西武モハ200形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

西武モハ200形電車(せいぶモハ200がたでんしゃ)は現在の西武鉄道(2代)の前身の一つで現在の西武新宿線西武国分寺線西武園線に相当する路線を運営していた西武鉄道(初代)が1941年に増備した通勤形電車である。

概要[編集]

1941年に西武鉄道が13年ぶりに増備した電車で、201 - 210の10両が製造された。

梅鉢鉄工所製の半鋼製17m車。緩い曲面を持つ前面非貫通3枚窓の両運転台車で、側面片開き3扉。窓配置はd1D4D4D1d[1]の典型的な「関東形」と呼ばれるもの。側窓は一段上昇窓でノーヘッダである点が特徴。台車は、私鉄電車台車がイコライザー式全盛だった当時、国鉄TR23形台車酷似の軸バネ式台車を採用、珍しい事例となった(この台車は後年200形に別のイコライザー台車を充当することで捻出され、西武鉄道社内で他の電動車に転用された)。

1927年 - 1928年に製造されたモハ550形・クハ600形以降、西武鉄道では不況による経営難から1930年代の間、新造車両は全く登場しなかった[2]。その厳しい状況はモハ200形新造時点でも脱しておらず、モハ200も車体・台車は新造だったが、電装品は在来木造車であるモハ500形からの流用品で賄われ、制御車となった同形(クハ1200形。後のクハ1251形)と編成を組んで使用された。

1945年の武蔵野鉄道との合併による西武農業鉄道(→西武鉄道)発足を経て、1948年6月の一斉改番でモハ251形(初代)251 - 260となった。

1950年代に片運転台化と側窓の2段上昇窓化、電装品の国鉄払い下げ品への振り替え等が行われ、また1954年8月にはモハ221形(2代)221 - 230へ改番された。

更に1958年10月に、221 - 224・230が電装解除され、形式・車番は原番号に1000を足したクハ1221形1221 - 1224・1230となった。

しかしその時から371系501系の増備により廃車が始まり、1963年の227-1222を最後に全車地方私鉄へ譲渡され、形式消滅した。

譲渡[編集]

山形交通

まず半数の電装解除が済んだのと同じ1958年10月に225が、続いて1960年6月に1224が所沢車両工場で前面の2枚窓化・再両運転台化、1224については再電装化の改造を受け山形交通に譲渡され、モハ100形111・112となって同社三山線に配置された。

1974年11月の同線廃線後は高松琴平電気鉄道に譲渡され、同社780形780・790、後に電装解除の上860形860・870となって1998年に廃車された。

一畑電気鉄道

1960年 - 1961年の間に228-1230・229-1221・226-1223の2両編成3本が所沢車両工場で側面2扉化・車内のセミクロスシート化改造を受け同社60系(初代)のデハ60形(初代)61・62・63-クハ160形161・162・163となり同社で特急・急行に使用された。

80系(元451系)の導入により61(初代)-161・62(初代)-162が1982年9月、63-163が1985年3月に廃車された。

豊橋鉄道

1963年5月に最後まで残っていた227-1222が譲渡され、同社1700系モ1700形1701-ク1750形1751として渥美線に配置された。1968年の一斉改番で1751はク2700形2701となっている。

1989年1900系導入終了に伴い余剰休車となり、1997年7月の架線電圧1500V昇圧に伴い同年9月末付けで廃車された。

性能諸元[編集]

  • モハ251形
    • 全長 - 17,000mm
    • 全高 - 4,162mm
    • 全幅 - 2,600mm
    • 自重 - 38.0t
    • 定員 - 106人(座席40人)
    • 制御装置 - 電磁空気カム軸式
    • 主電動機
      • 定格出力 - 86kW×4
      • 歯数比 - 19:65=1:3.42
    • 制動方式 - 制御管式自動空気ブレーキ及び手ブレーキ
    • 台車 -軸バネ式

脚注[編集]

  1. ^ dは乗務員室扉、Dは客用扉、数字は扉の間の窓の数を表す。
  2. ^ 現在の西武池袋線豊島線狭山線に相当する路線を運営していた武蔵野鉄道に於いても同様に1930年代の間、車両増備はなかった。