の交付を受けて設置主体になった。予算総額は300万円で、多摩市と東京都から3分の1ずつ補助を受けた。モニュメント本体はジブリ作品の立体化に実績のあるアレグロが制作した。2012年4月8日に完成披露セレモニーを挙行した。主人公役の声優の本名陽子のほか、多摩市長、聖蹟桜ヶ丘駅長、桜ヶ丘商店会連合会会長が出席した[124]。同日より、聖蹟桜ヶ丘駅の接近メロディに「カントリーロード」が採用されたが、これは京王電鉄と多摩市の協力によって実現した[129]

2012年7月7日、せいせき朝顔市で聖蹟桜ヶ丘訪問記念スタンプが披露された。地元の商店会の発案により作られた3か所の風景スタンプである。同年11月5日よりスタンプ台紙が一新され、せいせきA館2階京王ストア、ファミリーマート、洋菓子店ノアの3か所にスタンプが置かれた[132]

2013年6月8日に放映された出没!アド街ツク天国で紹介された。青春のポストは聖蹟桜ヶ丘30件中30位であったが[133]、大きな反響があった[124]。ほかに、耳をすませば舞台巡りが6位に、耳をすませば風景スタンプが13位に、いろは坂が29位にランクインした[133]

せいせきハートフルコンサート[編集]

次に「せいせきハートフルコンサート」を開催した[117]。第1回せいせきハートフルコンサートは、2005年12月4日、午後と夜間に各1時間半、駅前の関戸公民館ヴィータホールにて開催。定員各250名、全席指定、事前ハガキ抽選、入場無料。出演は本名陽子と地元ユニット。トークショーMCは多摩大学の学生。主催は中央商店会、後援は多摩市・多摩市商工会議所・多摩市青年会議所・エフエム多摩放送、協賛は桜ヶ丘商店会連合会であった[118]。「耳をすませば」の挿入歌「カントリーロード」を本名陽子に歌ってもらった。日本全国から観客が来た[117]。本名陽子は耳をすませばで主人公・月島雫の声を担当し、主題歌カントリーロードを歌った[118]。初めて聖蹟桜ヶ丘を訪れたのはカントリーロード(1995年6月25日発売[134])のジャケット撮影の時で、当時まだ高校生であった[14]。2005年第1回せいせきハートフルコンサートでカントリーロードを歌った後も、耳にすませば町おこしに理解が深く[135]、ほぼ毎年せいせきハートフルコンサートで歌うことになる[117]

せいせき観光まちづくり会議[編集]

せいせき観光まちづくり会議は聖蹟桜ヶ丘地区で観光まちづくりと地域活性化を目指して活動する団体である[124]。商店主、大学生、社会人、行政関係者などが集まる[136]

最初の取り組みといえるのは、2005年の耳をすませば公開10周年記念上映会であった[136]。その後も持続的に地域を盛り上げていくために、せいせき観光まちづくり会議を立ち上げた[137]。聖蹟桜ヶ丘地域の活性化ために様々な取り組みをしてきた。特に「耳をすませば」にちなんだ各種企画に取り組んできた[2]。多摩市職員も会合に出席して市役所の支援を得られるようになり、地元の住民の理解も進み、ファン有志や関心のある学生もメンバーに加わった。こうした活動が発展して生まれたのが、せいせき観光まちづくり会議であった[138]。正式には2011年5月に発足した[124]

せいせき観光まちづくり会議は、2011年12月、金比羅神社に「恋おみくじ」を設置した。金比羅神社は主人公が幼馴染に告白されたシーンの神社として知られる。金比羅神社を管理する熊野神社とのコラボで恋おみくじを実現した。設置直後に盗難被害に遭ったが、対策を講じた後は無事である。恋占いの名所として定着している[139]

2014年1月16日第9回せいせきハートフルコンサートで「聖蹟★さくにゃん」を発表した[140]。聖蹟★さくにゃんは聖蹟桜ヶ丘のマスコットキャラクターである[18]。紹介パネルによると、耳をすませばの舞台の街・聖蹟桜ヶ丘を知ってもらい親しんでもらうためのガイド役で、「ブサイクでふてぶてしいデブねこ」という設定である。せいせき観光まちづくり会議の著作物である[141]

