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不立文字

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

不立文字(ふりゅうもんじ)は、禅宗の教義を表す言葉で、文字言葉による教義の伝達のほかに、体験によって伝えるものこそ真髄であるという意味。

概要

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「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」の語句の始めに当たり、「経典の言葉から離れて、ひたすら坐禅することによって釈尊の悟りを直接体験する」という意味となり、禅の根本を示すものとして知られる。

禅は定(じょう)とも呼び、インドで古くからある精神修行の方法で、それが仏教に取り入れられたものである[1]が、「不立文字」は、禅宗の開祖として知られるインドの達磨(ボーディダルマ)の言葉として伝わっており、「文字(で書かれたもの)は解釈いかんではどのようにも変わってしまうので、そこに真実の仏法はない。したがって、悟りのためにはあえて文字を立てない」という戒めである。代の中国の禅僧である慧能は特にこれを強調し、慧能を祖と考える南宗によって禅の真髄として重視された。大乗仏教の中でも、「不立文字」の思想をかかげる禅宗は、中国に伝来した大乗経典を「仏説」とあがめて疑いもなく信じこむ態度を否定してきた。

9世紀の仰山慧寂は、師の潙山霊祐から「『大乗涅槃経』四十巻のうち、仏説(釈迦の本当の教え)と魔説(悪魔が釈迦の名をかたって説いた偽の教え)の割合はどれくらいか」と質問された。仰山慧寂は全文が「仏説」ではなく「魔説」であると断言して、師の潙山霊祐から「今後、君は誰からも支配されることはないだろう」と評価された[2]

現代でも禅においては、中心経典を立てず、教外別伝[注釈 1]を原則としている。

脚注

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注釈

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  1. 人格を相伝すること。禅においては、文字や言葉を残す以外にも、禅師の全人格をそのまま弟子に伝えることが重要であるとされる。

出典

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  1. 村上(1981)p.92
  2. 『潭州潙山靈祐禪師語録』: 師問仰山。涅槃經四十卷。多少是佛説。多少是魔説。仰山云。總是魔説。師云。已後無人奈子何。

参考文献

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関連項目

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