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シンシナティ・ベンガルズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シンシナティ・ベンガルズ
Cincinnati Bengals
創設 1967年5月23日 (57年前) (1967-05-23)
AFL参入 1968年シーズン
所属地区

チームデザイン
チームロゴ
 
チームカラー
 
  オレンジ
 
ユニフォーム
チーム名
  • シンシナティ・ベンガルズ(1968-現在)
ホームタウン
1968-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1968-現在
1968-現在

オハイオ州シンシナティ (1968-現在)

ペイコー・スタジアム (2000-現在)
シナジー・フィールド
 リバーフロント・スタジアム
(1970-1999)
ニッパート・スタジアム (1968-1969)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
  • なし
カンファレンス・チャンピオン (3回)
AFC
地区優勝 (11回)
AFC中地区
AFC北地区
ワイルドカード(4回)
プレーオフ進出(15/57回)
球団組織
オーナー マイク・ブラウン
GM マイク・ブラウン
ヘッドコーチ ザック・テイラー

シンシナティ・ベンガルズ英語: Cincinnati Bengals、略称: CIN)は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティに本拠地をおくNFLチーム。AFC北地区に所属している。ホームスタジアムはペイコー・スタジアムで、チームの本部も位置している。

概要

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クリーブランド・ブラウンズのヘッドコーチを務めていたポール・ブラウンによって1966年に設立され、1968年よりアメリカン・フットボール・リーグ(AFL)の10番目のチームとしてプレーを開始した。1970年のAFLとNFLの合併により、AFC中地区の所属になり、2002年からはAFC北地区に所属している。

ポールはチーム創設から1975年までヘッドコーチも務めていた。現在はポールの息子、マイク・ブラウンがオーナーを務めている。スーパーボウルには第16回1981年)、第23回1988年)、第56回2021年)の計3回出場しているが、いずれも敗れている。1990年代から2000年代にかけて長らく混迷を極めており、1990年シーズン以降プレーオフで勝利していないのは現在のNFL32チームの中で最も長い間隔である。

歴史

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ブラウンズのライバルとしての誕生

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1963年1月、クリーブランド・ブラウンズから追い出されたポール・ブラウンは再びプロフットボールチームを指揮したいと考えていた。また当時のオハイオ州知事のジム・ローズも州内に2つ目のプロフットボールチームを誘致したいと考えており、シンシナティ(当時はクリーブランドに次ぐ州第2の都市であった[1])がチームの候補地に決定された。ブラウンは新チームの愛称を1937年から1942年にかけてシンシナティに存在したプロフットボールチームの名前からとってベンガルズと名付けた[2]。ベンガルとは、アメリカでも古い歴史を誇るシンシナティ動物園にいた白いベンガルトラにちなむ。本拠地はニッパート・スタジアム

1968年AFLのエクスパンションチームとして設立された[2]。当時MLBシンシナティ・レッズが手狭となったクロスリー・フィールドに代わる新しいスタジアムを欲しており、1957年にナショナルリーグドジャースジャイアンツがニューヨークからフランチャイズを移転していたこともあり、オハイオ州知事、ハミルトン郡、シンシナティ市長は新しく多目的スタジアムを建設することに合意し、リバーフロント・スタジアムが建設され、AFLとNFLの統合後最初のシーズンである1970年からベンガルズも本拠地をニッパート・スタジアム(現在、シンシナティ大学の本拠地)から移転した。AFLとNFLが統合した際、ベンガルズはAFC中地区に所属したが主にAFL所属チームで構成されたAFCに旧NFLからクリーブランド・ブラウンズピッツバーグ・スティーラーズボルチモア・コルツが所属することとなり、ブラウンズ、スティーラーズはベンガルズと同じ中地区に所属することとなった。ブラウンズのアート・モデルオーナーとポール・ブラウンの間には因縁があり同じオハイオ州内同士のチームということもあり、ここに強いライバル意識を持つ関係が作られた[3]

1968年から1970年代

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チーム創始者でオーナーとヘッドコーチを務めたポール・ブラウン

1968年、チームは3勝11敗に終わったがRBポール・ロビンソンが1023ヤードを走り、AFLの最優秀新人選手に選ばれた。ポール・ブラウンがヘッドコーチを務めたが彼はドラフトで平均より知性の高い選手を取ることを好んだ。ハーバード大学からPWRであったポール・マキナリーダートマス大学からはLBレジー・ウィリアムスが入団した。この戦略のためか、多くの引退選手が解説者として成功を修めた。1969年のNFL/AFLドラフト全体5位でQBグレッグ・クックを獲得、彼はこの年AFL最優秀新人に選ばれた[4]

1970年シーズン、AFLとNFLの統合がされた初のシーズン、チームは1勝6敗から最終週にボストン・ペイトリオッツを45-7で破り7連勝し、8勝6敗でAFC中地区優勝を果たしプレーオフに出場した[5]。プレーオフでは第5回スーパーボウルに出場したボルチモア・コルツに0-17で敗れた。

1970年代にチームは3回プレーオフに進出したがいずれのシーズンもプレーオフで勝利をあげることはできなかった。1972年12月17日のヒューストン・オイラーズ戦ではチーム史上最多得点となる61-17で勝利した。この試合ではディフェンスバックのレマー・パリッシュがチーム記録となる3インターセプトをマークしている。この年5年目のRBエセックス・ジョンソンがチームトップの825ヤードを走った[6]

1973年シーズン、最後の6試合に勝利し10勝4敗で地区優勝を果たしたがマイアミ・オレンジボウルでこの年第8回スーパーボウルを制するマイアミ・ドルフィンズに16-34で敗れシーズンを終えた。エースRBのエセックス・ジョンソンはいったんは1000ヤードランを達成したが、シーズン最後のプレーで5ヤードをロスし997ヤードでシーズンを終えた[6]