2014年多摩市経済観光課発行「せいせきの魅力いっぱい!~聖蹟桜ヶ丘駅周辺ガイドマップ~」の制作に桜ヶ丘商店会連合会とともに協力した。このガイドマップは、青春のポスト、金毘羅宮、桜ヶ丘ロータリーに史跡を合わせて10か所を案内している。「聖蹟桜ヶ丘にゆかりの人 本名陽子(ほんなようこ)さん」の紹介もある[14]

2015年、多摩市が多摩センターで開催した耳をすませば上映会に協力した(#『耳をすませば』公開20周年参照)。同年、スマートフォンによる音声ガイドでまち歩き企画を受託した(#タップ・デ・トリップ参照)。

『耳をすませば』公開20周年[編集]

2015年は耳をすませば公開20周年にあたることもあり、聖蹟桜ヶ丘の町おこしに様々な動きがあった。

前年5月ごろから多摩市経済観光課の商工観光担当主査1名が耳をすませば20周年記念上映会を企画立案し、スタジオジブリとの交渉にあたった[142]。多摩市の2015年度予算に初めて聖蹟桜ヶ丘活性化事業費がついた[13]。多摩市経済観光課の体制も変わり、2015年度から観光担当課長以下4名が上映会企画を担当することになった[142]

しかし2015年に入ると「耳をすませば」の文字が表面から消えていった。主人公役の本名陽子を招いて開催するコンサートは、前年の第9回まで「せいせきハートフルコンサート~耳をすませば」というタイトルだったが、2015年1月25日開催の第10回から「せいせきハートフルコンサート」に変わり、タイトルから「耳をすませば」の文字が消えた[143]。また、3月に駅前掲示板「耳をすませばモデル地案内マップ」を「聖蹟桜ヶ丘散策マップ」へリニューアルすることになった。耳をすませばモデル地に加え駅周辺のスポットを紹介する趣旨とされた[124]。タイトルから「耳をすませば」の文字が消え、イラストから主人公に似たキャラクターが消え、桜ヶ丘ロータリーに面した架空の地球屋も消えた[140]

3月14日から5月24日にかけてパルテノン多摩歴史ミュージアムで特別展「アニメーションと多摩」が開催された[144]。展示図録では、多摩市で制作された「アルプスの少女ハイジ」や世界名作劇場史シリーズのほか、多摩市各地をモデルにしたジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」などについて入念に解説しているが、「耳をすませば」の展示物は一切なかった。それどころか「耳をすませば」というタイトルすら一切載らなかった[145]。名指しをしないものの、あえて青春のポストや金刀比羅宮に触れて「耳をすませば」を暗示しつつ、「聖地巡礼が真の作品理解や地域理解、活性化につながるか疑問視する声もあります」という匿名意見を紹介している[127]。多摩市予算の聖蹟桜ヶ丘活性化事業費の使途に関わる意見であった。

多摩市は7月19日に耳をすませば公開20周年記念上映会イベントを開催した。スタジオジブリは風景画30枚を提供してくれたが、キャラクターの提供はなかった。上映会の会場は聖蹟桜ヶ丘でなく多摩センター駅前のパルテノン多摩であった。聖蹟桜ヶ丘では、多摩市経済観光課が、まち歩き音声ガイドを企画し、7月20日から9月30日まで実施した[142]#タップ・デ・トリップ参照)。

多摩市の聖蹟桜ヶ丘活性化事業費は、フィナーレで花火を上げるイベントにも充てられた[13]。9月20日に第1回せいせきみらいフェスティバルが開催されたのである。地元の鼓桜による太鼓演奏、地元飲食店による出店、シークレットで元ホワイトベリーによる夏祭り一曲、フィナーレに30秒間の花火であった[146]。耳をすませばとは関係なかった。

10月3日に第11回せいせきハートフルコンサートが開催されることになった。例年と違って耳をすませばに関連する要素を一切排除していた[147]

