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「名鉄モ580形電車」の版間の差分

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{{More footnotes|date=June 2016}}
{{鉄道車両
{{鉄道車両
|車両名=名鉄モ580形電車<div style="font-size:80%;">豊橋鉄道モ3200形電車</div>
|車両名=名鉄モ580形電車<div style="font-size:80%;">豊橋鉄道モ3200形電車</div>
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|画像=Toyohashi 3200.jpg
|画像=Toyohashi 3200.jpg
|画像説明=豊橋鉄道モ3200形3203<br />(元名鉄モ580形582・2009年1月撮影)
|画像説明=豊橋鉄道モ3200形3203<br />(元名鉄モ580形582・2009年1月撮影)
|運用者=[[名古屋鉄道]](名鉄)<br />→[[豊橋鉄道]](豊鉄)
|unit=auto
|製造所=[[日本車輌製造]]
|編成両数=
|製造年=[[1955年]]・[[1956年]]
|製造数=4両 (581 - 584)<br />豊鉄には3両転出 (3201 - 3203)
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]
|電気方式=[[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]])
|最高運転速度=
|起動加速度=
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|常用減速度=
|設計最高速度=
|非常減速度=
|車両定員=80人(座席28人)
|減速度(通常)=
|車両重量=16.0 [[トン|t]]<br />16.8 t(冷房車)<ref name="rp852"/>
|減速度(非常)=
|全長=12,300 mm
|車両定員= 80人(座席28人)
|全幅=2,236 mm
|編成定員=
|全高=3,742 mm([[集電装置#ビューゲル|ビューゲル]]設置車)<br />3,690 mm([[集電装置#菱形|菱形パンタ]]設置車)<br />4,000 mm([[集電装置#Z型・シングルアーム型|Z型パンタ]]設置車)
|全長= 12,500
|車体=半鋼製車体
|全幅= 2,236
|台車=[[住友金属工業]] KS-40J<br />日本車輛製造 NS-9
|全高= 4,000
|主電動機=[[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]] MT-60A
|車両重量= 16.0[[トン|t]]
|主電動機出力=37.3 [[キロワット|kW]]
|軌間= 1,067
|搭載数=2基 / 両
|電気方式= [[直流電化|直流]]600[[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]])
|駆動方式=[[吊り掛け駆動方式]]
|主電動機= [[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]] MT60A
|歯車比=4.5 (63:14)
|主電動機出力2= 37.3[[ワット (単位)|kW]]
|定格速度=22.3 [[キロメートル毎時|km/h]]
|搭載数= 2
|定格引張力=1,260 [[キログラム|kg]]
|端子電圧= 600V
|制御装置=[[マスター・コントローラー#直接式|直接制御器]]
|歯車比= 4.5 (63:15)
|制動方式=[[直通ブレーキ#SM|直通ブレーキ (SM-3)]]
|駆動装置=[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動]]
|台車=日本車輛製造NS-9(モ3201)<br />住友金属工業KS-40J(モ3202・3203)
|制御装置=[[マスター・コントローラー#直接式|直接式]]
|制動方式= SM-3[[直通ブレーキ#SM-3|直通空気ブレーキ]]
|保安装置=
|保安装置=
|備考=出典:[[#rw64|『世界の鉄道 '64』]]174-175頁・[[#machinami|『路面電車と街並み』]]258・260頁
|製造メーカー= [[日本車輌製造]]<ref group=注釈>モ581 - 583は[[1955年]](昭和30年)3月竣工、モ584は[[1956年]](昭和31年)9月竣工。</ref>
|備考=データはモ581 - 583(名鉄在籍当時)のもの。
}}
}}
'''名鉄モ580形電車'''(めいてつモ580がたでんしゃ)は、かつて[[名古屋鉄道]](名鉄)に在籍した[[路面電車]]であ[[1976年]]([[昭和]]51年)[[1981年]](昭和56年)の二度わたって[[豊橋鉄道]]に譲渡され、同社'''モ3200形電車'''と改称・改番された
'''名鉄モ580形電車'''(めいてつモ580がたでんしゃ)は、[[名古屋鉄道]](名鉄)が同社の[[軌道 (鉄道)|軌道]]において運用す目的で、[[1955年]]([[昭和]]30年)から翌[[1956年]](昭和31年)にかけ導入した[[路面電車]][[鉄道車両|車両]]である


モ580形(以下「本形式」)はモ581 - モ584の計4両が製造され、[[名鉄岐阜市内線|岐阜市内線]]・[[名鉄美濃町線|美濃町線]]で運用されたのち、名鉄では[[1976年]](昭和51年)から[[1981年]](昭和56年)にかけて[[廃車 (鉄道)|廃車]]され、1両を除いて[[豊橋鉄道]]へ譲渡されて'''モ3200形'''と改形式・改番された。
== 名鉄在籍時代 ==
[[1955年]](昭和30年)から[[1956年]](昭和31年)にかけてモ581 - 584の4両が[[日本車輌製造]]で製造された。[[ウィンドウシル・ヘッダー|ノーシル・ノーヘッダー]]構造の12m級半鋼製車体を持ち、主要寸法は[[名鉄モ570形電車|モ570形]]を踏襲しているが、車体中央にも客用扉を設置し3扉車とされた点が異なる。窓配置は1D4D4D1で、両端の客用扉は二枚引き扉、中央の客用扉は一枚引きの片開扉であり、車端部の乗務員窓が両端扉の戸袋窓を兼ねた構造となっている。正面中央窓上には小型の[[方向幕|行先表示]]窓が設けられ、[[前照灯]]は屋根上に設置されていた。なお、室内灯には名鉄の軌道線用車両としては初めて[[蛍光灯]]を採用した。


== 製造 ==
主要機器はいずれもモ570形と同一のものを採用しており、制御器は[[マスター・コントローラー#直接式|直接制御]]式、主電動機は[[神鋼電機]]製MT60A(端子電圧600V時一時間定格出力37.3kW)を1両当たり2基搭載し、[[鉄道車両の台車|台車]]は[[住友金属工業]]製KS-40J台車を装備する。集電装置は当初[[集電装置#ビューゲル|ビューゲル]]を搭載した。なお、ラストナンバーであるモ584は集電装置に[[集電装置#パンタグラフ|パンタグラフ]]を採用し、台車も防振ゴムを多用した日本車輌製造製NS-9を装備する異端車であった<ref group=注釈>主電動機は[[三菱電機]]製MB172-NRを搭載した。ただしこの主電動機は神鋼製MT60Aのメーカー違いの同一品であり、定格出力・歯車比等は同一であった。</ref>。
本形式は4両とも[[日本車輌製造]]にて製造された<ref name="guidebook">[[#guidebook|『路面電車ガイドブック』]]122-129頁</ref>。モ581・モ582の2両は[[1955年]](昭和30年)3月、モ583は翌[[1956年]](昭和31年)5月、モ584は同年9月にそれぞれ竣工した<ref name="guidebook"/>。[[太平洋戦争]]後の名鉄軌道線用新造車としては[[名鉄モ570形電車|モ570形]]に続いて2形式目である<ref name="rml130-23">[[#rml130|『RM LIBRARY130 名鉄岐阜線の電車(下)』]]23-27頁</ref>。