1974年11月10日のピッツバーグ・スティーラーズ戦ではケン・アンダーソンが22本中20本のパスを成功、1試合におけるパス成功率NFL記録を作った[7]。この年、アンダーソンはQBレイティングでNFLのQBトップの成績を残した。

1975年11月17日、マンデーナイトフットボールでのバッファロー・ビルズ戦で相手RBのO・J・シンプソンに197ヤードを走られたがアンダーソンがアイザック・カーティスへ137ヤード、チップ・マイアーズへ108ヤード、チャーリー・ジョイナーへ90ヤードなど、パスで447ヤードを獲得し33-24で勝利した[5]。チームはフランチャイズ史上最高勝率となる11勝3敗の成績をあげて、アンダーソンは2年連続NFLのQBレイティングトップとなったが、スティーラーズが12勝2敗で地区優勝し、ワイルドカードでのプレーオフ出場となった。第5週に14-10で破っているオークランド・レイダースとの対戦となったが28-31で敗れた[8]

1975年シーズン終了と共にポール・ブラウンはヘッドコーチとして8シーズンで40勝32敗の成績を残しオーナー兼ゼネラルマネージャーとなった[9]

1976年12月12日のシェイ・スタジアムでのNFL最後の試合となったニューヨーク・ジェッツ戦で相手QBのジョー・ネイマスを4回サック、ディフェンスバックのケン・ライリーは3インターセプト(ネイマスから2回、リチャード・トッドから1回)して42-3で勝利した。この試合がネイマスのジェッツでの最後の試合となった。コイ・ベイコンはこのシーズン、22回相手QBをサックしたがサックがNFLの公式記録となるのは1982年まで待たねばならなかった。

1976年からビル・タイガー・ジョンソンが指揮を執っていたが1978年シーズン開幕から5連敗したところで辞任、2年あまりでの成績は18勝15敗であった。彼の後任にはホーナー・ライスが就任し1979年シーズンまでヘッドコーチを務め8勝19敗の成績であった。この間、1978年10月22日のバッファロー・ビルズ戦では5-0とチーム史上最少得点での勝利もあった。

1980年代 - 強豪時代

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1999年までの本拠地、リバーフロント・スタジアム

1980年代にチームは2回スーパーボウルに出場を果たしたがいずれもサンフランシスコ・フォーティナイナーズに敗れ優勝はならなかった。

1980年からはフォレスト・グレッグがヘッドコーチとなった。12月21日のクリーブランド・ブラウンズ戦でDEエディ・エドワーズは相手QBブライアン・サイプを5サックするチーム記録を作った。

1981年シーズン、この年よりヘルメットを縞々のものに変えた。シアトル・シーホークスとの開幕戦でケン・アンダーソンがパス15回中5本成功、前半だけで3インターセプトを喫し0-21とリードされた。控えQBのジャック・トンプソンも負傷していたため、第3QBのターク・ショナートがリリーフし、27-21と逆転勝利した[7]。開幕戦での不調にもかかわらず、アンダーソンは残り15試合でわずか7インターセプトしか相手に与えずQBレイティングトップとなり、シーズンMVPとなった。またRBピート・ジョンソンは1,077ヤードを走った[7]。11月8日のサンディエゴ・チャージャーズ戦でルイス・ブリーデンの2インターセプトする活躍などで40-17と勝利した。このうち1回は102ヤードのインターセプトリターンTDとなっている[8]

チームは12勝4敗で地区優勝を果たし、翌年1月3日、地元リバーフロント・スタジアムでのバッファロー・ビルズでプレーオフ初勝利をあげた。1月10日に行われたAFCチャンピオンシップゲームのサンディエゴ・チャージャーズ戦はフリーザーボウルと呼ばれることになるほどの寒さの中で行われた。風速による影響も考慮した体感温度は氷点下45度となりNFL史上最も低い条件となった[注 1]。27-7でベンガルズが勝利し、デトロイトポンティアック・シルバードームで行われた第16回スーパーボウルに進出した[10]。 この試合はメイソン=ディクソン線より北で行われた初めてのゲームとなった。この試合は対戦相手であるサンフランシスコ・フォーティナイナーズと共に両チームがスーパーボウル初出場であった[注 2]。ベンガルズは前半ミスが目立ち0-20と当時のスーパーボウル史上最も点差をつけられてハーフタイムを迎えた。後半に入り反撃が始まり15点差を詰めたが21-26で敗れた[10]。敵陣1ヤードまで攻め込みながら4thダウンギャンブルの失敗もあった[10]。ベンガルズはこの試合で3つのスーパーボウル記録(ダン・ロスの11キャッチ、ケン・アンダーソンのパス成功25回、パス成功率73.5%)を作ったが勝利につなげることはできなかった。

1982年シーズン、11月28日のロサンゼルス・レイダース戦でケン・ライリーが相手QBのジム・プランケットから自身の記録タイとなる3インターセプトをマーク、31-17と勝利した。12月20日のマンデーナイトフットボールのサンディエゴ・チャージャーズ戦でケン・アンダーソンはチーム記録となる40本のパスを成功させたがチームは34-50で敗れた。このシーズン、ケン・アンダーソンはNFL記録となるパス成功率70.55%を達成、最終節のオイラーズ戦では20本連続パス成功のNFLの記録も作った。プレーオフではニューヨーク・ジェッツをホームで迎え撃ったが17-44で敗れた。1983年シーズン終了と共にグレッグヘッドコーチは辞任した。4シーズンの成績は28勝17敗であった。