翌年1月、せいせき観光まちづくり会議が散策ガイド「聖蹟桜ヶ丘周辺まちあるき」を発行した。多摩市の経済観光課と教育振興課、桜ヶ丘商店会連合会、まち育てネットワーク関戸(関戸地域福祉推進委員会[148])の協力によるもので、公益信託多摩まちづくりファンドの助成を受けて制作された[18](多摩市の聖蹟桜ヶ丘活性化事業費ではない)。このファンドは多摩市都市計画課を窓口としている[149](経済観光課ではない)。コースは「関戸コース いざ鎌倉!関戸の歴史散歩」、「一ノ宮コース 古の歴史に彩られた一ノ宮を散策」、「連光寺コース 平安の雅を想い明治時代の息吹を感じよう」の3つで、各コースとも史跡を中心に辿るものである。耳をすませば関連スポットを全て外していた[18]

タップ・デ・トリップ[編集]

音声ガイド企画「タップ・デ・トリップ」は、耳をすませばモデル地や史跡など聖蹟桜ヶ丘周辺の10か所の付近でスマートフォンをかざすと音声ガイドで解説を聴けるという企画であった[135]

初めの「タップ・デ・トリップ」は多摩大学が企画したものだった。多摩大学は、地域観光振興プログラム「今昔ロケ地を巡り・学ぶ “タップ・デ・トリップ” 多摩プログラム」を企画・提案し、東京都地域資源発掘型実証プログラム事業の採択を受けた。このプログラムはスマートフォンでの解説やクイズによってモニターツアーを行うというもので、パシフィックコンサルタンツとの連携により実現した企画であった。2つのコースのうち桜ヶ丘コースは「耳をすませば」の参考となった風景や地域の歴史資源を訪ねて2014年2月22日に桜ヶ丘のまち歩きをするというコースであった[150]。チラシによると「聖蹟桜ヶ丘駅周辺 スマホ必携 まち歩き」、「声優の本名陽子さんのガイドでまち歩き」、「あの映画によく似た風景に会いに来て」、参加者がマップを持ち音声ガイドを聞きながら思い思いに巡るモニターツアーであった。主催は東京都産業労働局観光部、企画は多摩大学、協力は多摩市、問い合わせ先は運営事務局のパシフィックコンサルタンツであった[151]。同社はこのツアーの翌年に移転するまで聖蹟桜ヶ丘駅前に本社を構えていた[152]

2015年度から2017年度まで音声ガイド企画「聖蹟桜ヶ丘周辺まち歩き~タップ・デ・トリップ~」を実施した。多摩市経済観光課が主催し、せいせき観光まちづくり会議が受託した企画であった[153]。音声は、耳をすませば関連ポイントでは本名陽子が担当し、史跡では多摩市教育振興課文化財係職員が担当した[135]。コースは約2km・約2時間で、青春のポスト、いろは坂の階段、金毘羅宮、天守台、桜ヶ丘ロータリー、熊野神社、霞ノ関南木戸跡、観音寺、横溝八郎の墓、関戸古戦場跡の10か所を巡るものであった[153]。音声ガイドは2015年7月20日から9月30日まで実施した[135]。マスコットキャラクターは聖蹟★さくにゃんであった[153]。また2016年度は7月16日から翌年1月31日まで実施した[154]。この年度からマスコットキャラクターに「あらいぐまラスカル」と「赤毛のアン」が加わった。日本アニメーションと多摩市との協定(後述)により新登場した[153]。撮影ポイント3か所でマスコットキャラクターと記念撮影が出来る仕様になった。2017年度は同年7月15日から翌年1月31日まで実施した。A4版4ページのパンフレットを制作し、聖蹟桜ヶ丘周辺まち歩きの地図や解説、アプリの使い方を掲載したほか、まち歩きクイズの出題、感想や写真のSNSへの投稿を推奨するメッセージを追加した[122]。2018年度の聖蹟桜ヶ丘周辺まち歩きは、音声ガイドに替えてスタンプラリーになった。聖蹟★さくにゃんが消え、日本アニメーションのキャラクターを前面に押し出す企画に変わった[155]#日本アニメーションとの連携参照)。

その他のコンテンツ[編集]

日本アニメーションとの連携[編集]

日本アニメーション本社スタジオは聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩15分のところにある[15]。日本アニメーションは1975年に創業し、多摩市和田に本社スタジオを設立して、世界名作劇場シリーズなど良質なアニメーション作品を制作してきた[155]。「耳をすませば」監督の近藤喜文もかつてこのスタジオで宮崎駿高畑勲らと共にアニメ作品を制作した[1]