== 構造 ==
モ581 - 583は[[名鉄岐阜市内線|岐阜市内線]]で、モ584は[[名鉄美濃町線|美濃町線]]でそれぞれ運用されたが、[[北陸鉄道モハ2000形電車|モ550形(2代)]]や[[北陸鉄道モハ2200形電車|モ560形(2代)]]といった[[北陸鉄道]][[北陸鉄道金沢市内線|金沢市内線]]からの譲渡車両の導入に伴い、[[1968年]](昭和43年)以降は全車美濃町線で運用された。同時期には使用されなくなった行先表示窓が全車埋め込まれている。その後、[[札幌市電|札幌市交通局]]から譲り受けた[[連接台車|連接車]][[名鉄モ870形電車|モ870形]]の入線に伴い、余剰となったモ584が[[1976年]](昭和51年)に[[廃車 (鉄道)|廃車]]となり、豊橋鉄道へ譲渡された。モ581 - 583については[[1974年]](昭和49年)から[[1977年]](昭和52年)にかけて、集電装置の[[集電装置#Z形パンタグラフ|Z形パンタグラフ]]化、正面ワイパーの自動化、放送装置新設等の改造を施工し、引き続き美濃町線で使用されたが、[[複電圧車]][[名鉄モ880形電車|モ880形]]の新製に伴い[[1980年]](昭和55年)に全車廃車となった。
=== 車体 ===
本形式は半鋼製車体を持つ[[ボギー台車|ボギー車]]である<ref name="rw64">[[#rw64|『世界の鉄道 '64』]]174-175頁</ref>。車体の最大寸法は長さ12.3メートル、幅2.236メートルで、先に製造されたモ570形と同一<ref name="rw64"/>。全高は[[集電装置]]によって異なり、[[集電装置#ビューゲル|ビューゲル]]の場合3.742メートル、[[集電装置#菱形|菱形パンタグラフ]]の場合3.69メートル<ref name="rw64"/>、[[集電装置#Z型・シングルアーム型|Z形パンタグラフ]]の場合4.0メートルとなる<ref name="guidebook"/>。自重は16.0[[トン]]<ref name="rw64"/>。


主要寸法はモ570形を踏襲するが、車体中央にも客用扉を設置し3扉車とされた点や、屋根・前面の丸みが少なくなった点が異なる<ref name="rp66">[[#rp66|「私鉄車両めぐり〔27〕」]]</ref>。前面は3枚の窓で構成され、側面窓は車端部の運転台脇部分に1枚ずつ、ドア間に4枚ずつの配置(窓配置=1D4D4D1)である<ref name="zushu">[[#zushu2|『日本民営鉄道車両形式図集』下編]]35頁</ref>。[[ウィンドウシル・ヘッダー|ノーシル・ノーヘッダー]]構造だが側面窓上に雨樋がつく<ref name="guidebook"/>。客用扉はすべて幅1.0メートルで、両端の客用扉は車端部に収容される形の二枚引き扉、中央の客用扉は外側から見て左手に開く一枚引きの片開扉という構造<ref name="zushu"/>。ドアステップはレール面上37センチメートルの位置にあり<ref name="zushu"/>、扉の開閉に連動して展開される補助ステップが付属した<ref name="machinami-148">[[#machinami|『路面電車と街並み』]]148-149頁</ref>。なお中央扉は[[名古屋市電]]の3扉車と同様に、後部の[[車掌]]が操作する乗車専用扉として運用された<ref name="machinami-148"/>。
廃車後、モ581・582は後述のように豊橋鉄道へ譲渡されたが、モ583は[[南知多ビーチランド]]に搬入され、[[名鉄850系電車|850系]]「なまず」等とともに[[静態保存]]された。しかし、保存場所が海に近かったことから[[塩害]]による腐食が激しく、[[1990年代]]初頭に撤去処分されている。


[[前照灯]]は岐阜線の他形式と同様、屋根上に設置された<ref name="rp66"/>。[[1969年]](昭和44年)から翌年にかけて前照灯は[[シールドビーム]]に変更され小型化されている<ref name="machinami-148"/>。[[尾灯]]は窓下左に配置<ref name="guidebook"/>。窓上には中央部に小型の[[方向幕]]が設けられたが、当初から[[行先標]]を併用しており、モ570形と同様、後に使用されなくなり埋められている<ref name="machinami-148"/>。
== 豊橋鉄道譲渡後 ==

1976年(昭和51年)に豊橋鉄道へ譲渡されたモ584は、'''モ3200形'''3201として同年[[12月24日]]付で竣工した。入線に際しては以下のような改造が施工されている。
車体塗装は、軌道線標準色である窓下濃緑色・上部クリーム色のツートンカラーで登場した<ref name="rp66"/><ref name="rp247"/>。その後[[1975年]](昭和50年)7月より、新たに名鉄の標準色となった[[名鉄スカーレット]]への塗り替えが順次進められた<ref name="rp319">[[#rp319|「路面電車の車両現況」(1976)]]</ref>。
* 正面中央窓の固定支持方式をHゴム支持へ変更

内装については[[ロングシート]]を採用し、それぞれのドア間、すなわち計4か所に幅2.77メートルの座席が置かれる<ref name="zushu"/>。定員は座席28人・立席52人の計80人<ref name="zushu"/>。室内灯には名鉄の軌道線用車両としては初めて[[蛍光灯]]が採用された<ref name="rp247">[[#rp247|「私鉄車両めぐり〔87〕」]]</ref>。

=== 主要機器 ===
[[ファイル:Bogie-Truck-of-Toyohashi-Tram-3203.jpg|thumb|KS-40J台車(豊橋鉄道移籍後・2010年)]]
[[ファイル:Toyotetsu Mo 3202 driving cab.jpg|thumb|運転台(豊橋鉄道移籍後・2017年)]]