1984年からベンガルズの元控えQBだったサム・ワイチがヘッドコーチとなった。この年5月チームは過去7年チームのリーディングラッシャーとなったピート・ジョンソンをプロ入りから3年で1,471ヤードしか走っていないサンディエゴ・チャージャーズの若手RBジェームズ・ブルックスとトレードした。このトレードは大成功でブルックスはその後8シーズンチームに在籍し6,447ヤードを走りチームのリーディングラッシャーとなった(後にコーリー・ディロンが記録を更新)。またプロボウルに4回選ばれた[7]。10月28日のヒューストン・オイラーズ戦でFBのラリー・キンブリューが4タッチダウンのチーム記録をつくった。

1986年シーズン、9月28日、スーパーボウルチャンピオンのシカゴ・ベアーズをホームに迎えたが7-44とフランチャイズ史上に残る大敗を喫した。12月21日のニューヨーク・ジェッツ戦でブーマー・アサイアソンが5TDパスを投げるチーム記録を作った。このシーズンを最後にケン・アンダーソンは引退した。

1987年9月20日、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦でチームは試合残り54秒、26-20とリードし、自陣45ヤード地点でボールを持っていた。ここからディレイ・オブ・ゲームなどで残り6秒、自陣30ヤードまで後退した。サム・ワイチヘッドコーチはここでパントを蹴らずにブルックスを走らせたが相手ディフェンスに止められ、2秒を残して攻撃権を渡した。ここでジョー・モンタナからジェリー・ライスへの25ヤードのTDパスが決まりチームは26-27で敗れた[7]

1988年シーズンには開幕から6連勝した後、10月16日のニューイングランド・ペイトリオッツ戦でアサイアソンが5インターセプトのチームワーストの記録をつくり敗れた。11月6日のピッツバーグ・スティーラーズ戦でWRのエディ・ブラウンがチーム記録となる216ヤードのレシーブ記録をつくり勝利した。12月17日のシーズン最終週のワシントン・レッドスキンズ戦を延長の末、ジム・ブリーチのFGで20-17で破り12勝4敗で5度目の地区優勝を果たした。QBアサイアソンはQBレイティングトップとなり、シーズンMVPに選ばれた。プレーオフでもシアトル・シーホークスを21-13、バッファロー・ビルズを21-10で破り[5]マイアミジョー・ロビー・スタジアムで行われた第23回スーパーボウルに出場した。試合前夜にFBのスタンリー・ウィルソンコカインの使用で逮捕されて試合に出場できなくなった(彼は3度目の使用であったためリーグから追放された。)。このためワイチヘッドコーチはキックオフ1時間前にゲームプランの練り直しを迫られた。オールプロのノーズタックルティム・クラムライが第1Q開始早々ロジャー・クレイグにタックルした際に負傷退場した。第4Qにエンドゾーンでルイス・ビラップスジョー・モンタナのパスをインターセプトしかけたが、次のプレイでジェリー・ライスへのタッチダウンパスが通り13-13の同点となった。ブリーチのFGで16-13とベンガルズがリードし、続くキックオフでイリーガルブロックの反則もあり残り時間3分10秒でフォーティナイナーズ自陣8ヤードからの攻撃となった。ここからモンタナの有名なドライブが始まった。ライスやクレイグへのパス、クレイグのランでフォーティナイナーズはボールを前進させ、最後はジョン・テイラーへのタッチダウンパスが残り時間34秒で決まり、11プレイ92ヤードの逆転ドライブが終了した。その後の反撃は失敗し、16-20でベンガルズは敗れた[10]

1989年シーズン、10月29日のタンパベイ・バッカニアーズ戦ではアサイアソンが5タッチダウンパスを投げ、トータルでチーム記録となる8タッチダウンをあげた。12月17日のヒューストン・オイラーズ戦で61-7と圧勝したが、翌週敗れ8勝8敗でプレーオフを逃した[9]

1990年代 - プレーオフで勝利無し

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1990年10月7日、ロサンゼルス・ラムズ戦でアサイアソンがチーム記録となる490ヤードを投げた。オーバータイムにブリーチの決勝FGが決まり34-31で勝利した。このシーズンはワイルドカード・プレーオフで勝ち、こののちは2021年シーズンまではプレーオフで一勝もできなかった。

1991年8月5日、ポール・ブラウンオーナーが亡くなった[9]。チームは3勝13敗に終わった。シーズン終了後、サム・ワイチはチームを去ることになったがマイク・ブラウンはワイチが辞任したと述べ、一方ワイチは解任されたと述べている[8]

1992年ドン・シュラの息子、デイブ・シュラがNFL最年少ヘッドコーチとなったが好成績を修めることができず1996年に1勝6敗となったところで解任された。シュラヘッドコーチの通算成績は19勝52敗であった[11]

1992年チームはドラフト1巡目全体6位でQBデビッド・クリングラーを獲得した。

1994年ニューヨーク・ジェッツの控えQBであったジェフ・ブレイクと契約した。

1994年にはDTダン・ウィルキンソン、1995年にはRBキジャナ・カーターNFLドラフト全体1位で指名したがチーム成績は上向きにはならなかった。

1995年8月17日デトロイト・ライオンズとのプレシーズンゲームで、この年トレードアップにより手に入れたドラフト全体1位で指名したキジャナ・カーターがひざを負傷し、シーズン絶望となった。カーターはキャリアで100ヤードを超えることわずか1試合、1999年シーズン終了後キャリアを終えた[7]

1996年、デイブ・シュラが1勝6敗で辞任した後、かつてチームのタイトエンド、オフェンスコーディネーターを務めたブルース・コスレットが就任し、シーズン残り試合を7勝2敗で終えて[12]、8勝8敗の五分でシーズンを終えた。

