本山寺 (三豊市)
本山寺 | |
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五重塔・本堂と弘法大師像 | |
所在地 | 香川県三豊市豊中町本山甲1445番地 |
位置 | 北緯34度8分22.8秒 東経133度41分38.6秒 / 北緯34.139667度 東経133.694056度座標: 北緯34度8分22.8秒 東経133度41分38.6秒 / 北緯34.139667度 東経133.694056度 |
山号 | 七宝山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 馬頭観音 |
創建年 | (伝)大同2年(807年) |
開基 | (伝)空海(弘法大師) |
正式名 | 七宝山 持宝院 本山寺 |
札所等 | 四国八十八箇所70番 |
文化財 |
本堂(国宝) 仁王門(国の重要文化財) 鎮守堂・木造善女龍王像・木造金剛力士立像ほか(県文化財) 五輪塔・五重塔(市文化財) |
法人番号 | 4470005004152 |
本山寺(もとやまじ)は香川県三豊市にある高野山真言宗の寺院。山号は七宝山(しっぽうざん)。詳名は七宝山持宝院本山寺。開山は空海(弘法大師)と伝える。鎌倉時代再建の本堂は国宝に指定されている。本尊は馬頭観音菩薩。四国八十八箇所霊場第七十番札所。
ご詠歌:もとやまに 誰が植えける 花なれや 春こそたおれ 手向けにぞなる
歴史
寺伝によれば、大同2年(807年)、平城天皇の勅願寺として、空海(弘法大師)が自ら刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊として開創したという。
中世には寺領2000石、24坊を持つ大寺となって栄えた。
天正年間(1573年 - 1593年)、長宗我部氏の戦により讃岐国の主要寺院の大半は兵火を受けた。当寺も例外ではなく諸堂を焼失したが、鎌倉時代建立の本堂(国宝)や仁王門(国の重要文化財)等は兵火を免れ現存している。江戸時代には領主の生駒氏と京極氏により再興され、四国八十八箇所第70番札所に定められた。
伽藍
- 本堂(国宝、附:厨子3基、棟木の部分1枚)
- 正安2年(1300年)に京極氏と佐々木氏の寄進によって再建された。棟木と礎石に残された墨書から、正安2年の建立が裏づけられる。桁行五間、梁間五間の寄棟造、本瓦葺。円柱を用い、建築様式は純和様に近いが、側面と背面に桟唐戸(さんからど)を用い、外陣に渡した虹梁上に大瓶束(たいへいづか)を用いる点など、細部には禅宗様を取り入れている。内陣は大型厨子内にさらに3基の厨子を置き、中央に本尊馬頭観音、左右に薬師如来と阿弥陀如来を安置する(いずれも秘仏)。1955年に修復工事を実施。
- 二王門(重要文化財)
- 大師堂
- 五重塔 古塔が明治43年(1910年)まで存在していたが取り壊され、大正2年(1913年)に現在の位置に再建された。
- 鎮守堂
- 十王堂
- 赤堂(大日堂)
- 慰霊堂
- 鐘楼
- 客殿 江戸時代末期の嘉永5年(1852年)焼失後の再建
- 庫裏 江戸時代末期の嘉永5年(1852年)焼失後の再建
- 護摩堂
- 宿坊:なし
文化財
- 国宝
- 本堂 - 昭和30年6月22日指定
- 重要文化財(国指定)
- 仁王門 - 明治37年8月29日指定
- 鎮守堂
- 木造善女龍王像 1躯
- 木造金剛力士立像 2躯
- 木造愛染明王坐像 1躯
- 本山寺蔵経文板木 83枚
- 三豊市指定有形文化財
- 五輪塔 5基
- 五重塔
交通アクセス
- 鉄道
- 道路
奥の院
- 七宝山 宝積院 妙音寺
- 所在地:香川県三豊市豊中町上高野1986
妙音寺を参照
前後の札所
参考文献
- 『週刊朝日百科』「日本の国宝 26」、朝日新聞社、1997
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編、へんろみち保存協力会、2007年(第8版)
関連項目
外部リンク
- 70番札所 本山寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)