スタジオジブリが「耳をすませば」の版権の二次使用を認めないのに対し[124]、日本アニメーションは多摩市などと連携して「あらいぐまラスカル」を中心にキャラクターの提供を行っている[156]

2014年10月、桜ヶ丘商店会連合会は、聖蹟桜ヶ丘に本拠を置く日本アニメーションとのコラボによりラスカルスタンプラリーを実施した[124]。抽選会では非売品のラスカルクッキーが残念賞の景品として配られた[157]

2016年4月5日、多摩市と日本アニメーションが地域活性化に関する連携協定書の調印式を行った。ラスカルのぬいぐるみの前で市長と社長が握手をした。多摩市が日本アニメーションと連携・協働し、アニメやキャラを活用して聖蹟桜ヶ丘駅周辺に魅力と賑わいを創出し、地域住民にとって誇りとなるまちづくり事業を展開するというものであった[158]。この協定の目的は、「質の高いアニメコンテンツを有し、市内に本社スタジオを有する日本アニメーションを地域資源ととらえ、同社が多摩市に立地することを内外へ広くPRするとともに、作品やキャラクターを活用することにより、多摩市の魅力向上を目指すこと」であった[155]

地域貢献としては、2013年の多摩センター「世界名作劇場作品絵画展」、2014年の桜ヶ丘商店会連合会「ラスカルスタンプラリー」、2015年のパルテノン多摩歴史ミュージアム企画展「アニメーションと多摩」に協力し、同年にふるさと納税の返礼品に複製原画やスタジオ見学権を提供するといった実績を積んだ。これにより市と連携協定を締結するに至った[155]

多摩市はこの協定に基づいて、ラスカルなどの世界名作劇場のキャラクターの提供を受けた。聖蹟桜ヶ丘で「ラスカル子ども映画祭」を開催したり、イベントにラスカルの着ぐるみを登場させて撮影会や握手会を開催したり、カフェでラスカルとのコラボメニューを提供したり、マンホール蓋ラスカルを設置したり、聖蹟桜ヶ丘周辺まち歩きスタンプラリーに世界名作劇場のキャラクターを登場させたりした[155]

2015年度から多摩市経済観光課が主催した音声ガイド企画「聖蹟桜ヶ丘周辺まち歩き~タップ・デ・トリップ~」は、マスコットキャラクターとして「あらいぐまラスカル」と「赤毛のアン」を採用した[153]。日本アニメーションの世界名作劇場シリーズのキャラクターである[154]。日本アニメーションと多摩市との協定により2016年度から新登場した[153]。赤毛のアンについては、かつて近藤喜文は日本アニメーション入社早々に世界名作劇場「赤毛のアン」のキャラクターデザイン・作画監督に抜擢され、後に移籍したスタジオジブリで「耳をすませば」の監督を務めるに至ったという経緯があった[155]

2018年度の聖蹟桜ヶ丘周辺まち歩きは、従来の音声ガイドに替えてスタンプラリーを企画した[155]。イベント名は「~聖蹟桜ヶ丘周辺まち歩きスタンプラリー~ 歩いて楽しむ聖蹟桜ヶ丘の人気スポット!」で[3]、期間は2018年10月1日から12月21日までであった。前年度まで夏休み開催であったが、炎天下のまち歩きを避けるため秋に行うことになった[155]。コースは2つで、史跡とアニメの聖地を巡る「関戸コース」と、丘陵とアニメの聖地を巡る「東寺方コース」とを設定した[155]。各コース3か所のうち2か所以上のスタンプを押すか、あるいはアンケートに答えると、日本アニメーション公式アーティスト永見夏子のデザインした限定ポストカードをもらえることになった[155]。スタンプも日本アニメーションのオリジナルであった[3]。パンフレットには、あらいぐまラスカル、赤毛のアン、フランダースの犬パトラッシュ、その他、世界名作劇場シリーズのキャラクターが登場した。これは多摩市と日本アニメーションとの連携協定に基づくものであった[155]。両コースとも後半が共通で、桜ヶ丘ロータリーから駅前の青春のポストまで、ほぼ耳をすませば関連スポットを巡るものであった。桜ヶ丘ロータリー商店会3店舗をアンケート場所および景品交換所としており、参加者はただ桜ヶ丘ロータリーに行ってアンケートに答えれば景品を貰える仕組みであった[3]