[[鉄道車両の台車|台車]]はモ581 - モ583の3両が[[住友金属工業]]製KS-40J、モ584が日本車輌製造製NS-9を装着する<ref name="rp247"/>。KS-40J形は[[ブリル#77E|ブリル77E形]]のコピー品で、[[鋳鋼]]製の台車枠側梁と平行に重ね板バネを渡す点を特徴とする製造当時の標準型路面電車用台車<ref name="rp99">[[#rp99|「台車のすべて〔13〕」]]</ref><ref>[[#sumi196810|『住友金属』第20巻4号]]63頁・[[#sumi196901|『住友金属』第21巻1号]]64-65頁</ref>。メーカーの製造番号はH-2287<ref name="rp99"/>。モ570形のうち2両も同型の台車を装着する<ref name="rp99"/>。一方NS-9形はメーカー試作<ref name="rp66"/>のオールコイルバネ台車である<ref name="machinami-148"/>。[[ホイールベース|軸距]]はKS-40Jが1,370ミリメートル、NS-9が1,400ミリメートル、車輪径は両形式とも660ミリメートル<ref name="rw73">[[#rw73|『世界の鉄道 '73』]]174-175頁</ref>。

[[主電動機]]はモ570形でも採用された[[神鋼電機]]製のMT-60A(端子電圧600[[ボルト (単位)|ボルト]]・出力37.3[[ワット|キロワット]])を1両当たり2基搭載する<ref name="rw73"/><ref name="machinami-258">[[#machinami|『路面電車と街並み』]]258頁</ref>。駆動装置は[[吊り掛け駆動方式]]であり、[[歯車比]]は4.5 (63:14) に設定されている<ref name="rw73"/><ref name="machinami-258"/>。

制御装置は[[マスター・コントローラー#直接式|直接制御器]]を使用する<ref name="rw73"/>。形式は2つあり、モ581・モ582は[[日立製作所]]製DR-BC447、モ583・モ584は日本車輌製造製NC103を搭載する<ref name="machinami-258"/><!--『世界の鉄道73』は581-583の制御器を日立・日車製、584のものを日車製と記載-->。うち日立製制御器は鉄道線[[琴平急行電鉄デ1形電車|モ180形]](元[[琴平急行電鉄]]デ1形)から転用されたものである<ref>[[#rml130|『RM LIBRARY130 名鉄岐阜線の電車(下)』]]9-10頁</ref>。

集電装置は、製造当時の装備ではモ581 - モ583の3両がビューゲル、モ584のみ菱形パンタグラフであった<ref name="machinami-148"/>。[[1974年]](昭和49年)にモ581 - モ583の集電装置がZ形パンタグラフに交換される<ref name="machinami-148"/>。またモ584は[[1968年]](昭和43年)ごろに一時ビューゲル化された後菱形パンタグラフに戻され、さらに豊橋鉄道転出直前にはZ形パンタグラフに交換されていた<ref name="machinami-148"/>。
{{-}}

== 名鉄時代の運用と廃車 ==
1955・56年に製造された本形式は、初め[[名鉄岐阜市内線|岐阜市内線]]へと投入された<ref name="rp66"/>。その後市内線・[[名鉄揖斐線|揖斐線]]直通列車([[1967年]](昭和42年)12月運転開始)に[[美濃電気軌道セミボ510形電車|モ510形・モ520形]]が転用されたのに伴い、入れ替わりで本形式が[[名鉄美濃町線|美濃町線]]へと投入された<ref>[[#rp771|「岐阜市内、揖斐・谷汲、美濃町線の記録」]]</ref>。

しばらく美濃町線での運用が続くが、[[札幌市電]]から[[連接台車|連接車]][[名鉄モ870形電車|モ870形]]が転入したのに伴いまずモ584が余剰となり<ref name="machinami-148"/>、[[1976年]](昭和51年)[[11月30日]]付で[[廃車 (鉄道)|廃車]]された<ref name="prc11-179">[[#prc11|『復刻版 私鉄の車両』11]] 179頁</ref>。残るモ581 - モ583については集電装置の変更のほか、[[1976年]](昭和51年)に正面[[ワイパー]]の自動化、翌[[1977年]](昭和52年)には放送装置の新設工事がそれぞれ施工され、引き続き美濃町線で使用された<ref>[[#rp370|「私鉄車両めぐり〔115〕」]]</ref>。しかし連接車[[名鉄モ880形電車|モ880形]]の新造に伴い残る3両も余剰となり<ref name="machinami-148"/>、[[1980年]](昭和55年)[[12月15日]]付で廃車されて本形式は形式消滅となった<ref name="prc11-179"/>。

このうち、後述する[[豊橋鉄道]]への譲渡対象から除外されたモ583は同時期に廃車となった[[名鉄850系電車|850系「なまず」]]852編成などとともに[[南知多ビーチランド]]において[[静態保存]]された<ref>[[#prc11|『復刻版 私鉄の車両』11]] 105頁</ref>が、<!--保存場所が海に近かったことから[[塩害]]による腐食が激しく-->後年解体処分され現存しない<ref name="rml130-23"/>。

== 豊橋鉄道への譲渡 ==
=== 入線に伴う改造 ===
[[ファイル:Toyotetsu 3202 interior.jpg|thumb|豊橋鉄道でのモ3202の内装(2019年4月)]]

名鉄において余剰になったモ580形4両のうち、前述モ583を除いた3両については、[[豊橋鉄道東田本線|東田本線]](市内線)の車両体質改善を目的に豊橋鉄道が購入した<ref name="machinami-234">[[#machinami|『路面電車と街並み』]]234-235頁</ref>。豊橋鉄道における形式名は「モ3200形」で、最初に入線したモ584がモ3201、続いて入線したモ581がモ3202、モ582がモ3203と改番されている<ref name="machinami-234"/>。豊橋鉄道での竣工日はモ3201が1976年[[12月24日]]付、モ3202・モ3203が[[1981年]](昭和56年)[[1月12日]]付である<ref name="machinami-252">[[#machinami|『路面電車と街並み』]]252頁</ref>。

豊橋鉄道での入線にあたり、3両とも[[赤岩口停留場|赤岩口]]の自社工場にて改造工事が施工された(2次車については[[岐阜検車区|名鉄岐阜工場]]で準備工事を施工した上で搬入)<ref name="machinami-234"/>。その改造内容は、
* [[ワンマン運転]]対応化
* [[ワンマン運転]]対応化
** 豊橋鉄道市内線のワンマン運転方式は、運賃前払いの前乗り・中降り方式<ref name="rp852"/>。
* 前照灯を屋根上から正面中央窓下へ移設
* 前照灯を屋根上から正面中央窓下へ移設
* 正面中央窓を、他形式と同様のHゴム固定に変更
* 行先表示窓の再設置<ref group=注釈>名鉄時代に埋め込み撤去されていたものを復活させたものである。</ref>
* 方向幕を再設置
* 側面[[樋 (建築)|雨樋]]の設置
* 屋根上へ[[樋 (建築)|雨樋]]を新設
* 集電装置をZ形パンタグラフへ交換、および中央移設
* Z形パンタグラフを屋根上中央部へ移設
* 使用しない進行方向右側の前側のドアの封鎖
* ストロークリーム地に赤い帯を巻いた「新豊鉄色」へ塗装変更
といったものである<ref name="machinami-234"/>。このうち方向幕再設置については、最初のモ3201は名鉄時代に埋められていたものを復活させただけで小型のままであったが、2次の2両では寸法を拡大して施工された<ref name="machinami-234"/>。この改善は後にモ3201にも波及している<ref name="machinami-234"/>。


