1967年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
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順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 84 | 46 | 4 | .646 | - |
2位 | 中日ドラゴンズ | 72 | 58 | 4 | .554 | 12.0 |
3位 | 阪神タイガース | 70 | 60 | 6 | .538 | 14.0 |
4位 | 大洋ホエールズ | 59 | 71 | 5 | .454 | 25.0 |
5位 | サンケイアトムズ | 58 | 72 | 5 | .446 | 26.0 |
6位 | 広島カープ | 47 | 83 | 8 | .362 | 37.0 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 75 | 55 | 4 | .577 | - |
2位 | 西鉄ライオンズ | 66 | 64 | 10 | .508 | 9.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 65 | 65 | 4 | .500 | 10.0 |
4位 | 南海ホークス | 64 | 66 | 3 | .492 | 11.0 |
5位 | 東京オリオンズ | 61 | 69 | 7 | .469 | 14.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 59 | 71 | 2 | .454 | 16.0 |
日本シリーズ
詳細は「1967年の日本シリーズ」を参照
- 読売ジャイアンツ (4勝2敗) 阪急ブレーブス
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 王貞治 | 巨人 | 足立光宏 | 阪急 | ||
最優秀新人 | 武上四郎 | サンケイ | 高橋善正 | 東映 | ||
首位打者 | 中暁生 | 中日 | .343 | 張本勲 | 東映 | .336 |
本塁打王 | 王貞治 | 巨人 | 47本 | 野村克也 | 南海 | 35本 |
打点王 | 王貞治 | 巨人 | 108点 | 野村克也 | 南海 | 100点 |
最多安打 | 藤田平 | 阪神 | 154本 | 土井正博 | 近鉄 | 147本 |
盗塁王 | 柴田勲 | 巨人 | 70個 | 西田孝之 | 東京 | 32個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) |
王貞治 | 巨人 | 276個 | 張本勲 | 東映 | .439 |
最優秀防御率 | 権藤正利 | 阪神 | 1.40 | 足立光宏 | 阪急 | 1.75 |
最多勝利 | 小川健太郎 | 中日 | 29勝 | 池永正明 | 西鉄 | 23勝 |
最多奪三振 | 江夏豊 | 阪神 | 225個 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 222個 |
最高勝率 | 堀内恒夫 | 巨人 | .857 | 石井茂雄 | 阪急 | .692 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 小川健太郎 | 中日 | 足立光宏 | 阪急 |
捕手 | 森昌彦 | 巨人 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 大杉勝男 | 東映 |
二塁手 | 高木守道 | 中日 | D.ブレイザー | 南海 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 森本潔 | 阪急 |
遊撃手 | 藤田平 | 阪神 | 大下剛史 | 東映 |
外野手 | 近藤和彦 | 大洋 | 土井正博 | 近鉄 |
柴田勲 | 巨人 | 長池徳二 | 阪急 | |
中暁生 | 中日 | 張本勲 | 東映 |
オールスターゲーム
詳細は「1967年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ドラフト会議
詳細は「1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第39回選抜高等学校野球大会優勝:津久見(大分県)
- 第49回全国高等学校野球選手権大会優勝:習志野(千葉県)
大学野球
- 第16回全日本大学野球選手権大会優勝:中央大
社会人野球
- 第38回都市対抗野球大会優勝:日本石油
- 第17回日本産業対抗野球大会優勝:日産自動車
メジャーリーグ
詳細は「1967年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- セントルイス・カージナルス(ナ・リーグ) (4勝3敗) ボストン・レッドソックス(ア・リーグ)
