千葉港

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千葉港
Chiba Port(JP_CHB)
千葉港の工場夜景
所在地
日本の旗 日本
所在地 千葉県千葉市船橋市
市川市市原市習志野市袖ケ浦市
座標 北緯35度36分17.1秒 東経140度05分59.2秒 / 北緯35.604750度 東経140.099778度 / 35.604750; 140.099778座標: 北緯35度36分17.1秒 東経140度05分59.2秒 / 北緯35.604750度 東経140.099778度 / 35.604750; 140.099778
詳細
開港 1954年(昭和29年7月)
管理者 千葉県
種類 国際拠点港湾
面積 約24,800ha
LOCODE JP CHB
統計
統計年度 2015年度(参考)
発着数 約6万6千隻(入港数のみ)
貨物取扱量 約1億7千万t
コンテナ数 約4万2千TEU
貨物総額 約3兆円規模(貿易額)

千葉港(ちばこう、:Chiba Port)は、千葉県千葉市中央区中央港(千葉港区の拠点、千葉港[1])及び船橋市浜町(葛南港区の拠点、船橋港)を主とし、市川市習志野市市原市袖ケ浦市にわたる港湾法上の国際拠点港湾である。港則法上の特定港に指定されており、日本三大貿易港に含まれる。

京葉工業地帯の拠点港であり、貨物取扱量は全国第2位、貿易額は全国第4位、入港船舶隻数は全国6位、入港船舶総トン数は全国第4位、港湾空間規模は日本一を誇る[2][3]。日本8大工場夜景、日本11大工場夜景にも選定されている。

概要

千葉港の夜景

千葉港は、東京湾奥部にあり、北は市川市より南は袖ケ浦市まで海岸線の総延長約 133 キロメートルと、京葉工業地帯のほぼ全域にまたがる国際拠点港湾(拠点港、工業港)である。港湾空間規模は 日本一を誇り、日本三大貿易港の一つに数えられる。港湾管理者は千葉県。国連欧州経済委員会(UNECE)が制定している海港コード(UN/LOCODE)は「JP_CHB[4][5]

日本のほぼ中央部に位置する東京湾の湾奥部に位置し、その海岸線延長は約133kmに及ぶ。後背地には、政令指定都市及び県庁所在地である千葉市中核市最大の人口を誇る船橋市、50万都市の市川市のほか、市原市習志野市袖ケ浦市の6市が所在し、これらの市の人口はあわせて約260万人であり、大規模商圏における工業都市として発展している。

1954年(昭和29年)7月1日に国際貿易港として関税法の「開港」に指定され、その後、1965年(昭和40年)には特定重要港湾に指定。1968年(昭和43年)の千葉港の港湾区域拡張により地方港湾で会った船橋港が千葉港に編入され、その結果、千葉港は6市の地先水面を港湾区域とする大港湾となり、現在は約24,800haと日本一広い水域面積を有している。更に、2011年(平成23年)4月には国際拠点港湾に指定されるなど、日本を代表する国際貿易港に成長している。主な施設として千葉港コンテナターミナル、JFEスチール東日本製鉄所、大型火力発電所を擁する。

千葉中央地区の蘇我地域には、JFEスチールがあり、企業城下町となっている。

港の区分

千葉港には、千葉港区葛南港区の2つの港区があり、千葉港区は中央港(千葉市)を拠点とし、千葉市、市原市、袖ケ浦市に展開しており、葛南港区は船橋港(船橋市を主に、市川市、船橋市、習志野市に展開している。

港は、最北の市川市から時計回りに葛南港区(葛南西部地区、葛南中央地区、葛南東部地区)、千葉港区(千葉北部地区、千葉中央地区、千葉南部地区、八幡地区、五井地区、姉崎地区、北袖ケ浦地区、南袖ケ浦地区)の11地区に分かれている。葛南港区の拠点港は船橋港(船橋市浜町)となっており、千葉港区の拠点港は千葉港(千葉市中央区中央港)となっている。

名称

広義の「千葉港」は千葉市、船橋市、市川市・習志野市・市原市・袖ケ浦市にわたる港湾法上の国際拠点港湾のことを指す。

狭義の千葉港

狭義の千葉港は千葉中央ふ頭(千葉市中央区千葉港、中央港及び千葉市美浜区新港)を指す。千葉みなと桟橋税関検疫所が入る千葉港湾合同庁舎、千葉ポートタワー千葉ポートパークなど港湾施設が集中しており、更にJR東日本千葉都市モノレールの「千葉みなと駅」もあるため、一般的に千葉港の場所を表す場合は千葉中央ふ頭及び千葉みなと駅周辺(主に中央港)を指す場合が多い。

