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水本裕貴

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水本 裕貴
名前
愛称 ミズ、モンちゃん
カタカナ ミズモト ヒロキ
ラテン文字 MIZUMOTO Hiroki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-09-12) 1985年9月12日(38歳)
出身地 三重県度会郡御薗村
(現伊勢市
身長 183cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム サンフレッチェ広島
ポジション DF
背番号 4
利き足 右足
ユース

1998-2000
2001-2003
御薗サッカースポーツ少年団(御薗小
伊勢サッカークラブジュニア(御薗中
三重高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2007
2008
2008-2010
2011-
ジェフ市原 / ジェフ千葉
ガンバ大阪
京都サンガF.C.
サンフレッチェ広島
76 (2)
7 (0)
85 (3)
()
代表歴2
2006-2008 日本の旗 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年1月5日現在。
2. 2011年1月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

水本 裕貴(みずもと ひろき、1985年9月12日 - )は、日本プロサッカー選手三重県度会郡御薗村(現伊勢市)出身。ポジションはディフェンダーJリーグサンフレッチェ広島所属。

人物

1対1の局面で激しさと強さを誇るセンターバックで、マンマークに長ける。時には左右のサイドバックもこなすなど、戦術的な柔軟性を持ち合わせる。[1][2][3][4]

オシムチルドレンの一人[5]

来歴

御薗小学校の少年団である御薗SSSでサッカーを始める [6]。その後、御薗中学校へ進学するも全国的には無名な存在だった[1]

注目されるようになったのは三重高等学校に進学後、林一章らから指導を受けてからである。1年先輩に野崎陽介がいる。県予選を突破してインターハイに出場。また、県選抜メンバーとして高知国体にも出場したほか、2003年にはU-18日本代表にも選出された。高校卒業時には名古屋グランパスエイトやジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)を含めた5クラブからオファーがあった。[1]

2004年、ジェフユナイテッド市原とプロ契約。同期入団は水野晃樹市原充喜。1年目からイビチャ・オシム監督の薫陶を受けた[4]。同年7月29日プレシーズンマッチ対レアル・マドリード戦において、ルイス・フィーゴを相手に対応したことにより名が知られるようになる[1][5]。2005年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権に出場[5][7]。2006年シーズンから千葉の主力に定着し、さらに同2006年に日本代表監督に就任したオシムによってA代表メンバーに初選出され、同年10月4日、ガーナ戦でA代表初出場を果たした[5][8]。2007年末、名古屋、京都サンガF.C.FC東京ガンバ大阪の4チームからオファーが届き、千葉からは残留要請されるも、移籍を決意する[9][10]

2008年、ガンバ大阪へ移籍。移籍金3億円(推定)[9]。補強の目玉として注目を集めた[10]が、千葉時代のようなパフォーマンスを披露できず、定位置を中澤聡太に奪われ、出場機会が減っていった[4]。同年6月19日北京オリンピック出場に向けて出場機会を確保するため、本人からの申し出によってG大阪退団が決定[11][12][13]

同年6月22日、京都サンガF.C.へ完全移籍。移籍金4億円(推定)[14]加藤久秋田豊森岡隆三の元日本代表DFから指導を受け[15]不動のレギュラーに定着し守備の中心として活躍[4]李正秀[3]らとDFラインを構築した。同年北京オリンピックの代表メンバーにも選出され、キャプテンとして[2]グループリーグ3試合に出場した。 2010年には公式戦全試合に出場している[4]

2011年より、京都のJ2降格に伴いサンフレッチェ広島に完全移籍[4]。移籍した槙野智章の穴を埋めレギュラーに定着しチームの好調を支える[11][16]も、同年5月7日のヴァンフォーレ甲府戦にて相手選手との接触により頭蓋骨骨折および急性硬膜外血腫を負い緊急手術した[17]。同年5月20日退院[18]、同年7月12日からヘッドギア着用のもと軽い練習に復帰し[19]、同年8月7日から実戦に復帰した[16]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2004 市原 27 J1 5 0 1 0 1 0 7 0
2005 千葉 27 J1 15 0 3 0 2 0 20 0
2006 千葉 4 J1 25 1 11 0 1 0 37 1
2007 千葉 4 J1 31 1 5 0 1 0 37 1
2008 G大阪 4 J1 7 0 - - 7 0
京都 8 J1 18 1 0 0 1 0 19 1
2009 京都 4 J1 33 2 5 0 2 0 40 2
2010 京都 4 J1 34 0 6 1 2 1 42 2
2011 広島 4 J1 18 1
2012 広島 4 J1
通算 日本 J1 186 6 31 1 10 1 209 7
総通算 168 5 31 1 10 1 209 7
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2008 G大阪 4 4 0
通算 AFC 4 0
その他の国際公式戦
経歴

代表歴


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2006 2 0
2007 0 0
2008 1 0
通算 3 0

脚注

  1. ^ a b c d 川端暁彦の「Uの世代」Jリーグ1年生をチェック”. スポーツナビ (2004年8月13日). 2011年1月6日閲覧。
  2. ^ a b 選手情報”. number. 2011年1月6日閲覧。
  3. ^ a b 京都サンガF.C. イ・ジョンスインタビュー”. 大韓サッカー協会. 2011年1月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e f DF水本が広島に完全移籍 京都サンガ”. 京都新聞 (2011年1月5日). 2011年1月6日閲覧。
  5. ^ a b c d サッカーキングその1、2011年10月2日閲覧。
  6. ^ ソシエタ御薗”. ソシエタ御薗公式. 2011年1月6日閲覧。
  7. ^ 《ワールドユース2005》★水本裕貴選手(千葉)インタビュー”. J's GOAL (2005年6月11日). 2011年1月6日閲覧。
  8. ^ 走れ!新戦力<3>DF水本裕貴(25)=京都”. 中国新聞 (2011年2月4日). 2011年2月5日閲覧。
  9. ^ a b DF最高3億円!G大阪が水本獲り”. スポーツニッポン (2007年12月10日). 2011年1月6日閲覧。
  10. ^ a b 千葉・水本がG大阪に完全移籍”. 報知新聞 (2008年1月11日). 2011年1月6日閲覧。
  11. ^ a b サッカーキングその2、2011年10月2日閲覧。
  12. ^ DF水本裕貴選手 ガンバ大阪退団へ”. J's GOAL (2008年6月19日). 2011年1月6日閲覧。
  13. ^ 再移籍で自信 迷いなし”. 読売新聞 (2008年7月20日). 2011年1月6日閲覧。
  14. ^ 水本の京都入り内定、28日にもデビュー”. ニッカンスポーツ (2008年6月20日). 2011年1月6日閲覧。
  15. ^ 【Jリーグ】加藤久、秋田豊、森岡隆三が演出する京都の堅守”. J SPORTSコラム (2009年4月18日). 2011年1月6日閲覧。
  16. ^ a b 水本、実戦復帰 回復に手応え”. 中国新聞 (2011年8月8日). 2011年8月8日閲覧。
  17. ^ 水本裕貴選手の負傷について”. J's GOAL (2011年5月7日). 2011年8月7日閲覧。
  18. ^ 水本がリハビリ開始”. 中国新聞 (2011年6月5日). 2011年8月7日閲覧。
  19. ^ 全体練習に水本加わる 骨折後初めて”. 中国新聞 (2011年7月13日). 2011年8月7日閲覧。

参考資料

関連項目

外部リンク