できごと
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4月
- 4月7日 - 第39回選抜高校野球大会の決勝戦が午後1時2分より甲子園球場にて行われ、津久見高校が高知高校を延長10回の末2-1で破り優勝[1]。
- 4月8日
- 4月11日 - サンケイの徳武定祐がこの日の神宮球場での対広島1回戦に出場せず、連続試合出場の記録が821試合で途絶える[4]。
- 4月25日 - 東京の坂井勝二が東京スタジアムでの対東映4回戦に先発し、東映を9回まで無安打無得点に抑えるが、10回表先頭打者の種茂雅之に三塁打を打たれた後2失点し、チームは東映に0-2で敗戦したため敗戦投手となる[5]。
5月
- 5月3日 - 東映の尾崎行雄が大阪球場での対南海4回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[6]。
- 5月4日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対東映5回戦の2回裏に2号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[7]。
- 5月17日 - 近鉄の監督兼選手の小玉明利が東京スタジアムでの対東京7回戦に出場して通算1710試合出場を達成し、パ・リーグ最多試合出場の新記録となる[8]。
- 5月18日
- 5月19日 - 東京の小山正明が東京スタジアムでの対南海5回戦で勝利投手となり、プロ通算250勝を達成[11] 。
- 6月22日 - 東京六大学春季リーグにおいて、法政の田淵幸一が対慶應戦で2本塁打を放つ。通算10本塁打は六大学史上新記録[12]。
- 5月23日 - サンケイは監督の飯田徳治がチームの成績不振を理由に休養し、ヘッドコーチの中原宏が監督代理となることを発表[13]。
6月
- 6月2日 - 大洋ホエールズは監督の三原脩が休養し、ヘッドコーチの別当薫が監督を務めると発表[14]。
- 6月6日
- 6月10日 - 広島の鵜狩道旺がウェスタン・リーグの対近鉄戦において、リーグ史上初の完全試合を達成[16]。
- 6月7日 - 巨人の金田正一が川崎球場での対大洋10回戦で先発し、16三振を奪い1試合奪三振のセ・リーグ新記録を達成[17]。
- 6月14日 - 東京の榎本喜八が東京スタジアムでの対東映フライヤーズ11回戦の7回裏に代打で登場して二塁打を放ち、パ・リーグ新記録の通算1828安打を記録[18]。
- 6月19日 - 東京のオーナーの永田雅一は東京・京橋の大映本社にて緊急の幹部会を招集し、監督の戸倉勝城に休養を命じ、ヘッドコーチの濃人渉を監督代理に任命することを決定[19]。
- 6月20日 - 中日の葛城隆雄が中日球場での対大洋9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[20]。
- 6月21日 - 中日の葛城隆雄が中日球場での対大洋10回戦の4回裏に8号本塁打を放ち、プロ通算150号本塁打を記録[21]。
- 6月23日 - 巨人の柳田利夫が南海へ金銭トレードされる[22]。
- 6月24日 - サンケイの豊田泰光が神宮球場での対大洋11回戦の2回裏に4号本塁打を放ち、プロ通算250号本塁打を達成[23]。
7月
- 7月7日 - サンケイは5月23日から休養していた監督の飯田徳治が8日の対阪神戦から監督に復帰すると発表[24]。
- 7月10日 - 巨人の王貞治が川崎球場での対大洋15回戦の2回表に25号本塁打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[25]。
- 7月19日 - 東映の白仁天が後楽園球場での対近鉄14回戦の9回裏、3-5と二点リードされた場面で本塁打を放ち逆転サヨナラ本塁打となるところが、白は前の走者の吉田正昭を追い越したため、白はアウトとなり、「3点本塁打」が「2点適時打」となり同点にとどまる。試合も延長10回近鉄に6-5と敗戦[26]。
- 7月23日 - セ・パ両リーグ共に前半戦の日程が終了。セは巨人が2位と6.5ゲーム差の首位、パ・リーグは阪急が2位の8ゲーム差の首位[27]。
- 7月30日 - 阪急対東京戦で、2回無死一、二塁の場面で、阪急の二塁手の住友平による一人でトリプルプレーが記録される[28]。
8月
- 8月6日 - 巨人の田中久寿男が神宮球場での対サンケイ戦16回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[29]。
- 8月14日 - 巨人の長島茂雄が後楽園球場での対サンケイ19回戦の1回裏に14号本塁打を放ち、プロ通算250号本塁打を達成[30]。
- 8月15日 - 東京はオーナーの永田雅一が東京・京橋の大映本社で午前10時より記者会見を行い、監督が戸倉勝城に代わりヘッドコーチの濃人渉が昇格したと発表[31]。