地名としての千葉港

千葉市中央区には「千葉港」という地名がある。1970年(昭和45年)に起立。JR東日本千葉都市モノレール千葉みなと駅」の東口(市街地)に位置し、元は千葉市新田町、新宿町1丁目、中央港の各一部。昭和に入って市域に編入された埋立地。地名は千葉港の中心的位置にあることから港の玄関口として「千葉港」を採用したという経緯がある。この地区には千葉市役所入国管理局千葉出張所、みなと公園などがある。

中央港・千葉中央ふ頭

1967年(昭和42年)に起立。千葉港(地名)から更に東京湾に近づく場所に位置する。埋立地であったため元となる地名は無く、地名は海の玄関口として中心的な地域であったことから「中央港」と命名した経緯を持つ[6]。港湾施設が集中する千葉中央ふ頭のほとんどを含んでおり、更にJR東日本千葉都市モノレールの「千葉みなと駅」の地名も中央港のため、狭義の千葉港を表す場合はこの地区を指す。

公共主要施設

県営上屋14棟、46,782㎡、荷捌地391,595㎡、野積場377,374㎡が整備されている。千葉中央ふ頭においては、1994年(平成6年)6月コンテナターミナル開設以来、1基で運用してきたガントリークレーンが、平成9年3月に増設され、2基による運用となる。

岸壁

  • 公共けい船岸壁は総延長11,240m
  • 物揚場等は総延長8,339m
  • 94バース

埠頭

  • 市川ふ頭
  • 船橋中央ふ頭
  • 船橋東ふ頭
  • 千葉中央ふ頭
  • 出洲ふ頭
  • 市原ふ頭
  • 袖ヶ浦ふ頭
  • 千葉みなと桟橋(旅客船桟橋)
  • 円形桟橋(展望デッキ)[7]

港湾緑地

  • 千葉ポートパーク
  • 千葉みなと港湾緑地
  • 茜浜緑地
  • 花の駅そが
  • ビオトープそが(東京電力 千葉火力発電所)
  • 袖ケ浦海浜公園
  • 船橋ボートパーク
  • 船橋港親水公園

千葉港区

市原市五井地区上空写真

拠点港「千葉港(千葉みなと)」、所在地は千葉県千葉市中央区中央港1丁目6

  • 千葉北部地区

千葉北部地区には幕張新都心や海浜公園が立地し、また前面の水際線には、日本一長い人工海浜が整備され、県内外から多くの人々が訪れる地区となっている。

  • 千葉中央地区

千葉中央地区の千葉中央ふ頭では、主にコンテナ貨物と完成自動車貨物を取り扱っている。千葉港コンテナターミナルは、千葉港の商港的機能の強化を図るため1994年(平成6年)6月に開設、ガントリークレーン1基で供用していたが、1997年(平成9年)3月に更に1基増設し、現在では2基体制となっている。また、千葉ポートパーク、千葉みなと旅客船桟橋があり、人々の憩いの場や賑わいの場となっている。

千葉中央地区の出洲ふ頭では、主にRORO船貨物(紙・パルプ、化学工業品、鋼材)を取り扱っている。野積み場には製材や鋼材等が保管されている。

千葉中央ふ頭及び出洲ふ頭には耐震強化岸壁が1バースずつ整備されており、大規模災害時には緊急物資の輸送を担う。千葉中央ふ頭の西側は専用岸壁で構成されており、背後に立地する食品業者やLPG基地などが利用している。

  • 千葉南部地区

千葉南部地区には鉄鋼製品メーカー等が立地している。また、商業施設や緑地が位置しており、人々が集う場所にもなっている。

  • 八幡地区
  • 五井地区
  • 姉崎地区
  • 北袖ケ浦地区
  • 南袖ケ浦地区

八幡地区、五井地区、姉崎地区、北袖ケ浦地区、南袖ケ浦地区には、石油製品や化学工業品メーカー等の企業が立地し、京葉臨海コンビナートが形成されており、専用岸壁による貨物の取扱いが主要となっている。