モ3200形の導入により、戦前製の[[豊橋鉄道モ3700形電車|モ3700形]]・[[名古屋市交通局900形電車|モ3800形]]各1両が置き換えられ、モ3700形で残った1両(モ3702)も予備車となった<ref>[[#machinami|『路面電車と街並み』]]224-229頁</ref>。
改造は豊橋鉄道の赤岩口分区で行われた。なお、車体塗装はストロークリーム地に赤い帯を巻いた「新豊鉄色」とされた。


=== 冷房化とその後の改造 ===
1980年(昭和55年)にはさらにモ581・582を譲り受け、翌[[1981年]](昭和56年)[[1月12日]]付でモ3202・3203として導入した。入線に際しては先に譲り受けたモ3201と同様の改造が施工されたが、行先表示窓が大型化された点が異なり、モ3201もこの2両の登場後に行先表示窓を同一寸法に拡大する改造が施工された。なお、モ581・582については譲渡直前に名鉄岐阜工場([[岐阜検車区]])において豊橋鉄道向けの改造工事を一部施工し、本改造を赤岩口分区で施工した上で竣工している。
本形式は[[豊橋鉄道モ3100形電車|モ3100形]]7両に続いて[[冷房]]設置工事が施工され、モ3201が[[1994年]](平成6年)[[7月10日]]付<ref>[[#rp612|「新車年鑑1995年版」]]93・191頁</ref>、モ3202・モ3203が翌[[1995年]](平成7年)[[6月30日]]付でそれぞれ竣工した<ref>[[#rp612|「新車年鑑1995年版」]]95・190頁</ref>。搭載された冷房装置は[[三菱電機]]製CU77A型で<ref name="machinami-252"/>、冷房車は自重が16.8トンになった<ref name="rp852">[[#rp852|「日本の路面電車各社局現況」(2011)]]</ref>。冷房化と同時に、車体についてもすべての窓枠の[[アルミサッシ]]化、角型[[尾灯]]への交換、雨樋の移設といった改造が施されている<ref name="machinami-234"/>。


[[1994年]]([[平成]]6年)冷房化改造が施工され同年[[7月10日]]竣工のモ3201を皮切りに、翌[[1995年]](平成7年)[[6月30日]]にはモ3202・3203が三菱電機製CU77A型冷房装置を搭載して冷房化された。同時に窓枠[[アルミサッシ]]化と標識灯の角型化、雨樋の位置変更行われており正面中央窓についてもHゴム固定支持からアルミサッシに変更されている。[[2005年]](平成17年)にはモ3201が名鉄から譲受た[[名鉄モ570形電車|モ570形]]廃車発生品のKS-40J台車に取り替えられた。これにより台車の差異なくなっている
[[2005年]](平成17年)になり、2両とは別形式であったモ3201の台車が、名鉄から譲た[[名鉄モ570形電車|モ570形]]廃車発生品のKS-40Jに取り替えられた<ref name="rp852"/>。これにより台車は3両ともKS-40Jに統一された<ref name="rp852"/>
また、[[2011年]]にはmanaca運用開始に伴い、運賃箱・車内表示器がICカードに対応した物に交換され、自動放送も更新された。
[[2016年]](平成28年)には、モ3203の締切ドアを除く側ドアの交換、降車ボタンの更新、床材の貼り替えが行われた。同様の更新工事は他のモ3200形にも行われている。
[[2018年]](平成30年)には市内線に在籍する車両の日本語の自動放送の更新と英語放送の追加が行われ、同系列にも実施された。


車内機器では、[[2011年]](平成23年)[[2月11日]]の[[ICカード乗車券]]「[[manaca]]」運用開始に伴い、ICカード対応運賃箱や旅客案内ディスプレイが車内に設置された<ref name="handbook">[[#handbook2018|『日本の路面電車ハンドブック』2018年版]]54-58頁</ref>。
車体塗装については、本形式は[[1990年]](平成2年)から順次全面[[広告]]車両となり、原形を保つ車両は皆無であったが、モ3203は[[2008年]](平成20年)に広告塗装を解除し、「新豊鉄色」に復元されて同年[[12月27日]]より運用されている。また、モ3203は2010年6月からモ3102に代わりビール電車、おでんしゃ用の車両として運用されるようになった。但しイベント以外の時期には通常の運用に入っている。

=== 広告車としての利用 ===
本形式は前述の通り「新豊鉄色」と呼ばれる塗装で入線したが、[[1990年]](平成2年)より順次全面[[広告]]車両となった<ref name="machinami-234"/>。ただしモ3203に関しては[[2008年]](平成20年)に「新豊鉄色」へ復元されている(下記[[#モ3203のイベント利用]])。2018年4月1日時点における広告スポンサーは以下の通り<ref>[[#jrr2018|『私鉄車両編成表2018』]]96頁</ref>。
* 3201 - [[有楽製菓]]
** 豊橋市内に工場を置く有楽製菓のチョコレート菓子「[[ブラックサンダー]]」のパッケージを模した広告車両で、[[2013年]](平成25年)5月17日より運行開始<ref>[https://railf.jp/news/2013/05/19/184500.html 「豊橋鉄道モ3201に『ブラックサンダー』のラッピング」] - [[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン (railf.jp)]] 2013年5月19日掲載。2019年7月25日閲覧</ref>。
* 3202 - [[豊橋競輪場|豊橋けいりん]]


