日米豪印戦略対話

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日米豪印戦略対話
青色がアメリカ合衆国日本オーストラリアおよびインドを示す。安倍晋三元首相提唱による四カ国を対象とする「アジアの民主主義の孤」。
設立 2007年5月
種類 非公式軍事同盟
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日米豪印戦略対話(にちべいごういんせんりゃくたいわ)、または四カ国戦略対話(よんかこくせんりゃくたいわ、英語Quadrilateral Security Dialogue)は、非公式な戦略的同盟を組んでいる日本アメリカ合衆国オーストラリアおよびインドの四カ国間における会談で、二カ国間同盟によって維持されている。対話は当時日本の首相であった安倍晋三によって提唱され[1][2]、その後ディック・チェイニー米副大統領の支援を得て、ジョン・ハワード豪首相マンモハン・シン印首相が参加し開催される。対話後、全参加国による大規模な合同演習の実施および中華人民共和国の公式な外交ルートによる抗議が続いた。

四カ国関係は一時期オーストラリアのケビン・ラッド政権の成立によって暗礁に乗り上げたが、アジア太平洋地域における米中関係の緊張が増す中でオーストラリアの政策はアンビバレンスを反映していた。ラッド豪労働党政権の退陣と後継のジュリア・ギラード豪労働党政権の成立によりオーストラリアは対話に復帰し、その結果ティモール海ロンボク海峡を臨むダーウィン近郊へのアメリカ海兵隊駐留に至った。対話は成長を続ける中国の経済力と政治力に対応した外交的取り決めであると新聞やシンクタンクによって広くみられる。

背景

アジア太平洋における米中紛争の戦略的枠組み

21世紀初頭、アメリカ合衆国の戦略はイラクアフガニスタンに没頭しており、この情勢はアジア太平洋地域の主要国の変化から注意を逸らすものとして見られた。これは成長した中国の経済大国化によってもたらされ、この地域におけるアメリカ合衆国の伝統的役割に疑問を呈するようになった。

長期的にみて、アメリカ合衆国とその周辺の民主主義国との戦略的パートナーシップを維持することによって対中「柔軟封じ込め」方針を追求してきた。日本、オーストラリア、インドとアメリカ合衆国間との同盟がこの方針の支えを作成する間、緊密な軍事関係の発展はソ連崩壊から複雑な経緯を経ており、そしてオーストラリアの論評は中国を包囲する四カ国安保に対して複雑な態度を示した。

1991年以降の米印軍事協力

米印軍事協力の活発化は1991年平成3年)のインド経済自由化に伴い、当時米軍太平洋陸軍司令官であったクロード・C・キックライター中将(Claude C. Kicklighter)によって軍事協力が提案された。更に、この協力は初期のインド中道右派連立政権の下で1990年代中頃から拡大し、そして2001年(平成13年)にインドは、アフガニスタン攻撃作戦を行うアメリカ合衆国のために、領域内の軍事施設を提供した。

統一進歩同盟政権下の2005年(平成17年)にドナルド・ラムズフェルド米国防長官プラナブ・ムカジー国防大臣は「米印防衛新フレームワーク」に署名したことで軍事関係での協力が増大し、防衛産業技術の分担および「海洋安全保障協力フレームワーク」が設立された。米印は四カ国談話以前から数十回に渡る合同軍事演習を実施しており、中国への「抑止」を含む行動であると解釈された。インドの政治評論家ブラフマ・チェラニー(en:Brahma Chellaney)は、新戦略対話を日米豪印に委ねられるアジアにおける新たな「グレートゲーム」の一部であるとし、そしてインドの外交官マハラジャ・クリシュナ・ラスゴトラは、アジアの安全保障協定の形成のためにはアメリカ合衆国の努力が不足していると主張し、「アジアの世紀」ではなくむしろ「アジアのアメリカ世紀」であるとした[3]

対中紛争についてインド国内での論争

ジェフリー・B・コーラー中将(Jeffrey B. Kohler)らは米印防衛協定をアメリカ防衛産業の潜在的有利を維持するため、アメリカ製軍事システムの販売を監督した。それにもかかわらず一部のインド人評論家はアメリカ合衆国の軍事協力はイランとの関係悪化につながり、アジアの不安定化を招くとして反対した。そして南インド洋に展開する核兵器運用能力を保有するアメリカ軍艦のゴアコーチへの寄港に反対する。

2006年(平成18年)の日米豪三カ国の安全保障対話で、オーストラリアの懸念にかかわらず、チェイニー副大統領により合同海軍演習にインドを参加させると表明する[4]