葛南港区

拠点港「船橋港」、所在地は千葉県船橋市浜町3丁目2−4

  • 葛南中央地区

葛南中央地区の公共岸壁の主要貨物は、金属くず、鋼材、砂・砂利貨物となっている。岸壁の背後の野積み場では、これらの貨物が主に保管されている。また、海浜公園が整備されており、港湾緑地による親しみある場所となっている。全面の海域には大規模な干潟である三番瀬が位置している。また、東側に位置する日の出埠頭には船橋ボートパークが位置し、プレジャーボート等が係留されている。

  • 葛南東部地区
  • 葛南西部地区

葛南東部地区には鋼材業者や港運業者、食品業者、自動車関係業者等が立地しており、これらの企業が扱う完成自動車貨物などが専用岸壁で取り扱われている。公共岸壁では、砂・砂利貨物などの取扱いを行っている。

葛南西部地区は鋼材業者や物流センター等が立地する物流拠点となっている。

歴史

鎌倉・室町時代

千葉港の起源

千葉市内を流れる都川

鎌倉時代には鎌倉幕府を開いた源頼朝の重鎮であった千葉常胤の父・千葉常重1126年大治元年)に亥鼻千葉県千葉市中央区亥鼻町)に居館(亥鼻城)を構えており、都川周辺は亥鼻城址として栄え、下総国令制国上の千葉県千葉市)の地方船着場として都川河口(現在の千葉市中央区寒川町付近)を下総国の「」として利用されていたことが起源とされている[8][9]

下総国の港から西へ東京湾を渡った相模国金沢(現在の神奈川県横浜市金沢区)の称名寺には、鎌倉時代の千葉寺や千葉市の大日寺で書写された仏教関係の文書が多数残されている。千葉寺は千葉の町並みの南に位置し、奈良時代に創建され平安時代末期の経塚がある古刹で、大日寺は町並みの北端に位置し千葉氏の墓所があった寺院である。このように、千葉の寺院で写された文書が、東京湾対岸の称名寺に多数残されているのは、僧侶が東京湾の水運を使って相模国と下総国の間を頻繁に往来していたためと考えられる[10]

室町時代の千葉の様子を伝える「千学集抄」には「結城浦」という湊の名で残されている。結城浦は「源平闘諍録」にある説話「結城浜の戦い」があった場所でもある。結城浜近隣に位置する都川河口の入り江付近にあり、下総国の市場(現在の千葉市中央区市場町付近)と都川でむすばれ、室町時代の「千葉の湊」としての役割を果たしていたと考えられる[10]

江戸時代

船橋浦と登戸浦の発展

江戸時代頃の登戸浦(富嶽三十六景)

江戸時代中頃から成田山新勝寺の参詣が盛んになるにつれ、江戸と下総国及び上総国安房国方面を結ぶ主要な道である「佐倉街道」は「成田街道」と呼ばれるようになり、その中間に位置する「船橋宿」(現在の船橋市)は交通の要として栄えた。船橋宿に流れる海老川の河口部は船橋浦と呼ばれ、船着場として利用。魚介類、米穀物等の食料品の移出を中心に江戸への頻繁な船便があり、繁栄していた。1615年(元和元年)、徳川家康及び徳川秀忠一行が船橋御殿(現在の船橋東照宮)に宿泊、献魚の功から船橋浦が御菜浦(専用磯魚場)に指定される[11]

都川周辺においても江戸時代末期頃から海運業が盛んとなり、結城浦と呼ばれていた河口は登戸浦(現在の千葉市中央区登戸)、若しくは曽我野浦(旧曾我野藩、曽我野県、現在の千葉県千葉市中央区蘇我)といった湊と呼ばれ、都川の水運で運ばれた物資を、江戸へと船で運ぶ拠点となっていた。江戸時代後期の浮世絵師である葛飾北斎の「富嶽三十六景」には浅瀬で汐干狩りを楽しむ人々や、貝で一杯になった桶を得意げに運ぶ漁師など当時の活気が描かれている。登戸浦は、江戸築地荷揚場を持ち、年貢米海産物房総半島から江戸に海上輸送する拠点の一つとなった[12]

明治・大正時代

県の誕生と港湾指定

明治初期の1873年(明治6年)に千葉県が誕生し、舟運の中心市場町県庁が置かれ、政治交通の中心として栄えた。1894年(明治27年)には国鉄による総武鉄道の開通により海運は漸次鉄道に移行し、湊は次第に衰退していった。1910年(明治43年)、県は都川河口及び全面水域を水深-2mに浚渫し船溜りを設け、民間資本でこの船溜り沿い11万㎡の出洲埋立地を作り、荷揚場を移して港湾としての端初的形態を整えた。1922年(大正11年)5月27日、内務省告示第131号により港湾指定を受けた。これが後の「千葉港」となる[9]