1997年12月4日、コーリー・ディロンが40年前にジム・ブラウンが作ったNFL新人ラッシング記録を塗り替える246ヤードを走り41-14で勝利した[9]

1998年、長年チームのオフェンスラインを支えていたアンソニー・ムニョスプロフットボール殿堂入りを果たした[9]

2000年から2019年まで - スタジアム移転と低迷

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2000年に移転したポール・ブラウン・スタジアム(現ペイコー・スタジアム)

2000年にチームはポール・ブラウン・スタジアムに移転した。チームは開幕から3試合合計で7得点しか取れず、3試合目のボルチモア・レイブンズ戦で0-37と敗れた試合がコスレットヘッドコーチの最後の試合となった。彼がヘッドコーチの期間、チームは21勝39敗であった[12]。後任にはディフェンスコーディネーターを務めていたディック・ルボーが就任した。ルボーはゾーンブリッツを取り入れチームのディフェンスは向上したが、チームの勝利には直結せず2002年は2勝14敗に終わるなど、12勝33敗でチームを去った[13]

2000年10月22日のデンバー・ブロンコス戦でコーリー・ディロンがそれまでウォルター・ペイトンが持っていた1試合のラッシングNFL記録である275ヤードを更新する278ヤードを走り、チームは31-21で勝利した[5]

2003年ボルチモア・レイブンズワシントン・レッドスキンズでディフェンスコーディネーターを務めたマービン・ルイスがヘッドコーチに就任した[14][5]。またドラフト全体1位でQBカーソン・パーマーを指名した。パーマーはこの年出場機会を得られなかったがQBジョン・キトナカムバック賞を受賞する活躍を見せて、チームは開幕から9連勝していたカンザスシティ・チーフスを破る[9]など8勝8敗で終えた。シーズンオフにルイスヘッドコーチは4年契約を結んだ[15]

2004年には2年目のカーソン・パーマーが先発QBとなった。同年のブラウンズ戦は58-48という1970年にAFLとNFLが統合して以降、両チームによる合計得点最高記録を樹立することとなった試合を制した[7]。この年は8勝8敗で終えた。

2005年、チームは1990年以来15年ぶりに勝ち越し[8]、11勝5敗で地区優勝を果たし15年ぶりにプレーオフ進出を果たしたが初戦で同地区のライバル、ピッツバーグ・スティーラーズに敗れてシーズンを終えた[9]

2006年には選手9人が逮捕されるなどフィールドの外での不祥事が目立った[16]。チームは8勝8敗でシーズンを終えた。

その後2007年は7勝9敗で終えた。

2008年、この年はけが人が続出しエースQBのパーマーは4試合しか出場できず、開幕から8連敗したもののこのシーズンからディフェンスコーディネーターとなったマイク・ジマーによりディフェンスは改善されて最後の3試合では9Q連続で相手にタッチダウンを許さず後半の8試合を4勝3敗1分とし4勝11敗1分でシーズンを終えた[17]

2009年、過去3シーズンチームトップのレシーブヤードを獲得していたT・J・フーシュマンザーデとの再契約を目指したが彼はシアトル・シーホークスに去った。この年10月8日にマイク・ジマーディフェンスコーディネーターの妻が亡くなり、12月17日にはクリス・ヘンリーが事故死するという不幸が重なった。チームはそれを乗り越え10勝6敗で4年ぶりに地区優勝を果たすと共に同地区対決で6戦全勝した。これはチーム創設以来の快挙であった[18]。9月20日のグリーンベイ・パッカーズ戦ではアントワン・オドムが5サックをあげた。10月4日のクリーブランド・ブラウンズ戦ではオーバータイム残り4秒でシェーン・グレアムが31ヤードのFGを決めて23-20で勝利した。プレーオフ初戦でニューヨーク・ジェッツに敗れた。シカゴ・ベアーズに在籍していた当時問題児扱いされ前年にチームに加入したセドリック・ベンソンが1,251ヤードを走った。

2010年、チームには優勝を渇望しているベテランWRテレル・オーウェンスが加入したが、チームはミスが目立ち不振にあえいでいる。

2011年から2019年まで在籍したQBアンディ・ダルトン

2011年、カーソン・パーマーがチームから放出されることを訴えた。チームはドラフト1巡でWRのA・J・グリーン、2巡でQBのアンディ・ダルトンを獲得、チームは9勝7敗でAFC北地区3位ながらプレーオフ出場を果たした。なおトレード期限ぎりぎりにパーマーはオークランド・レイダースに2012年のドラフト1巡、2013年のドラフト2巡指名権と引き換えにトレードされた。シーズンは、グリーンとダルトンの新人コンビが、合計1057ヤードを獲得するなど活躍を果たし、ワイルドカード枠でプレーオフへの進出を果たした。プレーオフではヒューストン・テキサンズに敗れてシーズンを終えた。

2012年、10勝6敗となり2年連続でプレーオフに出場した。しかし、プレーオフ初戦で再びテキサンズに敗れ敗退となった。

2013年、地区優勝を果たし、3年連続でプレーオフに進出するも、初戦でサンディエゴ・チャージャーズに敗れ敗退した。マイク・ブラウンのオーナー就任以降のプレーオフ戦績は0勝5敗となった。

2014年、開幕4連勝を果たすなど好調を維持し、チーム初となる4年連続でプレーオフに進出する。しかし、初戦でインディアナポリス・コルツに敗れ、4連続のプレーオフは全て初戦敗退となった。

2015年、開幕8連勝を果たすも後半に敗戦が続いた。地区優勝で進んだプレーオフではピッツバーグ・スティーラーズにラスト1分での逆転負けを喫し、NFL史上初となる5年連続プレーオフ初戦敗退という不名誉な記録となった。