四カ国関係の成立

「民主的平和論」の概念

民主的平和論の概念をモデルにした日米豪印の防衛取り決めは安倍晋三首相の功績であった[1]。四カ国は「アジアの民主主義の孤」を確立すべく進められ、最終的に孤はモンゴルを含む中央アジア諸国を中心に朝鮮半島から東南アジアを覆い、実質的に中国を包囲する態勢となった。このプロジェクトは中国の世紀に対して「対中動向」や「民主主義の挑戦」とも呼ばれ、アメリカ合衆国と強調するアジアの大国にとって始められる。中国が上海協力機構を支持するのに対して、新アメリカ安全保障センターのダニエル・トワイニングは四カ国を「アジアのNATO」とし、「軍事衝突の可能性」を排除し「平和のための永続的基礎を置く」ことができるのであれば中国はアジアの民主的リーダーになり得ると書いた[5]

公式な始動と中国の孤立

中国は正式開催前の四カ国に対して外交的抗議する[6]2007年(平成19年)5月のマニラにてジョン・ハワード豪首相はチェイニー副大統領の主張に応じて、1月後に開催される東京近海での日米海上演習にインドと共に参加することを表明する。さらに同年9月にはベンガル湾にて海軍演習が開催されこれにオーストラリアも参加する。これらは更に2008年(平成20年)10月東京での日印安全保障宣言の署名により相互の航路安全と防衛協力を促進させる。それ以前に日豪間では2007年(平成19年)3月に日豪安保共同宣言が署名されている。四カ国イニシアチブはブッシュ政権とデリーとの関係改善しこれにより中国を「包囲」するという印象を与えた[7]。日印間の安全保障宣言はアジアにおける日本の戦略的パートナーのリスト外の存在を顕在にし、中国の存在を引き立たせた。こうした動向は中国を「制度的に阻害」させるように見え、東南アジア諸国連合は「ワシントン中心の」アジア同盟を促進させる[8]

中国が標的ではないという議論

安倍政権を引き継いだ麻生太郎首相は、四カ国対話後に調印された日印協定において中国の重要性を軽視しており、「中国への言及があったのか?我々には中国含めいかなる第三国も目標に定めていない。」とし、インド外務大臣シャンカル・メノンen:Shivshankar Menon)は防衛協定が日印間の貨物運輸貿易にかかわる長年の懸案事項出会ったと主張し、特に中国を目標とはしていなかった[9]

2008年(平成20年)1月にマンモハン・シン印首相は中国訪問の際、胡錦濤国家主席温家宝首相との会談にて四カ国対話について質問され「インドは、中国の努力に関わる任意のいずれか一部を含んでいる」と答えた[10]

ラッド政権

四カ国関係における豪州のアンビバレンス

中国の軍事支出と弾道ミサイル能力への懸念は、2007年(平成19年)キャンベラ防衛ブループリントにて概説されるように、アメリカ合衆国との防衛協定締結に向けてオーストラリアが主体的に動き出すのを助けた。オーストラリア戦略政策研究所(ASPI)のサンディ・ゴードンは類似し考慮すべき問題に基づいてインドへウラン販売を推奨し、それをアメリカ合衆国が後援したことが「中国の台頭に対抗」するように見えた[11]。中国の怒りは四カ国対話が始まる前からオーストラリア国内に不安を巻き起こしていた[12]

ラッド労働党政権

オーストラリア首相に就任したケビン・ラッドは日本訪問前に中国の楊潔チ外務大臣を訪ね、豪中外相会談でステファン・スミス豪外務大臣は四カ国対話からの一方的離脱を発表した[13]。オーストラリア国内では米中関係の不確実さによりオーストラリアの経済原則を揺るがし、中国はその原則に沿った戦略的パートナーではなかったという事実により、これを強化すべくこの決定をする動機となった。ラッドは更に対立している地域のエスカレーションを恐れ「アジア太平洋連合」を介してこれらを拡散させようとした可能性がある。なにより、既に豪中間の経済的つながりは以前より緊密なものになっており、日米との温度差があった[14]

幾人かのアメリカの戦略家的思想家は四カ国対話からの離脱を批判し、アメリカ国家安全保障会議も元アジア担当者であったマイケル・グリーンによれば、ラッドはその目的を達成するため相当な外交的努力に傾倒し、四カ国対話からの離脱は中国を喜ばせる結果になったとした。ウィキリークスで明らかにされた内容には米国大使ロバート・マッカラム・ジュニアにより書かれ2008年(平成20年)12月に発表された大綱で、ラッドは四カ国対話からの離脱についてアメリカ合衆国との協議を実施しなかった[15]