昭和時代

千葉港の開港

高栄丸(日本の貨物船)

1940年(昭和15年)には、東京湾臨海工業地帯計画が内務省土木会議で決定され、その一環として、千葉市今井町地先海面300haの埋立てを計画し200haの埋立てを行う[13]。翌年の1941年(昭和16年)、船橋(現在の船橋市)に流れる海老川河口の漁船溜りを4年継続で、水深-2m(面積16,800㎡)に整備。1947年(昭和22年)12月26日、御菜浦に指定され漁港として栄えた船橋浦周辺は「船橋港・市川港」と呼ばれ、運輸省告示第349号公有水面埋立法により指定港湾となった。更に翌年の1948年(昭和23年)7月16日、千葉港及び船橋・市川港の港則法に基づく港域が決定され、その後、川崎製鉄株式会社を今井町地先埋立地(現在の蘇我副都心)に誘致し、千葉県土木部千葉港湾建設事務所を設置した。1953年(昭和28年)3月25日、千葉港及び船橋港の港湾区域を決定(港管第735号、千葉県告示第149号)し、千葉県が千葉港及び船橋港の港湾管理者となった。港湾法に基づき千葉港及び船橋港が地方港湾に指定され、同年6月には、千葉航路、泊地、川崎正面岸壁が完成。同月13日、最初は民間船として、第二次世界大戦時には機雷敷設艦として多数の潜水艦を撃沈、その後遠洋商業航海船として運用された第1船高栄丸(1万DWT、大同海運)が入港した[14]

千葉港管理条例が制定し、千葉県警水上派出所、銚子測候所千葉分室、東京海上保安部千葉分室、横浜税関千葉出張所が設置された。同年9月27日港湾運送事業法に基づく2種港に指定され、1954年(昭和29年)2月27日には法務省令第14号により出入国管理令上の出入国港に指定、同年3月20日港則法に基づく特定港に指定された。

1953年(昭和28年)7月1日、千葉港(港則法上の区域、旧船橋・市川港を除く)が政令第150号により国際貿易港として関税法上開港に指定。これにより後の1982年(昭和57年)10月に、千葉港開港記念日を「7月1日」として制定された[15]

企業進出と特定重要港湾

1954年(昭和29年)10月23日、東京電力株式会社を誘致し、305,120㎡の埋立て工事に着手する。1955年(昭和31年)6月8日、公有水面埋立法に基づき、甲号港湾に指定。翌年の1956年(昭和32年)5月20日、港湾法に基づく重要港湾に指定された。同年9月18日には五井・市原地区(市原市)6,184,000㎡の埋立て工事に着手。これらの工事により港湾区域が拡張され、千葉市及び市原市の一部地先海面が港湾区域となった。1958年(昭和33年)4月10日、運輸省令第10号により港湾調査規則上の甲種港湾に指定された。1960年(昭和35年)3月30日には県営出洲内港1号上屋が完成し供用を開始。

五井・市原地区の埋立てが完成し、電力(東京電力株式会社)、石油丸善石油株式会社)、造船三井造船株式会社)、化学チッソ石油化学株式会社旭硝子株式会社昭和電工株式会社大日本インキ株式会社)、電気古河電工株式会社富士電機株式会社)、その他(不二サッシ株式会社)等の工場が進出し、一部が操業を開始した。船橋・市川地区(船橋市、市川市)も同様に埋立て工事が進み、久保田鉄工株式会社等各種企業が進出した。更に、五井・姉崎地区(市原市)14,281,000㎡の埋立て工事に着手した。丸善石油株式会社、デンカ石油株式会社、日産石油化学株式会社日本曹達株式会社宇部興産株式会社極東石油株式会社三井石油化学株式会社出光興産株式会社、東京電力株式会社、住友千葉化学株式会社日本板硝子株式会社、吾嬬製鋼株式会社等が進出した。埋立て工事により港湾法に基づく港湾区域が変更され市原市(南部)地先海面が港湾区域となった。

1962年(昭和37年)3月28日、県営出洲内港2号上屋が完成し供用を開始した。同年10月1日検疫法上の検疫港に指定され、1965年(昭和40年)4月1日港湾法に基づく特定重要港湾に指定された[16]