- 8月31日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対サンケイ戦で1回裏に39号本塁打、3回裏に40号本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成[32]。
9月
- 9月7日 - 西鉄の若生忠男が平和台球場での対阪急22回戦に登板し、プロ通算500試合登板を達成[33]。
- 9月17日
- 9月23日 - 後楽園球場での阪神対大洋24回戦の1回表、二死満塁で打者森中千香良のカウント2ストライクからの3球目の判定に対し、阪神の監督の藤本定義が主審の大谷泰司に抗議。約30分後に試合が再開されたが、審判団はプレーボールの状態で1分待ったが阪神の選手がグラウンドに入らなかったとして、阪神の放棄試合を宣告[36]。
10月
- 10月1日 - 阪急は西京極球場での対東映ダブルヘッダー第一試合10-6と勝利し、大阪球場での南海対西鉄ダブルヘッダー第一試合で南海が西鉄に1-2と敗戦したため、阪急のリーグ優勝が決まる[37]。
- 10月3日 - 大洋の監督の三原脩が東京の自宅にて、今シーズン限りで退団すると表明[38]。
- 10月4日 - 大洋は監督の三原脩の退団を認めたと発表[39]。
- 10月7日 - 巨人のリーグ優勝が決定。2位の中日が中日球場での対サンケイダブルヘッダー第一試合でサンケイに敗れたため[40]。
- 10月10日 - 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対広島22回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成。また打撃では2、4、6回と3打席連続本塁打を記録[41]。
- 10月14日 - 阪神の山内一弘が東京スタジアムでの対サンケイダブルヘッダー第二試合24回戦の8回裏に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[42]。
- 10月23日 - 広島は監督の長谷川良平に対して解任を通告[43]。
- 10月28日 - 日本シリーズで巨人が阪急を4勝2敗で下し、3年連続の日本一[44]。
- 10月30日
11月
- 11月1日 - サンケイは別所毅彦監督、楠安夫ヘッドコーチの就任を発表。
- 11月6日 - 近鉄は三原脩の監督就任を発表[45]。
- 11月24日 - 巨人と西鉄は益田昭雄、吉田勝豊と井上善夫のトレードを発表[46]。
- 11月25日 - 東映フライヤーズは水原茂監督を解任し、大下弘の監督就任を発表[47]。
12月
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
- 5月2日 - ヘルマン・メサ
- 5月5日 - 葛西稔
- 5月10日 - 今久留主成幸
- 5月15日 - ジョン・スモルツ
- 5月16日 - 前原博之
- 5月26日 - 福沢洋一
- 5月31日 - ケニー・ロフトン
6月
7月
8月
9月
10月
- 10月12日 - マイケル・ディミューロ
- 10月13日 - トレバー・ホフマン
- 10月17日 - マーク・ジョンソン
- 10月20日 - ハービー・プリアム
- 10月21日 - 河本育之
- 10月23日 - オマール・リナレス
- 10月29日 - ナルシソ・エルビラ
- 10月30日 - 小島弘務
11月
12月
死去
脚注
- ^ 毎日新聞1967年4月7日夕刊1面「センバツ 初陣の津久見優勝 延長12回 高知高を破る」毎日新聞縮刷版1967年4月p175
- ^ 毎日新聞1967年4月8日夕刊10面「プロ野球ひらく 後楽園では昼と夜と」毎日新聞縮刷版1967年4月p212
- ^ 毎日新聞1967年4月9日13面「南海"開幕"に七連勝 小山の力投(通算三振奪取二千五百)及ばず」毎日新聞縮刷版1967年4月p227
- ^ 毎日新聞1967年4月12日13面「徳武の連続出場がストップ」毎日新聞縮刷版1967年4月p299
- ^ 毎日新聞1967年4月26日13面「健闘坂井、また悲劇 九回を無安打、十回ダウン」毎日新聞縮刷版1967年4月p695
- ^ 毎日新聞1967年5月4日13面「尾崎、完投で百勝目 宿敵の南海を最下位に」毎日新聞縮刷版1967年5月p85
- ^ 毎日新聞1967年5月5日13面「広瀬プロ入り百号ホーマー」毎日新聞縮刷版1967年5月p113
- ^ 毎日新聞1967年5月18日13面「小玉が千七百十試合出場のパ新記録」毎日新聞縮刷版1967年5月p425
- ^ 毎日新聞1967年5月19日13面「巨人の勝率8割 大洋 桑田の二百号むなし」毎日新聞縮刷版1967年5月p453
- ^ 毎日新聞1967年5月19日13面「中日の西沢監督が休養」毎日新聞縮刷版1967年5月p453
- ^ 毎日新聞1967年5月520日13面「小山(東京)が二百五十勝 史上五人目、完投で飾る」毎日新聞縮刷版1967年5月p481
- ^ 岸野雄三 ほか『近代体育スポーツ年表 1800→1997』大修館書店、1999年、226頁。ISBN 4469264083。