豪州の戦略的計算

2009年(平成21年)11月、米印関係改善を目的としたバラク・オバマ米大統領の外交努力は、大国間での軍事同盟の深化が地域内でのエスカレーションに役立つとしインドとオーストラリアの両国に対し警鐘を促した。アナリストのジョン・リーによると「現実主義者は・・・、ニューデリーは均衡を保つことに慎重であり、1947年昭和22年)のインド独立以来北京と競合していた」、中印間の重要な緊張は係争中のアルナーチャル・プラデーシュ州チベット高原に配備された核兵器であった。ラッドの計算は地域の経済大国としての中国が日米同盟が制約を超えて地域国に関与することを望まず、2007年(平成19年)の四カ国対話に終始嫌悪感を抱いていると見ていた。

オバマ政権とギラードの復帰

豪労働党内での対話支援

2010年(平成22年)6月ジュリア・ギラード首相への交代はオーストラリアの外交関係の変化をもたらし、アメリカ合衆国との関係強化と中国との距離を置く政策に転換した[16]オーストラリアン紙は四カ国対話についてオーストラリアの防衛問題にからめて広範に記事を書き、ラッド政権との交代後「オーストラリアの国益は長年の盟友であるアメリカ合衆国を支えることによって地域における優越性を維持できる」とされた。アメリカ合衆国によるギラード政権の和解と四カ国対話への復帰にもかかわらず、対話についてトニー・アボット豪自由党は四カ国関係を残したラッドの最初の決定を批判の対象とした[17]

北豪州への米海兵隊の駐留

インドへのウラン売却を実施しないオーストラリアの決定は四カ国同盟の弱体化を招き[18]豪自由党は批判の動きを示した。しかし、野党はチモール海ロンボク海峡を臨むダーウィン近郊へのアメリカ合衆国の軍事プレゼンスに対するギラードの政策を支持した。インドは依然として核不拡散条約の調印を拒否しており、アメリカ合衆国の支持の元でギラード豪労働党政権はその後方針を翻してインドにウランを売却するとした[19]

日本の民主党政権と自民党の政権復帰

民主党政権

2009年(平成19年)8月30日の第45回衆議院議員総選挙の圧勝で政権を獲得した民主党鳩山由紀夫内閣を成立。外交安全保障政策では防衛計画の大綱を改定しそれまでの方針であった「基盤的防衛力」に替わり「動的防衛力」を打ち出し、自衛隊インド洋派遣の撤退を決めた。しかし、普天間基地移設問題では日本国内を混乱させただけでなく、日米関係にも大きな影を投げかけた[20]。2010年(平成22年)9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件では、後に事件関係者で身柄を拘束されていた中国人漁船船長が異例の速さで釈放され、日中台で抗議デモが発生、事態の沈静化を図る日本は、事件発生時の海上保安庁が撮影したビデオの限定公開に踏み切るが、日本の世論を納得させる事ができず尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件を誘発させる。一連の経緯によって日中関係は悪化の方向を辿る。

2012年(平成24年)、私有地であった尖閣諸島をめぐり東京都知事石原慎太郎東京都による購入計画を明かす。これに対し中国政府は反発し[21]、日本政府は事態の沈静化を図るべく国有化を検討する。同年9月11日、私有地を国有化したものの、中国各地では反日デモが発生、やがてデモは暴動へと発展し在地日系企業が襲撃される事態に至った。次第に暴動は沈静化したものの日中関係は悪化したままであった。

菅内閣下の2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生し在日米軍は地震被災者救助のためトモダチ作戦を発動、この震災でオーストラリアは空軍のC-17大型輸送機を派遣している[22]。震災直後に発生した福島第一原子力発電所事故の影響で日本国内では電力不足が現実化し、東京電力管内では輪番停電が実施されるに至った。東京電力は代替発電手段の獲得に走っていたが、そのような中でタイ発電公社ガスタービン発電設備を無償貸与している[23]

2012年(平成24年)9月2日に成立した野田内閣では一川保夫田中直紀と続いて防衛大臣が任命されていたがいずれも大臣としての資質を問われる問責決議が原因で辞任し、初の民間人起用となる森本敏が任命され、北朝鮮によるミサイル発射実験では迅速に対応した。また、同年12月27日には武器輸出三原則の緩和を発表し、日本と安全保障面で協力関係のある国との間で共同開発や取引などが実行できる可能性が広がる[24]