2016年、アンディ・ダルトン、ジョニー・バーナードジェレミー・ヒルら主力が相次いで離脱し、プレーオフの連続出場記録は途絶えた。ダルトンにとってはプレーオフに進出しなかった初めてのシーズンとなった。

2017年、開幕から敗戦が続き、マービン・ルイスHCの進退もかかっていたが、7勝9敗でシーズンを終え、プレーオフ出場とならなかったものの、ルイスは残留が決まった。

2018年、開幕こそ好調だったものの、次第に負けが込み始め、ディフェンス・コーディネーターのテリル・オースティンがシーズン中に解雇される。その後、A・J・グリーンの負傷などもあり、3年連続でプレーオフを逃し、地区最下位に沈んだ。マービン・ルイスは、契約を1年残し引退を表明した。後任としてロサンゼルス・ラムズでQBコーチを務めていたザック・テイラーが就任した。

2019年、開幕から低空飛行を続け、11試合終わったところで全敗となった。最終的には2勝12敗の地区最下位かつリーグ最下位となるも、翌年のドラフト1位指名権を獲得した。

2020年以降 - バロウによる復活

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2020年からQBを務めるジョー・バロウ

2020年NFLドラフト全体1位でルイジアナ州立大学のQBジョー・バロウを指名した。バロウの入団直後の5月2日、アンディ・ダルトンをダラス・カウボーイズへ放出した。バロウは第11週で負傷してその後は欠場し、3年連続の地区最下位でプレーオフを逃した。

2021年にはバロウが怪我から回復して地区優勝を遂げた。ワイルドカード・プレーオフではラスベガス・レイダースに勝ち、31年ぶりのプレーオフ勝利をあげた。次戦でもシード1位のテネシー・タイタンズを破り、球団史上初のプレーオフでのロード勝利をあげた。更にAFCチャンピオンシップ・ゲームではカンザスシティ・チーフスを延長で破り、第56回スーパーボウルに進出した[19]。スーパーボウルでは接戦の末、4Q残り1分25秒で逆転のTDを許し、ロサンゼルス・ラムズに敗れた[20]

2022年8月、ポール・ブラウン・スタジアムの命名権を売却し、ペイコー・スタジアムとした。2022年シーズンにも2年連続でプレーオフ進出を果たした。第17週のすでに地区優勝を決めているビルズ戦第1Qで、ビルズのディフェンスのセーフティのダマー・ハムリンがベンガルズWRのティー・ヒギンズへのタックル後に昏倒し一時は心肺停止となったために、試合は止められて延期された。日程の余裕がなく他のチームのプレーオフ進出には影響がないために、数日後には中止されて両チームは他チームより試合数が一つ少ないこととなった。この試合でベンガルズが敗北しかつ次週レイブンズに敗れればレイブンズに地区優勝の可能性があったが、不均等の試合数での勝率をもってベンガルズが北地区優勝となり第3シードでプレーオフに進んだ。しかし、今シーズンのAFCチャンピオンシップの開催地が、中止試合の結果次第で変化したはずの場合は開催地は中立地とすること、プレーオフのワイルドカードラウンドでレイブンズとベンガルズが対戦して、その開催地がやはり中止試合の結果次第で変化したはずの場合はコイントスで開催地を決定すると発表された[21]。だが最終戦でレイブンズを破ったためにコイントスは行われず、ワイルドカードラウンドでは本拠地にレイブンズを迎えた。試合では、レイブンズのQBスニークのファンブルから98ヤードのリターン・タッチダウンをディフェンスが決め、そのまま勝利した。ディビジョナルラウンドではビルズを破り、AFCチャンピオンシップゲームでは2年連続でチーフスと当たるも20-23で敗れた。

2023年は、5勝4敗で迎えた2023年11月17日に、QBのジョー・バロウが右手首靱帯を断裂し、残りシーズンを彼無しで闘うことになった[22]。プレーオフ進出を逃した。

文化

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ロゴ、ユニフォーム

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1968年にチームが結成された際、ユニフォームはクリーブランド・ブラウンズのものをベースとした。ポール・ブラウンはアート・モデルオーナーに解任された時点では用具の所有権を持っており、それを新チームに持ち込んだ。ブラウンズのチームカラーがオレンジ、茶、白を基調としたものであったのに対してベンガルズはオレンジ、黒、白を基調とした。ヘルメットはBENGALSと左右に入っていることを除きブラウンズのものとほぼ同じであった。1981年チームのユニフォーム、ヘルメットはオレンジと黒の縦縞となった。

マスコット

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公式マスコットはベンガルトラフー・デイ(Who Dey)である。

チアリーダー

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シンシナティ・ベンギャルズ(Cincinnati Ben–Gals)が本拠地、ポール・ブラウン・スタジアムを中心に活動している。

その他

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チームのサマーキャンプはケンタッキー州ジョージタウンにあるジョージタウン・カレッジで行われている。

ベンガルズのオーナーは現在ポール・ブラウンの息子であるマイク・ブラウンが主要オーナーであり所有権の大半を彼が保持してはいるが個人または一族による単独の所有ではなく幾人かのオーナーが存在し、その中に「NFLで唯一のアジア系オーナー」であるハワイ生まれの日系アメリカ人エディソン・ミヤワキ氏も含まれる[23][24]