船橋港・市川港の編入と開港

千葉ポートタワーから見た千葉港と東京湾 遠くに富士山を望む。埠頭の先端部にある航空管制塔のような施設が「新港信号所」

日本カーフェリー株式会社が、市原~川崎間(千葉~神奈川間)に就航した。運輸省千葉港工事事務所、銚子気象台千葉測候所が設置され、その後、袖ヶ浦地先4,012,000㎡の埋立て工事に着手。富士石油株式会社、住友千葉化学株式会社、日本燐酸株式会社等が進出した。

1966年(昭和41年)10月1日には船橋・市川港が港湾運送事業法に基づく2種港に指定。港則法に基づく港域が拡張され、植物防疫法上の指定港となる。中央地区の埋立工事に着手し、6,080,000㎡を造成、内外貿ふ頭を中心に商港地区のほか、サイロ製粉等食品コンビナート、流通団地、自動車団地、幸町住宅団地等が整備された。

1968年(昭和43年)6月1日、船橋・市川港が千葉港に編入された。港湾区域が拡張され市川市の一部、船橋市、習志野市、千葉市、市原市、袖ヶ浦町の一部の5市1町地先海面が港湾区域となる。

長浦農林干拓地(袖ケ浦市)が工業用地に転換、同年8月に京葉シーバースが竣工した。千葉中央ふ頭A岸壁が完成し供用を開始。1969年(昭和44年)3月には千葉西部地区に商住宅地(美浜区海浜ニュータウン)を目途に7,190,000㎡の埋立て工事に着手。同年4月30日、県営出洲1号上屋が完成し供用を開始した。船橋地区公共外貿ふ頭を計画し、船橋中央A地区1,379,000㎡の埋立て工事に着手した。また、川崎製鉄沖合1,698,000㎡の埋立て工事を開始した。同年9月1日、船橋・市川港(港則法上の区域)が家畜伝染病予防法上の指定検疫物の輪入指定港となる。港湾区域が拡張され、袖ヶ浦町地先海面が港湾区域になった。千葉清港会が千葉港区の海面及び港湾用地における清掃並びに船舶の廃油処理等の業務を行うため設置され、千葉港廃油処理場(敷地面積約7,600㎡)が市原市五井南海岸に完成し供用を開始。1970年(昭和45年)11月、千葉中央ふ頭に県営1号上屋(面積4,987.5㎡)が完成し供用を開始。家畜伝染病予防法に基づく指定港となる。

千葉中央ふ頭B、C岸壁が完成し供用を開始した。千葉市川崎町地先工場用地(中央区、川崎製鉄株式会社)第2期埋立て工事、京葉東地区埋立て工事を開始。塵芥焼却場(敷地面積4,670㎡、美浜区新港)、出洲ふ頭D・E岸壁が完成した。更に、千葉~徳島間(千葉県~徳島県)の定期航路オーシャンフェリーが就航した。

1972年(昭和47年)7月10日、船橋・市川港(港則法の区域)が政令第279号により関税法上の開港に指定された。船橋・市川港が植物防疫法に基づく指定港となる。1975年(昭和50年)8月21日、葛南清港会が葛南区域の海面及び港湾用地における清掃の業務を行うため設置され、同年7月10日、港則法に基づく船橋・市川港の港域が千葉港に編入され葛南港区となる。港湾区域が拡張され、市川市(中部)地先海面が港湾区域となった。

千葉港の本格的整備

昭和後期に入ると千葉港区、葛南港区ともに本格的施設整備が始まった。1972年(昭和47年)~1988年(昭和63年)の間に完成し供用を開始した施設を下記にまとめる。

1979年(昭和54年)4月6日には蘇我地区に廃棄物最終処理場(171,016.76㎡)、千葉西部(幕張A、C)地区第2工区(A地区2,350,116.64㎡、C地区925,226.91㎡)の埋立が竣工。

また、1966年(昭和41年)、千葉県成田市での新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設が決定。内陸にある成田空港へ大量の航空燃料を供給するため、港内の石油ターミナルから航空燃料パイプラインの整備が計画されていたが、沿線住民や自治体の反対により工事が進められないまま1978年(昭和53年)5月に開港を迎えた。開港から当面の間、1日当たり約5,500キロリットルの航空燃料が鹿島茨城県)と千葉の臨海工業地区から鉄道で国鉄成田駅の近くの土屋石油基地まで輸送され、そこから延長約8キロメートルの暫定パイプラインで空港まで輸送されてきたが(暫定輸送)、1983年(昭和58年)8月8日に千葉港頭石油ターミナルから成田空港を直接結ぶ延長約47キロメートル本格パイプラインが稼働を開始し、暫定輸送は終了した[17][18][19]

