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2021年6月16日 (水) 12:55時点における版

バート・バカラック
1972年
基本情報
生誕 (1928-05-12) 1928年5月12日(95歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミズーリ州 カンザスシティ
ジャンル ポップス
職業 作曲家
編曲家
ピアニスト
音楽プロデューサー
歌手
担当楽器 ピアノ
共同作業者 ハル・デヴィッド
ディオンヌ・ワーウィック

バート・フリーマン・バカラック(Burt Freeman Bacharach、1928年5月12日 - )は、 アメリカ合衆国出身の音楽家作曲家編曲家ピアニスト音楽プロデューサー歌手シンガーソングライター)、楽団指揮者。

ミズーリ州カンザスシティ生まれ。ニューヨーク市クイーンズ区のフォレストヒル地域で育った。ドイツ系ユダヤ人の血をひく[1]。カナダのモントリオールにあるマギル大学Shulich School of Music、ニューヨークのMannes School of Music、サンタバーバラのMusic Academy of the Westで学び、1962年から70年代にかけて、作詞家のハル・デヴィッドとのコンビで多くのヒット曲を作曲した。 2006年の時点において、米国で70曲のトップ40、英国で52曲のトップ40の実績がある。[1] また、アカデミックな作曲技法をダリウス・ミヨーヘンリー・カウエルといった、いわゆる西洋芸術音楽クラシック音楽)の作曲家に師事している。バカラックのアカデミックな音楽センスはこの時に培われたものである。

父親は著名なコラムニストであったMark Bertram Bacharach。

キャリア

50年代、多くの曲を書きためながら不遇だった時期にマレーネ・ディートリヒが彼の才能を見抜いてバックに起用した。彼女の公私ともに渡るパートナーとなり彼女のステージに同行し、バックのオーケストラの指揮、アレンジ及び伴奏ピアノを担当したころから注目を集めるようになった。やがて、作詞家 ハル・デヴィッドとのコンビにより最盛期を迎える。自身でも歌を歌いソロ・アルバムも発表しているが、他歌手への楽曲の提供、編曲、プロデュースが知られている。

ディオンヌ・ワーウィックB・J・トーマスダスティ・スプリングフィールドカーペンターズトム・ジョーンズジャック・ジョーンズ等)。代表作に「ウォーク・オン・バイ」「遙かなる影」「世界は愛を求めている」「小さな願い」「ベイビー・イッツ・ユー」「サン・ホセへの道英語版」などがある。

映画音楽でも数々の楽曲を提供し、特にジョージ・ロイ・ヒル (George Roy Hill) 監督の映画明日に向って撃て![2] (Butch Cassidy and the Sundance Kid) 』の主題歌「雨にぬれても (Raindrops Keep fallin' On My Head) 」はアカデミー主題歌賞を受賞した。1973年には、初めてミュージカル映画の音楽を担当した『失われた地平線』が作られたが、この作品は大失敗作となった。

稀代のメロディーメーカーであリ、コード進行の激しい曲構造に特徴がある。編曲においては、ジャズを出発点としながらもボサノヴァの世界的流行の時代にその影響を作風に反映した。モダンな和声と複雑なリズムパターンが独自のバカラックスタイルとして確立、またその楽曲がラテンなど多くのジャンルのミュージシャンが好んでレパートリーに取り上げる等、流行となった。

しかし70年代半ばになるとそうした斬新な作風は影を潜め、作曲活動が停滞してしまう。だが、80年代に入ると、寡作ではあるが"Arthur's Theme"(クリストファー・クロス,1981)、"That's What Friends Are For"(ディオンヌ&フレンズ)、"On My Own"(パティ・ラベル& マイケル・マクドナルド,1986)といった親しみやすい楽曲でヒットを飛ばした。

惜しむらくは80年代に入る頃からブラスストリングスを含むフルオーケストレーションの編曲が求められない時代となり、彼のみならず才能あるアレンジャーは活躍の場が激減する。

1997年の映画『オースティン・パワーズ』ではエルヴィス・コステロとともにカメオ出演をしている(バカラックは1967年の映画『カジノロワイヤル』の音楽を担当している)。

近年はエルヴィス・コステロら他のミュージシャンとのコラボレーションが多かったが、2005年に28年ぶりにソロアルバム『アット・ディス・タイム英語版』をリリース。2020年にはダニエル・タシアン英語版と組み、15年ぶりに新曲入りのアルバム『ブルー・アンブレラ』をリリースした[3][4]

私生活では4回の結婚歴があり、2人目の妻は女優アンジー・ディキンソン、3人目の妻はシンガーソングライターキャロル・ベイヤー・セイガーである。

サラブレッドのオーナーブリーダーでもある。かつて第1回ドバイワールドカップを勝ったシガーに続いてゴールした(2着馬)ソウルオブザマターを所有していた。

90歳を迎えた現在も健在である。

ミュージカル作品

歌曲作品

映画音楽

映画出演

主な受賞

アカデミー賞

グラミー賞

関連項目

脚注

外部リンク