- ^ 毎日新聞1967年5月24日13面「飯田監督は不振を苦に休養」毎日新聞縮刷版1967年5月p583
- ^ 毎日新聞1967年6月3日13面「三原・大洋監督も休養 代理は別当ヘッドコーチ」毎日新聞縮刷版1967年6月p73
- ^ a b 毎日新聞1967年6月7日13面「長池(四打席連続ホーマー)杉浦に10、11号 梶本は完封で二百勝」毎日新聞縮刷版1967年6月p185
- ^ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年11月、72頁。
- ^ 毎日新聞1967年6月8日13面「金田、16奪三振のセ新記録」毎日新聞縮刷版1967年6月p213
- ^ 毎日新聞1967年6月15日13面「安打数でパ新記録 東京の榎本」毎日新聞縮刷版1967年6月p403
- ^ 毎日新聞1967年6月20日13面「戸倉監督(東京)も休養 濃人ヘッドコーチ きょうから指揮」毎日新聞縮刷版1967年6月p541
- ^ 毎日新聞1967年6月21日13面「葛城が千五百試合出場を記録」毎日新聞縮刷版1967年6月p565
- ^ 毎日新聞1967年6月22日13面「葛城が通算百五十号本塁打」毎日新聞縮刷版1967年6月p593
- ^ 毎日新聞1967年6月24日13面「巨人の柳田が南海へ」毎日新聞縮刷版1967年6月p651
- ^ 毎日新聞1967年6月25日13面「救援金田、痛い押し出し 小川12勝 豊田はプロ入り250号」毎日新聞縮刷版1967年6月p679
- ^ 毎日新聞1967年7月8日17面「産経の飯田監督きょうから復帰」毎日新聞縮刷版1967年7月p217
- ^ 毎日新聞1967年7月11日13面「桑田2ラン2発 王の千本安打(25号)及ばず」毎日新聞縮刷版1967年7月p297
- ^ 毎日新聞1967年7月20日13面「真夏の夜の珍事 白(東映)幻の逆転サヨナラ3ラン 走者追い越して単打 試合も延長で敗れる」毎日新聞縮刷版1967年7月p530
- ^ 毎日新聞1967年7月24日13面「巨人・阪急、大差でUターン プロ野球、前半戦を終わる」毎日新聞縮刷版1967年7月p639
- ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」952ページ
- ^ 読売新聞1967年8月7日11面「田中、千試合飾る1号」読売新聞縮刷版1967年8月p169
- ^ 読売新聞1967年8月15日11面「巨人、15安打でサンケイ粉砕 長島は通算250号 城之内、完投で16勝」読売新聞縮刷版1967年8月p381
- ^ 読売新聞1967年8月15日夕刊6面「新監督に濃人氏 東京オリオンズ」読売新聞縮刷版1967年8月p392
- ^ 読売新聞1967年9月1日8面「王、プロ入り三百号 39、40号連続3ランで飾る」読売新聞縮刷版1967年9月p8
- ^ 読売新聞1967年9月8日9面「若生(西鉄)五百試合登板」読売新聞縮刷版1967年9月p201
- ^ 読売新聞1967年9月18日11面「若生(西鉄)ノーヒットノーラン "あと9勝"の阪急押える」読売新聞縮刷版1967年9月p475
- ^ 読売新聞1967年9月18日11面「長島が千五百本安打 城之内、サンケイを完封」読売新聞縮刷版1967年9月p475
- ^ 読売新聞1967年9月24日9面「阪神が試合放棄 判定に不満で中断 再開準備中に宣告」読売新聞縮刷版1967年9月p649
- ^ 読売新聞1967年10月2日1面「阪急が初優勝 プロ野球パ・リーグ」読売新聞縮刷版1967年9月p25
- ^ 朝日新聞1967年10月4日13面「三原監督が辞意 大洋」朝日新聞縮刷版1967年10月p93
- ^ 朝日新聞1967年10月5日「三原監督が正式退団 後任は別当コーチ昇格」朝日新聞縮刷版1967年10月p129
- ^ 読売新聞1967年10月7日夕刊1面「巨人22回目の優勝 セ・リーグ "日本一"かけ阪急と対決」読売新聞縮刷版1967年10月p189
- ^ 読売新聞1967年10月11日9面「堀内(巨人)投打に快記録 投手初の連続3ホーマー 無安打得点は今季二人目」読売新聞縮刷版1967年10月p289
- ^ 読売新聞1967年10月15日9面「権藤(阪神)防御率トップ 山内は二千本安打 川上に次ぎ史上2人目」読売新聞縮刷版1967年10月p409
- ^ 読売新聞1967年10月24日11面「長谷川監督(広島)を解任 松田オーナーも辞意」
- ^ 読売新聞1967年10月29日9面「巨人、15安打で9回目の栄冠 長島、王が足立を攻略」読売新聞縮刷版1967年10月p813
- ^ 毎日新聞1967年11月7日「三原監督決まる 近鉄、正式に就任を発表」縮刷版p185
- ^ 読売新聞1967年11月25日11面「益田、吉田勝西鉄へ 巨人、井上善と交換発表」読売新聞縮刷版1967年10月p715
- ^ 毎日新聞1967年11月26日13面「東映新監督に大下弘氏 水原解任"電撃的組閣"で幕」縮刷版p729