1980年(昭和55年)11月17日に友好親善並びに文化、社会、経済交流を通じて両港の発展を図るため、ポートランド港アメリカオレゴン州)と姉妹港を提携した。1986年(昭和61年)6月15日(千葉県民の日)に、千葉県民500万人突破記念として千葉中央ふ頭内に千葉ポートタワー及び千葉ポートパーク(港湾緑地)が完成しオープンした。

平成時代

千葉港の発展と現在

平成時代に入ると千葉港区、葛南港区ともに大規模施設、港湾緑地整備が始まった。1989年(平成元年)~2014年(平成26年)の間に完成し供用を開始した施設を下記にまとめる。


1989年(平成元年)6月15日、港湾視察船「若潮」(198総トン)が「県民の日」に就航した。更に同年10月9日には幕張地区(現在の幕張新都心)に国際業務都市としての先導的中核施設である国際見本市(幕張メッセ)がオープン[20]。それに伴い、千葉港においても大規模施設、港湾緑地整備が相次いだ。荷捌地の増設を始め、1994年(平成6年)6月にはコンテナターミナル及びコンテナフレートステーション(1,943㎡)開設。1基で運用してきたガントリークレーンが1997年(平成9年)3月に増設され、2基による運用となり、荷役時間の短縮化、荷役機能の強化を図る。これらの整備により同年から2001年(平成13年)までの間、貨物取扱量において連続で全国第1位となり、日本有数の国際貿易港として大都市圏の経済活動に大きく貢献する港へと成長した[21]。その後も埠頭の整備が続き、2004年(平成16年)7月、改正SOLAS条約に対応した埠頭保安対策を開始(千葉中央埠頭、市原埠頭、袖ヶ浦埠頭、船橋中央埠頭、船橋東埠頭)。2005年(平成17年)11月には、千葉中央ふ頭G岸壁の防舷材付替え工事が完了し4万トン級の大型船2隻が、毎週交互に寄港を開始した。

2011年(平成23年)4月1日の港湾法改正により、特定重要港湾から国際拠点港湾へ名称が改正された。その後、市川市塩浜一丁目の一部の区域を市川市都市計画臨港地区として決定。

2016年(平成28年)4月には、千葉みなと港湾緑地及び千葉中央港旅客船桟橋(旅客船さん橋)の一部供用を開始した。2017年(平成29年)1月、千葉港長期構想を策定。同年3月には千葉中央地区の一部の区域が、千葉市都市計画臨港地区として決定。2018年(平成30年)3月24日、国土交通省港湾局は、千葉中央地区の一部を「みなとオアシス千葉みなと」としてみなとオアシスに登録。千葉港において、港内遊覧船の旅客船ターミナルや緑地を中心とした地域住民、観光客への親水空間の提供など、さらなる地域振興に向けた取り組みを行う[22]

年表

  • 1951年(昭和26年5月) 千葉県庁土木部に千葉港湾建設事務所(現・県土整備部千葉地域整備センター千葉港湾事務所)を設置
  • 1953年(昭和28年3月) 千葉県が船橋港の管理者となる
  • 1953年(昭和28年9月) 横浜税関千葉税関支署を設置
  • 1954年(昭和29年7月) 関税法上の開港に指定
  • 1965年(昭和40年) 特定重要港湾(現・国際拠点港湾)に指定
  • 1966年(昭和41年) 運輸省第二港湾建設局千葉港工事事務所(現・国土交通省関東地方整備局千葉港湾事務所)を設置
  • 1994年(平成6年6月) 千葉中央地区でコンテナターミナルを供用開始

主な建造船

1971年(昭和46年)3月、清掃船「せいこう」(12.26総トン)を建造

1981年(昭和56年)3月27日、清掃船「第2せいこう」(19.88総トン)を建造

1982年(昭和57年)3月19日、監督船「わかふさ」(14.80総トン)を建造

1991年(平成3年)2月27日、清掃船「せいこう」(16総トン)を建造

1994年(平成6年)3月、測量監督船「わかふさ」(13総トン)を建造

1999年(平成11年)2月23日、防災・給水等多目的船「若葉」(85総トン)を建造

2006年(平成18年)3月25日、清掃船「第2せいこう」(14総トン)を建造

主要取扱貨物

千葉港の主要な取扱貨物は、原油、石油製品、LNG(液化天然ガス)、鋼材、重油鉄鉱石などであり、重化学工業の産業機能集積港となっている。

臨海部の埋め立てと企業誘致によって拡大してきたことから企業専用施設が多く、現在でも港湾取扱貨物の9割以上は企業専用岸壁で取り扱われている。

港内の石油ターミナルから成田国際空港までパイプラインが伸びており、航空燃料の荷揚げが行われている[18]

