タルソ・マルケス
タルソ・マルケス | |
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基本情報 | |
フルネーム | タルソ・アニバル・サンタナ・マルケス |
略称表記 | MAR |
国籍 | ブラジル |
出身地 | 同・パラナ州クリチバ |
生年月日 | 1976年1月19日(48歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1996-1997,2001-2002 |
所属チーム | '96-'97,'01ミナルディ、'02 フェニックス |
出走回数 | 26 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
最終戦 | 2001年ベルギーGP |
タルソ・アニバル・サンタナ・マルケス(Tarso Anibal Santanna Marques, 1976年1月19日 - )は、ブラジル出身のレーシングドライバー。パラナ州クリチバ出身。1996年から2001年にフォーミュラ1世界選手権に出走した[1]。
来歴[編集]
レーシングカートを5年経験したのち、1992年に16歳でフォーミュラ・シボレーに参戦を開始し、デビュー年に4勝を挙げランキング3位となった[2]。なお、同年のランキング2位はマルケスと2ポイント差でエリオ・カストロネベスであった。1993年に南米F3選手権とフォーミュラ3000に参戦し、両シリーズの最年少勝利記録を樹立した。
1996年よりF1への参戦を目標にジャンカルロ・フィジケラ、ペドロ・ラミー、ヤルノ・トゥルーリとミナルディのシート争いを演じた。ミナルディは財政難であり、才能や実績よりもスポンサーを多く持参できる事を優先させる状況だったため、ドライバーの交代が多かった。その後96、97年にミナルディのシートをシーズン途中に獲得し、ペドロ・ラミー、片山右京とコンビを組んだ。
1998年に向けて一旦はミナルディ残留が決まったものの、スポンサーの問題からシートを失ったマルケスは1999年から2000年、2004年から2005年までの間、アメリカのチャンプカーに参戦。2004年のポイントランキングで24位が最高の成績となった。
2001年にポール・ストッダートが買収したミナルディのシートを獲得しF1に復帰。チームメイトは後にワールドチャンピオンとなるルーキー、フェルナンド・アロンソであった。スポンサーの持参金を優先していたチームは持込み金額の少なかったマルケスをシーズン途中で解約し、新たに持参金を多く持っていたアレックス・ユーンを後任として起用した。
2002年、F1に新規参戦すると表明したチーム、フェニックスと契約をした。チームは2002年マレーシアグランプリに型落ちのアロウズV10エンジンを搭載したプロスト・AP04を持ち込んだが、チームのF1参戦が認められなかった(フェニックスは前年に経営破綻したプロスト・グランプリの資産をトム・ウォーキンショーらが買い取ったもので、チームの実体はないに等しかった)。
2006年よりTC2000とストックカー・ブラジルに参戦。
F1での年度別成績[編集]
年 | 所属チーム | 車番 | 獲得ポイント | ランキング | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 |
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1996年 | ミナルディ | 21 | 0 | -位 | 全てリタイア | 0回 |
1997年 | ミナルディ | 21 | 0 | -位 | 10位・1回 | 0回 |
2001年 | ミナルディ | 20 | 0 | 22位 | 13位・1回 | 0回 |
脚注[編集]
- ^ TARSO MARQUES StatsF1
- ^ Tarso MARQUES Drivers Database
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト tarsomarques.com
- Tarso Marques (@marquestarso) - X(旧Twitter)
- TARSO MARQUES (@tarsomarquesoficial) - Instagram