田川ホルモン鍋
田川ホルモン鍋(たがわホルモンなべ)は福岡県田川市を中心として広まった鍋料理(ホルモン鍋)である。単に『田川ホルモン』とも言う[1]。
概要
筑豊炭田の「炭都」として栄えた田川では、炭鉱夫たちが栄養のあるホルモンを好んで食べていたが、あるとき一人の炭坑夫が鍋の代わりに紙製のセメント袋を七輪に乗せ、ホルモンを焼いて食べてみたところ、セメント袋の紙が余分な水分を吸うことで、肉が柔らかくまろやかな味わいとなり美味であったことから、市内に広まったのが始まりと言われている[2]。
また、もう一つのルーツは、昭和30年代当初より、ホルモン焼きのことを「とんちゃん」と言っていた。伊田に「朝日食堂」、後藤寺に「平和食堂」があり、当時はこの2軒がとんちゃんを出していた。朝日食堂は、焼き鍋にニンニク醤油で漬けこんだ内臓料理。平和食堂は、金網の上にセメント紙を乗せ、その上にホルモンを置いて焼く、みそ味のホルモン料理。である。『さいごの炭鉱夫たち思い出集』《P50・P51参照》著者 矢田政之氏 より。[3]。 後藤寺にあった「平和食堂」で、昭和30年~31年頃(セメント紙で調理・小さなお店の時)と昭和36年~38年頃(鍋で調理・大きなお店構えの時)の2回に分けて働いていた有門百合子さん。その後、各お店や家庭で広まったのではないか。《本人より》
近年では田川の名物として盛り上げようという気運が高まり、「田川ホルモン喰楽歩」が2012年に北九州市で行われた「第7回B-1グランプリ」に初出場、6位に入った[4]。
脚注
- ^ 田川ホルモンマップ (PDF) - 田川地域観光ガイドサイト内
- ^ ご当地グルメ - 田川エリア - 福岡県観光連盟『筑豊ぐるり』内
- ^ 炭坑(ヤマ)の文化田川市ホームページ
- ^ B-1 10団体高め合い「最高の結果」 - 朝日新聞デジタル マイタウン福岡・北九州2012年10月23日