石頭希遷

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石頭希遷
久視元年 - 貞元6年12月25日
700年 - 791年2月2日
『仏祖正宗道影』(1880年)の木版画像
諡号 無際大師
生地 端州高要県
没地 南嶽衡山南台寺
宗派 石頭宗
寺院 南嶽衡山南台寺
青原行思
弟子 薬山惟儼天皇道悟丹霞天然
著作 参同契
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石頭希遷(せきとう きせん)は、中国代の禅僧無際大師。俗姓は陳。端州高要県の出身。慧能の弟子である青原行思の弟子であり、その一派を石頭宗と呼んでいる。

略歴[編集]

初めは六祖慧能に師事していたが、その遷化にあい、吉州の青原行思のもとへ移り、法嗣となった。

その後、南嶽衡山の石上に庵を編んだため、「石頭」と称されるようになった。門弟子は多かったが、当初、さほど目立った存在ではなかったようである。圭峰宗密は、牛頭宗の一派と見誤っている。

門下には、薬山惟儼天皇道悟丹霞天然らの著名な禅匠が見られ、馬祖道一洪州宗と勢力を競うまでになった。ただ、天皇道悟や丹霞天然は、石頭だけではなく、馬祖のもとでも修禅に励んでおり、逆に馬祖の弟子となる五洩霊黙が石頭のもとに居たように、両派の門下の往来が頻繁であったことを窺うことができる。

肉身仏[編集]

曹洞宗大本山總持寺には石頭のものとされる肉身仏ミイラ)が安置されている(非公開)。

元々中国の湖南の寺院に祀られていたが、辛亥革命の際に寺院が兵火を受けたため、日本人が保護して日本に持ち込んだと伝わる。日本では大正博覧会に出展され、その際の写真が現存する[1]。その後青梅市に安置されていたが、日本ミイラ研究グループの手に渡り、さらに1975年昭和50年)から総持寺で祀られることとなった[2]

脚注[編集]

  1. ^ 日本ミイラ研究グループ 1969, pp. 143–148.
  2. ^ 松本 1993, pp. 218–227.

参考文献[編集]

  • 日本ミイラ研究グループ 編『日本ミイラの研究』平凡社、1969年8月7日。 
  • 松本, 昭『日本のミイラ仏』臨川書店、1993年10月30日。 

関連項目[編集]

師:青原行思禅宗石頭宗弟子:薬山惟儼丹霞天然