植田和男
2023年4月、内閣総理大臣官邸にて | |
生誕 |
1951年9月20日(73歳) 日本 静岡県榛原郡相良町 |
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国籍 | 日本 |
研究機関 |
ブリティッシュコロンビア大学 大阪大学 東京大学 共立女子大学 |
研究分野 | マクロ経済学・金融論 |
母校 |
東京大学経済学部 マサチューセッツ工科大学 (Ph.D.) |
博士課程 指導教員 | スタンレー・フィッシャー |
実績 | 第32代日本銀行総裁 |
受賞 |
第5回サントリー学芸賞 第26回日経・経済図書文化賞 |
情報 - IDEAS/RePEc |
植田 和男(うえだ かずお、1951年〈昭和26年〉9月20日 - )は、日本の経済学者[1]。第32代日本銀行総裁。専門はマクロ経済学、金融論。東京大学名誉教授。Ph.D.。
静岡県出身。年金積立金管理運用独立行政法人 (GPIF) 運用委員長、日本銀行政策委員会審議委員、東京大学大学院経済学研究科長、共立女子大学ビジネス学部ビジネス学科教授を歴任した。
人物・経歴
[編集]植田 和男 | |
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第32代 日本銀行総裁 | |
任期 2023年4月9日 – 現職 | |
首相 | 岸田文雄 石破茂 |
代理官 | 内田眞一 氷見野良三 |
前任者 | 黒田東彦 |
概要
[編集]東京教育大学附属駒場高等学校(現筑波大学附属駒場高等学校)卒業。東京大学理学部、同大学経済学部卒業。東大経済学部在学中は宇沢弘文(数理経済学)、小宮隆太郎(国際金融論)、浜田宏一(国際金融論)の下で学ぶ[2]。
長きに渡り東京大学で教鞭を執った一方で、政策当局への所属経験も多い。1985年~1987年には大蔵省財政金融研究所主任研究官を務める。研究所では旧日本開発銀行(現日本政策投資銀行)から出向してきた竹中平蔵(慶応義塾大学名誉教授)、高橋洋一と机を並べ、そのころ拡大していた日本の経常黒字などについて研究した[3]。
1998年には日本銀行政策委員会審議委員に就任し、バブル崩壊の影響で大手金融機関の破綻が相次ぐ不況の中、速水優総裁によるゼロ金利政策や量的金融緩和政策の導入を政策委員会の理論的支柱として支えた。2000年の金融政策決定会合においては、ゼロ金利政策の解除に対し反対票を投じた[4]。
2023年2月14日、4月に退任する黒田東彦の後任として、政府が植田を第32代日本銀行総裁へ起用する同意人事案を国会に提示した[5]。3月9日に衆議院[6]、10日に参議院で同意人事案の採決が行われ、それぞれ賛成多数で同意された[7]。
同年4月9日、総裁に就任[8]。同年内閣府中央防災会議委員[9]、金融広報中央委員会顧問[10]、国際通貨基金総務会総務代理たる日本政府代表代理、国際復興開発銀行総務会総務代理たる日本政府代表代理、欧州復興開発銀行総務会総務代理たる日本政府代表代理、米州開発銀行総務会総務代理たる日本政府代表代理、アジア開発銀行総務会総務代理たる日本政府代表代理、アフリカ開発銀行総務会総務代理たる日本政府代表代理、投資紛争解決国際センター理事会代表者代理たる日本政府代表代理[11]。
日銀総裁
[編集]2023年4月9日、黒田東彦の後任として日銀総裁に就任。2024年3月の金融政策決定会合では、それまで続いていたマイナス金利の解除を決定。金利を0.1%として、17年ぶりの利上げに踏み切った[12][13]。さらに024年7月には、金利と0.25%とし、追加の利上げを行った[14]。
また、植田は長短金利操作(イールドカーブコントロール)を終了した。ジュピター・アセット・マネジメントのダニエル・カーターは、「金利をマイナスからプラス圏に引き上げるには非常に微妙なさじ加減が必要」とし、それを成し遂げた植田を評価し、また彼を起用を決定した岸田文雄首相の隠れた功績であるとした[15]。
家族・家系
[編集]家族・親族