「ラスカル子ども映画祭」は2015年の初開催以降、一部の例外を除き8月初頭を開催期間として、2019年まで5年連続で開催された。2019年の映画祭は聖蹟桜ヶ丘駅前関戸公民館ヴィータホールにて入場無料で行った。あらいぐまラスカルのアニメを上映するものではなく、「ちびまる子ちゃん」や「うっかりペネロペ」など幼児が楽しめる国内外のアニメや実写映画を上映した。ラスカルマルシェで菓子などラスカル限定商品を販売した。ペネロペやラスカルによるキャラクターグリーティングを行った。多摩市、日本アニメーション、キンダー・フィルムによる共催であった[156]。2020年は前年までとは趣を変え、多摩川河川敷の一ノ宮公園を会場とした冬のキャンプシネマ「ラスカル&キネコ映画祭」が、12月に開催された[159]

多摩市は2018年3月に聖蹟桜ヶ丘PR動画「せいせき桜ヶ丘STORY」を制作し、その動画に「okaeri TAMA 世界名作劇場に寄りそう街」というキャッチコピーを添え、多摩市と世界名作劇場シリーズとの結びつきをアピールしている[155]。日本アニメーションのキャラクター・ラスカルが聖蹟桜ヶ丘駅周辺を訪れて観光スポットや人々を紹介し、国内外の旅行者に向けて聖蹟桜ヶ丘駅周辺の魅力をPRする動画である。日本語のほか英語・中国語・韓国語で制作している。動画の前半では、せいせき観光まちづくり協議会の座長がラスカルの着ぐるみを連れて、耳をすませば関連スポットを案内している[19]

他のコンテンツのモデル地[編集]

  • 一週間フレンズのアニメ版は当地がモデル地で、実写映画も当地でロケが行われている[153]
  • DAYSは当地が舞台で、主人公の通う学校名(聖蹟高校)の由来であり、アニメでは最寄駅はそのまま聖蹟桜ヶ丘駅(以下、この節では「当駅」とする。)となっている。2016年7月に聖蹟桜ヶ丘アウラホールにてアニメの先行上映会&トークショーが行われた[153]
  • 平成狸合戦ぽんぽこ - 多摩ニュータウンが舞台で、当駅やその周辺の風景が描かれている。
  • エスパー魔美 - 主人公が住む町は当駅周辺をイメージしている[160]
  • まちカドまぞく - 主要な舞台として、当駅名をもじった「せいいき桜ヶ丘」という架空の地名が登場する[161]。ただし劇中に登場する街並みは当駅よりも唐木田多摩センター駅周辺をイメージしているとされる[161]
  • 男たちによろしく - 当駅周辺を舞台にしたトレンディドラマ。主人公たちが駅前の複合商業施設「ザ・スクエア」のマンション部に住んでいるという設定だった。
  • Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ - 1期のオープニングの背景の街並みが駅前の川崎街道の交差点付近であり、主人公イリヤが住む家の周りに桜ヶ丘2丁目のバス停付近や、桜ヶ丘浄水場付近のいろは坂を登りきった辺り、桜ヶ丘4丁目ロータリーにある「さくら公園」が描かれている。
  • 私に天使が舞い降りた! - アニメ第10話に当駅をモデルにしたと思しき「OKEI 桜の丘駅」が登場する。
  • 空の境界 - 劇中に当駅近くの坂が登場する。
  • アイドルマスター シャイニーカラーズ - 舞台は当地がモデルである。背景に駅前交差点の風景が描かれている他、川崎街道沿いにはアイドル事務所付近の様子も描かれている。桜ヶ丘方面では風野灯織が歩くいろは坂と、その付近にある「いろは坂桜公園」がしばしばイベントで登場する。
  • ウマ娘 プリティーダービー - 舞台は対岸の府中市だが、ゲームの育成機能内での一部イベントにおいて、多摩川河川敷の京王線高架下が描かれている。

参考文献[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]