第2次安倍内閣

民主党政権に替わって成立した第2次安倍内閣自公連立政権)は東南アジア・環太平洋圏重視の外交方針を示し第1次安倍内閣下で推進していた「自由と繁栄の弧」の方針を踏襲する形であり[25][26]、これについて多くの東南アジア各国はアメリカ合衆国の太平洋戦略を補完して、中華人民共和国に対するバランサーとして演じることに評価・期待する。特に、フィリピンは日本に対し円借款で巡視船10隻の供与を求め、日本国憲法の制約も承知のうえで海上自衛隊との踏み込んだ強力と連携を求める[27]。安倍晋三首相は2013年1月16日から4日間の予定で内閣発足後の初外遊を開始。訪問先国はベトナムタイ王国インドネシア東南アジア諸国連合との関係強化を図る。ほぼ同時期に、岸田文雄外務大臣は1月9日から14日の日程でフィリピンシンガポールブルネイおよびオーストラリアを訪問する予定であった[28][29]。しかし、外遊中の1月16日に発生したアルジェリア人質事件に対処するため予定を切り上げ、18日に予定されていたインドネシアでの日程を中止し日本に帰国する[30]。また2013年1月15日、改定されて間もない防衛計画の大綱は凍結され中期防衛力整備計画については廃止が決定される[31]

武器輸出三原則の緩和と豪潜水艦開発計画

2012年(平成24年)1月、オーストラリアの専門家は「日本の潜水艦は未知数」であるとして、コリンズ級潜水艦を代替する次世代潜水艦の建造計画の候補としてそうりゅう型潜水艦を調査の対象としていると伝える。オーストラリア国産のコリンズ級潜水艦は問題を抱かえており、一部筋からは豪ドル高を利用して外国から購入すべきという意見が出ている[32]。翌2013年1月、日本防衛省はオーストラリアの潜水艦開発に技術提供を検討していることが伝えられる。既に同年5月にはオーストラリア海軍本部長が呉基地を訪問しそうりゅう型潜水艦を視察している[33]

日米豪の枠組みによる協力

2015年(平成27年)7月、米豪両軍による合同軍事演習「タリスマン・セーバー」に自衛隊が初参加、日米豪で上陸訓練を行った[34]

分析

アメリカ合衆国のシンクタンクである新アメリカ安全保障センターによると、アメリカ合衆国はアジア太平洋で増大する経済力を背景に影響力を増す中国に対応するために四カ国対話を推進し、列強の競争、軍事力の増強、社会的不平等、そして現代の勢力争いのすべてはアジアで引き起こされているとした[35]。新アメリカ安全保障センターは民主的であると認められた国家とのあいだで一連の同盟を樹立することはアメリカ合衆国の国益を促進するとした。

共和党民主党の双方の著名な政治家は、2008年アメリカ合衆国大統領選挙においてアジアでのより積極的な外交政策の支持を表明した。バラク・オバマ大統領は国際連合安全保障理事会で中国とロシアの影響に対処するため、民主主義国間の新たな世界的協調を呼びかけた。オバマ政権の主要関係者が関与したプリンストン・プロジェクト(en:Princeton Project)の最終報告では民主主義国家の新たな協調を建設する必要性が求められた[36]。ヒラリー・クリントン国務長官の下にあるアン・マリー・スローター政策企画本部長はプリンストン・プロジェクトの最終報告を作成し、そこで「アメリカ合衆国、日本、オーストラリアおよびインド四カ国の軍事協力を再構築することを要求」した。共和党のジョン・マケインは「民主主義国の同盟」を、そしてルドルフ・ジュリアーニは民主主義国で軍事的に可能なアジア諸国を北大西洋条約機構に取り込むべきとした。四カ国戦略対話の発展は中国軍の近代化と連動し、また台湾海峡での偶発的事態に対しては「戦力投射能力」を備えるとし、一部のアメリカ政府関係者は南シナ海での中国の勢力拡大の懸念として海南島沖合でのアメリカ軍艦「T-AGOS-23 インペッカブル」と中国軍艦艇との衝突事件を引き合いに出している。