2024年シーズン

2024年シーズンのベンガルズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2024年シーズン及び過去15シーズンの成績
成績 AFC 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV
2024 9位 3位 4 6 0 .400 1-2 2-4 270 262 27.0 26.2 .510 .237
2023 レギュラー敗退 8位 4位 9 8 0 .529 1–5 4–8 366 384 21.5 22.6 .574 .536
2022 カンファレンス敗退 3位 1位 12 4 0 .750 3-3 8-3 418 322 26.1 20.1 .507 .490
2021 スーパーボウル敗戦 4位 1位 10 7 0 .588 4-2 8-4 460 376 27.1 22.1 .472 .462
2020 レギュラー敗退 13位 4位 4 11 1 .281 1-5 4-8 311 424 19.4 26.5 .529 .438
2019 レギュラー敗退 16位 4位 2 14 0 .125 1-5 2-10 279 420 17.4 26.3 .553 .406
2018 レギュラー敗退 12位 4位 6 10 0 .375 1-5 4-8 368 455 23.0 28.4 .535 .448
2017 レギュラー敗退 9位 3位 7 9 0 .438 3-3 6-6 290 349 18.1 21.8 .465 .321
2016 レギュラー敗退 12位 3位 6 9 1 .406 3-3 5-7 325 315 20.3 19.7 .521 .333
2015 ワイルドカード敗退 3位 1位 12 4 0 .750 5-1 9-3 419 279 26.2 17.4 .477 .406
2014 ワイルドカード敗退 5位 2位 10 5 1 .656 3-3 7-5 365 344 22.8 21.5 .498 .425
2013 ワイルドカード敗退 3位 1位 11 5 0 .688 3-3 8-4 430 305 26.9 19.1 .480 .494
2012 ワイルドカード敗退 6位 2位 10 6 0 .625 3-3 7-5 391 320 24.4 20.0 .438 .381
2011 ワイルドカード敗退 6位 3位 9 7 0 .563 2-4 6-6 344 323 21.5 20.2 .492 .326
2010 レギュラー敗退 16位 4位 4 12 0 .250 2-4 3-9 322 395 20.1 24.7 .582 .438
2009 ワイルドカード敗退 4位 1位 10 6 0 .625 6-0 7-5 305 291 19.1 18.2 .492 .438

2024年シーズン成績

AFC北地区 2024
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV 残試合
ピッツバーグ・スティーラーズ 7 2 0 .778 0-0 4-1 215 146 23.9 16.2 .437 .456 8
ボルチモア・レイブンズ 7 3 0 .700 2-1 4-3 318 253 31.8 25.3 .500 .507 7
シンシナティ・ベンガルズ 4 6 0 .400 1-2 2-4 270 262 27.0 26.2 .510 .237 7
クリーブランド・ブラウンズ 2 7 0 .222 1-1 2-3 148 213 16.4 23.7 .465 .450 8
AFC 2024

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区1位
1 カンザスシティ・チーフス 西 9 0 0 1.000 2-0 5-0 .483 .483
2 バッファロー・ビルズ 8 2 0 .800 3-0 6-2 .417 .355
3 ピッツバーグ・スティーラーズ 7 2 0 .778 0-0 4-1 .437 .456
4 ヒューストン・テキサンズ 6 4 0 .600 3-0 5-1 .510 .424
ワイルドカード圏内
5 ボルチモア・レイブンズ 7 3 0 .700 2-1 4-3 .500 .507
6 ロサンゼルス・チャージャーズ 西 6 3 0 .667 2-1 4-2 .459 .298
7 デンバー・ブロンコス 西 5 5 0 .500 1-2 2-4 .505 .306
プレーオフ圏外
8 インディアナポリス・コルツ 4 6 0 .400 1-3 3-4 .518 .444
9 シンシナティ・ベンガルズ 4 6 0 .400 1-2 2-4 .510 .237
10 マイアミ・ドルフィンズ 3 6 0 .333 1-2 2-4 .471 .310
11 ニューヨーク・ジェッツ 3 7 0 .300 1-2 3-4 .542 .379
12 ニューイングランド・ペイトリオッツ 3 7 0 .300 1-2 2-5 .379 .379
13 テネシー・タイタンズ 2 7 0 .222 0-1 2-4 .529 .316
14 クリーブランド・ブラウンズ 2 7 0 .222 1-1 2-3 .465 .450
15 ラスベガス・レイダース 西 2 7 0 .222 0-3 2-5 .560 .474
16 ジャクソンビル・ジャガーズ 2 8 0 .200 1-1 2-4 .532 .350
タイブレーク
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
    1月18日か19日
    1月26日
    2月9日
シーザーズ・スーパードーム
 6    
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     AFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
AFCチャンピオンシップ
1月26日
 5    
     
 4        
 1      
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
     
       
 6     第59回スーパーボウル
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     NFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
NFCチャンピオンシップ
 5    
     
 4        
 1      
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

過去の成績

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4地区制(2002年-現在)