[編集]俳優の加藤剛は祖父の従弟に当たる[16][17]。そのため加藤の甥に当たる俳優のうえだ峻とは縁戚であり、元牧之原市長の西原茂樹は遠い親戚に当たる[18]。妻は経済学者(日本女子大学教授)の植田敬子[19]。
家系
[編集]基本的な出典は「川原崎次郎編著『城下町相良区史』城下町相良区史刊行会」のpp.755-758より。
植田家は前浜町(現・牧之原市)の名主を務めた家柄で、江戸期には重郎左衛門を襲名した[16]。明治初期の植田重五郎は1872年3月26日(明治5年2月18日)に初めて相良に郵便取扱所を開き、後、勘六、富蔵と相良郵便局(三等郵便局)長を継いでいる[16][20]。
なお『相良郵便局業務沿革誌』によれば、「明治四年十一月島田御用所より相良町に郵便取扱所設置に付、希望の者願書差出方示達あり。相良前浜組頭植田重五郎御請願。翌年二月十八日許可方に相成り、掛川宿亀田吉忠方へ出張請書差出。金谷の宿へ毎月二、六、九の日差出の事に相成り、斯に郵便開始の運びに至れり。」とあり、植田重五郎は当時、前浜町組頭で川船改役を兼務しており、藩政期から回漕業にかかわっていたようである[21]。
植田家
[編集]- 高祖父・勘六(生年不明 - 1933年(昭和8年))
- 祖父・重郎左衛門(1904年(明治37年)1月1日 - 1975年(昭和50年)10月3日)
- 富蔵・ともの長男として、相良一一四番地に生まれた[16]。1918年(大正7年)東京逓信局通信生養成所を卒業、相良郵便局に奉職したが、1920年(大正9年)東京、白金郵便局に転勤。同年通信書記補に任官。1923年(大正12年)10月、池新田村(現:御前崎市)篠崎清五郎の長女・静江と結婚[27]。1925年(大正14年)通信書記となり東京中央郵便局在勤を命じられた。直後、相良郵便局事務員。1927年(昭和2年)通信手となり、1939年(昭和14年)5月三等郵便局長(相良)に就任。父・富蔵の後を継いだ。1941年(昭和16年)官制改正により特定郵便局長。1944年(昭和19年)勲八等に叙せられた。
- 戦時中の多難な情勢下に通信業務、貯蓄増強、国債消化に尽力。大政翼賛会相良町常会委員を務めた[16]。戦後、諸物資欠乏の中で局員と共に野菜類をリヤカーに積み郊外に売り歩いたこともあった。1956年(昭和31年)東遠特定局長会副会長等に就任。1958年(昭和33年)局舎が国営となり相生町に移転。1961年(昭和36年)局種種別改訂により普通局となり、引き続き局長を命じられたが、1962年(昭和37年)勤続四十四年で退官した。1975年(昭和50年)10月3日、没した。行年七十一歳。遺体は大澤寺墓地に葬られ、即日、国は従六位勲五等瑞宝章を授与した[16]。
- 趣味、特技は料理、ビリヤード、狩猟、釣り、メジロ飼育など多岐にわたった[16]。
- 祖母・静江(1906年(明治39年) - 没年不明)
- 父・重男(1925年(大正14年)生)
家系図
[編集]植田重五郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
植田勘六 | 西原文平 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
篠崎清五郎 | 植田富蔵 | とも | せつ | 加藤鉉一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
静江 | 植田重郎左衛門 | 加藤剛 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
植田重男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
植田和男 | 敬子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
略歴
[編集]学歴
[編集]- 1970年 東京教育大学附属駒場高等学校(現:筑波大学附属駒場高等学校)卒業
- 1974年 東京大学理学部数学科卒業、東京大学経済学部へ学士入学
- 1975年 東京大学大学院経済学研究科進学
- 1976年 マサチューセッツ工科大学大学院進学
- 1980年 マサチューセッツ工科大学博士課程修了 (Ph.D.)