脚注

  1. ^ a b 47NEWS 4カ国戦略対話に消極姿勢 豪・印、中国外しに配慮か2007年8月3日
  2. ^ 朝日新聞東アジアに信頼の共同体を
  3. ^ Varadarajan, Siddharth, "US seeks India’s help to create 'century of America in Asia.'" simple:The Hindu, 5 July 2007
  4. ^ Gordon, Josh, "Diabolical dilemmas in PM’s China high-wire act." Sunday Age, 5 April 2009.
  5. ^ Twining, Daniel. "The new Asian order’s challenge to China." Financial Times, 26 September 2007.
  6. ^ Nicholson, Brendan. "China warns Canberra on security pact." The Age, 15 June 2007.
  7. ^ Lee, John, "Bush legacy: Better US-India relations." The Straits Times (Singapore), 8 October 2009.
  8. ^ Editorial: "China left out in India-Japan pact". The Business Times Singapore, 28 October 2008.
  9. ^ "Indian PM stresses economic, security ties with Japan not at cost of China." BBC Monitoring South Asia, 23 October 2008.
  10. ^ PM says India not part of “so called contain China” effort." BBC Monitoring Asia Pacific, 11 January 2008
  11. ^ McLennan, David, "Uranium sales to India will improve relations: think tank." Canberra Times, 1 June 2007.
  12. ^ Marsh, Virginia, "Warning on Beijing’s arms spending." Financial Times, 6 July 2007.
  13. ^ Gordon, Josh, "Diabolical dilemmas in PM’s China high-wire act." Sunday Age, 5 April 2009.
  14. ^ 日豪安全保障協力の進展と今後(PDF文書)
  15. ^ Callick, Rowan, "Rudd Revelations are Old News." The Australian, 9 December 2010.
  16. ^ Frydenberg, Josh, "Washington is integral to our region." The Australian, 21 September 2010.
  17. ^ Sheridan, Greg, "Popular reflections finding no favour in Beijing." The Australian, 18 November 2011.
  18. ^ Mattoo, Amitabh, "Time to invest in Indian partnership." The Australian, 17 August 2011.
  19. ^ India can thank Uncle Sam for Julia Gillard’s uranium backflip
  20. ^ 日本経済新聞 日米同盟 なぜ大事なの? 2013年1月19日
  21. ^ サーチナ 尖閣諸島購入は「違法かつ無効」―中国政府、石原知事発言で 2012年4月18日
  22. ^ Last members of JGSDF's 15th Brigade arrive in mainland Japan via KadenaPosted 3/19/2011 Updated 3/19/2011Email storyPrint story
  23. ^ 家電 Watch 東京電力、タイ発電公社から無償貸与のガスタービンが始動 2011年8月12日
  24. ^ msn産経ニュース 中国が求める小型潜水艦を・・・フランスの「邪心」 2013年1月20日
  25. ^ MSN産経ニュース 東南アジア外交 自由と繁栄で連携強化を 2013年1月15日
  26. ^ 毎日新聞 社説:安倍政権の外交 アジアでの足場固めを 2013年01月08日
  27. ^ MSN産経ニュース 東南アジア、安倍外交を歓迎 「米の戦略補完、対中バランサー的役割担う」 2013年1月13日
  28. ^ 中国新聞 首相16日から東南ア初外遊 2013年1月13日
  29. ^ 東京新聞 首相の初外遊 アジア3カ国 16日から 2013年1月10日
  30. ^ ウォール・ストリート・ジャーナル 安倍首相、外遊日程を一部中止=人質拘束事件に対応 2013年1月18日
  31. ^ MSN産経ニュース 対中脅威、即応力を強化 新防衛大綱、年内に策定 2013年1月26日
  32. ^ エヌ・エヌ・エー.ASIA 豪専門家が懸念、「日本の潜水艦は未知数」 経済 2012年1月16日
  33. ^ 朝日新聞デジタル 海自の潜水艦技術、豪へ提供検討 連携強化狙い防衛省 2013年1月27日
  34. ^ “日豪、進む「準同盟」化 自衛隊、米豪演習に初参加”. 朝日新聞DIGITAL. (2015年7月12日). http://www.asahi.com/articles/ASH7C66JTH7CUTFK00D.html 2015年7月14日閲覧。 
  35. ^ Campbell, K. M., Patel, N. and V. J. Singh, 2008. "The Power of Balance: America in iAsia." Center for a New American Security.
  36. ^ Brooks, L., Busby, J. W., Denmark, A. M., Ford, L., Green, M. J., Ikenberry, G. J., Kaplan, R. D., Patel, N., Twining, D., and R. Weitz, 2009. "China’s Arrival: A Strategic Framework for a Global Relationship." Eds. Abraham Denmark and Nirav Patel, Center for a New American Security.

関連項目

外部リンク