姉妹港

1980年(昭和55年)7月18日、千葉中央ふ頭に千葉港船員サービスセンターを開設し、同年11月17日に友好親善並びに文化、社会、経済交流を通じて両港の発展を図るため、ポートランド港アメリカオレゴン州)と姉妹港を提携した[23]

以来、相互に友好親善や情報交換を行っている。千葉港とポートランド港の輸出入品目の主なものは、非金属鉱物、化学肥料となっている。2011年(平成23年)11月にはポートランド港湾局関係者が来日し、千葉港の視察が行われた。

港湾規模

千葉港(東京湾)の夕日
  • 入港船舶(平成15年度)
    • 隻数 66,327 隻(外航船:4,410 隻、内航船:61,917 隻)
    • 総トン数 133,836,495 総トン(外航船:87,389,854 総トン、内航船:46,446,641 総トン)
  • 海上出入貨物(平成15年度)
    • 取扱貨物量 169,559,452 トン(外貿 59.6%、内貿 40.3%)
    • 外貿 101,123,849 トン
      • 輸出 7,519,152 トン
      • 主要な輸出産品の内訳は、完成自動車(29.8%、以下全て平成15年度)、鋼材 (25.5 %)、化学薬品 (21.8 %) 、石油製品 (6.6 %) 、金属くず (6.4 %) 、その他化学工業品 (3.2 %) 、鉄鋼 (2.5 %) など(その他は 14.0 %)。
      • 輸入 93,604,697 トン
      • 主要な輸出産品の内訳は、原油(37.4 %、以下全て平成15年度)、LNG (23.6 %) 、石油製品 (12.8 %) 、鉄鉱石 (8.2%) 、石炭 (5.5%) 、LPG (3.3 %) 、非金属鉱物 (1.2 %) など(その他は7.9 %)。
    • 内貿 68,435,603 トン
      • 移出 36,823,698 トン
      • 移入 31,611,905 トン
  • コンテナ貨物(平成15年度)
    • 輸出 23,668 TEU
    • 輸入 18,982 TEU
    • 合計 42,650 TEU

TEU」とは、"Twenty feet Equivalent Unit" の略語で、20 フィート型コンテナ換算での積載可能個数を意味する。

  • 貿易額(平成15年度)
    • 輸出 851,492,047 千円
    • 輸入 2,180,300,601 千円
    • 合計 3,031,792,648 千円

旅客船

千葉中央港旅客船桟橋

千葉中央港旅客船桟橋からは千葉ポートサービスなど遊覧船が運航されている。

特に工場夜景クルーズは多くの人でにぎわう。

  • 千葉みなと1号さん橋
    • 千葉ポートサービス:「あるめりあ」千葉港内遊覧「港めぐりコース」、「幕張メッセ沖合遊覧コース」や「千葉港内工場夜景」クルーズが出航
  • 千葉みなと2号さん橋
    • シャイニービュー(日東商船):「羽田沖滑走路飛行機見学クルーズ」、「チャータークルーズ」、「千葉港内クルーズ」が出航
    • (株)ケーエムシーコーポレーション:運航船舶:MYⅡ(エムワイツー)
    • 伊豆大島臨時船(高速ジェット船)

他、幕張ビーチ花火フェスタ(千葉市民花火大会)の納涼船なども期間限定で出航している。

工場夜景

千葉港の工場夜景は2016年(平成28年)12月に「日本8大工場夜景」として千葉市が認定、さらに、2018年(平成30年)10月には新たに「日本11大工場夜景」として市原市が認定されており、千葉中央港旅客船桟橋からは工場夜景クルーズが運航している。

日本夜景遺産恋人の聖地に認定されている千葉ポートタワーを始め、海ほたるPAKISARAPIAの観覧車、からも工場夜景を楽しむことができる[24]


