福富邦夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
福冨 邦夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市南区
生年月日 (1943-04-23) 1943年4月23日(75歳)
身長
体重
177 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1965年
初出場 1965年4月11日
最終出場 1980年10月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

福冨 邦夫(ふくとみ くにお、1943年4月23日 - )は、広島県広島市南区段原中町出身[1]の元プロ野球選手外野手)・コーチ監督解説者

経歴[編集]

2歳時に原爆投下を経験。実家は爆心地から約2.2キロの距離にあったが、比治山の陰だったため難を逃れる[2]広陵高校では1961年夏の甲子園県予選で中堅手として出場し、決勝に進出。西村宏高岡重樹のいた崇徳と対戦するが、0-1で惜敗して甲子園出場を逸する[3]。卒業後は神奈川大学に進学し、横浜五大学野球リーグでは在学中3度優勝。1963年日本選手権では準決勝に進出するが、慶大に敗退。

1965年、大学を中退して国鉄スワローズに入団。1年目から外野手の定位置を獲得し、中心打者として活躍。武上四郎が入団すると、彼と一・二番コンビを組む。ロバーツ以下の主力につなぐ役割を期待されたが、チームの打線が安定せず、福富や武上が中軸を任されるケースも多くあり、なかなか機能しなかった。1968年には初めて規定打席に到達し、リーグ7位の打率.292で初のベストテン入りを果たす。1969年にはベストテン10位(打率.281)を記録し、オールスターゲームには3度出場。頭上でバットをくるりと回してからスイングする「円月殺法」と呼ばれ人気を博したが、その後は打撃成績が徐々に低下。1973年に金銭トレードで太平洋クラブライオンズに移籍すると、新天地で打棒が復活。レギュラー外野手として2年間活躍した後、安木祥二との交換トレードで1975年に再びヤクルトへ復帰。1978年には代打としてチーム初のリーグ優勝・日本一に貢献。球団歴代10位となる通算1386試合出場の記録を残し、1980年に引退。

引退後はヤクルトに残り1981年二軍守備・走塁コーチ, 1982年から1984年まで二軍打撃コーチ, 1985年一軍外野守備・走塁コーチ, 1986年一軍守備・走塁コーチ, 1987年二軍守備・打撃コーチ, 1988年は再び二軍打撃コーチ、1989年から1993年まで二軍監督を務めた。1994年NHK解説者などを務めた。1995年中華職業棒球聯盟時報イーグルス打撃コーチ、1996年韓国プロ野球サンバンウル・レイダース打撃コーチ、1997年から1999年まで近鉄二軍打撃・総合コーチ、2000年近鉄二軍総合コーチ, 2001年から編成担当を務め2004年まで務めた。2006年から2007年までMSHアカデミー監督、2010年から2012年まで四国学院大学臨時打撃コーチ, 2013年から2015年まで同監督を務めた。

息子の洋右は東洋大学で選手・コーチを務めた後、星槎学園高等部湘南校硬式野球部の前監督。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1965 国鉄
サンケイ
アトムズ
ヤクルト
109 246 226 15 53 12 1 2 73 12 3 4 3 0 16 1 1 63 3 .235 .288 .323 .611
1966 117 302 267 25 57 6 5 3 82 15 5 3 10 2 22 1 1 45 4 .213 .276 .307 .583
1967 93 149 134 24 29 5 2 2 44 5 1 2 2 1 10 1 1 24 1 .216 .276 .328 .604
1968 125 450 408 50 119 22 6 10 183 41 10 9 5 2 34 0 1 75 2 .292 .348 .449 .796
1969 129 500 456 65 128 33 2 10 195 40 11 6 5 3 32 2 4 65 3 .281 .333 .428 .761
1970 126 465 443 39 106 14 5 8 154 37 12 7 5 2 15 0 0 74 6 .239 .264 .348 .612
1971 126 456 409 55 100 20 3 8 150 48 10 6 3 4 37 1 3 75 5 .244 .312 .367 .679
1972 88 194 172 22 39 7 1 3 57 15 2 5 4 0 18 4 0 21 4 .227 .300 .331 .631
1973 太平洋 117 439 385 61 105 21 3 12 168 42 5 8 6 4 41 6 3 72 4 .273 .347 .436 .784
1974 113 407 365 36 95 19 1 4 128 42 6 5 2 5 33 0 2 48 3 .260 .325 .351 .676
1975 ヤクルト 108 341 300 43 87 21 1 8 134 39 2 0 6 3 32 1 0 38 4 .290 .358 .447 .805
1976 78 118 109 10 20 4 0 2 30 9 1 0 0 0 8 1 1 20 2 .183 .246 .275 .521
1977 94 236 207 33 57 9 1 6 86 31 1 0 2 1 25 3 1 24 2 .275 .356 .415 .772
1978 60 110 99 12 23 5 1 2 36 15 0 0 0 0 11 0 0 12 3 .232 .309 .364 .673
1979 102 228 202 24 54 8 1 8 88 29 1 4 2 2 22 0 0 46 5 .267 .339 .436 .775
1980 31 36 35 1 4 1 0 1 8 5 0 0 0 0 1 0 0 11 1 .114 .139 .229 .367
通算:16年 1616 4677 4217 515 1076 207 33 89 1616 425 70 59 55 29 357 21 18 713 52 .255 .316 .383 .699
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 国鉄(国鉄スワローズ)は、1965年5月10日にサンケイ(サンケイスワローズ→アトムズ)に、1969年にアトムズに、1970年にヤクルト(ヤクルトアトムズ)に球団名を変更

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 12 (1965年 - 1967年)
  • 34 (1968年 - 1970年)
  • 7 (1971年 - 1972年、1975年 - 1980年)
  • 3 (1973年 - 1974年)
  • 77 (1981年 - 1985年、1987年 - 1993年)
  • 72 (1997年 - 2000年)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『スポーツ人名事典・3版』日外アソシエーツ、2002年、p548
  2. ^ 『週刊プロ野球データファイル』38号(2011年、ベースボール・マガジン社)、p24。
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  4. ^ 週刊ベースボール2012年4月16日号96ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]