=== 広告塗装 ===
* モ3201:[[出雲殿]](のちに塗装が変わり、ベースカラーがピンクから白地に赤字に変更され、末期は白地に青文字で「ロイヤルヒルズ豊橋」名義で運行)→[[のんほいパーク]](クリーム色に動物のラッピング)→[[ブラックサンダー]](黒ベースに赤・金のラインが入る)
* モ3202:[[中部日本放送|CBC中部日本放送]]→[[豊橋競輪場]](黒と紅色・[[競輪]]選手をイメージ)→[[穂の国とよはし芸術劇場PLAT]]→豊橋競輪場(黒と紅色・競輪選手をイメージ)
* モ3203:[[AIGエジソン生命]](黄緑ベース、2008年11月まで。現在はクリーム×赤帯の豊鉄標準カラー)
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画像:Toyotetsu-3201.jpg|モ3201(1996年1月)
ファイル:Toyotetsu-3201.jpg|モ3201([[出雲殿]]広告・1996年1月)
画像:Toyohashi-railroad-mo3200.JPG|モ3203(2005年4月)
ファイル:Toyohashi-railroad-mo3200.JPG|3203([[法人会]]広告・2005年4月)
ファイル:Toyotetsu 3201 20181224.jpg|モ3201(有楽製菓広告・2018年12月)
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</gallery>


=== モ3203のイベント利用 ===
==脚注==
[[ファイル:Toyotetsu 3203 20181114.jpg|thumb|「おでんしゃ」として運行中のモ3203(2018年11月)]]

[[超低床電車]]である[[豊橋鉄道T1000形電車|T1000形「ほっトラム」]]の導入を機に、モ3203はストロークリーム地に赤帯を巻く「新豊鉄色」に塗り替えられ、2008年[[12月27日]]より新塗装での運転を開始した<ref>[https://railf.jp/news/2009/03/04/150300.html 「豊橋鉄道東田本線で旧塗装車両運転中」] - 鉄道ファン (railf.jp) 2009年3月4日掲載。2019年7月25日閲覧</ref>。

この「新豊鉄色」のモ3203は、翌[[2009年]](平成21年)夏のイベント列車「納涼ビール電車」の運行に、前年までの[[豊橋鉄道モ3100形電車|モ3100形(モ3102)]]に代わって就いた<ref>[https://railf.jp/news/2009/07/07/200000.html 「豊橋鉄道で『納涼ビール電車』運転」] - 鉄道ファン (railf.jp) 2009年7月7日掲載。2019年7月25日閲覧</ref>。そのほか、冬のイベント列車「おでんしゃ」<!--2011年度冬から-->の運行や、10月の「[[豊橋まつり]]」を記念した[[花電車]]としての運行がなされるようになり<ref>[https://railf.jp/news/2011/12/18/130200.html 「豊橋鉄道東田本線で『おでんしゃ』運転」] - 鉄道ファン (railf.jp) 2011年12月18日掲載。2019年7月25日閲覧</ref><ref>[https://railf.jp/news/2012/10/21/124800.html 「豊橋鉄道市内線で花電車を運転」] - 鉄道ファン (railf.jp) 2012年10月21日掲載。2019年7月25日閲覧</ref>、2018年時点では装飾のない状態で運行される方が珍しくなっている<ref name="handbook"/>。
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{Commons|Category:Toyotetsu Mo 3200 series|豊橋鉄道モ3200形電車}}
* 『鉄道ピクトリアル』 [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]]

** 「私鉄車両めぐり (27) 名古屋鉄道」 通巻63 - 67号(1956年10月 - 1957年2月号)
'''書籍'''
** 「私鉄車両めぐり (46) 名古屋鉄道」 通巻120号(1961年7月号)
* [[朝日新聞社]](編)
** 「私鉄車両めぐり (87) 名古屋鉄道」 通巻246 - 249号(1971年1月 - 4月号)
** {{Cite book|和書|author= |title=世界の鉄道 '64 |publisher=朝日新聞社 |year=1963 |ref=rw64 }}
** 「私鉄車両めぐり (115) 名古屋鉄道」 通巻370号(1979年12月増刊号)
** {{Cite book|和書|author= |title=世界の鉄道 '73 |publisher=朝日新聞社 |year=1972 |ref=rw73 }}
** その他関連記事掲載各号
* {{Cite book|和書|author=飯島巌・白井良和・井上広和 |title=復刻版 私鉄の車両 |volume=11 名古屋鉄道 |publisher=[[ネコ・パブリッシング]] |year=2002 |isbn=978-4-87366-294-7 |ref=prc11 }}
* [[白井昭]]・白井良和・井上広和 カラーブックス#521 日本の私鉄4 『名鉄』 保育社 1981年
* {{Cite book|和書|author=ジェー・アール・アール(編) |title=私鉄車両編成表2018 |publisher=[[交通新聞社]] |year=2018 |isbn=978-4330897189 |ref=jrr2018 }}
* 白井良和・井上広和 私鉄の車両11 『名古屋鉄道』 保育社 1985年 ISBN 4-586-53211-4
* {{Cite book|和書|author=清水武 |title=RM LIBRARY130 名鉄岐阜線の電車(下) |publisher=[[ネコ・パブリッシング]] |year=2010 |isbn=4-7770-5287-7 |ref=rml130}}
* [[東京工業大学]]鉄道研究部 『路面電車ガイドブック』 誠文堂新光社 1976年
* {{Cite book|和書|author=鉄道図書刊行会(編) |title=日本民営鉄道車両形式図集 |volume=下編 |publisher=鉄道図書刊行会 |year=1976 |ref=zushu2 }}
* 日本路面電車同好会名古屋支部 『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 トンボ出版 1999年 ISBN 4-88716-125-5
* {{Cite book|和書|author=[[東京工業大学]]鉄道研究部(編) |title=路面電車ガイドブック |publisher=[[誠文堂新光社]] |year=1976 |ref=guidebook }}
* {{Cite book|和書|author=日本路面電車同好会 |title=日本の路面電車ハンドブック |volume=2018年版 |publisher=日本路面電車同好会 |year=2018 |ref=handbook2018 }}
* {{Cite book|和書|author=日本路面電車同好会名古屋支部 |title=路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋 |publisher=[[トンボ出版]] |year=1999 |isbn=4-88716-125-5 |ref=machinami }}