その他

  • 当港湾の最寄駅として、JR京葉線千葉みなと駅がある。開業当時は「千葉港駅(ちばみなとえき)」が正式名であったが、当港湾名との誤読を防ぐために当初から「千葉みなと」と表記されることが多かった。ちなみに「千葉みなと駅」が正式名となったのは1992年。 千葉県観光大使として「ミス千葉港」現在ポートクイーン千葉が誕生。
  • 1973年から「新港信号所」が航路管制業務を行っていた(JR東日本にも同名の施設がある)[25]。「新港信号所」は2012年3月13日から「千葉中央港信号所」にその役割を移管し、現在は稼働していない[26]

出典

  1. ^ 狭義の「千葉港」は千葉中央ふ頭周辺(千葉市中央区中央港、千葉港、美浜区新港)を指す。
  2. ^ 貨物取扱量は全国第2位(1億6956万トン、平成15年度)、貿易額は京浜、名古屋、阪神に次いで全国第4位(3兆0318億円、同)、入港船舶隻数は全国6位(5万414隻、同)、入港船舶総トン数は京浜、名古屋、阪神に次いで全国第4位(1万4347トン)、港湾空間規模は全国1位(2万4800ha、同)
  3. ^ 日本港湾協会:港湾・物流データ(ランキング)”. www.phaj.or.jp. 2019年2月14日閲覧。
  4. ^ UN/LOCODE(港及び地名コード)”. www.jastpro.org. 2019年2月13日閲覧。
  5. ^ 港略称一覧 - SANKYU-物流情報サービス(CISS)”. webciss.sankyu.co.jp. 2019年2月13日閲覧。
  6. ^ 千葉市中央区”. fusanokuni.web.fc2.com. 2019年2月13日閲覧。
  7. ^ 千葉みなとエリアガイド”. chibaminato-area.com. 2019年2月14日閲覧。
  8. ^ 千葉市. “猪鼻城跡(含七天王塚)(市指定文化財)”. 千葉市. 2019年2月13日閲覧。
  9. ^ a b 千葉港のうつりかわりhttps://www.pref.chiba.lg.jp/kendosei/meiji150/documents/11tibakou1.pdf
  10. ^ a b 千葉県. “03.「千葉港」と「千葉の湊」”. 千葉県. 2019年2月13日閲覧。
  11. ^ 地域の歴史と文化財”. 船橋市ホームページ. 2019年2月13日閲覧。
  12. ^ 葛飾北斎 「富嶽三十六景」解説付き”. 葛飾北斎 「富嶽三十六景」解説付き. 2019年2月13日閲覧。
  13. ^ 千葉市. “千葉市のあゆみ・年表”. 千葉市. 2019年2月14日閲覧。
  14. ^ 千葉ポートタワーの展望スペースには、千葉港に立ち寄った高栄丸の模型がある。
  15. ^ 千葉港開港記念日”. www.pref.chiba.lg.jp. 2019年2月14日閲覧。
  16. ^ 千葉港のうつりかわり2https://www.pref.chiba.lg.jp/kendosei/meiji150/documents/12tibakou2.pdf
  17. ^ 大坪景章 (1978). 東京新聞千葉支局. ed. ドキュメント成田空港 : 傷だらけの15年. 東京: 東京新聞出版局. pp. 141-143, 151-164,174-176,219-221 
  18. ^ a b 航空燃料輸送システム”. 日本空港給油株式会社. 2018年8月25日閲覧。
  19. ^ 3 新東京国際空港の整備”. www.mlit.go.jp. 2019年2月14日閲覧。
  20. ^ 千葉県企業土地管理局(幕張新都心)https://www.pref.chiba.lg.jp/kigyou/soumu/annai/documents/2018_pamphlet_3.pdf
  21. ^ 千葉県. “1.千葉港の概況”. 千葉県. 2019年2月14日閲覧。
  22. ^ 報道発表資料:「みなとオアシス千葉みなと」を賑わい拠点として新規登録~地上113mから臨む日本夜景遺産と海辺の観光拠点~ - 国土交通省”. www.mlit.go.jp. 2019年2月14日閲覧。
  23. ^ 千葉県. “千葉港の姉妹港「ポートランド港」”. 千葉県. 2019年2月14日閲覧。
  24. ^ 千葉市. “千葉市の工場夜景”. 千葉市. 2019年1月8日閲覧。
  25. ^ 千葉県「千葉港のあゆみ」『千葉県』。2018年8月25日閲覧。
  26. ^ 千葉航路管制信号施設(新港信号所)の移転につきまして” (PDF). 海上保安庁. 2018年8月25日閲覧。

脚注

外部リンク