「パオロ・バリッラ」の版間の差分
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2019年10月19日 (土) 08:03時点における版
パオロ・バリッラ | |
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基本情報 | |
国籍 | イタリア |
出身地 | 同・ミラノ |
生年月日 | 1961年4月20日(63歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1989 - 1990 |
所属チーム | ミナルディ |
出走回数 | 9 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1989年日本GP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1990年ベルギーGP |
パオロ・バリッラ(Paolo Barilla、1961年4月20日 - )はイタリア生まれの元F1ドライバー、実業家。2008年現在、バリッラ・ホールディングの副社長を始め、イタリアの食品会社バリッラグループ各社の役員を務めている[1]。
プロフィール
F1以前
1975年にレーシングカートでレースデビューし、1976年にはイタリアの100ccカートチャンピオンになる。1980年にフォーミュラ・フィアット・アバルトにステップアップし、1981年にはイタリアフォーミュラ3選手権にステップアップし年間3位となる。
1982年にはその後F1で走ることになるミナルディからフォーミュラ2にステップアップし、1983年から1988年までは耐久レースにも参戦し、1985年のル・マン24時間レースで優勝した。1987年から1989年には全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に参戦した。
1989年には中嶋企画から全日本F3000選手権に参戦し、ランキング11位(最高位2位)を獲得するなど、日本のレース界との関わりも少なくない[2]。1989年はブリヂストンと無限F1エンジンのテストドライバーもこなした[3]。
F1
1989年の日本GPにおいてミナルディからF1デビュー。翌1990年もミナルディからF1に参戦するが、14戦エントリーして予選通過が8戦と成績はあまり振るわなかった。1990年のアメリカGPでは、体調不良を理由にリタイヤを喫している。
バリッラ社の御曹司でありながら、直接的な支援を受けず、スポンサーはあくまでも自前で用意していた(ネームバリュー含め、間接的にはあったかもしれないが)。そのため、黒一色のデザインのヘルメットにはあまり大きなステッカーがつかず、地味さにより一層の拍車がかかっていた。
F1後
現在はバリッラの副社長業の傍らドライバー活動も散発的ながら継続しており、2004年にはパリ・ダカールラリーにメルセデスのトラックを駆って出場している。
レース戦績
F1
年 | チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989年 | ミナルディ | M189 | BRA | SMR | MON | MEX | USA | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | ESP | JPN Ret |
AUS | NC | 0 |
1990年 | M189B | USA Ret |
BRA Ret |
NC | 0 | |||||||||||||||
M190 | SMR 11 |
MON Ret |
CAN DNQ |
MEX 14 |
FRA DNQ |
GBR 12 |
GER DNQ |
HUN 15 |
BEL Ret |
ITA DNQ |
POR DNQ |
ESP DNQ |
JPN | AUS |
全日本F3000選手権
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989年 | NAKAJIMA PLANNING | SUZ 8 |
FSW Ret |
NIS 2 |
SUZ Ret |
SUG Ret |
FSW Ret |
SUZ 10 |
SUZ Ret |
11位 | 6 |
全日本ツーリングカー選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | Napolex
Racing TEAM |
フォード・シエラRS500 | JTC‐1 | NIS | SUG | SUZ | TSU | SEN | FSW
Ret |
NC | 0 |
1991年 | 日産・スカイラインGT‐R | SUG | SUZ | TSU | SEN | AUT | FSW
6 |
11位 | 12 |
脚注
- ^ “Annual report 2008” (PDF). Barilla Holding S.p.A. (2009年4月10日). 2009年9月11日閲覧。
- ^ Sports Graphic Numberの特集記事“F1日本GPプレビュー”のインタビューでは、「鈴鹿にあるホテルのレストランで網焼ステーキを食べるのが楽しみ。すごく美味しいんだから」と語っている。
- ^ http://ms.bridgestone.co.jp/history/html_file/history-034.htm
関連項目
先代 アンリ・ペスカロロ クラウス・ルドヴィク |
ル・マン24時間優勝者 1985 with: クラウス・ルドヴィク ジョン・ウィンター |
次代 デレック・ベル ハンス=ヨアヒム・スタック アル・ホルバート |