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地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2023 BAL(1c) 13 4 0 CLE(5w) 11 6 0 PIT(7w) 10 7 0 CIN 9 8 0
2022 CIN(3c) 12 4 0 BAL(6w) 10 7 0 PIT 9 8 0 CLE 7 10 0
2021 CIN(4s) 10 7 0 PIT(7w) 9 7 1 CLE 8 9 0 BAL 8 9 0
2020 PIT(3w) 12 4 0 BAL(5d) 11 5 0 CLE(6d) 11 5 0 CIN 4 11 1
2019 BAL(1d) 14 2 0 PIT 8 8 0 CLE 6 10 0 CIN 2 14 0
2018 BAL(4w) 10 6 0 PIT 9 6 1 CLE 7 8 1 CIN 6 10 0
2017 PIT(2d) 13 3 0 BAL 9 7 0 CIN 7 9 0 CLE 0 16 0
2016 PIT(3c) 11 5 0 BAL 8 8 0 CIN 6 9 1 CLE 1 15 0
2015 CIN(3w) 12 4 0 PIT(6d) 10 6 0 BAL 5 11 0 CLE 3 13 0
2014 PIT(3w) 11 5 0 CIN(5w) 10 5 1 BAL(6d) 10 6 0 CLE 7 9 0
2013 CIN(3w) 11 5 0 PIT 8 8 0 BAL 8 8 0 CLE 4 12 0
2012 BAL(4v) 10 6 0 CIN(6w) 10 6 0 PIT 8 8 0 CLE 5 11 0
2011 BAL(2c) 12 4 0 PIT(5w) 12 4 0 CIN(6w) 9 7 0 CLE 4 12 0
2010 PIT(2s) 12 4 0 BAL(5d) 12 4 0 CLE 5 11 0 CIN 4 12 0
2009 CIN(4w) 10 6 0 BAL(6d) 9 7 0 PIT 9 7 0 CLE 5 11 0
2008 PIT(2v) 12 4 0 BAL(6c) 11 5 0 CIN 4 11 1 CLE 4 12 0
2007 PIT(4w) 10 6 0 CLE 10 6 0 CIN 7 9 0 BAL 5 11 0
2006 BAL(2d) 13 3 0 CIN 8 8 0 PIT 8 8 0 CLE 4 12 0
2005 CIN(3w) 11 5 0 PIT(6v) 11 5 0 BAL 6 10 0 CLE 6 10 0
2004 PIT(1c) 15 1 0 BAL 9 7 0 CIN 8 8 0 CLE 4 12 0
2003 BAL(4w) 10 6 0 CIN 8 8 0 PIT 6 10 0 CLE 5 11 0
2002 PIT(3d) 10 5 1 CLE(6w) 9 7 0 BAL 7 9 0 CIN 2 14 0

3地区制(1970年-2001年)

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年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PIT(1c) 13 3 0 BAL(5d) 10 6 0 CLE 7 9 0 TEN 7 9 0 JAX 6 10 0 CIN 6 10 0
2000 TEN(1d) 13 3 0 BAL(4v) 12 4 0 PIT 9 7 0 JAX 7 9 0 CIN 4 12 0 CLE 3 13 0
1999 JAX(1c) 14 2 0 TEN(4s) 13 3 0 BAL 8 8 0 PIT 6 10 0 CIN 4 12 0 CLE 2 14 0
1998 JAX(3d) 11 5 0 TEN 8 8 0 PIT 7 9 0 BAL 6 10 0 CIN 3 13 0
1997 PIT(2c) 11 5 0 JAX(5w) 11 5 0 TEN 8 8 0 CIN 7 9 0 BAL 6 9 1
1996 PIT(3d) 10 6 0 JAX(5c) 9 7 0 CIN 8 8 0 HOU 8 8 0 BAL 4 12 0
1995 PIT(2s) 11 5 0 CIN 7 9 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0 JAX 4 12 0
1994 PIT(1c) 12 4 0 CLE(4d) 11 5 0 CIN 3 13 0 HOU 2 14 0
1993 HOU(2d) 12 4 0 PIT(6w) 9 7 0 CLE 7 9 0 CIN 3 13 0
1992 PIT(1d) 11 5 0 HOU(5w) 10 6 0 CLE 7 9 0 CIN 5 11 0
1991 HOU(3d) 11 5 0 PIT 7 9 0 CLE 6 10 0 CIN 3 13 0
1990 CIN(3d) 9 7 0 HOU(6w) 9 7 0 PIT 9 7 0 CLE 3 13 0
1989 CLE(2c) 9 6 1 HOU(4w) 9 7 0 PIT(5d) 9 7 0 CIN 8 8 0
1988 CIN(1s) 12 4 0 CLE(4w) 10 6 0 HOU(5d) 10 6 0 PIT 5 11 0
1987 CLE(2c) 10 5 0 HOU(4d) 9 6 0 PIT 8 7 0 CIN 4 11 0
1986 CLE(1c) 12 4 0 CIN 10 6 0 PIT 6 10 0 HOU 5 11 0
1985 CLE(3d) 8 8 0 CIN 7 9 0 PIT 7 9 0 HOU 5 11 0
1984 PIT(3c) 9 7 0 CIN 8 8 0 CLE 5 11 0 HOU 3 13 0
1983 PIT(3d) 10 6 0 CLE 9 7 0 CIN 7 9 0 HOU 2 14 0
1982 CIN(3w) 7 2 0 PIT(4w) 6 3 0 CLE(8w) 4 5 0 HOU 1 8 0
1981 CIN(1s) 12 4 0 PIT 8 8 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0
1980 CLE(2d) 11 5 0 HOU(5w) 11 5 0 PIT 9 7 0 CIN 6 10 0
1979 PIT(2v) 12 4 0 HOU(4c) 11 5 0 CLE 9 7 0 CIN 4 12 0
1978 PIT(1v) 14 2 0 HOU(5c) 10 6 0 CLE 8 8 0 CIN 4 12 0
1977 PIT(3d) 9 5 0 CIN 8 6 0 HOU 8 6 0 CLE 6 8 0
1976 PIT(3c) 10 4 0 CIN 10 4 0 CLE 9 5 0 HOU 5 9 0
1975 PIT(1v) 12 2 0 CIN(4d) 11 3 0 HOU 10 4 0 CLE 3 11 0
1974 PIT(v) 10 3 1 HOU 7 7 0 CIN 7 7 0 CLE 4 10 0
1973 CIN(d) 10 4 0 PIT(d) 10 4 0 CLE 7 5 2 HOU 1 13 0
1972 PIT(c) 11 3 0 CLE(d) 10 4 0 CIN 8 6 0 HOU 1 13 0
1971 CLE(d) 9 5 0 PIT 6 8 0 HOU 4 9 1 CIN 4 10 0
1970 CIN(d) 8 6 0 CLE 7 7 0 PIT 5 9 0 HOU 3 10 1

