長崎市営大橋球場

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長崎市営大橋球場
Nagasaki Ohhashi Baseball Stadium
施設データ
所在地 長崎県長崎市松山町
起工 1951年4月3日
開場 1952年
所有者 長崎市
グラウンド 内野:クレー舗装
外野:天然芝
照明 なし
収容能力
1万1千人[1]
グラウンドデータ
球場規模 グラウンド面積:-m2
両翼:92 m
中堅:120 m

長崎市営大橋球場(ながさきしえい おおはしきゅうじょう)は、かつて長崎県長崎市にあった野球場。長崎市が運営管理を行っていたが、1995年に閉鎖・撤去され、跡地には長崎県営野球場(長崎ビッグNスタジアム)が建設された。

概要・歴史[編集]

1974年当時の大橋球場。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

長崎市松山町で整備が進められていた平和公園の敷地内に1951年4月3日に竣工し、本格的な供用を開始した。

開場当初から高校野球社会人野球などのアマチュア野球や一般利用の他、プロ野球においても、かつて福岡県を保護地域としていた西鉄ライオンズ(その後太平洋クラブ、クラウンライター。現埼玉西武ライオンズ)がオープン戦や公式戦を行っていた他、ヤクルトスワローズも、オーナーの松園尚巳が長崎県出身という縁もあって、1990年まで公式戦を年1試合開催していた(佐世保野球場との2連戦でデーゲーム開催)。また、1965年8月8日には第11回原水爆禁止世界大会[2]が開催されるなど、野球以外の催しも積極的に行っていた。

しかし施設の老朽化が進み、フィールド内の安全対策が万全でないこと(特に外野フェンスのラバー部は約1mしかなく、プレーヤーの衝突時に負傷する危険があった)などが問題となり、県に移管した上で本格的な野球場として改築することとなった。こうして大橋球場は1995年に閉鎖され、大規模な改築を経て1997年、長崎県営野球場として開場した。また市は、郊外の柿泊町地内で整備を進めていた長崎市総合運動公園内に新たな市営野球場を建設、翌1998年長崎市総合運動公園かきどまり野球場として開場した。

施設概要[編集]

  • 両翼:92m、中堅:120m
  • 内野:クレー舗装、外野:天然芝
  • 照明設備:なし
  • 収容人員:1万1千人[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 追憶の舞台「海星・酒井16連続K…長崎市営大橋球場 - 読売新聞・九州発(2010年10月1日付の記事)
  2. ^ 昭和毎日:原水禁世界大会が分裂(1963年8月5日) - 毎日.jp

関連項目[編集]