伏木富山港

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伏木富山港
Toyama New Port 002.JPG
空から見た富山新港
所在地
日本の旗 日本
所在地 富山県高岡市富山市射水市
【伏木地区】高岡市
【富山地区】富山市
【新湊地区】射水市
詳細
管理者 富山県
種類 国際拠点港湾

伏木富山港(ふしきとやまこう)は、富山県高岡市富山市射水市にわたる港湾の総称である。港湾管理者は富山県

富山湾沿岸奥部の3つの港域によって形成されており、高岡市の伏木地区(伏木港)、富山市の富山地区(富山港)、射水市の新湊地区(富山新港)の3地区が所在する。

港湾法上の国際拠点港湾港則法上の特定港に指定されているほか、日本海側拠点港のうち総合的拠点港と、部門別では国際海上コンテナ[1]、国際フェリー・国際RORO船、外航クルーズ(背後観光地クルーズ)の3部門の拠点港に指定されている。

概要[ソースを編集]

港内に保存してある初代海王丸

富山湾岸に位置し、富山県及び北陸地方の主要な港湾である。富山県を含む北陸工業地域、ひいては中華人民共和国大韓民国ロシアなど、環日本海圏の交易拠点として重要な役割を担っている。北陸工業地帯のほぼ中央、また東京都市圏首都圏関東圏)、名古屋都市圏中京圏東海圏)、大阪都市圏(関西圏・近畿圏)及び新潟都市圏・東北方面とほぼ等距離に位置し、輸送において比較的優位とされる。また、高速道路や国道、鉄道を用いて容易にアクセスが可能。

1975年(昭和50年)撮影の伏木富山港西側エリアの空中写真。画像左(西側)の小矢部川庄川河口付近が伏木港。画像右(東側)の掘込港が富山新港。画像中央付近の海岸線沿いの市街地が旧新湊市の中心部放生津である。この画像撮影時には新湊大橋海王丸パークは建設されていない。
1975年撮影の12枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

旅客航路[ソースを編集]

貨客船「ルーシ号」
富山新港と海王丸

以前は極東船舶会社(FESCO)が貨客船ルーシ号により伏木港とウラジオストクを結ぶ旅客航路を月に2 - 5便運航していた。しかし、ロシアの中古車輸入規制に伴う利用者減少のため、2009年12月25日を最後に運行を休止し、ルーシ号は売却された。

飛鳥IIなどのクルーズ客船が伏木港や富山新港北埠頭の海王丸パークなどに寄港することが増えている。

歴史[ソースを編集]

施設[ソースを編集]

埠頭[ソースを編集]

  • 伏木港(伏木地区) - 位置
    • 伏木万葉埠頭[7]
  • 富山港(富山地区) - 位置
    • 岩瀬埠頭
  • 富山新港(新湊地区)[8] - 位置
    • 中央埠頭、北埠頭、東埠頭、南埠頭

発電設備[ソースを編集]

レジャー施設[ソースを編集]

交通[ソースを編集]

環境[ソースを編集]

伏木富山港のヘドロにはダイオキシン類が含まれており、その面積は41haで、環境基準を超過する汚染底質量は286,000m3であり、底質汚染のダイオキシン類濃度は160 - 10,000 pg-TEQ/gと国土交通省が発表している。

参考文献[ソースを編集]

  • 西師意著『伏木築港論』北陸政論社、1893年 [1]
  • 肝付兼行述『肝付大佐演説の要領』高柳精一、1897年 [2]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ 伏木富山港の2014年のコンテナ貨物取扱量(速報値)が、前年比6.7%増の8万2066個(20フィートコンテナ換算)となり史上最高になり、コンテナヤードを拡げる予定(北日本新聞2015年1月10日)。
  2. ^ 北前船で栄え、衰亡していく過程は伏木出身の作家堀田善衛の小説『鶴のいた庭』に描写されている。
  3. ^ a b 伏木港開港百周年を記念して、1999年に近代伏木港開港の祖である藤井能三が建設に尽力した初代灯台をかたどったデザイン灯台伏木外港万葉東防波堤灯台が建設された。
  4. ^ 射水市 くらしの情報 富山新港のあゆみ
  5. ^ 「イラストでつづるとやまのれきし」(1983年(昭和58年)1月8日 内田忠紀、アド・パルス発行)「昭和時代 ゆたかな富山県へ」より
  6. ^ 『富山新港史』(1983年6月1日発行)142 - 144ページ
  7. ^ 「万葉」の名は大伴家持が越中国国守として伏木にいた時に詠んだ和歌が多く『万葉集』に収録され、編纂したとされていることによる。
  8. ^ 『万葉集』の大伴家持の「奈呉の海人の 釣する船は 今こそば 船棚打ちて あへて漕ぎ出め」(17巻3956)にある「奈呉」とは射水市(旧新湊市)の放生津周辺の海の古名。

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]