'''雑誌記事'''
* 『[[鉄道ピクトリアル]]』各号
** {{Cite journal|和書|author=渡辺肇 |title=私鉄車両めぐり〔27〕 名古屋鉄道 (4) |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第7巻第1号(通巻66号) |publisher=[[電気車研究会]] |date=1957-01 |pages=59-63 |ref=rp66 }}
** {{Cite journal|和書|author=吉雄永春 |title=台車のすべて〔13〕 |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第9巻第10号(通巻99号) |publisher=電気車研究会 |date=1959-10 |pages=50-53 |ref=rp99 }}
** {{Cite journal|和書|author=渡辺肇・加藤久爾夫 |title=私鉄車両めぐり〔87〕 名古屋鉄道 (2) |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第21巻第2号(通巻247号) |publisher=電気車研究会 |date=1971-02 |pages=58-65 |ref=rp247 }}
** {{Cite journal|和書|author=西村幸格 |title=路面電車の車両現況 名古屋鉄道岐阜市内線 |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第26巻第4号(通巻319号) |publisher=電気車研究会 |date=1976-04 |pages=68-70 |ref=rp319 }}
** {{Cite journal|和書|author=藤野政明・加藤英彦 |title=私鉄車両めぐり〔115〕名古屋鉄道 |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第29巻第12号(通巻370号) |publisher=電気車研究会 |date=1979-12 |pages=92-109 |ref=rp370 }}
** {{Cite journal|和書|author=横山真吾 |title=路面電車の制御装置とブレーキについて |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第50巻第7号(通巻688号) |date=2000-07 |pages=86-90 |ref=rp688-1 }}
** {{Cite journal|和書|author=内山知之 |title=日本の路面電車現況 豊橋鉄道東田本線 |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第50巻第7号(通巻688号) |publisher=電気車研究会 |date=2000-07 |pages=188-191 |ref=rp688 }}
** {{Cite journal|和書|author=渡利正彦 |title=岐阜市内、揖斐・谷汲、美濃町線の記録 |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第56巻第1号(通巻771号) |publisher=電気車研究会 |date=2006-01 |pages=114-123 |ref=rp771 }}
** {{Cite journal|和書|author=内山知之 |title=日本の路面電車各社局現況 豊橋鉄道東田本線 |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第61巻第8号(通巻852号) |publisher=電気車研究会 |date=2011-08 |pages=175-180 |ref=rp852 }}
* 「新車年鑑」・「鉄道車両年鑑」(『鉄道ピクトリアル』臨時増刊号)各号
** {{Cite journal|和書|title=新車年鑑1995年版 |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第45巻第10号(通巻612号) |publisher=電気車研究会 |date=1995-10 |ref=rp612 }}
** {{Cite journal|和書|title=新車年鑑1996年版 |journal=鉄道ピクトリアル |volume=第46巻第10号(通巻628号) |publisher=電気車研究会 |date=1996-10 |ref=rp628 }}
* {{Cite journal|和書|author=松宮惣一 |title=住友台車の歩んで来た道(第1報) |journal=住友金属 |volume=第20巻第4号 |publisher=[[住友金属工業]] |date=1968-10 |pages=429-448 |ref=sumi196810 }}
* {{Cite journal|和書|author=松宮惣一 |title=住友台車の歩んで来た道(第2報) |journal=住友金属 |volume=第21巻第1号 |publisher=住友金属工業 |date=1969-01 |pages=63-109 |ref=sumi196901 }}


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2019年7月26日 (金) 04:01時点における版

名鉄モ580形電車
豊橋鉄道モ3200形電車
豊橋鉄道モ3200形3203
(元名鉄モ580形582・2009年1月撮影)
基本情報
運用者 名古屋鉄道(名鉄)
豊橋鉄道(豊鉄)
製造所 日本車輌製造
製造年 1955年1956年
製造数 4両 (581 - 584)
豊鉄には3両転出 (3201 - 3203)
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流600 V架空電車線方式
車両定員 80人(座席28人)
車両重量 16.0 t
16.8 t(冷房車)[1]
全長 12,300 mm
全幅 2,236 mm
全高 3,742 mm(ビューゲル設置車)
3,690 mm(菱形パンタ設置車)
4,000 mm(Z型パンタ設置車)
車体 半鋼製車体
台車 住友金属工業 KS-40J
日本車輛製造 NS-9
主電動機 直流直巻電動機 MT-60A
主電動機出力 37.3 kW
搭載数 2基 / 両
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 4.5 (63:14)
定格速度 22.3 km/h
定格引張力 1,260 kg
制御装置 直接制御器
制動装置 直通ブレーキ (SM-3)
備考 出典:『世界の鉄道 '64』174-175頁・『路面電車と街並み』258・260頁
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名鉄モ580形電車(めいてつモ580がたでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が同社の軌道路線において運用する目的で、1955年昭和30年)から翌1956年(昭和31年)にかけて導入した路面電車車両である。

モ580形(以下「本形式」)はモ581 - モ584の計4両が製造され、岐阜市内線美濃町線で運用されたのち、名鉄では1976年(昭和51年)から1981年(昭和56年)にかけて廃車され、1両を除いて豊橋鉄道へ譲渡されてモ3200形と改形式・改番された。

製造

本形式は4両とも日本車輌製造にて製造された[2]。モ581・モ582の2両は1955年(昭和30年)3月、モ583は翌1956年(昭和31年)5月、モ584は同年9月にそれぞれ竣工した[2]太平洋戦争後の名鉄軌道線用新造車としてはモ570形に続いて2形式目である[3]

構造

車体

本形式は半鋼製車体を持つボギー車である[4]。車体の最大寸法は長さ12.3メートル、幅2.236メートルで、先に製造されたモ570形と同一[4]。全高は集電装置によって異なり、ビューゲルの場合3.742メートル、菱形パンタグラフの場合3.69メートル[4]Z形パンタグラフの場合4.0メートルとなる[2]。自重は16.0トン[4]

主要寸法はモ570形を踏襲するが、車体中央にも客用扉を設置し3扉車とされた点や、屋根・前面の丸みが少なくなった点が異なる[5]。前面は3枚の窓で構成され、側面窓は車端部の運転台脇部分に1枚ずつ、ドア間に4枚ずつの配置(窓配置=1D4D4D1)である[6]ノーシル・ノーヘッダー構造だが側面窓上に雨樋がつく[2]。客用扉はすべて幅1.0メートルで、両端の客用扉は車端部に収容される形の二枚引き扉、中央の客用扉は外側から見て左手に開く一枚引きの片開扉という構造[6]。ドアステップはレール面上37センチメートルの位置にあり[6]、扉の開閉に連動して展開される補助ステップが付属した[7]。なお中央扉は名古屋市電の3扉車と同様に、後部の車掌が操作する乗車専用扉として運用された[7]

前照灯は岐阜線の他形式と同様、屋根上に設置された[5]1969年(昭和44年)から翌年にかけて前照灯はシールドビームに変更され小型化されている[7]尾灯は窓下左に配置[2]。窓上には中央部に小型の方向幕が設けられたが、当初から行先標を併用しており、モ570形と同様、後に使用されなくなり埋められている[7]

車体塗装は、軌道線標準色である窓下濃緑色・上部クリーム色のツートンカラーで登場した[5][8]。その後1975年(昭和50年)7月より、新たに名鉄の標準色となった名鉄スカーレットへの塗り替えが順次進められた[9]

内装についてはロングシートを採用し、それぞれのドア間、すなわち計4か所に幅2.77メートルの座席が置かれる[6]。定員は座席28人・立席52人の計80人[6]。室内灯には名鉄の軌道線用車両としては初めて蛍光灯が採用された[8]

