ジューリー・スタイン

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ジュール・スタイン (1961年)

ジュール・スタインJule Styne, 1905年12月31日 - 1994年9月20日)は、イギリス生まれのアメリカ合衆国のソングライターで、多くのミュージカル作品で知られる。そのうち7作品は有名で、よく再演される。

最も有名な曲はサミー・カーン作詞の「レット・イット・スノウ英語版」(1945)。[1]15曲がチャートで1位になった[2]

初期[編集]

ロンドンでJulius Kerwin Steinとして生まれた。ロシア帝国ウクライナ地方からのユダヤ人移民の八百屋の息子。8歳で家族でシカゴに引っ越し。ピアノレッスンを受ける。神童とされ、10歳以前にシカゴ交響楽団セントルイス交響楽団デトロイト交響楽団と共演した。

仕事[編集]

シカゴ音楽大学入学。後に映画プロデューサーとして成功するMike Toddと友人で、トッドが製作中だったミュージカルの曲を作るように頼まれ手伝う。これが1,500曲以上出版されたスタイン作品の事始めとなった。

自身のダンスバンドを組み、ハリウッドから呼ばれ、フランク・シナトラから崇拝され、作詞家サミー・カーンと組み、多くの映画に曲を書いた。代表作に

など。

1955年のミュージカル映画My Sister Eileenの映画音楽でLeo Robinと組んだ。

オスカーには10回入選。多くはカーンとの共作だった。代表作に

  • "I've Heard That Song Before":Harry James and His Orchestraで1943年に13週間一位。
  • "I'll Walk Alone",
  • "It's Magic":『洋上のロマンス』より。ドリス・デイが1948年に二位にした。
  • "I Fall in Love Too Easily".

など。

1947年、初ミュージカル『High Button Shoes』の曲をカーンと書き、その後数十年で多くのブロードウェイのショーに書いた。代表作に

など。

作詞家はSammy Cahn, Leo Robin, Betty ComdenAdolph Green, Stephen Sondheim, Bob Merrillなど。

1960年に開園し短命に終わったアミューズメント・パークFreedomland U.S.A.のテーマ曲を書いた。

1972年にソングライターの殿堂入り。[3]

1981年に劇場の殿堂入り。[4]

作品[編集]

歌:


クレジット

参照[編集]

  1. ^ "About this person: Jule Styne", New York Times, Retrieved 2013-12-16
  2. ^ William Zinsser著『easy to remember』p193
  3. ^ Jule Styne at the Songwriters Hall of Fame
  4. ^ "26 Elected to the Theater Hall of Fame." The New York Times, March 3, 1981.
  5. ^ http://owendaly.com/jeff/SLIH/press/index.html

外部リンク[編集]