教職
[編集]- 1980年 カナダブリティッシュコロンビア大学経済学部助教授
- 1982年 大阪大学経済学部助教授
- 1989年 東京大学経済学部助教授
- 1993年 東京大学経済学部教授
- 2005年 - 2007年9月 東京大学大学院経済学研究科長
- 2005年 東京大学大学院経済学研究科教授
- 2017年 東京大学名誉教授
- 2017年 共立女子大学教授
- 2020年 共立女子大学ビジネス学部ビジネス学科教授
学外における役職
[編集]- 1985年 - 1987年 大蔵省財政金融研究所主任研究官
- 1998年 - 2005年 日本銀行政策委員会審議委員
- 2005年 - サントリー学芸賞政治・経済部門選考委員
- 2008年 - 日本政策投資銀行社外取締役
- 2011年4月 - 2012年6月 日本経済学会会長
- 2019年 - 日揮ホールディングス株式会社社外取締役
- 2023年4月 - 日本銀行総裁
その他、年金積立金管理運用独立行政法人 (GPIF) 運用委員長、日本銀行金融研究所特別顧問を務める。
受賞
[編集]- 1983年 『国際マクロ経済学と日本経済』でサントリー学芸賞、日経・経済図書文化賞
著書
[編集]単著
[編集]- 国際マクロ経済学と日本経済 開放経済体系の理論と実証 東洋経済新報社, 1983
- 戦後の経済変動と経常収支 大蔵省財政金融研究所, 1986
- 国際収支不均衡下の金融政策 東洋経済新報社, 1992 ISBN 4492651578
- ゼロ金利との闘い 日銀の金融政策を総括する 日本経済新聞社, 2005 ISBN 4532351839
- 大学4年間の金融学が10時間でざっと学べる 中経出版, 2017
共著
[編集]- 円・ドルレート:1973-1985 吉田康 大蔵省財政金融研究所, 1986
- 企業間株式持合の経済的影響の分析 東京大学, 1990
- 金融・入門 三日間の経済学 翁邦雄 JICC出版局, 1991 ISBN 4796601449
- 戦後日本の資金配分 産業政策と民間銀行 岡崎哲二, 奥野正寛ほか 東京大学出版会, 2002 ISBN 4130401866
編著
[編集]- パースペクティブ日本経済 円高シフトの構造と方向 伊藤元重, 竹中平蔵共編 筑摩書房, 1988 ISBN 4480854460
- 90年代の国際金融 深尾光洋共編 日本経済新聞社, 1991 ISBN 4532130115
- 変革期の金融システム 貝塚啓明共編 東京大学出版会, 1994 ISBN 4130401416
- 金融空洞化の経済分析 深尾光洋ほか共編 日本経済新聞社, 1996 ISBN 453213109X
- 日本経済事典 伊藤元重, 小峰隆夫, 猪木武徳, 加護野忠男, 樋口美雄共編 日本経済新聞社, 1996 ISBN 4532145007
- 世界金融・経済危機の全貌 原因・波及・政策対応 慶應義塾大学出版会, 2010 ISBN 9784766417753
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “日銀新総裁、植田和男氏を起用へ 経済学者で元審議委員=報道”. jp.reuters.com. jp.reuters.com (2023年2月10日). 2023年2月11日閲覧。
- ^ 東京大学教授 植田和男さん 理論と政策を行き来する(5) 大学への恩返しにと事務方の仕事も担う 日本経済新聞 2011年10月21日
- ^ “東京大学教授 植田和男さん”. 日本経済新聞 (2011年10月19日). 2023年2月10日閲覧。
- ^ 日銀総裁に植田元審議委員を起用、副総裁に内田、氷見野両氏-報道 ブルームバーグ 2023年2月10日 16:21 JST
- ^ “政府、日銀総裁に植田和男元審議委員を提示=同意人事”. ロイター. (2023年2月14日) 2023年3月13日閲覧。
- ^ “衆議院、植田和男・次期日銀総裁案に同意”. 日本経済新聞. (2023年3月9日) 2023年3月13日閲覧。
- ^ “植田和男・日銀新総裁を正式決定 国会が同意、学者出身は戦後初”. 朝日新聞. (2023年3月10日) 2023年3月13日閲覧。
- ^ “新旧総裁、語録で比べる緩和姿勢 植田氏「魔法は不要」”. 日本経済新聞. (2023年4月8日) 2023年4月9日閲覧。
- ^ (官公庁人事)内閣府
- ^ 金融広報中央委員会の委員等名簿(PDF 162KB)(2023年6月13日現在)