主要機器

KS-40J台車(豊橋鉄道移籍後・2010年)
運転台(豊橋鉄道移籍後・2017年)

台車はモ581 - モ583の3両が住友金属工業製KS-40J、モ584が日本車輌製造製NS-9を装着する[8]。KS-40J形はブリル77E形のコピー品で、鋳鋼製の台車枠側梁と平行に重ね板バネを渡す点を特徴とする製造当時の標準型路面電車用台車[10][11]。メーカーの製造番号はH-2287[10]。モ570形のうち2両も同型の台車を装着する[10]。一方NS-9形はメーカー試作[5]のオールコイルバネ台車である[7]軸距はKS-40Jが1,370ミリメートル、NS-9が1,400ミリメートル、車輪径は両形式とも660ミリメートル[12]

主電動機はモ570形でも採用された神鋼電機製のMT-60A(端子電圧600ボルト・出力37.3キロワット)を1両当たり2基搭載する[12][13]。駆動装置は吊り掛け駆動方式であり、歯車比は4.5 (63:14) に設定されている[12][13]

制御装置は直接制御器を使用する[12]。形式は2つあり、モ581・モ582は日立製作所製DR-BC447、モ583・モ584は日本車輌製造製NC103を搭載する[13]。うち日立製制御器は鉄道線モ180形(元琴平急行電鉄デ1形)から転用されたものである[14]

集電装置は、製造当時の装備ではモ581 - モ583の3両がビューゲル、モ584のみ菱形パンタグラフであった[7]1974年(昭和49年)にモ581 - モ583の集電装置がZ形パンタグラフに交換される[7]。またモ584は1968年(昭和43年)ごろに一時ビューゲル化された後菱形パンタグラフに戻され、さらに豊橋鉄道転出直前にはZ形パンタグラフに交換されていた[7]

名鉄時代の運用と廃車

1955・56年に製造された本形式は、初め岐阜市内線へと投入された[5]。その後市内線・揖斐線直通列車(1967年(昭和42年)12月運転開始)にモ510形・モ520形が転用されたのに伴い、入れ替わりで本形式が美濃町線へと投入された[15]

しばらく美濃町線での運用が続くが、札幌市電から連接車モ870形が転入したのに伴いまずモ584が余剰となり[7]1976年(昭和51年)11月30日付で廃車された[16]。残るモ581 - モ583については集電装置の変更のほか、1976年(昭和51年)に正面ワイパーの自動化、翌1977年(昭和52年)には放送装置の新設工事がそれぞれ施工され、引き続き美濃町線で使用された[17]。しかし連接車モ880形の新造に伴い残る3両も余剰となり[7]1980年(昭和55年)12月15日付で廃車されて本形式は形式消滅となった[16]

このうち、後述する豊橋鉄道への譲渡対象から除外されたモ583は同時期に廃車となった850系「なまず」852編成などとともに南知多ビーチランドにおいて静態保存された[18]が、後年解体処分され現存しない[3]

豊橋鉄道への譲渡

入線に伴う改造

豊橋鉄道でのモ3202の内装(2019年4月)

名鉄において余剰になったモ580形4両のうち、前述モ583を除いた3両については、東田本線(市内線)の車両体質改善を目的に豊橋鉄道が購入した[19]。豊橋鉄道における形式名は「モ3200形」で、最初に入線したモ584がモ3201、続いて入線したモ581がモ3202、モ582がモ3203と改番されている[19]。豊橋鉄道での竣工日はモ3201が1976年12月24日付、モ3202・モ3203が1981年(昭和56年)1月12日付である[20]

豊橋鉄道での入線にあたり、3両とも赤岩口の自社工場にて改造工事が施工された(2次車については名鉄岐阜工場で準備工事を施工した上で搬入)[19]。その改造内容は、

  • ワンマン運転対応化
    • 豊橋鉄道市内線のワンマン運転方式は、運賃前払いの前乗り・中降り方式[1]
  • 前照灯を屋根上から正面中央窓下へ移設
  • 正面中央窓を、他形式と同様のHゴム固定に変更
  • 方向幕を再設置
  • 屋根上へ雨樋を新設
  • Z形パンタグラフを屋根上中央部へ移設
  • ストロークリーム地に赤い帯を巻いた「新豊鉄色」へ塗装変更

といったものである[19]。このうち方向幕再設置については、最初のモ3201は名鉄時代に埋められていたものを復活させただけで小型のままであったが、2次の2両では寸法を拡大して施工された[19]。この改善は後にモ3201にも波及している[19]

モ3200形の導入により、戦前製のモ3700形モ3800形各1両が置き換えられ、モ3700形で残った1両(モ3702)も予備車となった[21]

冷房化とその後の改造

本形式はモ3100形7両に続いて冷房設置工事が施工され、モ3201が1994年(平成6年)7月10日[22]、モ3202・モ3203が翌1995年(平成7年)6月30日付でそれぞれ竣工した[23]。搭載された冷房装置は三菱電機製CU77A型で[20]、冷房車は自重が16.8トンになった[1]。冷房化と同時に、車体についてもすべての窓枠のアルミサッシ化、角型尾灯への交換、雨樋の移設といった改造が施されている[19]

2005年(平成17年)になり、他の2両とは別形式であったモ3201の台車が、名鉄から譲り受けたモ570形廃車発生品のKS-40Jに取り替えられた[1]。これにより台車は3両ともKS-40Jに統一された[1]

車内機器では、2011年(平成23年)2月11日ICカード乗車券manaca」運用開始に伴い、ICカード対応運賃箱や旅客案内ディスプレイが車内に設置された[24]

広告車としての利用

本形式は前述の通り「新豊鉄色」と呼ばれる塗装で入線したが、1990年(平成2年)より順次全面広告車両となった[19]。ただしモ3203に関しては2008年(平成20年)に「新豊鉄色」へ復元されている(下記#モ3203のイベント利用)。2018年4月1日時点における広告スポンサーは以下の通り[25]

モ3203のイベント利用

「おでんしゃ」として運行中のモ3203(2018年11月)

超低床電車であるT1000形「ほっトラム」の導入を機に、モ3203はストロークリーム地に赤帯を巻く「新豊鉄色」に塗り替えられ、2008年12月27日より新塗装での運転を開始した[27]

この「新豊鉄色」のモ3203は、翌2009年(平成21年)夏のイベント列車「納涼ビール電車」の運行に、前年までのモ3100形(モ3102)に代わって就いた[28]。そのほか、冬のイベント列車「おでんしゃ」の運行や、10月の「豊橋まつり」を記念した花電車としての運行がなされるようになり[29][30]、2018年時点では装飾のない状態で運行される方が珍しくなっている[24]