AFL西地区

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地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 OAK(a) 12 1 1 KC(V) 11 3 0 SD 8 6 0 DEN 5 8 1 CIN 4 9 1
1968 OAK(a) 12 2 0 KC 12 2 0 SD 9 5 0 DEN 5 9 0 CIN 3 11 0

主な選手

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現役選手

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永久欠番

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シンシナティ・ベンガルズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
54 ボブ・ジョンソン Bob Johnson C 1968–1979

プロフットボール殿堂入り

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プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
18 チャーリー・ジョイナー Charlie Joiner WR 1972–1975 1996
78 アンソニー・ムニョス Anthony Muñoz OT 1980–1992 1998
81 テレル・オーウェンス Terrell Owens WR 2010 2018
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
フォレスト・グレッグ Forrest Gregg ヘッドコーチ 1980–1983 1977
ディック・ルボー Dick LeBeau コーチ
ヘッドコーチ
1980–1991
1997–2002
2010

1968年から1991年まで在籍したチームの創設者で元ヘッドコーチ[注 3]ポール・ブラウンも殿堂入りしているが、チーム設立前の1967年に選出されたため、ベンガルズでの成績としては認められていない。

個人賞

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NFL MVP

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ルーキー・オブ・ザ・イヤー

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最優秀コーチ

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リング・オブ・オナー

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40周年記念チーム

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2007年、チームの40周年を記念して、ファン投票によってオールタイムチームを結成した。

50周年記念チーム

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歴代ヘッドコーチ

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脚注

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注釈

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  1. ^ NFL史上最低気温のゲームは1967年NFLチャンピオンシップゲーム
  2. ^ これは第3回スーパーボウル以来のことであり、その後も第20回スーパーボウルしかない。
  3. ^ ヘッドコーチとしては1975年まで

出典

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  1. ^ Table 19. Population of the 100 Largest Urban Places: 1960. U.S. Bureau of the Census. 1998年6月15日.
  2. ^ a b History by the Decades: 1960s. Cincinnati Bengals. 2022年2月12日閲覧.
  3. ^ History by the Decades: 1970s. Cincinnati Bengals. 2022年2月12日閲覧.
  4. ^ AFL新人王に輝いた元ベンガルズQBが死去” (2012年1月29日). 2012年2月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e Top 40 Memorable Moments In Bengals History presented by Mercy Health Partners (Moments 6-10)”. bengals.com. 2012年2月9日閲覧。
  6. ^ a b bengals history”. bengalsjungle.com. 2012年7月24日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g Top 40 Memorable Moments In Bengals History presented by Mercy Health Partners (Moments 31-40)”. 2012年2月9日閲覧。
  8. ^ a b c d Top 40 Memorable Moments In Bengals History presented by Mercy Health Partners (Moments 21-30)”. bengals.com. 2012年2月9日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g Top 40 Memorable Moments In Bengals History presented by Mercy Health Partners (Moments 11-20)”. bengals.com. 2012年2月9日閲覧。
  10. ^ a b c d Top 40 Memorable Moments In Bengals History presented by Mercy Health Partners (Moments 1-5)”. bengals.com. 2012年2月9日閲覧。
  11. ^ Timothy Rapp (2011年11月9日). “The 40 Worst Pro Coaches in Sports History 8. Dave Shula”. bleacherreport.com. 2013年11月24日閲覧。
  12. ^ a b Timothy Rapp (2011年11月9日). “The 40 Worst Pro Coaches in Sports History 34. Bruce Coslet”. bleacherreport.com. 2013年11月24日閲覧。
  13. ^ Timothy Rapp (2011年11月9日). “The 40 Worst Pro Coaches in Sports History 33. Dick LeBeau”. bleacherreport.com. 2013年11月24日閲覧。
  14. ^ マービン・ルイスはベンガルズをプレイオフへ導く勢いです。 NFL JAPAN
  15. ^ ベンガルズのルイスHCと新契約を交わす”. NFL JAPAN (2004年8月4日). 2010年12月5日閲覧。
  16. ^ ドラフトレビュー:シンシナティ・ベンガルズ 生沢浩 2007年5月26日
  17. ^ CINCINNATI BENGALS HISTORY: 2008”. bengals.com. 2010年12月5日閲覧。
  18. ^ CINCINNATI BENGALS HISTORY: 2009”. bengals.com. 2010年12月5日閲覧。
  19. ^ オーバータイムでチーフスを制したベンガルズがAFC王者に”. NFL.JAPAN (2022年1月31日). 2022年1月31日閲覧。
  20. ^ Aferiat, Jake. Super Bowl 2022 final score, results: Rams win first title in 22 years after with comeback over Bengals. The Sporting News. 2022年2月14日. 2022年2月14日閲覧.
  21. ^ NFLがビルズ対ベンガルズ戦の中止を発表、場合によってAFCチャンピオンシップの会場は「中立地」に”. NFL Japan. 2022年1月6日閲覧。
  22. ^ Template:Cte web
  23. ^ Quan, Rick. “KITV4 EXCLUSIVE: Cincinnati Bengals minority owner Dr. Edison Miyawaki talks Super Bowl, Hawaii” (英語). KITV Island News. 2022年2月18日閲覧。
  24. ^ (日本語) KITV4 EXCLUSIVE: Cincinnati Bengals minority owner Dr. Edison Miyawaki talks Super Bowl, Hawaii, https://www.youtube.com/watch?v=zr7vLoJefS8 2022年2月18日閲覧。 

外部リンク

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