- ^ 官報令和5年本紙第958号 9頁
- ^ “異例の大規模緩和に幕引き 植田日銀総裁、就任1年―さらなる正常化に課題も”. 時事ドットコム. (2024年4月9日) 2024年10月5日閲覧。
- ^ 藤崎麻里; 星野眞三雄 (2024年7月25日). “日本もついに「金利のある世界」へ30年ぶり上昇か、住宅ローン選びで明暗分かれる?”. 朝日新聞 2024年10月5日閲覧。
- ^ “日銀7月会合要旨、利上げ後も「緩和の調整進める」”. 日本経済新聞. (2024年9月26日) 2024年10月5日閲覧。
- ^ 佐野日出之; 我妻綾 (2024年10月4日). “「石破ショック」で首相に早くも市場の洗礼-前任並み変わり身あるか”. Bloomberg 2024年10月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年3月19日閲覧。
- ^ “西原文平 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2023年3月19日閲覧。
- ^ “「頭脳明晰」おじも期待 日銀次期総裁に牧之原市出身・植田和男氏起用へ「びっくりしかない」「明るいニュース」地元沸く | TBS NEWS DIG (1ページ)”. TBS NEWS DIG. 2023年3月19日閲覧。
- ^ (人間発見)東京大学教授 植田和男さん 理論と政策を行き来する(4)- (日本経済新聞)2011年10月20日
- ^ a b “(2ページ目)「数式を普通の文章のように読む」 日銀新総裁・植田和男氏の天才エピソード、教え子が“酒豪ぶり”も証言”. デイリー新潮. 2023年3月19日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年3月22日閲覧。
- ^ a b c “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年3月19日閲覧。
- ^ “菊川市/成瀬藤一”. www.city.kikugawa.shizuoka.jp. 2023年3月19日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年3月19日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年3月19日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年3月19日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年3月19日閲覧。
- ^ “会社沿革 |富士ソフト株式会社”. www.fsi.co.jp. 2023年3月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所, 1928年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版 タ-ワ之部、補遺』帝国秘密探偵社, 1930年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第11版』帝国秘密探偵社, 1935年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』帝国秘密探偵社、1938年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 中部篇』帝国秘密探偵社, 1940年。
- 川原崎次郎編著『城下町相良区史』城下町相良区史刊行会、1986年10月, pp.755-758。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 総裁:植田和男(うえだかずお) : 日本銀行 Bank of Japan
- 植田和男 : 日本銀行 Bank of Japan - 講演・挨拶等
- 植田和男 : 日本銀行 Bank of Japan - 記者会見
- 植田和男 - 共立女子大学
- 講演・記者会見 植田和男 - 日本銀行 Bank of Japan
- 植田和男ゼミ 2012 - ゼミ生運営によるサイト
- 植田和男ゼミ (@UedaSeminar) - X(旧Twitter) - ゼミ生によるTwitter
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