脚注

  1. ^ a b c d e 「日本の路面電車各社局現況」(2011)
  2. ^ a b c d e 『路面電車ガイドブック』122-129頁
  3. ^ a b 『RM LIBRARY130 名鉄岐阜線の電車(下)』23-27頁
  4. ^ a b c d 『世界の鉄道 '64』174-175頁
  5. ^ a b c d e 「私鉄車両めぐり〔27〕」
  6. ^ a b c d e 『日本民営鉄道車両形式図集』下編35頁
  7. ^ a b c d e f g h i j 『路面電車と街並み』148-149頁
  8. ^ a b c 「私鉄車両めぐり〔87〕」
  9. ^ 「路面電車の車両現況」(1976)
  10. ^ a b c 「台車のすべて〔13〕」
  11. ^ 『住友金属』第20巻4号63頁・『住友金属』第21巻1号64-65頁
  12. ^ a b c d 『世界の鉄道 '73』174-175頁
  13. ^ a b c 『路面電車と街並み』258頁
  14. ^ 『RM LIBRARY130 名鉄岐阜線の電車(下)』9-10頁
  15. ^ 「岐阜市内、揖斐・谷汲、美濃町線の記録」
  16. ^ a b 『復刻版 私鉄の車両』11 179頁
  17. ^ 「私鉄車両めぐり〔115〕」
  18. ^ 『復刻版 私鉄の車両』11 105頁
  19. ^ a b c d e f g h 『路面電車と街並み』234-235頁
  20. ^ a b 『路面電車と街並み』252頁
  21. ^ 『路面電車と街並み』224-229頁
  22. ^ 「新車年鑑1995年版」93・191頁
  23. ^ 「新車年鑑1995年版」95・190頁
  24. ^ a b 『日本の路面電車ハンドブック』2018年版54-58頁
  25. ^ 『私鉄車両編成表2018』96頁
  26. ^ 「豊橋鉄道モ3201に『ブラックサンダー』のラッピング」 - 鉄道ファン (railf.jp) 2013年5月19日掲載。2019年7月25日閲覧
  27. ^ 「豊橋鉄道東田本線で旧塗装車両運転中」 - 鉄道ファン (railf.jp) 2009年3月4日掲載。2019年7月25日閲覧
  28. ^ 「豊橋鉄道で『納涼ビール電車』運転」 - 鉄道ファン (railf.jp) 2009年7月7日掲載。2019年7月25日閲覧
  29. ^ 「豊橋鉄道東田本線で『おでんしゃ』運転」 - 鉄道ファン (railf.jp) 2011年12月18日掲載。2019年7月25日閲覧
  30. ^ 「豊橋鉄道市内線で花電車を運転」 - 鉄道ファン (railf.jp) 2012年10月21日掲載。2019年7月25日閲覧

参考文献

書籍

  • 朝日新聞社(編)
    • 『世界の鉄道 '64』朝日新聞社、1963年。 
    • 『世界の鉄道 '73』朝日新聞社、1972年。 
  • 飯島巌・白井良和・井上広和『復刻版 私鉄の車両』 11 名古屋鉄道、ネコ・パブリッシング、2002年。ISBN 978-4-87366-294-7 
  • ジェー・アール・アール(編)『私鉄車両編成表2018』交通新聞社、2018年。ISBN 978-4330897189 
  • 清水武『RM LIBRARY130 名鉄岐阜線の電車(下)』ネコ・パブリッシング、2010年。ISBN 4-7770-5287-7 
  • 鉄道図書刊行会(編)『日本民営鉄道車両形式図集』 下編、鉄道図書刊行会、1976年。 
  • 東京工業大学鉄道研究部(編)『路面電車ガイドブック』誠文堂新光社、1976年。 
  • 日本路面電車同好会『日本の路面電車ハンドブック』 2018年版、日本路面電車同好会、2018年。 
  • 日本路面電車同好会名古屋支部『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』トンボ出版、1999年。ISBN 4-88716-125-5 

雑誌記事

  • 鉄道ピクトリアル』各号
    • 渡辺肇「私鉄車両めぐり〔27〕 名古屋鉄道 (4)」『鉄道ピクトリアル』第7巻第1号(通巻66号)、電気車研究会、1957年1月、59-63頁。 
    • 吉雄永春「台車のすべて〔13〕」『鉄道ピクトリアル』第9巻第10号(通巻99号)、電気車研究会、1959年10月、50-53頁。 
    • 渡辺肇・加藤久爾夫「私鉄車両めぐり〔87〕 名古屋鉄道 (2)」『鉄道ピクトリアル』第21巻第2号(通巻247号)、電気車研究会、1971年2月、58-65頁。 
    • 西村幸格「路面電車の車両現況 名古屋鉄道岐阜市内線」『鉄道ピクトリアル』第26巻第4号(通巻319号)、電気車研究会、1976年4月、68-70頁。 
    • 藤野政明・加藤英彦「私鉄車両めぐり〔115〕名古屋鉄道」『鉄道ピクトリアル』第29巻第12号(通巻370号)、電気車研究会、1979年12月、92-109頁。 
    • 横山真吾「路面電車の制御装置とブレーキについて」『鉄道ピクトリアル』第50巻第7号(通巻688号)、2000年7月、86-90頁。 
    • 内山知之「日本の路面電車現況 豊橋鉄道東田本線」『鉄道ピクトリアル』第50巻第7号(通巻688号)、電気車研究会、2000年7月、188-191頁。 
    • 渡利正彦「岐阜市内、揖斐・谷汲、美濃町線の記録」『鉄道ピクトリアル』第56巻第1号(通巻771号)、電気車研究会、2006年1月、114-123頁。 
    • 内山知之「日本の路面電車各社局現況 豊橋鉄道東田本線」『鉄道ピクトリアル』第61巻第8号(通巻852号)、電気車研究会、2011年8月、175-180頁。 
  • 「新車年鑑」・「鉄道車両年鑑」(『鉄道ピクトリアル』臨時増刊号)各号
    • 「新車年鑑1995年版」『鉄道ピクトリアル』第45巻第10号(通巻612号)、電気車研究会、1995年10月。 
    • 「新車年鑑1996年版」『鉄道ピクトリアル』第46巻第10号(通巻628号)、電気車研究会、1996年10月。 
  • 松宮惣一「住友台車の歩んで来た道(第1報)」『住友金属』第20巻第4号、住友金属工業、1968年10月、429-448頁。 
  • 松宮惣一「住友台車の歩んで来た道(第2報)」『住友金属』第21巻第1号、住友金属工業、1969年1月、63-109頁。